金田一耕助ファイル19    悪霊島(上) [#地から2字上げ]横溝正史   目 次  プロローグ  第一章 |鷲羽《わしゅう》|山《ざん》にて  第二章 なんでも見てやろう  第三章 三人御寮人  第四章 |市《いち》|子《こ》殺し  第五章 越智竜平  第六章 巴御寮人  第七章 若者ふたり  第八章 神の矢  第九章 蒸発  第十章 竜平の帰還  第十一章 |神楽《かぐら》|太《だ》|夫《ゆう》  第十二章 |水《すい》|蓮《れん》|洞《どう》  第十三章 |宵《よ》|宮《みや》の惨劇  第十四章 |串《くし》|刺《ざ》し太夫  第十五章 |隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》の|烏《からす》     プロローグ [#ここから1字下げ] ……(雑音、雑音、また雑音、人びとのののしりわめく声、それがしいんとしずまりかえったかと思うと)あいつは体のくっついたふたごなんだ……(雑音、雑音、激しい息使い) ……あいつは腰のところで骨と骨とがくっついたふたごなんだ……(雑音、雑音、激しい息使い) ……あいつは歩くとき|蟹《かに》のように横に|這《は》う……(息使いしだいに弱る。雑音) ……あいつは平家蟹だ……平家蟹の子孫なんだ……(息使いいよいよ弱まり雑音) ……あの島には悪霊がとりついている、悪霊が……悪霊が……(息使いいよいよますます弱り、雑音、また雑音) ……|鵺[#「鵺」は底本では「鵺」の「夜」を「空」にしたもの。Unicode=9D7C]《ぬえ》のなく夜に気をつけろ……(息使いいよいよ耐えがてになり、雑音と人びとのわめきののしる声) ……その島の名は……その島の名は……その島の名は……(人びとのざわめき騒ぐ声のなかでひときわ高く、だれかの沈痛な声。「死んだ」……) [#ここで字下げ終わり]  |磯《いそ》|川《かわ》警部はそこでプッツリ、テープレコーダーのスイッチを切ると巻き戻した。     第一章 |鷲羽《わしゅう》|山《ざん》にて      一 「体のくっついたふたごというのはシャム双生児のことなんですか」 「と、いうことになるんでしょうな」 「むかしシャムにそういう|異形《いぎょう》な双生児が生まれて、世界中の評判になったことがある。それいらい体と体のくっついたふたごをシャム双生児とよぶようになり、二、三の作家がそれを題材として探偵小説を書いている。そこまではわたしもしってますが、そういう異形なふたごがこの日本に存在するというんですか、じっさいに」 「|金《きん》|田《だ》|一《いち》さん、わたしもそれについては懐疑的なんですが、この男はそれをどこかで見たんでしょうな、このテープの声のぬしはですな。それがひじょうに強烈な印象となって|脳《のう》|裡《り》にきざみこまれていたので、死ぬまえに、なにをおいてもそのことを、いい|遺《のこ》しておきたかったんでしょう」 「だれです、それは。どんな男なんです」 「それがどういう男だがわかっておりません。青木という|苗字《みょうじ》以外にはね」  磯川警部はそこで鋭く金田一|耕《こう》|助《すけ》を|視《み》た。金田一耕助はいっしゅんたじろぎ、ショックのために顔面から血の気がひいた。なにかいおうとしたようだが、思いなおして口をつぐんだ。なにかいったとしたらそれはおそらく激情的な言葉であったろう。 「金田一さん、これがあなたの探しておいでんさる青木氏かどうかわかりません。あなたの探しておいでんさる青木氏は|修三《しゅうぞう》さんというんでしたね。しかし、この男は青木春雄と名乗っていたそうです。宿帳にのこった住所では、東京の|渋《しぶ》|谷《や》区|初《はつ》|台《だい》ということになってるんですが、わが岡山県警から東京のほうへ照会したところでは、該当住所にそういう人物はいませんでした。あきらかに偽名を使うとったんですな」 「|年《とし》|頃《ごろ》は?」 「四十二、三というところでしょうか。がっちりとしたよい体格をしておりましたが、|身《み》|許《もと》確認の手懸かりが全然なかったというのは、発見されたときその男、パジャマ一枚で足もはだしでした。ただ左の薬指に金の指輪をはめていましたが、それが|認《みとめ》になっておりましてな、青木と彫ってありました。それが薬指の肉にガッチリ食いこんでいて、ちょっとやそっとで抜けんようになっておりました。それですけん偽名を使うにしても、苗字だけは変えるわけにはいかなんだろうちゅうことになっとるんです。これがその指輪ですけえどな」  磯川警部が折り|鞄《かばん》のなかから取り出して、金田一耕助のてのひらに落とした指輪は、甲のほうが長方型になっており、青木という字がくっきりと裏向きに彫ってある。  金田一耕助はかすかに身ぶるいしながら、 「それにしてもこのテープ、どういう状態のもとに録音されたんですか。このテープとった人、やはり警察関係の……?」 「ところがそれがそうじゃなく、ずぶの|素人《しろうと》、物好きな一旅行者なんですね。その人がテープレコーダーを持ち合わせていたので、こういう奇怪なテープがあとにのこり、われわれ岡山県警にひとつの問題が提起されたちゅうわけです。金田一さん、ちょっと……」  磯川警部は|這《は》い松の群落と大きな岩かげにある、天然にできた石のベンチからつと立ちあがった。  そこは岡山市の西南方、瀬戸内海のほぼ中央に突出している、|児《こ》|島《じま》半島の南端にくらいする鷲羽山の突端である。全山崩壊した|花《か》|崗《こう》|岩《がん》からなるこの山は、|累《るい》|々《るい》層々と積みかさなった奇岩巨石のあいだをぬうて、ひねくれた|矮《わい》|性《せい》の這い松の群落が|点《てん》|綴《てい》している。それ自体がたしかにいっぷう変わった奇勝にはちがいないが、わずか一三三メートルのこの山がひろく天下に知られているのは、そこに立つと国立公園瀬戸内海の景観が、一望のもとに見晴らせるからである。  この事件のあった昭和四十二年頃には、|倉《くら》|敷《しき》から鷲羽山へ通ずる鷲羽山スカイラインはまだ開通していなかったけれど、その三年まえには新幹線が東京と大阪をつないでいる。そのあおりをくらって急に大きくクローズアップされてきたのが、古風な江戸の商業都市のたたずまいをいまにとどめる倉敷市で、東からくる客が足をのばしてそこにあそんだ。それらのなかにはヒッピーまがいの若者もいた。ディスカバー・ジャパンというところだろう。  倉敷にあそんだひとのなかには、そこではじめて鷲羽山のことを聞いたひともあったろうし、またはじめからそこが、観光目的のひとつになっていた人もあったにちがいない。全山崩壊した花崗岩におおわれ、奇岩巨石が累々層々と重なっているといえば、いかにも|険《けん》|阻《そ》な山のように聞こえるが、たかが一三三メートルの山である。その|麓《ふもと》まで軽便鉄道がきているから、女子どもにも容易に登れる山である。  そのせいか金田一耕助と磯川警部のふたりが、石のベンチに腰をおろして話しこんでいた、昭和四十二年六月二十四日の午後三時頃にも、観光客らしい若い人がたびたびそばを通りすぎていった。なかにはアベックもあり、幼い子どもをつれた夫婦づれもいた。六月二十四日といえば梅雨のさなかなのだが、その日はめずらしく晴れていた。土曜日でもあった。  磯川警部が立ちあがったので、金田一耕助もそれにつづいた。警部は目立たぬ平服だが、金田一耕助はあいかわらずである。薄よごれた白がすりのひとえに細いへこ帯をしめ、ひだのたるんだヨレヨレの|袴《はかま》をはいて、頭はいつにかわらぬもじゃもじゃの|蓬《ほう》|髪《はつ》である。  お|釜《かま》|帽《ぼう》をわしづかみにして石のベンチから立ち上がり、大きな岩と群生している這い松のかげから外へ出ると、海から吹き上げてくる風に、白がすりの|袂《たもと》とヨレヨレの袴のすそがハタハタとはためき、もじゃもじゃ頭は|逆《さか》|立《だ》ってうしろになびいた。|鬼界島《きかいがしま》にとりのこされ、遠ざかりいく流人たちの|赦《しゃ》|免《めん》|船《せん》を、岩のうえから見送る|俊寛《しゅんかん》といった図である。金田一耕助のおもてにはなぜか暗くて悲壮なものがあった。  金田一耕助の眼下には、いま、瀬戸内海国立公園のすばらしい景観がひろがっている。|備《び》|讃《さん》の瀬戸はすぐ目の下だ。東は|播《はり》|磨《ま》|灘《なだ》から西は水島灘まで。その水島灘のまっただなかにうかぶ小島が、金田一耕助がこれから渡ろうとしている|刑部《おさかべ》|島《じま》であると、かれはさっき磯川警部から教えられた。よく晴れた日は対岸の四国の|山《やま》|脈《なみ》まで見渡せるそうだが、晴れているとはいえ梅雨どきのこと、|靄《もや》にかすんでそこまでは見えなかった。しかし、|塩《し》|飽《あく》諸島は|指《し》|呼《こ》のうちである。戦後金田一耕助がはじめて手がけた事件均舞台となった|獄《ごく》|門《もん》|島《とう》もそのなかにある。すぐちかくにみえる|釜《かま》|島《しま》は、昔瀬戸内海に猛威をふるった、|藤《ふじ》|原《わら》|純《すみ》|友《とも》の拠点だったそうなと、さっき磯川警部は説明した。 「それからすぐそばに見える|櫃《ひつ》|石《いし》|島《じま》、そこからいまわれわれのいるこの山を見ると、ちょうど鷲が羽をひろげていまにも|翔《と》び立ちそうにみえるところから、鷲羽山と名づけられたんじゃそうな。それからむこうに煙がいっぱい立っているのが水島コンビナートじゃが、その沖合いに浮かんでいるのが、あんたが目差している刑部島じゃな。あの島にどういう用件がおありんさるのか、くわしいことはわたしにもわからんけえどな」  さっきそういって説明した磯川警部のさいごの言葉には、あきらかに|危《き》|惧《ぐ》のひびきがうかがわれた。  磯川警部のその言葉によると、金田一耕助は刑部島というのへ渡ろうとしているらしい。その刑部島はいまかれの眼下にある。周囲一四キロばかりのその島に、金田一耕助はどういう用件があるのかしらないけれど、こう見たところその島は、ほかの島々となんら変わるところはない。  そこから見ると大小五十にあまる島々が展望されるのだけれど、どの島もそれぞれちがった形態と色彩をもって、梅雨の晴れ間のひとときを、ひっそりと息づいているようにみえる。 「島一つ土産に欲しい鷲羽山」  そういう句碑が立っているのを金田一耕助はさっき見ている。  それらの島々のあいだをぬうて大小さまざまな船が行き|交《か》う風景は、そこが海の銀座といわれるゆえんであろう。  水島が|埋《う》め立てられ、そこに臨海工業地帯が発展していくにしたがって、このへんいったいの海はひどく汚染されたというけれど、鷲羽山の頂きから見ただけではそこまではわからない。そこに広がっているのはエメラルド・グリーンの|縞《しま》|目《め》をなした、ただすばらしいというよりほかはない美しい海である。  それは金田一耕助のようになにか|目《もく》|論《ろ》|見《み》のあるらしい人物にも、このうえもない景観としてすなおにうけとれた。かれが目差すという刑部島も、それらの景観を形成しているひとつの島にすぎず、べつに不吉な暗雲がその島をおおうているわけではない。それにもかかわらず磯川警部はその島に、なにかしら危惧する理由があるらしく、金田一耕助がそこへ渡ろうというのを苦にしているようである。金田一耕助もさっきのテープを|聴《き》いてから、どうやらその理由がわかりかけている。 「ときに、警部さん、ぼくになにかご用とおっしゃるのは?」 「おお、そうそう、金田一さん、いま目の下にみえるのが、さっきわれわれのとおってきた|下《しも》|津《つ》|井《い》の港ですね」 「そう、警部さんは帰りにもういちどあの町へ、寄ってみたいとおっしゃいましたね。あの町になにかご用がおありだとか」  ふたりがいま立っている花崗岩の|禿《はげ》|山《やま》の下には、下津井の港が複雑な屈折をみせている。|岬《みさき》が三つ四つあってそのあいだが入江になっており、海岸線にはギッチリと人家の屋根がならんでいる。入江にはおびただしい数の漁船がへばりついていて、いかにも古風な港町らしいたたずまいである。 「あの下津井と四国の|坂《さか》|出《いで》をつないでいる海運会社がありますが、その会社の持ち船のなかに|雲竜丸《うんりゅうまる》というのがあります。その船が五月二十日ですから、いまから一か月とちょっとまえのことですね、坂出を出て下津井の港へむかっていた。ところがむこうに見える|本《もと》|島《じま》の東を|迂《う》|回《かい》して、ようやく下津井へちかづいてきたころ、甲板にいた乗客のひとりが海面を見て、あそこに人が浮かんでいるというわけで大騒ぎになりました。そこで乗組員はいうにおよばず乗客一同が甲板へ出てみると、なるほど|左《さ》|舷《げん》から五〇メートルほどさきの海面を、人間らしきものが浮きつ沈みつしている。時刻は朝の八時ごろ、海面がキラキラ日の光りにかがやいている。だからそこに浮かんでいる物体が、人間らしいとはだれの目にもハッキリしてきた。そこで船をそっちへまわしてその男を、甲板へ引っ張りあげたんですな」  金田一耕助はそのときようやく思い出していた。いま聴いたテープのなかにまじっていた雑音のなかに、波の音らしきもの、汽船のエンジンの音らしきものがあったことを。 「なるほど、甲板へ引っ張りあげたとき、その男はまだ死んではいなかったが、|瀕《ひん》|死《し》の状態だったわけですね。ところであのテープはだれがとったんですか」 「それはこうです。船客のなかに|福《ふく》|井《い》|卓《たく》|也《や》という旅行者がいたんですな。この人は東京のさる大企業を停年退職して、つぎの職場もきまってるそうですが、その間を利用して、四国の八十八か所を巡ってきたかえりなんです。その人が旅行記念としていたるところで音の風物詩を、テープにおさめてきたというわけです。|巡礼唄《じゅんれいうた》や|和《わ》|讃《さん》の声、そのほかその地にのこる民謡など……」 「なるほど、その人がとっさの機転でテープレコーダーのマイクを、瀕死の男の|口《くち》|許《もと》に差しつけたというわけですか」 「そうそう、さいわい下津井上陸をまえにして、新しいカセットを用意していたんですな。甲板へ引き揚げられた男はまだ意識があって、しきりになにかいいたそうにしている。そこでいまあんたがおっしゃったとおり、とっさの機転というやつですけえど、おかげでこういう奇怪なテープがあとに遺ったというわけです」 「ところでその男の状態は?」 「どこかの|崖《がけ》からすべり落ちたらしいんですね、全身|擦過傷《さっかしょう》だらけのうえに数か所の骨折があり、後頭部に大きな裂傷がありました。ただしそれがだれかにぶん殴られた傷なのか、それとも崖からすべり落ちたときにでもできた傷なのか、そこまでは医者も断定しかねているんですがね」 「服装は?」 「|粗《あら》い縞のパジャマ一枚、足には|下《げ》|駄《た》かサンダルをはいていたんでしょうが、それは漂流しているうちに失われたんでしょう」 「それが推定年齢四十二、三というんですね」 「筋骨たくましい、がっちりとした体格の男でしたね。うわ背はそれほどではなかったが、胸板の厚い、肩幅の広い、そろそろ腹の出っ張る年頃でしたね」 「写真は撮ってあるでしょうね」 「それがこれなんですがね」  磯川警部がまた鞄のなかから取り出したのは、世にも|凄《せい》|惨《さん》な顔写真である。片目がつぶれて貝の|剥《むき》|身《み》のような目玉がとび出している。額がわれて、|血《ち》|膿《うみ》がとろろ|芋《いも》のように吹き出している。鼻が半分かけていた。金田一耕助のように物慣れた男でも顔をそむけたくなるようなむごたらしさで、そこから生前の面影を見出すのはちとむずかしそうであった。  瀬戸内海の靄は少しずつだが晴れていくようだ。さっきまで|模《も》|糊《こ》とかすんでいた四国の|山《やま》|脈《なみ》がしだいに全容をあらわして、|讃《さぬ》|岐《き》|富《ふ》|士《じ》がまゆずみ色にそびえていて美しい。いまちょうど本島のかげから姿をあらわした連絡船が、足下の下津井港へ入っていく。ラジオなのだろうか、|賑《にぎ》やかな軽音楽の音が風に送られてきてふたりの|耳《じ》|朶《だ》にふれた。  すべてがこのうえもなく美しい国立公園のたたずまいである。しかし、いまふたりのあいだに交わされている会話は、どうやら酸鼻をきわめた殺人事件、あるいは殺人未遂事件に関するてんまつらしい。しかも警部はその話をきかせるために、金田一耕助をこの鷲羽山まで引っ張り出したのである。      二  金田一耕助はきのうこの方面へやってきたばかりである。きのう、すなわち六月二十三日の午後二時頃倉敷の旅館に旅装をとくと、ぶらりと宿を出て二時間ばかり街を見物してまわった。きのうは|霖《りん》|雨《う》が降りつづいていたので、宿でかりた傘をさして歩いたのだが、いまに残る江戸情緒ゆたかな白壁の民家や土蔵のたたずまい、さては水に垂れる柳の風情は、雨にけむっていっそう金田一耕助の旅愁をそそった。  金田一耕助とても事件亡者ではない。たまにはなにものにも|煩《わずら》わされない|静《せい》|謐《ひつ》のひとときを持ちたいのだ。ことに行く手になにが待っているか想像もつかない現在、気息をととのえるという意味からでも、孤独な旅人の心でありたかったのだ。そういう意味からでもわざと岡山を避けて倉敷に旅装をといたのだが、雨の倉敷はかれの願望を満たしてくれた。  しかし、いつまでも旅人の心に酔うておれないのが、この男の因果な性分なのである。  宿へかえるといちおう岡山県警の磯川警部に電話をしてみた。かれがこの電話にちょっと|躊躇《ちゅうちょ》を感じたというのは、それより数日まえの十八日に、山陽電鉄の電車のなかで時限爆弾が爆発して、一人が死亡、十八人が重軽傷を負うという事件が起こっていたからである。磯川警部もその件で忙殺されているのではないかと|気《き》|遣《づか》ったが、さりとてこの方面へきていながら、一言の|挨《あい》|拶《さつ》もないのは穏当ではないし、それに金田一耕助はこれから|赴《おもむ》こうとしている場所について、予備知識をえておきたかったのだ。磯川警部ならなにか知っているのではないか。  さいわい警部はいあわせて、あいてが金田一耕助とわかるとひどく懐しがった。あの事件は自分の担当外であるからと、勤務時間がおわるとそうそうに駆けつけてきた。  思えば金田一耕助と磯川警部の仲も古いものである。  ふたりがはじめて事件をともにしたのは、昭和十二年の秋のことで、その事件は『本陣殺人事件』として記録にのこっている。終戦後金田一耕助がはじめて手がけた『獄門島』の三重殺人事件でも、ふたりは行動をともにしている。その後ふたりが協力して解決した大事件に、|鬼《おに》|首《こべ》村の|手《て》|毬《まり》|唄《うた》殺人事件がある。  ふたりがはじめて相会うたのが、昭和十二年のことだから、昭和四十二年ではちょうど三十年になる。それだけにいま挙げたような大事件はべつとしても、小さな事件だと枚挙にいとまあらずというところだろう。はじめのうち磯川警部のほうに、ライバル意識がなかったとはいえないが、事件を重ねていくうちに、警部のほうで金田一耕助のふしぎな魅力のとりことなった。それはもちろんかれの一種独特の才能に傾倒したことにもよるが、ひとつには勝っておごらず、事件解決後、いささかもおのれの手柄を誇ることなく、すべての功を警部にゆずって惜しむところがない。そういう|恬《てん》|淡《たん》たる人柄に魅了されたのであろう。  金田一耕助の情熱は事件解決そのものにあり、そこからえられる結果についてはおよそ無関心にみえた。あれで商売がなりたつのであろうかと、いつも警部が気をもんでいるくらいであり、これは東京の|等々力《とどろき》警部とてどうようだった。|年齢《とし》は磯川警部のほうが五つくらいうえになり、したがって警部はこの年少の友を弟のように愛するいっぽう、そのユニークな才能には|心《しん》から底から兄事している。警部がときには金田一さんとよび、また場合によっては金田一先生と、敬称をたてまつるゆえんもそこにある。  思えば磯川警部も不幸な人である。かれももちろんいちどは結婚し、妻の名は|糸《いと》|子《こ》といった。糸子も磯川警部が南方戦線から復員してきた、昭和二十一年の春にはまだ生存していたのだが、その翌年はかなく世を去った。元来が|蒲柳《ほりゅう》の質であったうえに、終戦前後の過労がたたったのであろうといわれている。夫婦のあいだに子どもはなかった。  糸子は口かずの少ない、つつましやかな性格だったから、警部はこのうえもなく妻を愛していた。その後かれが二度と|娶《めと》ろうとしなかったのは、糸子にたいするたちがたき愛情もさることながら、かれがおのれの肉体に、ひとつの大きな欠陥があることを自覚していたからである。  戦争中陸軍に応召して南方の島から島へと移動しているとき、かれの乗っていた輸送船が敵機の爆撃をうける結果になったことがある。投下された爆弾はさいわい船には命中しなかったが、すぐそばの海面で爆発した。その衝撃をうけて磯川|常《つね》|次《じ》|郎《ろう》|軍《ぐん》|曹《そう》は甲板から弾きとばされ、こっぴどく海面に|叩《たた》きつけられた。そのときのショックでかれは腰部にひとつの疾患を持つにいたった。ふだんの日常生活にさしさわりはなかったが、疲労が蓄積すると腰へきた。かれが再婚を断念せざるをえなかった理由もそこにある。  警部はいま兄嫁の|八《や》|重《え》の家に|寄《き》|寓《ぐう》している。常次郎だから磯川家の次男であることはいうまでもない。七つちがいの兄の|平《へい》|太《た》|郎《ろう》は戦前岡山市で医療器具店をやっており、羽振りも悪くなかった。妻の八重とのあいだに|健《けん》|一《いち》という一人息子があったが、健一は秀才で岡山医大に籍をおいていた。戦争中はいずこもおなじで、健康な男子という男子は兵隊にとられた。平太郎は日華事変が起こるとまもなく応召して|上海《シャンハイ》で|散《さん》|華《げ》した。常次郎は昭和十七年に陸軍にとられて、中国大陸を転戦しているうちに、十九年いちど復員しているが、すぐ再応召して、今度は南方の島から島へと経巡った後、終戦の翌年の春無事に復員してきた。いっぽう|甥《おい》の健一は六高から岡山医大へと進んでいたが、十九年の秋学徒動員でとられた。しかし、二十年の終戦と同時に召集解除になってかえっていた。  健一はまもなく母校の医大へ復籍したが、学費の|捻出《ねんしゅつ》は苦しかった。健一もバイトしたが、母の八重もひところは日雇いみたいなことまでやった。もちろん医療器具店などあとかたもなく焼けていた。いっぽう子どももなく妻を失い、しかも再婚を断念せざるをえなかった磯川警部は、この健一をわが子のようにかわいがり、生活費の一部をさいて健一の学費をみついだ。その当時が磯川警部にとっても、八重母子にとってもいちばん苦しい時代であったろう。それだけに健一はこの叔父を徳として、いまもってふかく肝に銘じている。  しかし、それ以来二十余年、日本が復興するにつれて岡山市も復興した。八重が警部の力をかりて再建した医療器具店は、戦前にまさるともおとらぬ繁栄をしめしている。健一も学校を出ると母校の病院に勤めて、十年ほど|研《けん》|鑽《さん》をかさねていたが、その後独立して岡山市内に内科の医院を開業した。トシは若いが人柄がよいのでよくはやる医者であった。  病院勤めをしているうちに結婚して二児をもうけたが、気だてのよい嫁の|清《きよ》|子《こ》は、休みの日などよく子どもをつれて、別居している八重のところへあそびにきた。医院開設費はこの嫁の実家から出ているということだが、そんなことを鼻にかけるような清子ではなかった。  八重は八重でいまでは店舗と住宅を別にしている。磯川医療器具店は数名の従業員をつかい、いまでは株式組織になっているが、警部も株主になっているという話である。店舗とはべつに住宅をたてる必要にせまられたとき、八重は廊下づたいに往来できる離れをたて、そこへ義弟をむかえいれた。それまで警察寮や下宿を転々としていた磯川警部は、この働きものの兄嫁のおかげで、はじめて安住の地をえたわけである。  しかし、そこに不都合がないわけではなかった。警部が兄嫁のもとに引き取られたのは、いまから八年ほどまえのことだったが、ふたりとも老いくちたという年頃ではなかった。八重は義弟より三つ年上だが、うば桜もいいところだったし、警部はいまでも血気さかんである。家には年頃のお手伝いさんもいるし、週に二回はかよいのばあやさんが洗濯にくる。  しかし、世間の口に戸は立てられぬのたとえのとおり、ふたりの仲をうんぬんする声が、一部に流布されているとしったとき、警部はすっかり恐縮してあやまった。しかし、この太っ腹な兄嫁は動じなかった。 「そんなことほうっておおきんさい。健一も清子も清子のさとも、みんなわたしらを信用してくれてますけんなあ。世間のうわさなど苦にやんでたら、このうるさい世のなか、いちにちだって生きていけませんぞな。それよりお勤めさきではどうですん」 「いや、はじめはとやかくいわれましたけえど、みんなわたしの気性をようのみこんでいてくれますけん」 「ほんならそれでよろし」  八重の断でその問題はそれでけりがついたけれど、その後のあるとき通いのばあやから注意をうけて、さすがの|女《じょ》|傑《けつ》もこの義弟のものすさまじい禁欲生活に、胸もふさがる思いをしたことがある。警部は腰に疾患をもっているとはいえ、性能力をうしなっているわけではない。警部の汚れもののなかに、若者のように強壮な男の|証《あかし》をみせられたとき、彼女はこの謹直な義弟をしみじみ|不《ふ》|憫《びん》とおもわざるをえなかった。 「そうじゃけんなあ、常さん、こんどそういうことがあったら、黙ってわたしにわたしてつかあさい。わたしが人知れず始末してあげますけんなあ」  磯川常次郎は|茹《ゆで》|蛸《だこ》みたいになって恐縮した。しかし、それだからといって八重はこの義弟に、再婚をすすめたりはしなかった。かれの独身の決意のうごかしがたいことをしっていたからであろう。  金田一耕助も長いつきあいだから、警部の境遇についてはだいたいのことはしっている。お八重さんに会ったこともあるし、健一夫婦やその子どもたちもしっている。鬼首村の手毬唄殺人事件のあった昭和三十年頃は、まだそれほどふかい関係ではなかったが、それでもこの警部が人いちばい強壮な体質を持ちながら、男やもめであることはしっていた。だからあのさいこの警部が、事件の|渦中《かちゅう》にたたされたある婦人に、ひそかに恋情をいだいたことにたいして、そぞろ同情の念を禁じえなかったのもそのためである。     第二章 なんでも見てやろう      一  六月二十三日の夜金田一耕助の電話によって、倉敷の宿へかけつけてきた磯川警部は|久闊《きゅうかつ》を叙し、しばらくよもやまの話に花を咲かせていたが、やがて探るような目をむけて、 「金田一さん、あなたこの方面になにかまたご用でも? まさか観光旅行というわけではありますまいな」  金田一耕助は正直にこたえた。 「ええ、じつは水島沖に|刑部《おさかべ》|島《じま》というのがあるでしょう。そこへ渡ってみたいと思うのですが……」  金田一耕助はさりげなく切り出したが、あいての示す反応におどろいて、 「あなた、その島をご存じですか」 「いや、あなたこそどうしてその島をご存じなんですか。刑部島は瀬戸内海でもそれほど有名な島ではない。いや、ここにちょっとした事件があって、われわれのあいだでこそいま問題になってる島ですが、金田一さんはなぜその島へおいでんさる。まさか島見物というわけではありますまい」  たたみかけるような警部の権幕に、金田一耕助は急に声をおとして、 「警部さん、その島になにかあったんですか、ちかごろ。警察の手を煩わすような……?」 「いや、それはあとで申し上げるとして、金田一さんこそどうしてあの島へお渡りんさる。依頼人の名誉のためにそこまではいえんとおいいんさるんで」 「いや、それほど大げさな問題じゃありませんよ。いずれ島へいったらだれの紹介かわかることですからね。そうだ、あなたはしっておく権利があるかもしれない」  金田一耕助が古ぼけたボストンバッグをさぐって取りだしたのは、りっぱな西洋封筒である。表には太めの万年筆の達筆で、 [#ここから2字下げ] |刑部《おさかべ》|大《だい》|膳《ぜん》殿  金田一耕助先生持参 [#ここで字下げ終わり]  裏を返すと東京の一流のホテルの名が印刷してあり、 [#ここから2字下げ] |越智竜平《おちりゅうへい》 [#ここで字下げ終わり]  という名前が上書きとおなじ達筆で。  金田一耕助はあいての顔色を読みながら、 「警部さんはその名をご存じですか」 「しっています、ふたりとも。ことに刑部大膳というもっともらしい名前をもったじさまには、ちかごろ会ったことがあります。年齢は八十くらいかな。あるいはもっといってるかもしれん。まあ、いうてみれば島のぬしみたいなじさまで、島では最高主権者みたいなもんですな。越智竜平という人物にはまだ会ったことはありませんが、目下このへんではこの人のうわさでもちきりですよ」 「どういう意味で……?」 「その人、アメリカがえりの億万長者じゃそうですな。そうそう、金田一先生はおぼえておいでんさらんかな」 「どういうこと……?」 「あれは昭和二十九年のことになりますけえど、やはりアメリカがえりの成功者が、この瀬戸内海の島に|蜃《しん》|気《き》|楼《ろう》みたいな御殿をたてて得意がっていたところが、若い細君が殺されてしもうた。おまけにあやうくその犯人に仕立てられそうになったところをあなたに救われて、またそうそうとアメリカへかえっていった人物のあったことを」(『蜃気楼島の情熱』参照)  金田一耕助は|莞《かん》|爾《じ》として、 「|志《し》|賀《が》|泰《たい》|三《ぞう》氏のことですね。警部さん、よくあの人のことをおぼえていてくださいましたね。さっきわたしの紹介者越智氏のことを、あなたもしっておく権利があると申し上げたのはそのことなんです」 「そのこととおっしゃると……?」 「越智氏もアメリカで産をなして、三年ほどまえ日本にかえってきて、それいらいアメリカと日本を|股《また》にかけて、手広く商売をしているようですが、一昨年ひょっこりわたしを訪ねてきたのは、志賀泰三氏の紹介状と志賀氏からの手みやげを持ってきたんですよ。だから善根はほどこしておくもんだと思いましたな。ここにひとりおとくいさんがふえたじゃありませんか。あっはっは」  金田一耕助はいたずらっぽく笑うと、 「ついでにお耳にいれときますが、志賀氏、むこうへかえってから二世婦人と結婚して、いまではさかんにやってるそうですよ。しかし、警部さん、その志賀氏がどうかしましたか」 「そうですか、いや、そうでしたか」  磯川警部は感慨ぶかげに、みじかく刈ったゴマ塩頭をふっていたが、やがてひと|膝《ひざ》のりだすと、 「いやね、金田一さん、わたしゃ越智氏と志賀氏の関係はしりませんでしたが、海外で財をなして日本へかえってきた人物というものは、だれしもおなじようなことを考えるもんだと思いましてな。越智氏は刑部島出身だそうですが、島の半分以上の土地を買いしめましてな。ただし、これにははたから考えるほど、金はかからなんだろといわれています。刑部島はいまや過疎の島ですからね。そこへ志賀泰三氏とおなじように、大土木工事を起こしてるんですよ。わたしゃこのあいだいってみて、おったまげてしまいましたけえどな」  金田一耕助が目をまるくするのを見て、 「金田一先生はそれをご存じじゃなかったんですか」 「いいえ、それはいま初耳です。じゃここで、わたしが越智氏についてしってるだけのことをお耳に入れておきましょう。そのかわり警部さんもあとで、刑部島について知ってるだけのことは聞かせてください」  金田一耕助はひと息いれると、 「これは越智氏の受け売りですが、あの人も見えすいたうそはつかんでしょう。つまり越智竜平という人は終戦後、昭和二十二年に大陸から復員してきたんですね。そのとき当時のかぞえかたで二十五歳ですから、いまのかぞえかただと二十四歳。それがいまから二十年まえの話ですから、ことし四十四歳になるわけです。うちは代々島の|網《あみ》|元《もと》だったそうですが、戦後の大改革で網元なんて一文の価値もなくなった。そこで島の将来に見切りをつけて|徒《と》|手《しゅ》|空《くう》|拳《けん》、青雲の志を抱いてアメリカへ渡ったのが昭和二十三年のことだったそうです。なにしろむこうにひとりも知り合いがなく、密航同様だったそうですから無謀な話で。だからはじめは|日《ひ》|傭《よう》|取《と》りどうようの身分で、ずいぶん苦労をしたと自分でもいってました。それがいくらかましな生活ができるようになったころ、はからずもめぐりあったのが志賀泰三氏だといいますから、昭和三十年以降のことでしょうね。この志賀氏との|邂《かい》|逅《こう》がじぶんにとっては運のつきはじめだといってましたが、まあ、同郷のよしみもあり、瀬戸内海の島うまれというのが志賀氏にとっては懐かしかったんでしょう。志賀氏にいろいろ便宜をはかってもらっているうちに、在留邦入のなかでも、成功者の部類にかぞえられるようになったとじぶんではいってました。商売のことはぼくにもよくわからんのですが、なにか精密機械の輸入、むこうがわからいえば輸出ですね、そういうことをやっていて、水島コンビナートへも部品を納入しているようですよ」 「水島にねえ」 「水島がどうかしましたか」 「いや、金田一先生のご存じのことはそれくらいですか。ほかになにか……」 「いや、ぼくのしってるのはそれくらいのもんです。一咋年いらいのつきあいといっても、そうしょっちゅう会ってるわけじゃない。なにしろむこうさん、アメリカと日本をいったりきたりしている人物ですからね。じゃ、こんどは警部さんのご存じのことをどうぞ」 「承知しました。ただしわたしもまだそれほど、刑部島のことについて精通してるわけじゃありませんけえど……」  まずいちおう前置きをしておいて、 「ことの起こりは水島ですな。これはちかごろ新聞などで書きたてておりますけん、金田一さんなんかもしっておいでんさると思うが、あそこの埋め立てがはじまったころからすでに、あのへんいったいの海は汚染されはじめたんですね。ところがああして大規模な臨海工業地帯が発展していくにしたがって、海はますます汚染されていくばかり。それでこのへんいったいすっかり魚がとれなくなったとおみんさい。とれても鼻がまがっていたり、尾ひれが半分なかったり、そんなもん口にはいりゃしませんや」  思えば昭和四十二年といえば、日本が高度成長という危険な綱渡りをはじめたばかりの年代である。経済的成長はそれ自体けっこうなことかもしれないが、そのかわり公害問題がマスコミの話題となり、大きな関心をよびはじめた時代でもある。 「ところが水島工業地帯の吐きだす公害を、モロにひっかぶったのが水島|灘《なだ》のまっただなかに浮かんでいる刑部島の漁民たちで、なにせ魚がとれんのじゃからしかたがありません。とれても鼻のまがった魚じゃ買い手もつかんとおみんさい。ですけん漁業に見切りをつけた漁民たちは、つぎからつぎへと島を離れていく。それをまた待ってましたとばかりに受けいれるのが、水島コンビナートの会社たち。ですけんいまや島は過疎化するいっぽうですんじゃ。そうじゃけん刑部島のある種の人たち、たとえばあなたが頼っていこうとしておいでんさる刑部大膳みたいなじさまにとっては、水島はおそらく目の敵でしょう。なんしろあの人は島のヌシをもって任じておりますし、じっさいの利害関係としても、真珠の養殖問題がありますけんな」 「そうそう、そういえばぼくもだいぶんまえ、瀬戸内海のどこかの島で真珠の養殖に成功したという記事を、新聞で読んだことがありますが、それ、あの島のことだったんですか」 「大膳じさまが戦前からやってたんですな。|志《し》|摩《ま》へ人をやったり自分でも見学にいったり、むこうから技術者をまねいたりしましてな。戦争中は人手が足りなかったので、いちじ中絶していたんですが、戦後またやりはじめた。それが粒々辛苦のすえ、やっとものになりかけてきた。いや、いちじはちょっとした収穫もあり、そうとう良質の真珠がとれる見込みもついてたそうです。それが水島のおかげで元の|木《もく》|阿《あ》|弥《み》というんですけん、大膳じさまがあのコンビナートを|不《ふ》|倶《ぐ》|戴《たい》|天《てん》のかたきとして、|憎《ぞう》|悪《お》のかたまりみたいになっとるもむりはないとおみんさい。なにせあの|阿《あ》|古《こ》|屋《や》|貝《がい》というやつはとっても水質をえらぶそうですけんな。そうですか、越智竜平という人物は水島コンビナートに関係がおありんさるんか」  磯川警部はうわめづかいに、金田一耕助のもじゃもじゃ頭を視つめていたが、その目にはありありと危惧の色がうかがわれた。 「それで、金田一先生はいつお立ちんなります。あしたの便船ででも……?」 「いやあ、それほど急ぎの用事でもありません。じつは越智氏とわたしとは一昨年来のつきあいですが、ちかごろわたしが過労気味でヘバっているのを心配して、瀬戸内海にこれこれこういう島がある、いつかもいったとおりそこがじぶんの生まれ故郷である。そこへいってしばらく静養してこられたらどうか。もしいく気があるなら、じぶんのほうでも頼みたいことがあると、そういうわけでわたしも話に乗ったんですが、ここまできたらあなたにあいさつしておかなければと思いましてね」  金田一耕助のコロシ文句に、警部は満面笑みくずれて、 「それゃそうですぞな。この方面へおいでんさって、わたしを|袖《そで》におしんさったら|生涯恨《しょうがいうら》みますけんな。それでいつごろ島へ……?」 「刑部島には刑部神社というのがあるそうですね」 「そうそう、昔から島の守り神になっとるちゅう話です。わたしもちかごろしったんですけえどな」 「その神社の祭礼が七月七日だそうですが、その祭りまでには越智氏もかえってくるそうです。わたしもそれより少しまえにむこうへいっていたいと思うんですが……」 「金田一さん、あんたその刑部神社がこんど越智氏の寄進で、すっかり建てかわったということをご存じですかな」 「いえ、それは初耳です。ああ、そう、さっきあなたがおっしゃった、島に一大土木工事を起こしているというのはそのことですか」 「いや、そのことじゃありません。刑部神社もああいう小っちゃな島としてはりっぱなもんです。しかし、わたしのいったのはそれじゃない。じぶんが日本へかえったとき安息の地にするんだというて、御殿のような家を新築したばかりか、いくいくはあの島を瀬戸内海の観光地にするんだとかで、ホテルやゴルフ場、ほかにもレジャー施設を建設中なんで。それゃ志賀氏がお建てんさった、|蜃《しん》|気《き》|楼《ろう》みたいな奇抜な建物じゃありませんけえど、われわれ凡愚のものの目からみれば気ちがいざたとしか思えず、そこになにかウラがあるんじゃないかと、島の駐在なんかもハラハラしてるとおみんさい」 「ウラとおっしゃると……?」 「金田一さんも獄門島の事件でおしりんさったろうが、ここらの島いったいはむかし海賊の根拠地になっとったんですな。とおくは藤原純友のむかしから、少しくだっては|村《むら》|上《かみ》水軍。あの獄門島のぞくしている塩飽諸島なども、村上水軍の根拠地になっておったちゅうことは金田一先生もご存じでしょう」 「はあ、それは聞いております」  獄門島の名前が出るとき金田一耕助の顔色がくもるのは、|早《さ》|苗《なえ》さんのその後のなりゆきを案じているからであろう。早苗さんのうちも網元だった。網元のその後のなりゆきは越智竜平にてらしあわせてもうかがわれるのである。越智竜平はさいわい成功者として、アメリカからかえってきたけれど、早苗さんはどうであろうか。  金田一耕助にはいささか感慨なきにしもあらずだが、警部はもとよりそんなこととはしるよしもない。 「ところが刑部島というのがやっぱりそれで、ずうっと昔は越智一族というのが住んでいたんじゃそうです。全島越智姓を名のり、ふだんは|漁《すなど》りを業としているが、いざとなると海賊に早変わりをする。まあ、そんな島じゃったらしいんですな。ところが源平時代になって福原の都を落ちのびた平家の一族のなかで、|屋《や》|島《しま》まで逃げおくれた武士が数名、刑部島へたどりついた。そのじぶんはまだ妻恋島ちゅうて、神社の名も妻恋神社ちゅうとったそうな。|落人《おちうど》は七人、しばらく島でくらしていたが、平家が屋島|壇《だん》ノ|浦《うら》で滅亡し、その後|鎌《かま》|倉《くら》方の|詮《せん》|議《ぎ》がきびしいとあって、七人みんな入水してはててしもうた。いまでも落人の|淵《ふち》ちゅうのがのこっているとおみんさい」  話がこみいってくると警部はおくに言葉まるだしになる。 「ところが入水するまえに七人の落人が、それぞれ島の娘たちとちぎって子孫をあとにのこしたんですな。ことにいちばん頭だったもんが、|神《かん》|主《ぬし》の娘とちぎって男の子をあとにのこした。その男の子がのちに神主の職を|継《つ》ぐにいたって、落人のすえが島の支配階級にのしあがってきたとおみんさい。どういうわけか落人の子孫はみんな刑部姓を名のったが、われわれはおまえたちとちごうて、平家の|公《きん》|達《だち》の血を引いている、ずぶの漁師や海賊の子孫とはわけがちがうというわけらしいんですんじゃ。わたしもくわしいことはしりませんけえど、島へいておみんさい、刑部姓にあらずんば越智姓で、これが代々勢力争いをしてきたものらしい。そうじゃけんこんど越智竜平氏が、お宮をたてかえたり、御殿みたいな家をたてたりするのは、みんな刑部家の一族にたいする面当てじゃなかろうかと、島の駐在、|山《やま》|崎《ざき》|宇《う》|一《いち》ちゅうもんですけえど、その山崎くんなんかもいうとります。それにしてもすこしいきすぎじゃけん、いまになにかひと騒動起こるんじゃあるまいかっと、山崎くんなんかが気をもんどるようなしまつでして」  ここで磯川警部はハタと気がついたように口をつぐむと、いくらかきまり悪そうに、 「これはまたわたしとしたことが、とんだ長話をしてしもうて、気にさわったら堪忍してつかあさい」 「とんでもない。わたしはたいへん興味ぶかく拝聴しておりましたよ。島へ渡るまえに少しでもよけいに予備知識を仕込んでおきたいと、そういう意味でもあなたにお目にかかっておきたかったんじゃありませんか」  金田一耕助はなぐさめがおである。磯川警部はその顔をうわめづかいにうかがいながら、 「それにしても、金田一さん、あんたさっき保養も保養じゃけえど、なにか越智氏に頼まれたことがあるいうておいでんさったが、それどげえなこと? 業務上の機密ちゅうんなら、しいておたずねせえでもええけえどな」 「いや、これはぜひきいておいてください。ひょっとすると警部さんのご協力を、あおがねばならん羽目になるかもしれませんからね。じつは|探《たず》ね人なんですが……」 「探ね人……?」 「はあ、この五月ごろ刑部島へ渡ったことはたしかなんですが、そのまま消息をたっている人物があるんです。越智氏の片腕みたいな人物だそうです。ぼくは会ったことはないんですけれどね」  磯川警部の顔色がにわかに悪くなるのをみて、金田一耕助も|唾《つば》をのみこんだ。 「警部さん、なにかお心当たりが……?」 「名前は……? 年齢は……? 体の特徴は……?」  磯川警部の声はしゃがれてふるえている。金田一耕助は目をショボつかせながらも、するどくあいての顔色をうかがいながら、 「名前は青木修三、年齢は四十二歳、体の特徴はがっちりとしたいわば精力絶倫型で、そうそう、左の薬指に青木とほった、|認《みとめ》がわりの金の指輪をはめてたそうです。ここに写真があるんですが……」  金田一耕助がボストンバッグを探ってとり出したのは二枚の写真である。いずれも素人のスナップだが、一枚は洋服すがたの胸からうえを撮った顔写真。もう一枚はどこかの海水浴場ででも撮ったものらしく、パンツひとつで砂のうえに両手をうしろにつき、太い両脚をまえに投げ出している写真である。なるほど厚い胸板、広い肩幅、がっちりとしたたくましい体つきである。肉感的というより、いささか|淫《いん》|蕩《とう》|的《てき》にさえみえる中年男である。顔写真を見るとまんざらでもない男っぷりである。  磯川警部はその顔写真をしげしげと視つめていたが、やがてかるく首を左右にふると、 「金田一さん、あなた、あしたもういちにち、わたしにつきおうてくださらんか」 「ああ、いいですとも。なにかこの写真にお心当たりでも……?」 「はあ、しかし、あなたがまさかこういう用件で、こちらへこられたとは気がつかなんだもんじゃけん、きょうはなんの用意もありません。わたしゃあなたに聴いてもらいたいものもあるし、見てもらいたいものもある。そうだ、金田一先生は鷲羽山をご存じかな」 「名前はきいております。瀬戸内海国立公園鷲羽山でしょう」 「そうそう、あしたの午後そこへご案内しましょう。さっきの天気予報ではあしたは晴れるそうですし、そこへいけばあなたの目差しておいでんさる刑部島も指呼のうちです。またあなたに聴いていただきたいもの、見ていただきたいものをご|披《ひ》|露《ろう》するのも、そこがいちばん適当な場所かともおもわれるし、それに鷲羽山のすぐ麓にある下津井の港へもご案内しておきたいし……」  警部はなにかふかく思いこんだようすだったが、さてその翌日のこんにちただいま、ふたりは鷲羽山の突端にいて、金田一耕助は世にも奇怪なテープを聴き、証拠の指輪と、凄惨な死人の顔写真を見せられたのである。      二  とつぜん磯川警部は|弾《はじ》かれたようにうしろをふりかえった。金田一耕助とてもおなじであった。  さっきまでふたりが腰をおろしていた石のベンチに、ひとりの若者が腰をおろしていて、テープレコーダーをいじっている。ガーガーというさいしょの雑音が、鷲羽山の突端に立って話しこんでいたふたりの|耳《じ》|朶《だ》にふれたのである。 「こら、なにをする!」  警部は|大《おお》|股《また》にそのほうへとってかえすと、あいての手からテープレコーダーを引ったくって、あわててスイッチを切った。その権幕にあいては|辟《へき》|易《えき》したように首をすくめて、 「すみません、それ、おじさんのもんですか。ぼくはまた、だれか置き忘れていったのかと思って……」  |二十《はたち》か二十二、三の若者である。その頃は長髪は一部芸能人にかぎられていて、まだ一般化してはいなかった。その若者も頭をG・I刈りにしていて、脚には身にくいいるようなジーパンをはいている。靴はズック製である。うえに着ているクリーム色の半袖のスポーツ・シャツの胸元には、  I WILL SEE EVERYTHING ONCE  と、いう文字が弧の型に湾曲して|藍《あい》|色《いろ》に染めだしてある。石のベンチのうえには大きなリュックサックがおいてあった。 「きみ、このテープを聴いたのか」 「いやあ、雑音ばかりでしたよ。ぼくはまたジャズかロカビリーでも聴けるんじゃないかと期待してたんですがね」  恐縮しながらもさわやかに笑っている。標準型の好男子にはほどとおいが、日焼けした顔の感じは悪くない。笑うと口許からこぼれる白い八重歯が印象的だった。うわ背は一メートル七五くらいはあろうか、いまどきの青年としてはめずらしくがっちりとした体をしていて、半袖のシャツからのぞいている両腕も、太ぐてたくましく強そうだ。 「きみ、ほんとうにこのテープ聴かなかったろうね」  磯川警部はもういちど念を押した。  青年は|呆《あき》れたように目をまるくして、 「おじさんは疑いぶかいんですね。なんならスイッチを入れてごらんなさい、雑音ばかりだから。……それともそのテープ、ひとに聴かれちゃまずいような、機密事項でも吹きこんであるんですか」  若者の目はちょっぴり好奇心に輝いた。 「もういい。いいからいきたまえ」 「おじさん、ぼくが盗みをはたらこうとしたんだなどと思わんでくださいよ。それなら黙って持ってくはずですからね」  標準語を使っているがどこか|上《かみ》|方《がた》|訛《なま》りがある。神戸か大阪か、おそらく神戸だろう。金田一耕助は神戸出身の友人をもっているが、その男の言葉の訛りとよく似ている。 「まあ、いい、いいからいきたまえ。ここでいっとくが、これにこりてひとさまの物にむやみに手をだすんじゃないぞ。たとえ盗みをはたらくつもりはなくともな」 「承知しました。以後気をつけます。ではこれで失礼、そちらのもじゃもじゃ頭のおじさんも」  ペコリと頭をさげると|茶褐色《ちゃかっしょく》の大きなリュックを背に負って、ゆっくりとむこうのほうへ立ち去った、ジーパンの左右の|尻《しり》をプリプリさせながら。金田一耕助にはそのリュックに見おぼえがある。さっき石のベンチに腰をおろして、テープの声に耳をすましているとき、一〇メートルほど離れた岩頭に立って、それとおなじリュックを背負った若者が、双眼鏡を目にあててしきりに海上を眺めていたが、あの双眼鏡のむかっていた方角は、刑部島のほうではなかったか。金田一耕助はちょっと胸騒ぎをおぽえたが、警部にはそのことについて語らなかった。しかし、警部もそれに気がついていたのか、なぜかリュックを背負った若者のうしろ姿をくいいるように凝視している。 「警部さんはあの青年がよほど気になるようですね」  警部はあきらかに虚をつかれたのである。ハッとわれにかえって金田一耕助のほうをふりかえったその額には、うっすらと汗がにじんでいる。ノドの奥で|空《から》|咳《せき》をして、 「金田一さん、ああいうのをヒッピーというんでしょうか」 「さあ、ぼくもヒッピーの定義はよくしりませんが、いうところのヒッピー・スタイルとはちがってましたね。服装はラフだが、わりに身だしなみがよかったじゃありませんか。いちどはなんでも見てやろう族というやつでしょう」 「えっ、それ、なんのことです」 「あれ、警部さんは気がつかなかったんですか。あの男のシャツのまえに、大きく染めだしてあったじゃありませんか」  そして、金田一耕助は|唄《うた》うように口ずさんだ。  "I will see everything once."  磯川警部という人が職業柄、そうとう観察眼の鋭い人物であるということを金田一耕助はよくしっている。それにもかかわらず、あの若者の胸に大きく染め出したモットーに、どうして気がつかなかったのか、警部はあの若者のどこに心を奪われていたのか、さすがの金田一耕助もそれに気がつくまでにはそうとう時間がかかったのである。 「まあ、ちかごろはやる脱サラ、脱都会というやつでしょう。それより、警部さん、さっきの話のつづきをきかせてください。テープの声のぬしと刑都島との関係は、どうしてわかったんですか」 「ああ、それ……」  警部はなぜか夢からさめたような調子である。 「それは刑部島の村長、刑部|辰《たつ》|馬《ま》というもんから、捜索願いが出たからです。島に|逗留《とうりゅう》している青木春雄という観光客が、一昨日の晩から行方不明になったちゅうてな。|雲竜丸《うんりゅうまる》の甲板で青木氏が息をひきとった翌日のことでしたな」 「それで警部さんが出かけられたというわけですね」 「あの奇怪な断末魔の言葉がございますけんな。ただし、あのテープのことはいっさい極秘になっとおりますけん、金田一さんなんかも島へおいきんさってもそのおつもりで」 「承知しました。ところで村長の刑部辰馬という人は、やはり大膳さんの親類縁者かなんかですか」 「|甥《おい》っこじゃそうな。そういえば、村会議員なんかもほとんど刑部姓でしめとるちゅう話ですて」 「それで警部さんがおいでになると……?」 「いや、これはこういうことになりよるんですな、島のもんのいうことがほんまじゃとすればじゃが、島のもんもまさかみえすいた|嘘《うそ》はつきますまい。青木春雄と名乗る旅行者が、ふらりと島へやってきたのは五月五日の夕方のこと、|錨屋《いかりや》ちゅう旅館へわらじをぬいだとおみんさい。その錨屋ちゅうのが島でたった一軒の旅館で、昔はよくはやった|女《じょ》|郎《ろ》|屋《や》じゃったそうです。そこの|主《あるじ》ちゅうのが、あなたがこれから訪ねていこうとしておいでんさる刑部大膳、八十何歳かのじさまじゃが、これがもうカクシャクという言葉を地でいってるような年寄りでしてな」 「それは越智氏からもきいてるんですが、それで……?」 「ところがこの青木春雄という人物、えろうその島が気にいったとかで二週間におよぶ長逗留、いろいろ故老の話をきいてまわったりしていたそうじゃけえど、それが十九日の晩から消息不明になってしもうた。そこで二十四時間待って村長から島の駐在へとどけでた。そこで駐在の山崎くんからわれわれのほうへ報告があったちゅうわけじゃが、そのまえに雲竜丸の一件がございましょう。そこでわたしが、まあ、責任者として出向いていったというわけじゃが、そのまえに島では青木氏の身のなりゆきは、だいたいわかってたちゅうわけですな」 「と、おっしゃると……?」 「きのうも申し上げたとおり、落人の淵ちゅうのがございましょう。昔、平家の武士が七人入水したという……そこからあやまって|顛《てん》|落《らく》したんじゃないかというのは、|崖《がけ》の途中にレーン・コートがひっかかっているのを、島のもんが見つけたんですな。そのレーン・コートは青木氏が錨屋へやってきたとき着ていたもんで、げんにAOKIとローマ字の|刺繍《ししゅう》もありました。だから、そこから落ちたことはまちがいはないとしても、島のもんがいうとおりあやまって顛落したのか、だれかに突き落とされたのか、それとももっと悪く勘繰れば、|瀕《ひん》|死《し》の状態となってから投げ落とされたのか……」 「解剖の結果は?」 「内臓には異状なしです。そうとう多量のアルコールを飲んでたことは飲んでましたがね。だから酒に酔うてふらふらと、落人の淵へいったのかもしれませんが、なんであんなところへいったのか、落人の淵というのは刑部神社のすぐそばにあるんですが、青木氏の泊まっていた錨屋からでは、そうとう坂を登らねばなりません。錨屋の女中の話では五月十九日の晩|酩《めい》|酊《てい》なさったあげく、パジャマ……このパジャマは自前なんですが、それに着かえて十時頃、お床におはいりんさったちゅうとるんですが……それが朝になって姿が見えず、一日ひと晩待っても現われんので、駐在へとどけ出たちゅうんですが……」 「遺留品は……?」 「脱ぎ捨てていった洋服にワイシャツ、ネクタイ、下着類、靴、靴下、ほかにスーツケースひとつなんですが、これはわたしも調べてみました。しかし、内容は着がえの下着類に男の化粧道具のはいったケース。金は紙入れと小銭入れにわけて八万三千五百円ほど持っていました。ですけん|身《み》|許《もと》を調査する手がかりといっては、宿帳に記入した住所氏名しかないんですが、それが|贋《にせ》|物《もの》とあってはな」  そこで警部は探るようにあいてを見て、 「青木氏は越智氏の知り合いだということを、かくしておいでんさったようじゃけえど、そりゃまたどうして……?」 「ぼくにもよくわからんのですが、あなたのお話をきいていくらか想像はできます。越智氏が神社を修復したり、ホテルやゴルフ場、レジャー施設を建てているということは、全然きいていなかったんですが、もしそうだとすると、自分のやっていることが、島の人たちにどういう印象をあたえているか、その反応を知りたかったんじゃないでしょうかねえ」 「どういう人物です。青木というのは……?」 「ぼくもよく知りません。会ったことは全然ありません。越智氏の話によるとむこうで知りあったんだが、もとは|賭博師《ギャンブラー》かなんかやっていて、在留邦人のあいだではあんまり評判がかんばしくなかった。しかし、根はいいやつなんでいつか親しくなってしまった。こんどはじめて日本へつれてきたんだが、いまでは弟のようにかわいがっている。四十二の|厄《やく》なんでなにかまちがいがあったんじゃないかと気にかかるといってました。そういえばゆうべお目にかけた写真ですが、なんとなく越智氏に感じが似てますね。スケールは越智氏のほうがうんと大きいですが、越智氏自身どっかギャンブラーめいたところがありますからね」 「女房子供は……?」 「いや、まだ独りもんだそうですよ。人間|到《いた》るところに女ありという主義だそうです。そこへいくとおなじ独身者でも越智氏のほうは、うんとストイックでシビアな感じがするんですがね」  金田一耕助はまた刑部島のほうへ目をむけて、 「それにしても、警部さん、さっきのテープはどういうんでしょう。青木修三氏は刑部島でシャム双生児を見たとでもいうんですか」 「問題はそれですね。年齢からいっても分別盛り、まさか子どもみたいにありもしない幻覚を口走ったとは思えませんが、さりとてそんな|異形《いぎょう》なふたごがいたら、すぐ世間の口の端にのぼりますけんな。離島とはいえたかが瀬戸内海です。しかし、金田一さん」 「はあ」 「刑部島にふたごがいることはいるんです。一卵性双生児というやつで、われわれが見るとどっちがどっちとも見分けのつかんほどよく似たふたごですけえどな。しかし、シャム双生児じゃありません。体はそれぞれちゃんと独立してますけんな」 「男性ですか、女性ですか」 「神主の娘ですがな。|真《ま》|帆《ほ》、|片《かた》|帆《ほ》ちゅうて、年は十九、昔でいえば番茶も出花という年頃で、なかなかきれいな娘じゃけえど、しかし、おふくろさんには足下にもおよびませんな。おふくろさんはそれゃきれいです」 「おふくろさんというのは神主さんの奥さんですか」 「そうです、そうです。島では|御寮人《ごりょうにん》さんでとおってますがね。名前は|巴《ともえ》……巴御前の巴ですな、その巴御寮人にとっては、大膳じさまは、|大《おお》|叔《お》|父《じ》になるんじゃそうなが、巴というのはそりゃすごいような|別《べっ》|嬪《ぴん》で、まあ、いうてみれば島の女王様というところでしょう」 「なるほど、そこで大膳さんが|外《がい》|戚《せき》の猛威をふるうて……?」 「いや、ところが巴というのは家つき娘じゃそうな。先代神主の一人娘で、だからいまの神主の|守《もり》|衛《え》ちゅうのが婿養子じゃそうです。わしがいたときには神主は倉敷へいてるちゅうて留守じゃったけえどな」  こうしてこの親切な警部は金田一耕助の頭に、刑部島についての予備知識を注入しようとしているのである。  それにしても、あのテープに遺された言葉はなにを意味するのか。単純な章句の羅列だから金田一耕助は暗記している。 [#ここから2字下げ] あいつは体のくっついたふたごなんだ。 あいつは腰のところで骨と骨とがくっついたふたごなんだ。 あいつは歩くとき|蟹《かに》のように横に|這《は》う……。 あいつは平家蟹だ……平家蟹の子孫なんだ。 あの島には悪霊がとりついている、悪霊が……悪霊が…… |鵺《ぬえ》のなく夜に気をつけろ。 その島の名は……その島の名は……その島の名は…… [#ここで字下げ終わり]  金田一耕助の心は暗く、なにか|目眩《めくるめ》くような思いであった。  いずれにしても青木修三はあの島で、よほど恐ろしいものを目にしたか、あるいは恐怖にみちた体験をしたのだろうが、それはいったいなんだろう。  その悪霊島はいま金田一耕助の眼下で、しずかに、おごそかに暮れなずんでいく。     第三章 三人御寮人      一 [#ここから2字下げ] |下津井港《しもついみなと》は はいりよて出よて   まともまきよて まぎりよて 船が着くよ 下津井港   三十五|挺櫓《ちょうろ》の 御座船が [#ここで字下げ終わり]  と、|謡《うた》われる下津井節は、日本民謡全集のなかにはいってレコードにもなっているし、ときおりテレビでも放映される。したがって知っている人も少なくないであろうが、磯川警部の案内で金田一耕助が|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》から、その下津井港へおりていったのは、昭和四十二年の六月二十四日、午後五時をちょっとすぎたころであった。  午後五時すぎといっても一年でいちばん日の長い時候である。|夏《げ》|至《し》は一昨日であった。ことにこのへんは東京にくらべるとだいぶん日の入りがおそいのではないか。いったん晴れかげんになっていた空が、いつかまた曇りぎみになってきていたが、それでもなおかつ下津井の港はまだ明るい。  金田一耕助が鷲羽山から見下ろしたところからみても、下津井は複雑な地形をなしていて、|岬《みさき》がいくつか海にむかって突出している。その岬と岬のあいだが入江になっていて、そこが港になっている。だから港が四つあるという。西からかぞえて下津井、吹上、|田《たの》|浦《うら》、|大畠《おばたけ》という順になるが、吹上が主港になっていて、四国との連絡船はおもにここに着くことになっている。港の沖にはそれぞれ防波堤が構築されているから、入江のなかはどこも小さな漁船がひしめきあっていた。  磯川警部の案内で金田一耕助がおりていったのはその吹上の港だったが、船着き場をみるとそうとうりっぱな船が横着けになっている。磯川警部はうれしそうに笑いながら、 「ああ、着いとおりますわい、やっぱり」 「なにがですか」 「あそこに横着けになっとる船ですんじゃ。船腹に書いてある文字を読んでおみんさい」  金田一耕助はいわれたとおり船の名前を読んでみて、おもわずハッと磯川警部の顔を|視《み》|直《なお》した。 「雲竜丸」  と、いうのはあきらかに、さっき磯川警部の口から出た名前である。 「いやね、いちおう船長に会うておいてもろうたほうが、なにかにつけて確かじゃろうと思うてな、けさがた海運会社のほうへ連絡をとっておいたとおみんさい。すると、雲竜丸はここと|坂《さか》|出《いで》のあいだをいちにちに、何往復かするらしいんじゃが、夕方なら五時半に下津井に着いて、六時|出帆《しゅっぱん》といいますけん、それじゃその時刻までに吹上へいっとるけん、船長に待っていてほしいとそう打ち合わせしといたんです。きょうは予定より少し早目に着いたらしい。待たせちゃ悪いけん、さあ、急ごう」  道理でさっきから磯川警部が、しきりに時間を気にしていたと思い当たった。  それにしても磯川警部という人が、念には念のいる性分だとは知っていたが、きょうのこの措置には金田一耕助も頭がさがった。かれも島へ渡るまえ、いちおう船長に会っておきたいと思っていたところである。  船着き場のすぐそばに粗末な人家がならんでいるが、そのなかに○○海運会社待合所という看板のあがった家が一軒ある。見たところふつうの人家と変わりはないが、ガラスのはまった腰高障子のなかは土間になっていて、そこに船長の制服を着た男を中心に、これから雲竜丸に乗り込もうとしているらしい乗客が数名、粗末な円卓を中心に話に花を咲かせていた。 「やあ、お待たせ。ずいぶんお待たせしましたかな」 「いやあ、わたしもいまきたばかりです。なにかまたあの件についてお尋ねがあるそうですね」  粗末な木造の|椅《い》|子《す》から立ちあがって、直立不動の姿勢で挙手の礼をしたのは、船長の制服を着た男である。年齢は四十五、六か。潮風と|陽《ひ》にみごとに染めあげられた|膚《はだ》はたくましく、この年齢なり体格では、戦争中陸軍か海軍にとられていたにちがいないと思われるような、態度なり口のききかたであった。 「いやあ、たびたび手間をとらせて申し訳ないが、いちおう念をおしておきたいと思うてな。金田一先生、こちらが雲竜丸の船長|宮《みや》|本《もと》|勇《いさ》|雄《お》くん、宮本くん、こちらあの男のこと……あの金の指輪の男ですな、あの男について東京から調査にこられた金田一耕助先生、われわれ警察関係のもんのあいだでは、有名な人ですけん、そのおつもりで」  宮本船長と金田一耕助は適当に|挨《あい》|拶《さつ》をかわしたが、その船長は申すにおよばず、そこにいあわせた人びとの目が、つよい好奇心にかがやいたことはいうまでもない。  しかし、金田一耕助はそういうことには慣れている。もじゃもじゃ頭をかきまわしながら、待合室のなかを見まわして、 「しかし、警部さん、いいんですか、こういう席で? ぼくこの船長さんの口からもういちど、あのときの情景をきかせていただきたいんですが……」  すかさず宮本船長が言葉を引きとって、 「いや、金田一先生、そのご心配にはおよびません。警部さんがいらっしゃったらみなさん座を外してくださる約束になっとおります。ただこの人は……」  と、小腰をかがめてぞろぞろと出ていく人びとのなかにあって、ただひとりあとに残った人物を指さして、 「あのときわたしの船に乗っていたかただし、なにか警部さんのお耳に入れときたいことがおありだそうですけん、ここに残ってもらってもいいでしょう。お名前職業はあとでご紹介いたします。で、警部さん、わたしはこの人になにをお話ししたらいいんです」 「いや、こちらのご質問に答えていただければよろしいんで。金田一先生はだいたいのことはご存じじゃけんな」  そこで金田一耕助と宮本船長の一問一答がはじまった。金田一耕助の質問ぶりも要領がよかったし、宮本船長の応答も明快だった。こうして開き直って応対するとき、この人の言葉はあきらかに軍隊調だった。しかし、そうはいうものの金田一耕助は、新しく付け加えるべき知識はなにひとつえられなかった。だがべつに失望はしなかった。磯川警部の話だけで十分であった。  ただ、ここに注目すべきはつぎのような宮本船長の発言だった。 「ところがねえ、警部さん、あのテープの声ですが、あれを|聴《き》いたのは、録音した東京の福井さんとわたしのふたりきりなんですよ。あのとき、青木という認めのついた金指輪の男ですね、あの男を取りまいてそうとう大勢の人物がいました。男も女も大人も子どももね。しかし、だあれもあの男の言葉を正確に聴き取った人間はいなかったんです。げんにわたしなどもあの男の頭を|膝《ひざ》に抱いてたんですが、なにをいってるのかチンプンカンでした。ただマイクだけがやや正確に、あの男のいまわのきわの言葉をとらえたんですね。それを福井さんがあとで再生してみて、あまりにも内容が奇っ怪至極なもんですから、わたしにだけは聴かせてくれたんです。そのわれわれは警部さんの厳重な注意があったもんですから、まだだれにも|洩《も》らしてはおりません。あの福井さんという人もテープをあのまま置いてゆくような紳士的な人ですけん、おそらくそうでしょう。だからここにいる山下さん、ご紹介しときましょう。こちら坂出で学生服をあつかう商売を手広くしている人ですけえど、この人もあの場にいあわせたんですが、なんにも聞こえなんだいうとられます。ただこの人青木という金指輪の男にまえにいちど会うたことがあり、その後ちょっと聞き込んだこともあるそうで、それを警部さんのお耳に入れときたいいうんで、この時間にここへ来てもらったんです。それではわたしは急ぎますからこれくらいで。山下さん、あとはあんたにおまかせします。あんたどうせ今夜は倉敷泊まりでしょう。お|羨《うらや》ましいご身分で」  この謹直そうな船長がはじめてみせた笑顔であった。なにかくすぐったそうな笑顔で山下なる人物を|尻《しり》|目《め》にかけると、つと立ち上がって例のごとく、直立不動の姿勢で挙手の礼である。くるりと|踵《きびす》をかえすと磯川警部や金田一耕助が礼をのべるまもなく、|大《おお》|股《また》に待合室を出ていった。雲竜丸の出帆の時刻である。  その雲竜丸が|波《は》|止《と》|場《ば》を離れるのを見送って、三人はまた粗末な丸テーブルをかこんで、|鼎《かなえ》の形に腰を下ろした。 「すみません。お忙しいところをお引きとめして……わたしゃこういうもんですけえど」  山下という男は尊大と卑屈とが同居しているような男であった。背はあんまり高くはない。金田一耕助とおなじくらいだろうが、肉付きゆたかで色も白いほうである。髪をきれいに左分けにしているが、|小《こ》|鬢《びん》にソロソロ白いものがまじりはじめている。五十前後という年かっこうだが、それにしては洋服もネクタイも派手好みである。  名刺を見ると「学生服卸販売業」という肩書きがあり、名前は|山《やま》|下《した》|亀《かめ》|吉《きち》、坂出市の町の名が印刷してある。 「カメさんですよ。仲間うちではカメさんでとおっとります。もしもしカメよ、カメさんよですな、わっはっは」  腹をゆすって笑いあげるところに、尊大と卑屈が同居している感じがある。 「それで、山下さんがわたしの耳に入れておきたいこととおっしゃるのは?」 「そうそう、そのこと、そのこと」  山下亀吉氏は円卓のうえに体を乗り出すと、 「警部さんは土地の人ですけんようご存じでしょうけえど、この隣の児島という町が学生服の本場じゃちゅうことを。日本全国で生産される学生服の、約七〇パーセントは児島で生産されとるちゅうことを聞いておいでんさると思うが」 「はあ、それはわたしも知っとおります」 「ですけん、わたしは週に一度は児島へきます。四国と本土と離れていても、連絡船を利用するとわずか六十分の距離ですけんな」 「なるほど、それで……?」 「それがな、警部さん、わたしがこちらへくるのは毎週土曜日ときめとりますんじゃ。土曜日の朝早くむこうを立ってこちらへ着くと、児島で用件をすませ、それから倉敷へいて一泊する。そして日曜日の夕方の便船で坂出へかえる。いまんところ、これがわたしの人生最大の楽しみいうことになっとるんですわ。これは同業者もみんな知っとるこってすし、女房ももちろんわきまえていて許してくれとるこってすから、ここで打ち明けときますけえどな」  カメさんはうすく|頬《ほお》をそめながら、それでもいくらか得意そうであった。 「なるほど、浮気は男の|甲斐性《かいしょう》というわけですな」  警部はそういいかけて口をつぐんだ。いまはあいてをからかったり、おひゃらかしたりしている場合ではない。あの青木という金指輪の男に関するどんな|些《さ》|細《さい》な情報でもほしいのだ、金田一耕助のためにも。その金田一耕助は目をショボショボさせながら控え目である。 「なるほど、それで五月二十日の朝雲竜丸に乗っておいでんさったんですな。あの日がちょうど土曜日でしたけん」 「そうそう、そういうこってす。あの船長の宮本君とももう古いなじみですんじゃ。ところがあの騒ぎでしょうが。わたしゃ海から引きあげられたあの男をみて、すぐどこかで見おぼえがあるような気がしましてな。いや、顔はあのとおり滅茶滅茶でしたが、あの男が左の指にはめていた金の指輪、いまどきああいう指輪をはめている男はめずらしいですけんな」  そういう山下亀吉氏も金の指輪をはめている。太めは太めだが、しかし、それはふつうの|蒲《かま》|鉾《ぼこ》がただった。 「ところが、あのときはどこで会うたのかどうしても思い出せなんだんですな。だから、なんにもいわずにすませたんじゃが、指輪の印鑑に青木という字が彫ってあるときいて、青木、青木と心のなかで繰りかえしてみました。しかし、そういう名前にも心当たりはない。取り引き先にもそういう|苗字《みょうじ》のもんはおりません。それであの場はだんまりですませたんじゃが、さて、あの日児島で用件をすませると、いそいそと倉敷へいたと思うてください。いそいそとな、あっはっは」  カメさんはツルリとゆたかな双頬を、まるまっちい両の|掌《てのひら》でなであげた。目がヌラヌラと好色そうに|濡《ぬ》れてくる。 「それゃ、年甲斐もないといわれるかもしれんが、一週間にいちどの|逢《お》う|瀬《せ》ですけんな、それに|馴《な》れそめてからちょうど半年、いまがいちばんええときとちがいますか。名前は|小《さ》|夜《よ》|子《こ》というんじゃが、これはもちろん源氏名でな、わしゃお小夜とよんでます。そのお小夜ちゅうのがじつにええ子でな、わたしにようしてくれますんじゃ。あの手この手を使うてな。わっはっは。そこであの晩もお小夜にあいにいたと思うてください。いそいそとな、わっはっは」  恋に狂うた初老の男とはこういうものかと、金田一耕助はおのれに経験がないだけに、|羨《うらや》ましそうに目をショボつかせている。  磯川警部はきまじめな態度をくずさず、 「なるほど、そのお小夜さんがなにか知っておいでんさったというわけで?」 「いや、それはそうじゃありません。これはわたしの言葉が足りんかったんじゃが、わたしゃお小夜を丸がかえにしとるわけじゃない。つまり二号として囲うとるわけじゃありませんのじゃ。そこまでいくと女房にもすまんけんな。お小夜はモナミちゅうてな、倉敷へいてきいておみんさい、すぐわかる。警部さんなんかもご存じじゃないかっと思うが、倉敷でも有名な一流のクラブですんじゃ。そこのホステスをやっとるんですが、それが去年の秋からわたしとねんごろになりましてな、土曜日の晩だけわたしのためにあけておいてくれますんじゃ。つまり、土曜日の夜の情事ちゅうわけですな。わっはっは」  カメさんは隅におけない。なかなか味なことをいう。  しかし、磯川警部はまじめいっぽうで、手帳にメモをとりながら、 「ああ、なるほど。モナミならわたしも名前は知っとりますが、そこへお小夜さんに会いにいかれたんですな」 「そうそう、お小夜じゃとてわたしのためにお店をやすむわけにはいかん。そうじゃけん、わたしゃいつも九時ごろむこうへいて、お店が看板になるまで粘っとるんですな。わたしゃまたああいう雰囲気が好きでしてな。あの日、五月二十日の土曜日の晩もモナミへ出向いて、椅子に腰をおろしたとたん思い出したんです。ああ、そうだ、いつかこの店で会うたんじゃ、あの金指輪の男にと」  磯川警部は緊張した。金田一耕助はあいかわらず目をショボショボさせているが、内心は警部どうよう緊張しているにちがいない。      二 「いつかとおいいんさったが、その正確な日はわかりませんか」 「五月十三日にきまっとりますがな。そのまえの土曜日ですけんな。さっきもいうたとおり、わたしゃ土曜日以外にそこへいたことがありませんからね」  磯川警部はちらっと金田一耕助のほうへ目をやった。  錨屋の宿帳によると青木春雄が投宿したのは、五月五日の夕刻ということになっている。すると、青木はとちゅうでいちど|刑部《おさかべ》|島《じま》を抜け出したのか。 「わたしの目がまたなんでその男にいったかちゅうと、そいついやに景気がええんですな。ママさんはじめモナミにはホステスが八人いるんですけれど、半分以上もそばへ引きよせて、さかんにお飲みもんを|奢《おご》っとるんです。おなごにあないに飲まれたらさぞふところが痛かろう……ま、さもしいようじゃけれど、そげえなこと思うたもんじゃけん、なんとのうそっちへ気がいったちゅうわけですが、そのうちにあの金指輪が目についたちゅうこってすな。いまどき印鑑用の金指輪はめとるなんて、珍しいこってすからな」 「なるほど、するとそれは五月十三日のことにちがいありませんな」 「それはもうまちがいなし。そのときそばにいるお小夜にきいてみたんです、ずいぶん金使いのあらいお客さんじゃけえど、お会計のほう大丈夫かちゅうてな。そしたらお小夜がいうのに、それは大丈夫でしょう、あのお客さんこれで二度目じゃけえど、このまえもずいぶんお使いになりました。ほんにこのへんには珍しい金使いのきれいな人ですけん、ああしてママさんまでついているんですちゅうてました。そうそう、そのとき青木ちゅう苗字と、あの金指輪が印鑑になっとるちゅうことをお小夜にきいたんですな」 「すると青木という男が五月十三日の晩、その店へあらわれたのは、それが二度目じゃったとおいいんさるんですな」 「そうそう、そういうこってすけえど、警部さん、まあ、もう少し落ち着いてわたしの話をきいてつかあさい。つまり、こういうこってす。五月二十日の朝、雲竜丸の甲板で、あの男が息を引きとりましたな。その晩わたしはモナミへいてそのとたん、まえの土曜日のことを思い出したんです。そいでそれとなくお小夜にきいてみたんです。あんまりハッキリしたことをいうてお小夜を驚かせてしもうたら、おあとの楽しみに差し障りがあるかもしれませんけんな。そいで、まあ、世間話みたような調子で、このまえの土曜日ここで会うた、あのいやに景気のええ男、あの男、あれからもきたかとか、たしかあのときが二度目じゃいうとったが、さいしょにきたのはいつごろじゃったとか、しごくさりげなく尋ねてみたと思うてください」 「なるほど、それで……?」  警部は手帳をテーブルのうえにおき、右手に握った鉛筆を|斜《しゃ》にかまえている。 「そしたらあれからのちには来なんだ。さいしょ来たのは月が変わってからまもなくのことじゃったけに、五月三日か四日ごろのことじゃったと思う。なんでもこれからどこかの島へ渡るつもりじゃけえど、島へ渡ってしもうたら女っ気なしじゃけん、今夜は大いに|浩《こう》|然《ぜん》の気を養うつもりじゃとそういうて、お小夜なんかも誘われたそうな。なんちゅても店ではお小夜がナンバー・ワンですけんな。お小夜はそれを断わったんじゃが、すると、|百《ゆ》|合《り》|子《こ》という子と話がでけたらしいいうとりましたが……」  そこまでいってから、山下亀吉氏は急に不安そうな顔色になり、手帳に書きとめている警部の指先を|視《み》つめながら、 「警部さん、こういうこというても、まさかモナミに迷惑がかかるようなことはありゃせんでしょうな」 「その|斟酌《しんしゃく》にはおよびません。わたしとは係りがちがいますけんな。そういうご心配はいっさいご無用にして、知ってるかぎりのことを話してつかあさい。決してだれにも迷惑のかかるようなことはいたしませんけん」  警部はあいてを勇気づけるように、優しい目をして笑っている。  カメさんも安心したように|頷《うなず》きながら、 「そうしてください。わたしの口から洩れた言葉がもとになって、お店に手がはいったなんてことになると、わたしゃ四方八方立つ瀬がのうなりますけんなあ」  山下亀吉氏はもういちど念を押しておいて、 「じつはこれからがたいせつな話ですけん、そのつもりできいてつかあさい。じつはわたしお小夜をつこうて探偵みたいなまねをしたんですわ」 「ほほう」  警部はちらっと金田一耕助のほうへ目をやりながら、ちょっと緊張した目の色になった。 「で、どういうことがおわかりんさったんです」 「いや、これはもう警察のほうでも、調べがついとりんさるのかもしれんけれどな。青木ちゅう男が倉敷にどういう用事があったかちゅうこってす」 「いや、われわれは青木と倉敷の関係もまだつかんではおりません。青木は倉敷でなにをしとったんですか」 「いや、五月二十日の朝、青木が雲竜丸の甲板で息を引きとりました。その晩わたしはモナミへいて、まえの土曜日の晩そこであの男に会うたんじゃということを、卒然として思い出した……いうところまでさっきお話ししましたけえど、そいでお小夜にそれとなくきいてみたら、十三日の晩も百合子という子がつきおうて、どこかのホテルへしけこんだらしいいうんです。そこで青木が百合子にどないな話をしとったか、きいてみてほしいとお小夜に頼んだとおみんさい。しかし、そのときはお小夜はまだ真剣じゃなかった。ひとの色事をほじくりかえすようなことは、やめといたほうがええとかなんとかぬかしくさって、わたしの話にのろうとはせなんだんですんじゃ。ところがその翌日青木のことが小いちゃいながら、新聞の記事になって出たでしょうが。青木という印鑑つきの金指輪をはめた男が、雲竜丸の甲板で息を引きとったちゅうことが。その船ならわたしが乗っとったにちがいないちゅうことをお小夜もしっとります。そこでお小夜も急に真剣になって、ママさんとも相談のうえその新聞をつきつけて、百合子ちゅう子にきいてみたとおみんさい。いまに警察が調べにこんとも限らんけん、ここでハッキリしといたほうがええじゃろういうてな。そこで百合子が|憶《おぼ》えとったそうです。はじめてつきおうたのが五月四日の晩じゃったいうことをな。そのとき青木がいうたのに、あしたはなんとかいう島へ渡るつもりじゃけえど、島は女日照りやそうじゃけん、今夜はこってりつきおうて|貰《もら》うぜとかいうて、それゃひつこかったそうです。そのかわりその見返りはちゃんとした。ともかく金ばなれのええ男ですけん、百合子もまんざら悪うはなかったらしいんですんじゃ。だけど、警部さん」  と、カメさんは急にまた不安そうな目つきをして、 「こないなこといっさいがっさい|極《ごく》|内《ない》ですぜ。これでもしモナミに迷惑がかかるようなことがあったら、わたしゃみんなに顔向けがでけませんけんな」 「大丈夫、大丈夫、そげえなこといちいちほじくり返していたら、われわれ何人いても手が足りませんけんな。で、山下さん、それが五月四日の晩のことじゃったとおいいんさるんで」  警部はまた金田一耕助のほうへ視線をやった。その金田一耕助はあいかわらずショボクレた顔色で、ボンヤリともじゃもじゃ頭をかきまわしている。 「そうそう、四日の晩から、五日の朝にかけてのことじゃったと、百合子はいうとるそうです」  おそらく青木修三は百合子をあいてにひと晩かかって、欲望のアカを洗い落とし、そしてその日の夕方、女日照りの過疎の島へ渡っていったのだろう。青木春雄と名乗る男が刑部島の錨屋へ、姿をみせたのは五月五日の夕方だったというから、これで符節があっている。 「それで……? 山下さんのお調べんさったんはそれだけですか。お小夜ちゅう娘をつこうて、探偵みたいなまねおしんさったと、さっきいうておいでんさったが」 「それですん、警部さん、話はこれからじゃっと思うてつかあさい」  山下亀吉氏は|膝《ひざ》をのりだし、 「百合子がさいしょ会うたときは、まあ、それくらいの話で、あいてがどこのだれとも、なんの用事でどこの島へ渡るとも、かいもくわからず別れたそうな。ところがそれから十日ほどたって十三日の晩に会うたときには、ほんのちょっぴりじゃけえど、具体的なことがわかってきたんですな。青木いう男が渡ったのは刑部島で、そこに刑部神社というのがある。そこの神主は刑部守衛ちゅうんじゃが、その男、女房子どもを島におっぽりだして、おもに倉敷か玉島に住んどるちゅう話やけえど、おまえその男についてなにか聞いたことないかっときかれたそうです」  磯川警部と金田一耕助はそこでまた素速い視線をかわした。青木修三は越智竜平の密命をおびて、刑部神社のことを調べていたにちがいない。果たしてかれはなにを知ったのか、いや、なにをしりえたのだろうか。 「ところがなあ、警部さんもそちらの金田一さんも」 「はあ、はあ」 「百合子の口から刑部島の名前が出たとたん、ママさんもお小夜も顔色が変わったちゅうのんは、これは警部さんもかねてから聞いておいでんさるじゃろが、刑部島はその時分からこのへん一帯評判の島ですけんな。アメリカがえりの大金持ちがホテルを建てとるの、海水浴場を整備しとるのちゅうような|噂《うわさ》は、瀬戸内海を越えて四国まできこえとおりますけんな」 「いや、それはわたしも聞いとります。それで……?」 「ところが、そのときママさんの顔色が変わったちゅうのには、もうひとつ重大なわけがあるいうことが、あとになってわかってきたんですな。ママさん、名前を田中|静《しず》|江《え》ちゅうんじゃが、その田中静江が刑部神社の神主、刑部守衛いうもんをよう知っとったんです」 「はあ、はあ、どういう意味で……?」 「いやなあ、警部さん、金田一さんも、これからさき、これはだれにきいた、かれにきいたといちいち注釈をいれとったら、きりがごわせんけんな、こんどの件でわたしが耳にしたことを、わたしの都合のええようにならべさせてください。そのほうが手っ取りばやい思いますけんな」 「いや、それはあなたのよろしいように」  そこでこの好奇心|旺《おう》|盛《せい》な情報屋のカメさんが、|蘊《うん》|蓄《ちく》をかたむけて|披《ひ》|瀝《れき》した知識を|綜《そう》|合《ごう》し、要約するとつぎのごとくなり、金田一耕助にとっても参考になることが多々あった。  昭和二十年の終戦後、日本がまだアメリカ軍の占領下にあったころ、|神《しん》|道《とう》は占領軍の目の敵にされた。神道こそ日本人すべての精神的支柱をなすものであり、そこにこそファシズムの温床があるというわけで、占領後まもなくマッカーサーの神道指令というものが出た。これによってどの神社も、国、県、郡、市、町、村からの補助を完全に断たれた。あとは氏子の寄進によるほかはないが、戦後は氏子だって苦しい。それに氏子の信仰心だって昔にくらべるとうんと薄くなっている。その結果神主の生活が苦しくなり、 「無住いうたら寺みたいですけえど、神主のおらんお宮がそうとう多うなったとおみんさい。この倉敷にも玉島にもそういう神社がそうとうあるちゅ話です。そういう場合一人の神主があちこちの神社をかけもちするんじゃそうで、多い神主は三十社くらいかけもちするそうじゃし、十社ぐらいはザラやいう話です」  これは金田一耕助にとっても初耳だったし、ひじょうに興味のある事実であった。 「ところで刑部神社の太夫さん……このへんでは神主のことを太夫さんと呼んどりますけえど、刑部神社の太夫さん刑部守衛さんなども、倉敷や玉島の神社の神主を兼ねるようになってきた。こねえな場合刑部島の刑部神社が守衛さんにとっては本務神社、倉敷や玉島の神社のことを兼務神社いうんやそうですが、なにせ倉敷市内、水島地区の大発展でございましょう。つぎからつぎへと会社はでけるわ、工場は建つわ、それにつれて社宅がでけるし、個人で家を建てるもんもぎょうさんおります。そないな場合なにをおいても必要なんが神主さんです。地鎮祭やら|上棟式《じょうとうしき》やらいうてな。そこで守衛さん、本務より兼務のほうが忙しゅうなっておしまいんさった。いちいち島へかえってはおれません。ついついこちらへ滞在することが多うなってしもうた。と、なると身のまわりの面倒みるおなごが入用になってくる。そこでモナミのママさん、田中静江がひと|肌《はだ》もふた肌もぬいだとおみんさい」  なるほどと金田一耕助と磯川警部は顔見合わせた。ここにおいて山下亀吉氏のいわんとするところが、はじめてふたりに了解できたのである。 「すると刑部守衛さんに女がでけたということですか」 「そうですん。守衛さん、|年齢《とし》はわたしとおなじ五十がっこうやいう話ですけえど、いまどき五十いうたら働きざかりですけんな。それにこの人そうとう色好みらしい。五、六年ほどまえからようモナミへ出入りして、ホステスを引っぱり出すかと思うと、またべつのバーのおなごをつっつきよる。そら、神主さんやかて人間ですけん、とくべつ責めるわけにゃいきますまいが、それでも兼務とはいえお|社《やしろ》をあずかるご身分です、氏子のてまえということもありますけんな。そいでモナミのママさんがなかへはいって、ひとりのおなごを世話したとおみんさい。それを守衛さん、倉敷の御寮人さんと呼ばせとるそうな。ところがすぐにまたおなごがひとりでけて、これまたモナミのママさんがひと肌ぬいで、玉島のほうへかこうことになったが、これが玉島の御寮人さんちゅうわけやそうですん」  磯川警部は目をまるくして、 「すると守衛さんちゅう人は刑部島の御寮人さんを含めて、三人御寮人さんを持っておいでんさるちゅうわけですな」 「そういうこってす。しかも三人の御寮人さんが三人とも、たいそうな|別《べっ》|嬪《ぴん》さんやそうですけん、果報を一身に集めたちゅうのはこの人のこってすな」  カメさんは鼻の下を長くして羨ましがった。 「しかし……」  と、そばから金田一耕助がオズオズと口を出した。相変わらず目をショボショボさせている。 「神主さんというものはそんなに|収入《みいり》があるもんですか。いかに水島の発展がめざましいとはいっても」 「なあに、それは本務神社の御寮人さん、巴さんいうて、それはそれはきれいなおなごはんやそうですけえど、その人の大叔父さんの刑部大膳さん、ごたいそうな名前のおかたやが、この人が巴さんちゅう人の後見をしておいでんさるんやそうです。ところがこの人が大金持ちで、岡山や倉敷にぎょうさん地所家作を持っておいでんさるばっかりか、戦後のどさくさにボロッ株をたくさん買いしめおしんさったが、先見の明があったちゅうのんか、それがいまではみんな優良株になっていて、そっちのほうからも、ぎょうさんぎょうさん配当がはいってくるちゅう話です。この人のただひとつの失敗は真珠の養殖じゃったろうといわれてますけえど、そんなこと大した|瑕《きず》にはならなんだろうといわれてます。この人が守衛さんにみついで、好き放題なことをさせとるんじゃちゅう話です。聞けば守衛さんいう人は養子やいう話ですけえど、そねえな場合、|舅株《しゅうとかぶ》の人のほうにかえって遠慮気兼ねがあるのんかもしれませんぞなあ」  山下亀吉氏の|饒舌《じょうぜつ》はとどまるところを知らなかったが、あとから思えばこの饒舌のなかにこそ、それからまもなく起こった、あの酸鼻をきわめた殺人事件の|謎《なぞ》を解く|鍵《かぎ》の一端が秘められていたのである。     第四章 |市《いち》|子《こ》殺し      一 「これから倉敷へいて参じます。いそいそとな。わっはっは」  笑いとばしながら文字どおりいそいそと、船の待合所を出ていく山下亀吉氏と別れて、金田一耕肋と磯川警部が吹上から|下《しも》|津《つ》|井《い》の町へはいったのは、七時になんなんとする時刻だったが、あたりはまだ明るかった。警部はこの下津井の町でもうひとつ、金田一耕助にみておいてもらいたいものがあるということである。それも|刑部《おさかべ》|島《じま》に関連して。  狭い道だった。自動車がやっと一台通れるであろうという道だった。それも対向車がむこうからやってくると、どちらかが四つ|辻《つじ》まで後退しなければならないだろうと思われるような狭い道である。そういう道がくねくねと湾曲しながら、どこまでもどこまでもつづいている。さすがに道路は舗装してあるが、両側に建ちならぶ家並みがいずれもうらぶれて、敗残の色が濃いように思われるのは、さっき|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》の頂きで、警部から吹きこまれた先入観のせいだろうか。  なるほど、ところどころに昔はさぞや立派だったろうと思われる|海鼠《なまこ》|壁《かべ》の土蔵もあった。これでも昔はよくはやる|青《せい》|楼《ろう》だったらしいんですよと、警部が指摘した三階建ての建物もあったが、いずれもしっくいは落ち、白壁は|剥《は》げ、荒壁の下からこまいが露出しているような始末。かつての繁栄が目覚ましかっただけに、現在の老残のすがたが痛ましい。  鷲羽山の頂きで磯川警部はこう語った。 「これはわたしが自分で調べたことではありません。下津井には角田直一先生ちゅう奇特な郷土史家がおいでんさって、郷土のことを調べていろいろ本を書いておいでんさる。わたしがこれからお話しするのは、みなその先生の受け売りじゃと思うてつかあさい」  磯川警部がこう前置きして、語ってきかせたところによるとこうである。  このへんいったいは江戸時代池田藩の所領になっていたが、池田藩では初代の光政の時代から、領内の干拓事業に|力瘤《ちからこぶ》を入れた。そして、新しくえられた干拓地には綿、|藍《あい》、タバコ等の栽培が奨励された。それには肥料が必要になってくる。はじめは関東の|鰯《いわし》が利用されたが、それがとれなくなったので、北海道の|鰊《にしん》がそれにとってかわった。そこで|北《きた》|前《まえ》|船《ぶね》の活躍がはじまったのである。 「金田一先生は北前船の名をご存じですか」 「はあ、なにかで読んだことがあります。裏日本をまわってくる船でしょう。その船が着くとその土地はとても栄えたとか……」 「そうです、そうです、それですんじゃ、|船《ふな》|主《ぬし》はみんな北陸地方のもんらしいんじゃが、それが三十五|挺櫓《ちょうろ》の船、まあ、|千《せん》|石《ごく》|船《ぶね》みたようなもんじゃろうが、そいつをぎょうさん持っていて、北海道から鰊やシメ|糟《かす》を運んでくる。それが日本海の荒海をのりこえて、いまの関門海峡、昔の赤間関をとおって下にみえる、下津井の港へはいってきたもんじゃそうな」 「なるほど、それじゃあの港、昔はずいぶん栄えたもんでしょうな」 「それはもう大したもんじゃったらしい。あそこで鰊やシメ糟をおろして売りさばく。その代わりに木綿やその他日常必需品をしこたま仕込んで北海道の松前へもってかえる。それにはそれぞれ問屋があって、ひと船着くごとに大した|儲《もう》けじゃったそうな。それにそれ、船頭ちゅうもんが板子一枚下は地獄の|稼業《かぎょう》じゃ。松前を出て日本海の荒海をのりこえてくるあいだには、波にもまれて沈んだ船もあろうし、|時《し》|化《け》に|遭《お》うて難破したのも何|艘《そう》かあろう。それを無事に切りぬけて、目的の港へたどりついたとあればその喜びもまたひとしお。ことに若い荒くれ男が何日か、何十日目かに|陸《おか》へあがったとあればなにをおいても命の|洗《せん》|濯《たく》、まず女ですな。三十五挺櫓が|錨《いかり》を入れりゃ、町の|行《あん》|灯《どん》の|灯《ひ》が招くちゅうてな、ですけんあの港には青楼軒をつらねて、そっちのほうでも大いに栄えたもんじゃそうな」  現代は何万トン、何十万トンの巨船が七つの海を航行する時代である。げんに水島にはそういう巨大なタンカーを、受けいれる設備が用意されているそうだが、それには下津井の港は規模が小さすぎる。三十五挺艪、千石船といえどもたかが和船である。その大きさもたかがしれている。そういう船が日本の海運を|牛耳《ぎゅうじ》っていた時代には、なるほど、下津井は天然の良港であったろう。 「それでいつごろからあの港が|駄《だ》|目《め》になってきたんです」 「明治二十年代を境としてドンドン衰微していったと、角田先生は書いておいでんさる。その第一の原因は蒸気船ですな。和船よりもうんと安全で輸送力も北前船の比ではない。第二は鉄道網の整備発達じゃそうな。鉄道が日本全国の主要都市をすみからすみまでむすぶと、船にたよる必要がのうなってきたとおみんさい。安全度という点ではかくだんの相違ですけんな。こうして、下津井は昔の繁栄からおいてけぼりをくろうてだんだん衰微していてしもうた。そこへ徹底的に打撃をあたえたのが印度綿花の輸入じゃったと、角田先生は書いておいでんさる。こうして下津井ちゅう港は、すっかり世間から忘れ去られた存在になってしもうた。まあ、あとでいてみまひょ。ところどころ昔の繁栄のあとを|偲《しの》ばせるもんが、|遺《のこ》っとることは遺っとおりますが、それだけにうらぶれて物悲しい町のたたずまいですんじゃ」  それから警部はこうつけくわえた。そのうらぶれた町の一隅で、ちかごろひとつの事件が起こったが、それなども刑部島へ渡るまえ、知っておいたほうがよいように思うと。しかし、それがどういう事件だったのか、その場で警部は語らなかった。  そのうらぶれて物悲しい町を金田一耕助はいま、磯川警部と肩をならべて歩いている。町にはまだ明るさが残っていたが、ごくまれにしか人にいきあわないのが、あわただしい都会からきた金田一耕助にはちょっと異様な感じだった。 「いったいこの町の人たちは、なにをもって生活を立てているんですか」 「港のちかい家の住人はおおむね漁師じゃったんですな。しかし、ゆうべも申し上げたとおり、海が汚れて魚がとれんようになってしもうた。そこで若いもんは未練げものう海をすてて、水島へ通うとるようです。おなじ倉敷市内でちかくもあるし、そのほうが生活が安定しとりますけんな。これは刑部島もおなじこってす。女の子は児島の縫製工場かな」  そういえばしいんと静まりかえった両側の家から、ミシンの音がときおり聞こえていたのを金田一耕助は思い出した。 「ちょっとここへ寄ってみまひょ」  警部が足をとめたのは外側を細い板を横にわたして、囲ってある粗末な二階家であった。表にはガラスのはまった引きちがいの腰高障子がはまっていて、そのかたわらの柱に、 [#ここから2字下げ] 児島警察署 下津井駐在所 [#ここで字下げ終わり]  と、筆太に書いた表札がぶら下がっている。 「ああ、ここは児島の管轄になるんですか」 「そうですん。刑部島もおなじこってすけん、そのおつもりで」  引きちがいになったガラスの腰高障子が一枚開いていて、薄暗い駐在所のなかでは、警官の制服を着た若い男が電話にかじりついていたが、ふたりがはいってくるのを横目にみると、 「あ、いまお見えんさりました。お連れさんもご一緒のようでござります」  と、お国言葉をまる出しで、 「はっ、承知いたしました。さっそく現場のほうへご案内申し上げます。はあ、係長さんはまだ現場においでんさります」  電話のまえでさかんに頭をさげているのは、だれか上司と連絡していたのであろう。電話を切ると、いくらかとがめるような目で警部をみ、あとにつづいた金田一耕助の|風《ふう》|体《てい》をうさん臭そうに観察しながら、 「少し遅かったようですけえど、途中でなにかまた……」 「ごめん、ごめん、途中で人に会うていたもんだからね。それより、原田君、なにかまたあったのかね」 「はあ、現場から妙なもんが見つかりまして……それについて署のほうから広瀬警部補が見えておいでんさります。ちょうどさいわい警部さんがこっちのほうへおいでんさるちゅう連絡が、県警のほうからあったちゅう話で、さっきからお待ちしておりましたんです」  若い原田巡査は直立不動の姿勢でいささか興奮気味である。 「妙なもんというと……?」 「ああ、それは……」  と、いいかけて、思いなおしたように、 「それは警部さんご自身でたしかめてつかあさい。ちょっと得体のしれんもんで」 「ああ、そう、それじゃきみはひと足さきに現場へいて、わしが東京からのお客人をつれてきたということを、広瀬君に|報《し》らせておいてくれたまえ。こちらのお客人はまだなにもご存じない。みちみち事情を説明しながらいくけんな。その……妙なもんちゅうのは逃げかくれするもんかな」 「いえ、そんなもんではありません。じつはわたしが発見して署のほうへ連絡したところが、さっそく係長さんがかけつけてこられて、しきりに首をかしげておいでんさりました」 「ああ、そう、それはお手柄だったね。あとでゆっくり楽しみにしてみせてもらおう。では、ひと足さきにいてくれたまえ」  原田巡査がいそぎ足に出ていくのを見送って、磯川警部は金田一耕助とともに駐在所を出た。肩をならべて歩きながら、 「金田一先生は東北の産ですけん、南部|恐山《おそれざん》のいたこをご存じでしょう」 「いたこなら話にきいたことはあります。死人の霊を呼び起こして、死人のいわんとするところを、みずから代わって語る一種の|霊《れい》|媒《ばい》みたいなもんでしょう」  金田一耕助は意外な問題が提出されたのに|面《めん》|喰《く》らいながら、それでもいたこに関する知識くらいは持っていた。 「そうそう、そのいたこの流れを|汲《く》むもんかどうかしりませんが、江戸時代には|市《いち》|子《こ》というもんが全国いたるところにいたらしい。|式《しき》|亭《てい》|三《さん》|馬《ば》の『|浮《うき》|世《よ》|床《どこ》』だか『|浮《うき》|世《よ》|風《ぶ》|呂《ろ》』だか、忘れたが市子の口寄せの場面がありましたなあ」  警部はなかなか|物《もの》|識《し》りである。 「ところがこの下津井の町にも市子がひとり住んでましてなあ。ただし、ふつう市子ちゅうもんは、|梓弓《あずさゆみ》の|弦《げん》を鳴らして死霊生霊を呼びよせ、その口寄せをするもんじゃが、この町に住んでいた浅井はる……これは本名かどうかわからんのですけえど、そのばあさんはちょっと変わっていて、|竹《たけ》|筒《づつ》のなかにはいっている穴あき銭を畳のうえにバラ|撒《ま》き、その配列をあちこちかえているうちに、死霊生霊がのりうつって口寄せをする……と、まあ、そういうことを|生業《なりわい》としていて、このへんでは|銭占《ぜにうらな》いのばあさんとか、神降ろしの|巫《み》|女《こ》さんとかよばれて、一種|畏《い》|敬《けい》の念でみられていたようです。わたしゃまたそのばあさんが殺されるまで、そねえな変わったもんがこの下津井に、住んでいることすら知らなんだんですけえど」 「その巫女さん殺されたんですか」 「はあ、絞殺されたんですな。|紐《ひも》|様《よう》のもんで。ああ、この家です」  金田一耕助はむこうの角を曲がったときから、その家に気がついていた。いまどき珍しい看板様のものが軒にぶら下がっていたからである。いま警部に注意されて足をとめると、四枚はまった腰高ガラス障子の外の軒先に、奇妙な看板が二枚ぶら下がっている。二枚ともほぼおなじくらいの大きさで、幅四〇センチ、長さ一二〇センチくらいの木製の看板で、一枚には「舌出し丸」もう一枚には「奇妙丸」と浮き彫りにしてあった。昔はこの浮き彫りされた部分に|金《きん》|泥《でい》がほどこしてあったらしいが、いまはもうすっかり|剥《は》げちょろけになっているばかりか、舌出し丸のほうには文字のうえに総髪に|慈姑頭《くわいあたま》、昔の医者らしきものの顔が彫ってあり、その慈姑頭がペロリと舌を出しているのだが、その舌に塗ってあったらしい|紅《べに》もすっかり剥げてくろずんでいる。  金田一耕助はおもわず目をまるくして、 「なんですか、これは……?」 「なあに、古い売薬の看板ですよ。浅井はる、表向きは薬屋ということになっとったんですな。薬種商の鑑札も出てきましたよ。岡山県に|総《そう》|社《じゃ》というてな、|越中富山《えっちゅうとやま》ほどではないが、置き薬の本場があります。そこから売薬を卸してもろうて、表向きは薬屋ということになっとったんですな」  金田一耕助はあらためてその家の周辺を見まわした。両隣とも荒壁の下からこまいののぞく昔の土蔵の跡である。うらぶれて荒廃した雰囲気があたり一面にたてこめている。それにしても駐在所からここへくるまでにも、だれにも会わなかったのが不思議というより無気味でもあった。 「どちらの隣にも人は住んでいないんですか」 「ああ、無人ですな。土蔵のなかは空っぽですよ。怪しげな口寄せを頼みにくるもんが、人目を忍んでかようてくるには|恰《かっ》|好《こう》の場所じゃが、残虐な殺意をいだいた凶悪犯が、忍んでくるにもうってつけの場所じゃったわけですて。なにしろばあさんひとり住まいでしたけんな」  四枚はまった腰高ガラス障子の一枚が開いていて、奥のほうから灯の色がもれている。そういえばいまきた狭い道のあとさきを見まわすと、もう|黄昏《たそがれ》の薄明につつまれて、あちこちからちらちらと灯の色がもれていた。日が暮れて、はじめて人の住んでいることがわかるような|侘《わび》しい町なのである。 「警部さん、どうぞ」  奥のほうから威勢のいい声がきこえたので、 「おお、いまいく」  警部が腰高ガラス障子のなかへ一歩踏みこんだので、金田一耕助もそのあとにつづいた。そこは畳半分くらいの土間になっており、そこから床があがって六畳敷きほどのそこには、|抽《ひき》|斗《だし》のたくさんついた古風な|薬箪笥《くすりだんす》が四つほどならんでいる。|梁《うつばり》のまる出しになった天井から、女のかもじがぶらさがっているのも無気味である。  その店から半間の|襖《ふすま》をへだてたその奥が四畳半になっていて、そこが待合室にでもなっていたらしく、粗末な|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》が二枚適当にまくばられている。部屋のすみには三枚の座蒲団が積み重ねてあった。隅にある|衣《い》|桁《こう》には|紗《しゃ》でできた|狩《かり》|衣《ぎぬ》みたいなものがかかっているが、その狩衣のいっぽうの肩が大きく裂けているのを金田一耕助は見逃がさなかった。  その待合室と四枚の襖にへだてられた奥が八畳になっているが、その部屋に一歩踏みこんだせつな、金田一耕助は大きく目を|視《み》|張《は》った。あきらかにそこが口寄せの場所になっていたらしく、正面にさがった古ぼけた|御《み》|簾《す》の奥が祭壇になっていて、高さ一〇センチばかりの、仏像だか神像だかわけのわからぬ怪異な像が、五つ六つならんでいる。それでいて祭壇のうえの壁には、七福神の面を横にならべた額がかかっているのが|滑《こっ》|稽《けい》だった。いったい市子というのは仏教なのか神道なのか。  その祭壇のまえに経机みたいなものがおいてあり、そこから転がりおちたのだろうか、小さな花筒くらいの竹筒がころがっており、古ぼけた畳のうえには、穴あきの文久銭がいちめんに散らばっている。金田一耕助がかぞえてみると三十二枚あった。ほかに粗末な座蒲団が二枚、|蹴《け》|散《ち》らかしたように座敷の隅と隅にとんでおり、その座蒲団の一枚に|血《けっ》|痕《こん》らしき黒ずんだ|汚点《しみ》がドップリと付着している。  それにしても原田巡査や広瀬警部補はどこにいるのだろうか。かれらは四畳半の隣の部屋にいるらしい。ときどきひそひそと|囁《ささや》くような声や、|唸《うな》るような声がきこえてくる。 「金田一先生」 「はあ」 「表の看板といい、あの待合室の座蒲団の配置といい、この|祈《き》|祷《とう》|所《しょ》のたたずまいといい、みんなこれ市子殺しが発見されたときのまんまを再現さしておいたんです。なにか先生のご参考になりゃせんかと思うてな。市子浅井はるはその経机のそばで体をくの字にして倒れていましたな。洗いざらしの|紺《こん》|飛白《がすり》のひとえのうえに、それでも狩衣だけはつけていましたよ。それが口寄せをするときのいつもの装束だったらしいんですな。ほら、これがそのときの写真ですけえどな」  磯川警部の折り|鞄《かばん》はまるで魔法の袋みたいなものである。こんど取り出したのは三枚の現場写真である。  なるほど祭壇のほうを頭にして背中をまるめ、両脚は|膝頭《ひざがしら》までまる出しになっているのは、首を絞められたときの|苦《く》|悶《もん》の状態をしめしているのだろう、左右の|脚《あし》を蹴るように大きくひろげ、体全体は左下の横向きのくの字型になっており、肩にひっかけた狩衣の左の肩が大きく裂けている。その狩衣はいまつぎの四畳半の隅にある衣桁にかかっており、肩が裂けて、|袖《そで》|口《ぐち》になすったように血がついている。  もう二枚は顔写真と局部の首のクローズアップである。顔写真でみると髪はさんばらで、肩のところまで垂れて大きく乱れている。それがいっそうこの写真の|凄《せい》|惨《さん》さを誇張しているようだ。外出するときはそれでもうしろで束ねて、|元《もと》|結《ゆ》いで結んでいたそうな。ひとくちにいって苦悶の形相ものすさまじいというところだが、年齢は五十前後というところか、ふだんの顔はわりに|垢《あか》|抜《ぬ》けのした女だったのではないか。肉付きは年のわりにはふっくらしているが、元来が小柄の女だったようである。  もう一枚の局部写真はここに説明するまでもなく、首からノドへかけてのドス黒い紐のあとである。犯人はどういう紐を使ったのであろうか、細い綱のようなものではなかったか、迅速かつ的確に目的をとげたようである。  金田一耕助はそれらの写真をていねいに見終わると警部にかえし、 「ところで、警部さん、あなたさっきこの現場が事件発見当時そのままに再現してあるとおっしゃいましたが、なにが犯人が擬装したという疑いでもあるんですか」 「それですんじゃ、金田一先生、まず第一に表の看板ですが……」  と、警部は節くれだった指を一本折り、 「あれは日が暮れるとはずして店の中へしまうのが、|日《ひ》|頃《ごろ》のならわしじゃったそうな。それがああして|麗《れい》|々《れい》しくかけてあったというのは、犯行が日のあるうち、すなわち日中に演じられたということを、暗示しようとしたのではなかろうか。それから第二としては……」  警部はまた一本指を折り、 「この写真ではもうひとつハッキリせんが、この狩衣の着かたがちょっとおかしいんですな。殺害したあとで着せたんじゃなかろうかと思われるふしがあるんです。と、いうことは口寄せのさいちゅうに絞殺されたと、犯人としては思わせたかったんじゃなかろうかというわけです」 「しかし、警部さん、あなたのご意見に水をさすわけじゃありませんが、この事件の発見者がなにげなく狩衣をいじった……と、いうようなことは考えられませんか」 「いや、そのようなことは絶対に考えられません。絶対にそんなことはありえないのです。なぜならば……」 「なぜならば……?」 「この事件のさいしょの発見者というのはかくいうわたし、すなわち磯川常次郎警部ですけんな」  金田一耕助は|唖《あ》|然《ぜん》として警部の顔を|視《み》|直《なお》した。警部はいたずらっぽく目玉をクルクルさせているが、その顔色の底にはふかい悔恨の色が刻まれているようである。      二 「金田一先生、まあ、これを見てつかあさい」  磯川警部がまた魔法の折り鞄のなかから取り出したのは、一通の封筒である。それはどこにでも売っているありふれた封筒で、表を見ると万年筆の女文字で、 [#ここから3字下げ] 岡山市岡山県警察本部   磯川常次郎警部様 [#ここで字下げ終わり]  裏を返すと、 [#ここから3字下げ] 倉敷市下津井にて   浅井はる [#ここで字下げ終わり]  と、かなり能筆の女文字で書いてある。日付を見ると六月十六日。  金田一耕助は表と裏を交互に見ながら、 「この六月十六日というのは、もちろん、ことしの六月十六日のことでしょうね」 「もちろんそうです。県警の本部にそれが着いたのは十八日だったんですけえど、その日わたしは出張で本部へ顔を出さなんだもんですけん、その手紙がわたしの手にはいったのは十九日、いまから五日まえの午後のことでした」 「なかを拝見してもよろしいんでしょうね」 「どうぞ。そのためにここへ持参したんですけん」  |鋏《はさみ》で封を切ってある封筒のなかから、金田一耕助は四つに折った|便《びん》|箋《せん》を取り出してひろげてみた。便箇は三枚あったがノンブルは振ってなかった。十行になるように|罫《けい》が引いてあり、そこに表書きとおなじ達筆の女文字で、つぎのような文章がつづられていた。 [#ここから1字下げ]  磯川常次郎警部さま。  一面識もない|妾《わたし》から突然このようなお手紙差上げる|無躾《ぶしつけ》の段、ひらにお許し下さいませ。あなたさまのお名前は新聞紙上でだいぶん以前から存じ上げておりましたが、いまこうして愚かな妾が思い乱れ、心も狂わんばかりの気持ちにてしたためまするこのお手紙、なにとぞなにとぞ無下にお読み捨てなく、おわりまでとっくりお読み下さいますよう切にお願い申しあげます。  妾はいま下津井で表向きは薬屋をしておりますけれど、本業は口寄せの市子でございます。下津井では神降ろしのばばあでとおっているようでございます。そういう職業上ひとさまのいろいろな悩み、秘密にふれることがままあり、空恐ろしゅうなることがよくありますが、わけてもいまから二十二年まえ複雑なる事情のもとに犯した罪の恐ろしさ。しかもその秘密を種にしていままで生きてきた|業《ごう》の深さ。  |何《なに》|卒《とぞ》何卒妾を助けて下さい。妾はどのような罪の償いもいといませんが、命だけは惜しゅうございます。いまにもだれかが妾を殺しにくるのではないかと思えば、生きている空もございません。この手紙ごらんになりしだい下津井までお運び下さいませ。お目にかかって複雑なる事情というのを万々お話し申しあげたいと存じます。  六月十六日 [#ここで字下げ終わり] [#地から3字上げ]愚かにして罪深き女 [#地から1字上げ]浅井はる  三枚ある便箋の最後の一枚の、浅井はるという名前だけが欄外にはみ出しているほか、あとはキチンと十行ずつ書かれた文字は、なるほど、思い乱れ、心も狂わんばかりとあるとおり、かなり文字に乱れはあるものの、各文章の冒頭が一字下げてあるところや、句読点が要領よく打ってあるところなど、そうとう教養のあった女だと思われる。それはいままで金田一耕助の|脳《のう》|裡《り》にあった、市子などを稼業とする女とはかなりかけはなれているように思われた。 「なるほど、この手紙をごらんになって、あなたが駆けつけてこられたわけですね」 「それがなあ、金田一先生」  警部は心から底から|臍《ほぞ》をかむような調子で、 「いまも申し上げたとおり、わたしがその手紙を開封したのは十九日の午後だったでしょう。午後一時頃のことでした。だからそれを見るとただちに自分で駆け着けてくるなり、児島署へ電話をして保護を加えるなりすればよかったんです。しかし、こういう手紙には案外真実性が薄いもんです。そこで翌二十日の午前中にきてみたんですけえど、そのときは後の祭りでした。ひと足ちがいとはこのことで、医師の鑑定、ご近所での聞き込みなどを|綜《そう》|合《ごう》すると、犯行は十九日の午後十時から十二時までのあいだじゃったろうということになっとります」  それでは警部が心から底から臍をかむのもむりはない。 「それじゃその手紙にある『いまから二十二年まえ複雑なる事情のもとに犯した罪の恐ろしさ』も『その秘密を種にしていままで生きてきた業の深さ』も、いっさいがっさい、わからないことになってしまったわけですか」 「せめて児島署へ連絡しとけばよかったんですけえど、ガセネタで騒ぎ立てるのもおとなげないと思ったのが千慮の一失、本部でもすっかり男をさげてしもうたとおみんさい」  警部は沈痛な面持ちである。 「しかし、ガセネタかもしれないと思いながらも、二十日の朝あなたはここへ訪ねてこられたんでしょう。もしそうでなければ事件の発見は、もっと遅れていたんじゃないですか」 「そういえばそうですけえど、そんなことわたしの手柄になりゃせん」 「いったい浅井はるはいつごろからここに住みついていたんですか」 「その点はハッキリしとるんです。と、いうのはこの家借家じゃのうて、浅井はるの持ち家なんですな。そうじゃけんまえの持ち主と浅井はるの双方に譲渡証書も残っており、役場にも登記書があるんですが、それによると浅井はるなる女性が、この家を譲りうけて住みついたのは、昭和三十年の十月ということになっとおります。ところがそれまでどこでなにをしていた女なのか、前身がかいもくわからんとおみんさい。なにしろああいう大きな戦争のあったあとじゃけん、日本国中調べたらそういういかがわしい人間も、そうとういるんじゃないかと思う。薬種商の鑑札にも浅井はるとあったが、その浅井はるがこんど殺された、市子の浅井はると同一人物かどうかそれも疑問に思われる。いま問屋筋を調査中なんですが、いまのところもうひとつらちがあいとおりません」 「昭和三十年といえばいまから十二年まえですが、当時はこの被害者もまだ若かったでしょう。男出入りは……?」 「それですんじゃ。ひところ若い男が月に二回くらい出入りしとったそうな。三十五、六という|年《とし》恰好で、日焼けして色はまっくろだったそうなが、がっちりとした体格で、どこか如才ないところがある男じゃったそうです。その男がくると酒屋から酒、魚屋から刺身などを取り寄せたもんじゃけん、すぐわかったちゅこってす。男はくるとかならずひと晩泊まっていったそうなが、それがいっこうどこのだれともわからぬうちにバッタリ足が|跡《と》|絶《だ》えてしもうた。それっきり女はひっそりと男っ気もなしに暮らしてたそうです」 「それ、いつごろのことです」 「それですんじゃ、魚屋のほうは駄目でしたが、酒屋のほうに古い帳簿がのこっていましてね、それによると三十二年の十一月から、翌年の四月まで、約半年くらいのあいだということになっとります。浅井はるはその男のことを|清《せい》さんと呼んでたそうですけん、清吉とか清太郎とかいうんでしょうな。男のほうでははじめおはるさんと呼んでたそうなが、のちにはおはると呼び捨てじゃったと、これは酒屋も魚屋もおなじことをいうとります」 「そのおはるさんの前身を語るような写真や手紙は……?」 「それがなんにもありませんのじゃ、もののみごとにな。あるものといえば問屋筋との通信文だけ。よほど慎重に過去を隠しとったんですな」 「と、いうことは過去によほど大きな秘密があるというわけですか。ここに……」  と、金田一耕助はもういちど便箋に目を落として、 「ここに、わけてもいまから二十二年まえ複雑なる事情のもとに犯した罪の恐ろしさ……と、ありますが、二十二年まえといえば昭和二十年、終戦の年ということになりますが、これは戦争中のことでしょうか」 「その年日本の主要都市がつぎからつぎへと、アメリカの|焼夷弾《しょういだん》攻撃にやられて大混乱におちいった。そのドサクサまぎれに、現代では想像もつかんような犯罪が演じられたんじゃありますまいか」  警部の声は沈痛そのものである。 「しかも、その秘密を種にしていままで生きてきた|業《ごう》の深さとありますが、いまあなたのおっしゃった犯罪には、主犯か共犯者があり、そいつを|強請《ゆす》ってきたということでしょうか」 「金田一先生はいつかいうておいでんさりましたな。|恐喝者《きょうかつしゃ》はつねに生命の危険にさらされていると。浅井はるも長年恐喝をつづけてきたが、被恐喝者になにか致命的なカタストロフィーがやってきて、こういうことになったんじゃありますまいか」 「二十二年目の破局ですか」  と、すればこれは単なる|市《し》|井《せい》の市子殺しではなくて、その背後により重大な犯罪が伏在していると思わざるをえない。磯川警部が緊張しているのもむりはない。 「それでだれか目撃者はなかったんですか。妙な人間が出入りをするのを見たとか……?」 「いや、それがひとりあるんです。ついこの近所に住む夫婦もんの細君なんですが、ご|亭《てい》|主《しゅ》はお定まりの水島通い、おかみさんは児島の縫製工場から、仕事をもろうてきてミシンを踏んでるんだそうですが、十五日の午後二時頃、仕事がたまったので児島の工場へとどけるつもりで、この家のまえを通りかかったところが、妙な男がこの家へはいるのを見たというんですね」 「妙な男とおっしゃると……?」 「ヒッピーですね。髪を長くのばし、まるでパーマでもかけたようにチリチリに縮ませ、顔中がヒゲで埋まっていたそうですけん、年恰好はようわからなんだそうですけえど、まあ二十歳から二十五、六までのあいだじゃろうというとります。服装はまっ赤なシャツに、|藍《あい》|色《いろ》のオーバーオールというんですか、職工などが着る上下つなぎの作業服みたいなやつ、それにリュックを背負うていたそうですが、それにしてもそのおかみさんがちょっと|一《いち》|瞥《べつ》しただけで、なんでそんなに詳しくその若者の|風《ふう》|体《てい》を憶えていたかというと、それから三時間ほどのちにもういちどその男に会うているんですな」 「どこで……?」 「ついこのさきに道がカーブしているとこがありましたろう。おかみさんは児島の工場へとどけるものをとどけ、|貰《もら》うものを貰い、ご亭主が水島から帰ってこぬまに帰ろうと、足を急がせてむこうのカーブまできたところ、この家の方角からやってきたその若者とすれちごうたというんですな。そのとき若者がえろう興奮して、まるで気がふれたように口のなかでなにかわめきながら、走り去っていったので、ふしぎに思うてあとを見送ったというんですね」 「なるほど、それで服装などを|憶《おぼ》えていた……」 「いや、ところがそればっかりじゃのうて、ヒッピーのあとを見送って細君がカーブを曲がると、浅井はるが家のまえに立って両手を合わせていたんじゃそうです。それがまるでヒッピーの後ろ姿を伏し拝んでるようにみえたので、不思議に思うていると浅井はるのほうでも、細君の姿に気がついたかして、あわてて家のなかへ駆け込んだそうなが、なんだか泣いているようじゃったと、そう細君はいうとるんですがね」 「なるほど、それで警部さんはきょう昼間、鷲羽山で会ったあの青年、一度はなんでも見てやろうくんに、ひとつの疑惑を持たれたんですね」  金田一耕助はほほえんだ。 「髪にしろヒゲにしろ仲ばすのは一朝一夕には無理でしょうけえど、刈るぶんには簡単ですけんな。あいつ散髪したばかりのようにみえませんでしたか」  なるほど警部の監察眼はそういうふうにはたらいていたのである。 「警部さんはそのヒッピーが十九日の晩引き返してきて、市子を絞殺したとお思いですか」 「いや、そこまでは確信がないが、そいつがなにか事件の|鍵《かぎ》を握っているんじゃないかっと思われてなりませんのじゃ。そうですけん、いまヒッピーの行方捜査に全力を挙げとるところですんじゃ」  だからこの警部の目には二十前後の若者は、すべてヒッピーに見えるのだろう。金田一耕助はしばらく黙考していたのちに開き直って、 「しかし、警部さん、この事件がなにか刑部島に結びついてるとでもおっしゃるんですか」 「それですよ、金田一先生、薬屋というものはものを隠すにはいたって便利にできていて、表に四台おいてある薬|戸《と》|棚《だな》には、|抽《ひき》|斗《だし》がぎょうさんついているでしょうが。その抽斗をかたっぱしから調べてみたら、こねえなもんが出て来たとおみんさい」  警部はまた魔法の折り鞄から一通の封筒を取り出した。それは証拠採集用の袋であった。封筒をさかさにふると、封じ文のように結んだ和紙が出てきた。 「開いておみんさい」  金田一耕助は開いてみて、おもわず大きく目を|視《み》|張《は》った。  それはあきらかに刑部神社の|御《お》|神《み》|籤《くじ》である。大吉とある。 「なあ、金田一先生、こねえなことになろうとは知らなんだけえど、青木修三さんの事件で刑部島へ渡ったとき、刑部神社へお参りして御神籤を引いてみようと思うたところ、戦後は御神籤を出しておらんちゅうんですな」 「と、いうことは戦前や戦争中は出していたということですか」 「そこまでは念を押しませなんだけえど、そういうことになるんじゃないでしょうかなあ。この御神籤をよう読んでごろうじろ。戦時色が濃厚じゃっとお思いなさらんか。刑部島からもおおぜいの若い人が出征していったこってしょう。その人たちはみんな氏神様へお参りして武運長久をお祈りしたあとで御神籤をひいたにちがいない。そねえな場合『大凶』や『凶』は禁物ですけん、この御神籤みてえにみんな『大吉』にしておいた。つまり『大吉』の大盤振る舞いをやっとったんじゃありますまいか」  なるほど戦争末期の物資不足時代を思わせる粗悪な和紙だった。そこに毛筆書きの神の御託宣が木版刷りで印刷してあるのだが、どの条文を読んでみても戦時色濃厚である。 「すると、浅井はるは戦争中刑部神社へお参りしたということになりますか」 「そうとしか思えませんなあ。ここに御神籤がある以上はな。もしそれが終戦の年の二十年じゃったとすれば、ちょうどいまから二十二年まえになる。それに金田一先生、ここは刑部島を視張っとるには、打ってつけの場所じゃとお思いさらんか」  金田一耕助は卒然としてテープの声を思い出した。 「……あの島には悪霊がとりついている。悪霊が……悪霊が……」  それにしても、 「|鵺《ぬえ》のなく夜に気をつけろ」  とはどういう意味だろう。  金田一耕助はそれほど|臆病者《おくびょうもの》ではない。いや、むしろ見かけによらず|胆《きも》はすわったほうである。しかし得体のしれぬ事態に直面すると、だれでもうす気味悪いものである。金田一耕助が背筋が寒くなるような|想《おも》いに、|慄《りつ》|然《ぜん》たらざるをえなかったといっても、だれもかれの臆病をわらうことはできないだろう。  そこへ原田巡査が呼びにきた。じつはこの巡査はさっきからたびたび呼びにきたのだけれど、もう少し、もう|暫《しばら》くで警部が引きのばしていたのである。しかし、いまはもう金田一耕助の頭におのれの知っていること、発見したことのすべてを|叩《たた》きこんでしまったので、時分やよしと思ったのか、 「おお、そうか。こっちのほうも話が終わったところだ。いまいくと広瀬くんにいっといてくれたまえ。金田一先生、妙なもんが発見されたちゅう話ですが、なにが見つかったのかいてみようじゃありませんか」  ふたりが案内されたのは、四畳半の待合室と廊下でつながる台所であった。三畳敷きほどの板の間に三人の男が突っ立っていた。そのひとりが児島署におけるこの事件の捜査主任広瀬警部補である。いかにも|精《せい》|悍《かん》そうな面構えをした四十男だったが、金田一耕助がのちにこの警部補と刑部島で、世にも恐ろしい冒険をともにすべき運命にあろうとは、そのときはまだだれも気がつかなかったであろう。 「広瀬くん、お待たせ。こちらが青木春雄……ほら、こないだ雲竜丸の甲板で死亡したあの男な、あの男のことを調査するために、東京からおいでんさった金田一耕助先生じゃが……」  と、いいかけて、 「や、や、これゃなんじゃ」  と、目をまるくして一歩まえへつんのめった。  金田一耕助もすでにそれに気がついていて、警部どうよう大きく目を視張り、首をかしげて、しきりにもじゃもじゃ頭をひっかいていた。  台所の|配《はい》|膳《ぜん》|台《だい》のうえにならんでいるのは、大小さまざまな貨幣であった。数にして五十枚あまりもあったろうか、磯川警部や金田一耕助にとっては、みんな昔懐しい硬貨であった。  一銭銅貨、二銭銅貨、五厘玉、五銭白銅に十銭銀貨、穴あきの文久銭が五つ六つ、そういうところがいちばん多く、五十銭銀貨が二枚あり、みんないま洗ったばかりのように水に|濡《ぬ》れている。 「広瀬くん、こんなものがいったいどこから……?」  警部はしかしそれが愚問であることに気がついて、言葉をのむと足下を見た。そこには|味《み》|噌《そ》の|瓶《かめ》がおいてあり、刑事の一人は両手を味噌だらけにしている。 「原田巡査が発見したんですよ」 「警部さんがこの家の隅から隅まで調べてみい。台所のカマドの灰まで見落とすなとおいいんさったもんじゃけん、つい味噌瓶へ手を突っ込んでみると……」  原田巡査は得意そうでもあり、当惑そうでもある。 「すると浅井はるは古銭|蒐集家《しゅうしゅうか》だったのかな」 「古銭ちゅうてもこれみんな明治もんですぜ。まんざら値打ちのないもんじゃないでしょうが、古銭ちゅうほどのもんじゃないでしょう。それに浅井はるはどこからこんなもん持ってきやあがったのかしらんが、これ久しく土中にでも埋まっていたのか、ごらんのとおりそうとう|錆《しゃ》びついてるんです。それにねえ、金田一先生」 「はあ」 「もっと面白いことにはこの銅貨や銀貨、鋳造された年を調べてみたら、みんな明治二十六年以前のものです。それからのちのものは一枚もありません。金田一先生はこの謎をなんとお解きんさる」  広瀬警部補の口調には|挑戦《ちょうせん》するようなひびきがあった。     第五章 越智竜平      一  金田一耕助が|刑部《おさかべ》|島《じま》へ渡ったのは、それからちょうど一週間のちの七月一日、やはり土曜日のことである。  そのまえにかれはいちど帰京して、中間報告かたがた丸の内のホテルに越智竜平を訪ねている。あらかじめ電話をしておいたので、竜平は|豪《ごう》|奢《しゃ》なホテルの一室でかれを待っていた。 「金田一先生」  竜平は深い|椅《い》|子《す》に身を沈めたまま、きびしい目で相手のもじゃもじゃ頭を|視《み》すえながら、 「先生はまだ島へ渡っていらっしゃらなかったんですか」  と、とがめるような調子である。  金田一耕助はこの恐ろしい物語のいっぽうの大立て者ともいうべき越智竜平のことを、ストイックでシビアな感じのする人物だと磯川警部に報告していたが、その観察は|肯《こう》|綮《けい》にあたっているようだ。  としは四十四歳だというがアメリカで苦労してきたせいか、としよりは老けてみえる。ただしそれは年齢に比較してヨボヨボしているという意味ではなく、むしろその反対に老成して|貫《かん》|禄《ろく》があるということであろう。なかなかどうして、がっちりとして|逞《たくま》しいその体は、男盛りの精力を連想させて|眩《まぶ》しいくらいである。肩幅も広く、胸板も厚い。胴まわりも太く、それに|身躾《みだしな》みのよい男でいつあってもヒゲをきれいに|剃《そ》っているが、その剃りあとの青々としているのも男性的である。髪も黒々している。  それでいてとしより老けてみえるというのは、その|双頬《そうきょう》にきざみこまれた深い|縦《たて》|皺《じわ》によるものであろう。両の|目《め》|尻《じり》の下から|唇《くちびる》の両端へかけてのその縦皺は、|抉《えぐ》られたように深い。それはかならずしも過去の肉体的労苦だけを物語るものではなく、より以上に精神的忍苦の象徴ではないかと金田一耕助は観察している。この体をもってしてなおこのとしまで、独身で通しているというのも、そこいらになにか原因がありはしないかと、金田一耕助はひそかに|憶《おく》|測《そく》しているのである。  アメリカがえりだけあって洋服もネクタイもさすがに派手だが、決して派手過ぎるということはなく、それはそれなりに|垢《あか》|抜《ぬ》けしている。しかし、きょうはゆったりとした|室内着《ガウン》姿である。  それともうひとつこの男がとしより老けてみえる原因のひとつとして、その人柄があげられるであろう。その性格のなかには|軽佻《けいちょう》だの浮薄だのという傾向はみじんもみられない。いつも慎重であり、かつ重厚である。言葉もひとつひとつ選ぶほうで、決しておのれの|肚《はら》のなかを開けっぴろげてみせるようなタイプではない。したがって、金田一耕助はこの男のことを、まだほとんど知っていないといっていいくらいなのだが、ただいえることは、意志が強く、責任感も強そうなのだが、そのかわり他人にもそれを要求する傾向があるのではないかということである。  だから金田一耕助が島へも渡らず、東京へ舞い|戻《もど》ってきたことに対して、かれはあきたらない思いをしているのであろう。 「いや、ところが、島へ渡るまでもなく青木修三氏の消息がわかったものですからね」  と、そこで金田一耕助が磯川警部や宮本船長の話を取りつぎ、山下亀吉氏の探偵談までつけくわえると、さすがに重厚な越智竜平も|眉《まゆ》をキリリとつりあげた。深い驚きの色がそこにある。しかしかるがるしく口をきこうとはしなかった。大きく|視《み》|張《は》った目でただまじまじと、探るように金田一耕助の顔を視すえている。双頬の縦皺さえなかったら、けっこう好男子でとおる顔である。|眉《まゆ》も秀でて鼻も高い。ただ唇が締まりすぎているのが冷酪な印象を相手にあたえて、難といえば難である。  さすがの金田一耕肋も、まぶしそうに相手の視線を避けながら、 「ですから青木と彫った印鑑がわりの指輪以外、その男が青木修三氏だという確証はどこにもないわけです。児島署では死体から指紋はとっておいたそうですが、青木氏の指紋がない以上比較のしようがありませんからね。お預かりした写真と雲竜丸の甲板で息を引き取った人物の顔写真とでは、比較するにもしようがありませんでした。しかし、いろんな話を|綜《そう》|合《ごう》するとまずまちがいはなさそうですから、いちおうご報告かたがた、今後のことについてご相談申し上げようと思って、こうしていったん帰京してきたわけです」  金田一耕助の話しっぷりは淡々として事務的だったが、そこに語られた内容は、そうとう相手にショックをあたえたらしく、竜平はあいかわらず鋭い視線でまじろぎもせず、金田一耕助の顔を|凝視《ぎょうし》しながら、 「それでは青木が|落人《おちうど》の|淵《ふち》……そこならわたしもしっているが、そこから|顛《てん》|落《らく》したことはまちがいないんですね」 「その点についてはまずまちがいはなさそうです、磯川警部も現場検証をしてきたそうですから。そうそう、磯川警部というのがどういう人物なのか、その点について疑問がおありでしたら、志賀泰三さんにお問い合わせになればわかりましょう」 「いや、それは志賀さんに問い合わせるまでもなく、先生がそれほど信頼していらっしゃる人物なら、わたしも無条件に信用しましょう。それにしてもその警部さん、青木はあやまってそこから滑り落ちたのか、それともだれかに突き落とされたのか、そこまではわからぬといってるんですね」 「あるいはまた鈍器ようのもので後頭部をふん殴られ、|昏《こん》|倒《とう》しているところを手とり足とり、|崖《がけ》から放り出されたのかも……」 「そうすると、刑部島には殺人者がいるというわけですか」  竜平のその語気には|嫌《けん》|悪《お》のひびきが強かった。おそらくおのれの生まれ故郷を、そういう不吉で凶悪な島だとは思いたくなかったのであろう。 「青木氏があやまって顛落したのでもなく、自殺でもないとすればですね」 「自殺……?」  竜平はまた眉をつりあげて、 「金田一先生、その自殺という考えはシャットアウトしてください。あいつは自殺という観念からいえば最後の人間でしょう。楽天家も楽天家、底ぬけの楽天家でしたからね。それにしても、金田一先生、発見されたとき青木はパジャマ一枚だったとおっしゃるんですね」 「パジャマのうえにレーン・コートを着ていたらしいんですが、そのレーン・コートは落人の淵の崖の途中にひっかかっていたそうです。そこいらにも警部の疑惑の種があるわけですね。なぜいったん寝床へはいったものが、パジャマのうえにレーン・コートをひっかけたままの姿で、人知れず宿を抜け出したのか、なぜ落人の淵までいったのか……? 宿舎の|錨屋《いかりや》から落人の淵までそうとうあるそうですね」 「二キロはありましょう。それに|地蔵峠《じぞうとうげ》というそうとうの急坂を登らなければならない」 「その落人の淵というのは青木氏のような人物に、探求心をそそるようなところのある場所なんですか。真夜中にこっそり抜け出してまで、調べてみようというような、つまり好奇心か探求心をそそるような……?」 「さあ……」  竜平は眉根をくもらせて、 「いろいろ伝説はあるところですが、それはおおむね昔の話ですからね。そこへいくと青木は徹底的現実主義者でしたから……」  しかし、この竜平のコメントにはどこか歯切れの悪いところがあった。  こんどは金田一耕助が鋭く竜平を視て、 「青木氏は島ではあなたとの関係を、ひた隠しに隠していたようですが……」 「はあ……」  竜平の返事はあいかわらず歯切れが悪い。 「刑部島にはあなたの腹心の部下も、そうとう大勢いるんじゃないですか。あなたは家も建てられたそうですし、目下ホテルやゴルフ場を建設中だという。海水浴場も整備中とか。お住居のほうにはもう奉公人がいるんじゃないですか」 「はあ……」 「ホテルやレジャー施設にはそれぞれ現場監督もいるんでしょう。それらの現場監督を指揮する総指揮官というのも送り込んであるんじゃないですか。あなたの片腕として……」 「はあ……」 「それにもかかわらず青木氏は、それらの人びとと接触しようとした形跡はなかったそうです。反対に島の故老みたいな人びととばかり接触していたらしいんですが、いったいあなたの|思《おも》|惑《わく》はどこにあったのです。青木氏はなぜあなたとの関係をひた隠しに隠し、たんなる物好きな旅行者としてふるまっていたんです」 「それはねえ、金田一先生」  竜平もようやく陣容を立てなおし、 「わたしは刑部島での反響を知りたかったんです。わたしのやってることに対しての反響をですね。それはもちろん松本くん……松本|克《かつ》|子《こ》というのがアメリカでの私の秘書ですが、その松本くんというのを、いわばわたしの全権大使格として刑部島へ送りこんであるんです。それともうひとりわたしの住宅の家事取り締り役として、越智|多《た》|年《ね》|子《こ》といってこれはわたしの叔母……父の妹ですが、その二人がわたしの代理人みたいなかっこうで刑部島にいるんです。その二人から時々刻々、刑部島の反響について報告はあります。しかし、松本くんは他国もんですから島の人情は全然しらない。反対に叔母の多年子は島の出身者ですから、島のことを知りすぎている。と、いうことは偏見が多過ぎるということです。だからこの二人の情報では、わたしは一〇〇パーセント満足することができないんです。だから、公平な第三者の目からみた島の反響というものを、わたしは知りたかったんです。さいわい青木は松本くんがこちらへかえってからできた友人だから、松本くんもしらないし、叔母はもちろんのことです。それにあのギャンブラーみたいな性格が、こういう仕事にうってつけと思ったものですから……そうですか、青木は死にましたか。わたしはあいつを弟のようにかわいがり、あいつもわたしを兄貴とよんでいたんですがねえ」  竜平の目はかわいていたが、その詠嘆にいつわりがあろうとは思えなかった。しかし、|諄々《じゅんじゅん》と説ききたり説きさる言葉にはどこか歯切れの悪いところがあり、その言葉の裏にもうひとつなにかありそうに思えてならなかった。 「青木氏は刑部神社の宮司、刑部守衛という人物の行跡にいたく興味があったようですが……」 「そうそう、そこまでは書面で報告をもらったんです。ところがそのあとプッツリと消息が|跡《と》|絶《だ》えたので、不安でもあり不思議でもあったものですから、先生に調査をお願いしたというわけです」  考えようによっては、その答えは金田一耕助の質問をはぐらかすようにも受けとれた。しかし、金田一耕助はあえてそれを追及しようとはせず、 「その青木氏の消息はこうしてわかったわけですから、わたしはここいらで手を引いてもよろしいんですが……」 「と、とんでもない」  越智竜平は腰をうかし、両手で相手をおさえつけるような身振りを示すと、 「こうなったらますます先生が必要になってくる。青木の死にそういう疑惑があるとすると、その真相を究明していただかなければなりません。もしそれが他殺とすると……わたしはそう考えたくないのですが、いちおうそれも考慮にいれておかなければならないとすると、その場合犯人を挙げていただかなければなりません。でないと青木の霊は浮かばれないでしょう」 「いえね、越智さん」  金田一耕助も身を乗り出して、 「この事件はいたくわたしの好奇心を刺激しているのです。だから商売気をはなれてでも刑部島へ渡ってみようと思っています。磯川警部ももういちど島へ渡りたいといってますし、長年の友情からいっても、わたしは警部の助手をつとめたいと思っているんです」 「それはけっこうです。どのみち真相の究明に役立つことになればですね。しかし、商売気をはなれてということはわたしが許しません。これはあくまで最初のご依頼の延長だと思ってください」  竜平はそこで二枚の小切手を書いた。一枚は青木修三捜索についての一件落着の成功報酬だが、もう一枚はさらに真相究明のための運動費であった。真相が究明されたあかつきは、さらにいくばくかの謝礼を支払うであろうという約束がついていた。 「じゃ、適当な時期に島へ渡ってなおいっそうの努力をしてみますが、そのまえにあなたに|聴《き》いていただきたいものがあるんです」  と、金田一耕助が懐中から取り出したのは小型のテープレコーダーだった。かれはこのテープがいついかなる情況のもとに録音されたかを説明すると、 「これはおそらくあなたへの伝言であろうと思われるのですが、不幸、青木氏はそのとき|知《ち》|死《し》|期《ご》の精神錯乱状態であった。したがってその内容は支離滅裂で、われわれが聴くとチンプンカンで、さっぱり意味が|捕《ほ》|捉《そく》できないんですが、あなたがお聴きになるといくらかご理解いただける部分があるかもしれないと、こうして持参したのです。もちろんこれはオリジナルではありません。オリジナルは岡山県警の管理下にあります。これは磯川警部にたのんで再生させてもらったものですが、まずオリジナルと比較しても大差はないものと思って聴いてください」  そして、金田一耕助はスイッチをいれた。 [#ここから2字下げ] ……あいつは体のくっついたふたごなんだ…… ……あいつは腰のところで骨と骨とがくっついたふたごなんだ…… ……あいつは歩くとき|蟹《かに》のように横に|這《は》う…… ……あいつは平家蟹だ……平家蟹の子孫なんだ…… ……あの島には悪霊がとりついている、悪霊が……悪霊が…… ……|鵺《ぬえ》のなく夜に気をつけろ…… ……その島の名は……その島の名は……その島の名は…… [#ここで字下げ終わり]  竜平は青木修三のいまわの際の声がテープに録音されており、それが自分に当てた伝言ではないかときいたときから、すでにかなりの緊張の色を示していたが、さてテープを聴きおわると|唖《あ》|然《ぜん》たる顔色であった。それは金田一耕助もあらかじめ指摘したとおり、ひじょうによく再生されていた。波の音、汽船のエンジンのひびき、人びとのののしり騒ぐ声……それらの雑音のなかに、そのときの緊迫した空気が、そのまま|膚《はだ》へつたわってくるようなものがある。  金田一耕肋は竜平の要請でテープを三度かけなおした。しかし、竜平の唖然たる表情はかわらなかった。当惑したような|空《から》|咳《せき》をしながら、 「金田一先生、この体のくっついたふたごというのは、シャム双生児のことをいうのでしょうか」  青木修三はシャム双生児という言葉を知らなかったらしいが、竜平はしっていた。 「たぶんそうだろうと磯川警部とも話し合ったんですがね。しかも、青木氏はなにをおいてもそのことを、あなたにいいのこしたかったんじゃないでしょうかねえ」 「わたしに……? どうしてでしょうか。だいいち、刑部島にそんな化けもんみたいなふたごがいるというんですか。なるほど、あの島にふたごがいることはいる。しかし、あのふたりはシャム双生児なんかじゃない」 「それをどうして青木氏はシャム双生児と勘ちがいしたか、なぜまたそれをまずイの一番にあなたに伝言しようとしたか……」 「わかりません。さっき先生もおっしゃったとおり、青木は知死期の精神錯乱状態におちいっていて、あらぬ幻覚でも語ったんじゃありますまいか」 「そうかもしれません」  そこで金田一耕助はもういちどテープをかけると、 「シャム双生児がいるかいないかは別として、青木氏のつづいて語っている言葉は、だいたいそれを|敷《ふ》|衍《えん》した言莱ですね。あいつは蟹のように横に這うとか、平家蟹の子孫だとか……あの島は平家にゆかりの深い島ですから、体のくっついたふたごを見て、平家蟹を連想したのかもしれません。ところがここに全然別の言葉が出てくるでしょう」  そのときちょうどテープの声が、 「……鵺のなく夜に気をつけろ……」  と、息もたえだえに絶叫していた。  金田一耕助はそこでスイッチを切ると、 「これはどういう意味でしょうねえ。シャム双生児とは別に、こういう警告をとくにのこしたというのは……?」  竜平も眉をひそめて、 「鵺というとたしか|源《げん》|三《さん》|位《み》|頼《より》|政《まさ》に退治された頭は|猿《さる》、体は|狸《たぬき》……それから……」 「手足は|虎《とら》、|尻《し》っ|尾《ぽ》は|蛇《へび》ということになってますね」  金田一耕助はテレ臭そうにもじゃもじゃ頭をひっかきまわし、白い歯をみせて笑いながら、 「わたしも『平家物語』を取り出して読みなおしてみたんですよ、にわか勉強ですがね。すると四之巻のおわりのほうに『鵺』という項がありますね。それによると頼政の退治したのは、かしらは猿、むくろは狸、尾はくちなわ、手足は虎の姿なり。なく声鵺にぞ似たりけりとあります。ですからその|異形《いぎょう》の怪物自身が鵺ではなく、その声が鵺に似ているというんですね。では鵺とはなんぞやというと、注によればいまのトラツグミとあります。したがって青木氏の警告を現代ふうに翻訳すると、トラツグミのなく夜に気をつけろということになるんですが、なにかお心当たりはありませんか」 「トラツグミなら刑部島にもおりましょう。しかし、青木の警告の意味はわかりかねます。だいたい烏が夜なくんですかねえ」 「ところがねえ、越智さん、トラツグミを字引で引くと、ツグミ科のわたり鳥とあり、ぬえとおなじとあります。ところがぬえという漢字にふたいろあって、空偏に鳥とかくばあいと、夜偏に鳥とかくばあいがあるんですよ。したがってトラツグミという鳥は、夜もなくものと昔から信じられていたらしいんですね。お心当たりはありませんか」 「ありません」  竜平の否定するその言葉は、少し語気が強過ぎるように思われたが、金田一耕助はあえて追及しようとはせず、テープレコーダーを巻き戻し、さっさと懐中にしまいこむと、 「いや、それは残念でした」  と、ペコリともじゃもじゃ頭をさげた。  しかし、金田一耕助の鋭い直感は探りあてていたのである。青木修三のその伝言のなかに、竜平の心をさわがせるなにものかがあったらしいということを。しかし、それがシャム双生児のことなのか、それとも鵺に関する件なのか、そこまでは金田一耕助にもわからなかった。      二  刑部島はいまや過疎の島である。瀬戸内海のまっただなかに、ポツンとひとつ置き忘れられて、だれも|顧《かえり》みるものもない島だと、磯川警部からきいていたにもかかわらず、その島へ渡ろうとする人間が意外に多いのに、金田一耕助は内心ひそかにおどろいている。  金田一耕助が連絡船に乗るために、殺風景な吹上の港へおりていったのは、昭和四十二年の七月一日、午後二時ちょっと過ぎのことである。その連絡船は四国の|丸《まる》|亀《がめ》とのあいだを往復しており、その第一の寄航地が刑部島である。 「あの下津井というところはな、金田一さん、|金《こん》|毘《ぴ》|羅《ら》|参《さん》|道《どう》にあたっておりましてな、あそこから四国の丸亀へわたって、そこから|讃《さぬ》|岐《き》の金毘羅さんへおまいりする。そういう道順になっとりますが、あの浅井はるちゅう市子は金毘羅さん信仰で、月にいちどは丸亀へ渡ってたちゅう話ですけん、途中で刑部島へ寄らなんだとはいえんと思う。いや、きっと立ち寄っていたにちがいありません。それですけん、金田一先生、わたしもひと足おくれて島へ渡るつもりですけえど、そのときにはわたしの捜査にも協力してつかあさい」  ゆうべ倉敷の宿で会ったとき、磯川警部はそういっていきまいていた。さらに警部はこうもつけくわえた。 「あの浅井はるが恐喝者だったらしいことは、もう疑いの余地はありません。浅井はるの預金通帳ははやくから見つかっていたんです。あの四畳半の|箪《たん》|笥《す》の|抽《ひき》|斗《だし》のなかにありましたけんな。それでみるとあの女のつつましやかな暮らしぶりがわかるような、ごく普通の通帳で銀行も倉敷でした。ところがこないだも中し上げたとおり、薬屋の店先ちゅうもんは秘密の隠し場所の宝庫みたようなもんで、ほら、あそこに箪笥が四重ねありましたろうが。あれみんな重ね箪笥になっとるんですな。下の部分は抽斗のいっぱいついた箪笥、上の部分は目薬など|小《こ》|瓶《びん》にはいった薬などを陳列しておく箪笥。ところがこのふたつの箪笥の重ね目に、裏側からみると二センチくらいの|隙《すき》|間《ま》がある。そこが浅井はるの隠し金庫になっとったんですな。いや、出てきたわ、出てきたわ、岡山のあちこちの銀行の通帳や債券類。金田一先生、それしめていくらあったとお思いんさる」 「どのくらいあったんですか」 「一千万円はゆうに|超《こ》えとりますな。しかも、それを|仔《し》|細《さい》に分類していくと、年に二回定期的にはいっとるんですな、盆と暮れと。昭和三十年以来、つまり浅井はるがあの場所に定住して以来のことですが、それがだんだん金額が大きゅうなっとりますけん、恐喝されていたほうとしては|耐《たま》らなかったでしょう。首を絞めたくなるのもむりはなかったかもしれません」 「それで警部さんはその被恐喝者を、刑部島のだれかだとおっしゃるんですね」 「いままで浮かんできた線ではそれとしか考えられません。それがだれであるかまだ断定できる段階じゃありませんけえど、あの青木修三という人物ののこしたテープからみても、あの島にはよほど奇妙で無気味な秘密があるにちがいありません。浅井はるはそれをしっていた……」 「しかし、ねえ、警部さん、島というものは密室もおなじですぜ。出るにも入るにも船に乗らなきゃならない」 「刑部島にも漁船はまだそうとう残っていますよ。魚がとれなくなったちゅうても、漁業を全廃したわけじゃありません。ただ以前より遠方まで出なきゃならなくなったので、採算があわなくなったんですね。それに島のヌシみたいな刑部大膳、このじさまは月に一回倉敷へくるそうですて」 「倉敷へ……? なにしに……?」 「なあに、病院通いですよ。なにせとしがとしですけんな。月に一回健康診断にくるんですけえど、そのときは|巴《ともえ》御寮人をはじめとして、お供がおおぜい|扈従《こじゅう》していて、ちょっとした大名旅行みたいだそうですよ。ところがねえ、金田一先生」  警部は急に声を落として、 「浅井はるが絞殺された六月十九日は月曜日でしたけえど、大膳じさまその日の午後倉敷の病院で健康診断をうけておるばっかりか、そんなときには巴御寮人はじめ一門郎党、倉敷の旅館に一泊して、翌朝島へかえっていくんじゃそうです。それに巴の亭主守衛は倉敷か玉島にいるときのほうが多いんですけえど、六月十九日の晩守衛は倉敷でしたよ」  こうして磯川警部の疑惑は刑部神社の宮司の一族に集中し、そのためにも金田一耕助のあとを追って、ぜひ島へ渡るつもりであるとその決意は固かった。      三 「それゃ、まあ、本家としては故郷に|錦《にしき》を飾るちゅう気持ちはようわかっちょる。また自分の生まれ故郷が見るかげものう|寂《さび》れていくのを残念がる。それもがてんのいくこっちゃ。そうじゃけえど本家のこんどのやりかたは、少し|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》すぎると、吉やん、あんたそう思わんかい」  このへんの人間特有の|甲《かん》|高《だか》い声に、金田一耕助はふと|瞑《めい》|想《そう》を破られて、声のするほうをふりかえった。どうやら本家というのは越智竜平のことらしい。  そこは○○汽船発着所の粗末な待合室である。梅雨冷えというのか妙に薄ら寒い日であった。空は晴れ天気はよいのだけれど、炭火のほしいような陽気である。金田一耕助は例によって、何度か水をくぐったらしい|袷《あわせ》のきものによれよれの|袴《はかま》をはき、もじゃもじゃの|蓬《ほう》|髪《はつ》のうえにお|釜《かま》|帽《ぼう》をスッポリかぶり、合いの|二重廻《にじゅうまわ》しを肩からひっかけ、さっきからその待合室の片隅で背中をまるくしている。  そこには老若男女とりまぜて八人いた。その人たちもはじめのうち、金田一耕助の存在が気になっていたらしいが、根が陽気で、話し好きなこのへんの人たちである。まもなくてんでに相手を見つけてしゃべりはじめたが、それらの話をきいていると、その大半が刑部島の出身者で、これから島へかえろうとしているのである。いきおい金田一耕助は磯川警部のことを念頭からはふり落として、この人たちの会話に耳を傾ける気になっている。 「さあ……松つぁんにそういわれたかとて、わしらみたいなもんには、あねえに偉うおなりんさったお人の気持ちなどわかろうはずがないけえど……」  吉やんとよびかけられた男は、いまでも島に住んでいるらしいのだが、顔も体もまっ黒に|陽《ひ》|焼《や》けしてゴツゴツしており、|淳朴《じゅんぼく》を通りこして愚鈍にさえみえる。口の利きかたさえオドオドして、相手を見るにも上目づかいである。それに反して松つぁんは久しく島をはなれていたらしく、身のとりなしにどこか都会ふうのところがみえる。吉やんも松つぁんもおなじ|年《とし》かっこうで、四十前後というところだろう。松つぁんはおかみさんらしい女と十五、六の娘をつれていた。 「ほんなら、松蔵のおじさん、本家がわれわれみたいなもんにまで、ぎょうさんな日当を奮発して、刑部神社の祭りにかりだそうちゅうのんには、なにがわけがあるとおいいんさるんで……?」  横から口をはさんだのは二十四、五の若いものだが、いま改めてその姿をみなおすと、セーターのうえに水色の|印袢天《しるしばんてん》を着て、頭には威勢よく日本|手《て》|拭《ぬぐ》いで|鉢《はち》|巻《ま》きをしている。印袢天の背中には二つ|巴《どもえ》の紋所が染め出してあり、右の|襟《えり》に「刑部神社」左の襟には「氏子連中」と染め出してある。二つ巴は刑部神社の紋所らしく、そこから巴御寮人の名がうまれたのであろう。 「そうとも、信吉なんかにはわからんのもむりはないけえど、おれにはちゃんと本家の|肚《はら》が読めているんだ」 「本家の肚とおいいんさると」 「敵は本能寺というところだろ。巴御寮人にええとこみせようちゅう肚にちがいないんだ」 「へえ、そらまたなんで……?」 「本家はいまでも巴御寮人に|惚《ほ》れておいでんさるにちがいない。だからあのとしをしていまだに独りもんじゃっというじゃないけ。なにせいちどは駆け落ちまでおしんさった仲じゃけんな」  金田一耕肋はおやと耳をそばだてたが、印袢天の信吉も目をまるくして、 「すると、竜平おじさん、あの御寮人さんと駆け落ちしたことがおありんさるんで」 「そうよ。その時分おまえはまだガキだったから、知らんのもむりはないけえど、あら、終戦のまえの年じゃけん、昭和十九年の春、二人手に手をとって駆け落ちとしゃれこみんさった。もっともその時分おれは兵隊にとられて留守じゃったけえど、復員してからおやじやおふくろに聞いたところじゃ、そのとき島中ひっくり返るような騒ぎじゃったという話じゃ。なにせ時節柄もわきまえずというわけじゃけに、これは本家も分が悪い。そこへもってきて錨屋の|大《おお》|旦《だん》|那《な》がカンカンになってお怒りんさった。身分をもわきまえずちゅうわけじゃな。本家は網元のすえでこそあれたかが漁師、こっちは|由《ゆい》|緒《しょ》ある刑部神社の神主の娘、身分ちがいもはなはだしいちゅうわけで、八方手をつくして行方を探したところ、|丹《たん》|波《ば》の奥の温泉宿にひそんどるちゅうことがわかって、すぐ追手をさしむけて連れ戻した。そのとき巴御寮人おん年十七歳、本家はおれとおないどしじゃけん二十二歳、もちろんこれは昔の話じゃけに数えどしじゃな。さて、島へ連れ戻されるとまもなく、本家のところへ赤紙がきた。これはもう否応なしじゃ。だいたい本家は島にとって必要人物ちゅうので、徴兵も徴用もご免いうことになっとったんじゃけえど、そこはそれ錨屋の大旦那、|大《だい》|膳《ぜん》さんというじさまは策もあれば顔も広い。その筋に手をまわして赤紙がくるように仕向けたんじゃろと、これはもっぱら島中の評判じゃったそうな。本家としては無念やるかたなき思いで、戦争にいたことじゃろけえど、さて、その戦争も終わって復員してみると、巴御寮人にはれっきとしたかどうかはしらぬが、とにかくご亭主ができてござる。しかも二十三年にはごていねいにふたごがうまれた。そこで本家は絶望の思いをかみしめて、アメリカへ突っ走ったんじゃけえど、どうじゃ、これで本家のこんどのやりくちの、ほんとの思惑がわかったろうがの」  松つぁんの長広舌はとどまるところをしらなかったが、ちょうどそこへ連絡船がはいってきた。連絡船はちどり丸という。     第六章 巴御寮人      一  越智竜平は自家用|汽艇《ランチ》やヨットを持っている。|刑部《おさかべ》|島《じま》へ渡る日と時間がきまったら報らせてほしい。|下《しも》|津《つ》|井《い》まで迎えによこすようにするといってくれたが、金田一耕助はそれをことわった。一般旅客としてふつうの連絡船に乗ったほうが、少しでもよけいに、島に関する予備知識がえられるのではないかと思ったのだが、その作戦がこうもみごとに奏効するとは、さすがの金田一耕助も思いもよらなかった。  ちどり丸の船客は三十人を超えたが、その半数以上は刑部島へ渡る……あるいは帰る人びとだった。船長も船員もおどろいていて、 「けさの便でもぎょうさん刑部島で降りていったぞな。いったいなにが起こるちゅうのかのう」  待合室やちどり丸の船内で、金田一耕助が耳にしたところを|綜《そう》|合《ごう》すると、それらの人びとはみんなかつて島を捨て、本土へ移住した連中らしい。 「松蔵おじさんはいろいろいうけえど、それじゃかてええじゃないけ。わしら来月のお盆には嫁さんつれて、里帰りしよ思うとったところじゃけえど、それよりひと月半もまえに里帰りでけるんじゃけんな。それも七日分の日当もろて、往復の旅費まで支給されるんじゃけに、こんなありがたいことあれゃせんぞな。おまけにこねえな祭りの|印袢天《しるしばんてん》まで送ってもろたんじゃけんな」  信吉は島を出て水島の会社で働いているらしい。そこで職場結婚をしたが、嫁さんはまだ島を知らぬという。亭主の生まれ故郷を知ってもらうにはまたとない機会であると、お祭りの印袢天を着た信吉はいきまくのである。 「そうだ、そうだ」  と、たちまち若い同調者が現われて、 「おれなんかもこげえなけっこうなことないと思うたけえど、会社がどう出るかと心配じゃった。それでおそるおそる上役に申し出たところ、アッサリ有給休暇が出たのには驚いた。どうやら会社の上層部に手がまわっているらしいんじゃけえど、いや、本家のおじさんの勢力も大したもんじゃ。信ちゃん、島へかえったら|神《み》|輿《こし》かついで暴れまくったろじゃないけ。なんでも本家の寄進で立派な神輿ができたちゅうけん」  これを要するに竜平はかつて島を捨てて出ていった人びとに、かたっぱしから手をまわし、七日間の帰島をうながしているらしい。それには日当のうえに、往復の旅費まで支払われているらしいが、そういうことは現在の竜平の財力からして、大した負担にはならなかったろうけれど、かれの真意がはたしてどこにあるかと思うと、金田一耕助は心の寒くなるような感に打たれざるをえなかった。  それはたんなる氏神様へ対しての|敬《けい》|虔《けん》な信仰心なのだろうか。あるいは故郷に錦を飾ろうとする成功者、いわば成り上がりものの、いやがうえにも張りたい|見《み》|栄《え》の表われなのだろうか。いいや、金田一耕助はそうは思わない。竜平という男はそれほど軽薄な男ではない。かれは思慮綿密で、つねにおのれの打つ手のさきからさきへと読んでいる男である。そういう男が|莫《ばく》|大《だい》な費用をおしまず、刑部神社の祭礼を機会に、いったん離島した人びとを一堂に集めようというには、見栄とか虚飾とかを乗り越えて、もっともっと重大な思惑がなければならぬ。  その思惑とはなにか。それはやっぱり松蔵という男の指摘したとおり、かつての日、悲恋に終わった巴御寮人との関係に、なんらかの形で決着をつけようとしているのではないか。  はからずもさっき松蔵という男の口からきくまでは、金田一耕助は竜平と巴のいきさつなど全然知っていなかった。いや、刑部神社や巴御寮人、刑部大膳のことなども、磯川警部の口からきいてはじめて知ったのである。竜平はなにも語らなかった。なぜ? そんなこと、島へ渡ればすぐわかることだとたかをくくっていたのだろうか。いったい越智竜平という男はじぶんになにを|希《のぞ》んでいるのか。  さいしょ問題になったのは金田一耕助の健康状態であった。それならばじぶんの生まれ故郷にこれこれこういう島があるから、そこへいってしばらく休養をとったらどうかというのが話の糸口であった。もしそこへいく気があるならば、ことのついでにこれこれこういう用件を頼まれてもらえないかと、依頼を受けたのが刑部島へ渡って以来消息を断っている、青木修三なる人物の行方捜索であった。  そのことはひじょうに意外な結末をみたが、捜索自体はいとも簡単に終わった。本来ならばかれの使命はそこで終わったはずである。しかし、こんどはその一件の真相を知りたいというのが竜平の希望だし、金田一耕助自身あきらかに竜平にのこした伝言と思われる、あの|謎《なぞ》めいた章句にふかい興味をもっていた。  こうしてかれはとうとう、悪霊がとりついているという島へ渡ることになったのだけれど、その船中ではからずも耳にしたのが、刑部神社の宮司夫婦とその背後にいるらしい刑部大膳、島のヌシともいわれる権力者と越智竜平との、戦争中から終戦直後にかけての複雑な人間関係である。松つぁんの話がほんとうとすると、竜平は刑部大膳に対して深い|遺《い》|恨《こん》を含んでいるはずである。それにもかかわらずいまかれのやっていることは、大膳の歓心を買うようなことばかりではないか。その真意はどこにあるのか。刑部島ではなにが起こったのか、いや、なにが起こりつつあるのか、そしてこれからのちいったいなにが起こるというのだろうか。  こんな場合、金田一耕助がいちばん|危《き》|惧《ぐ》するのは、じぶんが事件の|渦中《かちゅう》にまきこまれてしまいはしないかということである。かれはいままでずいぶんいろんな事件を手がけてきたが、つねに第三者的立場を保ってきた。事件の圏外に立っていたからこそ、公平な判断がくだせ、冷静な推理を働かすことができたのである。 「そらそうと、吉やんはいまでも刑部神社のじいやをしとるのけえ」  松蔵の甲高い声に金田一耕助はまた|瞑《めい》|想《そう》をやぶられて、吉やんの愚鈍そうな顔に目をやった。あとでわかったところによるとこの男の名は吉太郎といい、じいやというのは神社や寺に献身的な奉仕をする男のことをいうのだそうである。  吉やんは例によって上目使いに松蔵の顔を|視《み》ながら、 「うう、じゃとてわしゃほかになにも能のない男じゃけに……」 「おまえいまでも独りもんじゃちゅうとるが、そねえなええ体をしとってよう辛抱ができるぞのう、かみさんもなしで。巴御寮人にあんじょうかわいがってもろとんのとちがうか」  吉太郎はただキョトンとしているばかりだったが、それを聞いてあわてたのは信吉だった。 「おじさん、おじさん、なんぼなんでもそねえなこと……いうてええことと悪いことがあるぞな。そねえなことが|錨屋《いかりや》の大旦那の耳にはいると、どねえな|祟《たた》りがあるかしれたもんじゃねえぞな」 「祟りもヘチマもあるもんけえ。おれはとっくの昔に島を捨てたもんだ。大膳じさまに出ていけがしにあしらわれてよう。こんどは少しでも本家の顔を立ててあげようと帰ってきたけえど、どうせ七日たったらまた島を出て神戸へかえっていく身分じゃけん、いいたいことはいわせてもらうで。だいたいこの吉太郎ちゅうのは|怪《け》しからん男じゃ。おなじ越智の株内で本家とはいとこ同士でありながら、若いときから大膳じさまにゴマすりくさって、きけば戦争中本家が駆け落ちさきから、こっそりおまえに金のくめんを頼むという手紙をよこしたときも、ご注進ご注進と手柄顔に、じさまのところへ駆け込んだちゅうじゃないけ。おまえみたいなやつを|獅子身中《しししんちゅう》の虫というんじゃ」  人間というものはおのれの言葉に酔い、おのれの言葉に興奮し、|激《げっ》|昂《こう》し、いわでものことまでいいつのり、あとで後悔することがあるものだが、いまの松蔵がそれだった。  さすがにおかみさんが聞きかねて、 「まあ、まあ、あんた、ええかげんにやめておおきんさい。人にはそれぞれの生きかたがあるもんじゃけんな。吉太郎さんは吉太郎さんの考えがあっておしんさったこと。大膳さんの身内にくわえていただいて、いまでは一門郎党あつかいじゃとやらで、おかげで生まれ故郷を捨てもせず、無事安穏に暮らしておいでんさる。|羨《うらや》ましいご身分じゃないけ。もっともわたしはそういう生きかたあんまり好かんけえどな」  仲裁にはいったおかみさんの言葉も痛烈な皮肉でおわったが、このおしゃべりをきいているうちに、金田一耕助はおやと吉太郎の顔を見直した。おかみさんのいった一門郎党という言葉が、かれの心にひっかかったのである。  磯川警部もおなじ言葉を使っていたではないか。刑部大膳というじさまは、月に一度倉敷へ健康診断に出掛けるが、そんなとき一門郎党をひきつれて大名旅行もおんなじだと。しかも、浅井はるが絞殺された六月十九日の夜も、大膳じさまは一門郎党とともに、倉敷の宿へ泊まっていたのだと。すると、そのときこの男も一緒だったのではないか。  金田一耕助はあらためてそれとなく、吉太郎という男を観察してみた。かれはなにをいわれてもキョトンとして、|眉《まゆ》|毛《げ》ひと筋動かすではなかった。それだけ神経が鈍いのか、あるいはそれだけ神経が図太いのか。はじめかれは人を見るにも上目使いだったが、松蔵に面とむかって|罵《ののし》られるにおよんで、しだいに|面《おもて》をあげ、キョトンとした表情ながらも、|傲《ごう》|然《ぜん》とした態度で船内を|睨《ね》めまわしている。 「おまえいまでも独りもんじゃちゅうとるが、そねえなええ体をしとってよう辛抱ができるぞのう、かみさんもなしで。巴御寮人にあんじょうかわいがってもろとんのとちがうか」  さっき松蔵も指摘したが、巴御寮人にかわいがってもらっているというのはしばらくおくとして、まったくよい体をしている。額の狭いその顔は、ちょっと猿を連想させるが、漁師みたいに……いや、かれはじっさい漁師であった……|鞣革《なめしがわ》のオーバーオールを着て、長靴をはいたその体は、どこもかしこもゴツゴツと節くれ立ってたくましく、|脂切《あぶらぎ》った|膚《はだ》はギタギタとして動物的な生臭さを思わせる。竜平といとこ同士だというが、年かっこうもおっつかっつであろう。なるほどこの体でこのとしまで独身でいれば、口さがない島の人びとに、いろいろいわれてもやむをえないであろう。 「まあ、ええじゃんけ、ええじゃんけ。せっかく本家のきもいりで、みんな久しぶりに里帰りがでけたんじゃけん、争いごとはいっさい西の海へさらりと流して、七日間の休暇を楽しもうじゃないけ。ほら、信ちゃん、おまえのおやじやおふくろさんが、船着き場まで迎えにきておいでんさるぞな」  だれかが大声にわめいたとき、さまざまな|葛《かっ》|藤《とう》を乗せたちどり丸は、いま単調なエンジンの音をひびかせて、静かに小さな港へはいっていく。防波堤のなかは漁船もまばらで、そこは下津井の港よりもっと|侘《わび》しく、うらぶれた感じであった。ただ越智竜平の|豪《ごう》|奢《しゃ》な自家用|汽艇《ランチ》とヨットが、威風堂々とあたりをはらっている以外には。  このとき刑部島へ降りた乗客のなかに、金田一耕助のほかにもうひとり、島にとってはよそものがいた。それは二十四、五歳の若者で、薄茶色のジャンパーを着て二屑から昆虫採集につかう|胴《どう》|乱《らん》のようなものをぶらさげていた。      二  磯川警部の説によると刑部島という島は、|北《きた》|前《まえ》|船《ぶね》がさかんな時代、潮待ちの島であると同時に風待ちの港でもあったという。最終の目的地であるところの下津井の港を目のまえにして、潮のかげんや風向きのぐあいで、船が動かなくなる場合があった。  そういうときが刑部島の書き入れどきであったという。沖に北前船が|錨《いかり》をおろすとみるや、甘きにつどう|蟻《あり》のように十何|艘《そう》かの小舟が|漕《こ》ぎ出していく。それらの小舟をオチョロ舟といい、なかには遊女が乗っていた。オチョロ舟の胴の間には二畳敷きくらいの小座敷がしつらえてあり、かんたんに用が足せるようになっていた。  北前船の|水夫《かこ》たちは、目的地をまえにしてみんな気が大きくなっている。万里の|波《は》|濤《とう》を乗りこえてきたかれらにとって、なによりも必要なのは命の|洗《せん》|濯《たく》である。下津井へ着くまで待てないかれらのなかには、遊女を船へ引っぱりあげるのもあれば、みずからオチョロ舟へおりていって、体内にたまった|垢《あか》を洗い落とすものもある。いちばんよい客はオチョロ舟にみちびかれて島へ渡る船頭である。  板子一枚下は地獄の船頭たちは、みんな気前がよくカネ離れもみごとであった。ことに目的完遂を目前にして、気の大きくなっているかれらの欲望は、ただ酒色あるのみであったろう。それらの欲望を遂げさせてもらえるならば、千金をなげうっても|吝《お》しまぬふうがかれらにはあった。  これらの上客を手ぐすね引いて待っているのが、島でたった一軒の青楼錨屋であった。こうして錨屋は|女《じょ》|郎《ろ》|屋《や》としても大いに|儲《もう》けたが、そこはたんなる女郎屋ではなく問屋をもかねていた。あらかじめ北前船のほしがりそうな、綿、布、糸、針、その他小間物類を買い集めておいて、北前船の積荷と物々交換するのである。  北前船の積荷のなかには、|船《ふな》|主《ぬし》から託された代物ばかりではなく、船頭たちがめいめい金を集めて買いしめてきた代物もまじっていた。これはある程度船主からも認められていたことで、それを|帆《ほ》|待《ま》ちといったという。帆待ちに関するかぎり船頭たちは金主であり、おのれの好きなときに売りさばき、好きなものを仕込んでかえって儲けるのである。したがって、北前船では船頭たちはたんなる労働者ではなく、あるていど資本家でもあった。  錨屋の代々の主人がねらったのはそこであり、酒色をもってかれらの歓心を買い、しかもかれらの持ってきた帆待ちをねらって大いに儲けた。なかなか抜けめのない商法だが、これを要するに、刑部島は下津井のおこぼれにあずかって生計を立てていたのである。だから下津井が盛んだったころは島も栄えたが、下津井が衰微していくにしたがって、島も衰えたのであると磯川警部は説明した。 「そうじゃけんな、むこうへいたらよう気いつけておみんさい。うらぶれた感じがどこか下津井に似てるとおみんさい」  船着き場で島の人びとと別れた金田一耕助は、なるほどと心に|頷《うなず》きながらただひとり、ボストンバッグを片手にぶらさげ、とかく潮風に吹きとばされそうになるお釜帽を、片手でしっかりおさえて歩きながら、それとなくあたりのようすを観察している。  当然のことといいながら、船着き場の付近に人家は密集していた。それらの多くは漁師の家だったのだろうが、いまは空家になっているのではないかと思われるのがままあった。しかし、磯川警部の言葉とは反対に、そのあたり人の|往《いき》|来《き》があわただしく、わめきちらす声にも活気があふれているのは、越智竜平のはからいで、かつて離島した人びとが、いっせいに里帰りしてきたせいであろうか。このへんを|小《こ》|磯《いそ》といい、その西にある大磯に海水浴場があるらしい。  金田一耕助の懐中には鉛筆をはさんだノートがあるが、そのノートのあいだに、磯川警部にかいてもらった刑部島の略図がある。かんたんな地図だから、いちいち取り出してみるまでもなく、金田一耕助の頭にはしっかりたたみこまれている。地図によると|新《しん》|在《ざい》|家《け》というのが、刑部島の銀座通りというところらしい。両側に二十軒ばかり、小磯で見かけた家々とはちがって、いくらか小ましな人家が並んでいるが、そのなかに金田一耕助の目差している錨屋があった。  錨屋には昔の武家屋敷によく見かけられた|長《なが》|屋《や》|門《もん》を、小規模にしたような門があり、門の扉がひらいていたので、そこから玄関まで見通しであった。門の左右にある二階建ての部屋部屋は、昔遊女が荒くれた船頭たちをあいてに、愛欲変相図を展開したところであろう。二階も階下も細い格子がはまっているのは、遊女の逃亡を防ぐためであろうか。  船着き場から金田一耕助と抜きつ抜かれつしながら歩いてきた、薄茶色のジャンパーに、肩から胴乱をぶらさげた若者が、錨屋のまえまでくると足をとめて、あたりの構えを見ていたが、やがて長屋門のなかへはいっていくのを見て、金田一耕助はおもわず目をそばだてた。旅人宿へはいっていくところを見ると島のものではないとみえる。そういえば船のなかでも島の人びとの|喧《けん》|騒《そう》のなかにくわわらず、ひとり圏外にあってかれらの会話に耳をかたむけ、かれらの顔色をうかがうふうがあった。  長屋門から数メートルはいったところに、昔の青楼をおもわせる広い玄関があり、格子のはまったガラス戸が左右にひらいていた。若者がはいっていくと、奥から年老いた女中らしき女があらわれて、広い板の間に手をつかえた。若者はふたこと三言その女と話していたが、そのまま靴をぬいで板の間へあがっていった。  この過疎の島に、いったいどういう用件が、あるのだろうかといぶかりながら、金田一耕助はそこを通り過ぎた。|陽《ひ》はまだ高いのである。錨屋で旅装を解くまえに、いちおう島の目ぽしいところを見ておこうと思ったからである。どうせ荷物といっても、古ぼけたボストンバッグひとつなのだから。  錨屋の隣りに古い土蔵があった。錨屋とおなじ錨のマークがついているところをみると、これも錨屋の持ちものなのだろう。おそらく問屋としての錨屋が所有していたもので、かつてはそこに|鰊《にしん》のシメ|糟《かす》がいっぱい詰まり、その繁栄を誇ったことだろうが、いまは見るかげもなく|漆《しっ》|喰《くい》は|剥《は》げ、白壁は落ち、下塗りの荒壁の下からむざんにこまいがのぞいている。屋根のうえにペンペン草がそよいでいるのも、下津井で見た風景とおなじで、老残のすがたが痛ましかった。  あたりを見まわすと、そこに八百屋があり、雑貨屋があり、酒屋があり、洋品店も見受けられたが、どこにも人影が見られないところも下津井と同様だった。洋品店を|覗《のぞ》いてみると無人の店の奥まったところで、テレビの画像がかってに動いているのも|虚《むな》しかった。  新在家を離れると道は|爪《つま》|先《さき》|上《あ》がりになっていて、両側は段々畑になっているが、いまはもう耕す人もないらしく、荒廃するままにまかせてあるようだ。思うに亭主は漁業に従事し、畑仕事は女房の役目だったのだろうが、一家をあげて離島したので、畑地もそのままうっちゃらかしてあるのだろう。そのだんだん畑のあちこちに、粗末な家が点在しているが、道のすぐかたわきにある家を覗いてみると、明らかに無住であった。ほかの家々もおそらくおなじことだろう。金田一耕助はなぜか|溜《た》め息がでた。  この島は東西が四キロ、南北が三キロくらいの、ほぼ長方形をなしており、港は北側、すなわち水島コンビナートのほうにむかって開いている。そして南の|端《はず》れが海面から一〇〇メートルほど隆起しており、そこから北へむかって急角度に傾斜している。この|兜山《かぶとやま》と新在家をつなぐ道を地蔵坂といい、その坂の急なるあたりを地蔵峠というのであると、磯川警部のかいてくれた島の略図には|誌《しる》してある。坂は島のほぼ中央部を|迂《う》|回《かい》しながら、しだいに急になってくる。道は自動車がやっとすれちがえるくらいの幅員をもっており、感心に舗装されていた。  地蔵坂といい、地蔵峠という名は日本全国に何十か何百かあるそうだが、この島のその坂にも|名詮自性《みょうせんじしょう》、両側に点々として大小さまざまなお地蔵様が鎮座ましますが、首にかけた赤かるべき|涎掛《よだれか》けも、いまはもう掛けかえてくれる人もないのか、|埃《ほこり》にまみれて白く薄汚れているのも物悲しい。  そのお地蔵様のかずがにわかにふえてくるあたりから、坂は急になってくる。いよいよ地蔵峠にさしかかるのだろう。道はそこでふた|股《また》にわかれており、舗装道路が地蔵峠とわかれて南東へむかって走っている。その道を進むと竜平がこんど新しく建てた豪邸に突き当たるはずである。金田一耕助は「右かぶとやま、左じぞうだいら」と彫った石の道標のそばにたたずんで、しばらく左のほうを眺めていた。  竜平の建設しているというゴルフ場が、そこにはろばろと緑のひろがりを見せている。なるほどここははじめから屈強のゴルフ場だったにちがいない。ゆるやかなスロープが目路もはるかにひろがっていて、そのさきに瀬戸内海のエメラルド・グリーンが望見される。コースによってはそこを往き交う船をながめながら、ゴルフを楽しむことができるのである。すぐ足下にクラブ・ハウスらしき建物がみえ、その隣りにホテルらしき二階建ての洋館が、いまや外装に追われているようである。ゴルフ場はもう完成にちかいのではないか。自動車やトラックがあちこちをうごめいている。  金田一耕助はまた溜め息が出た。  なるほどここは本土に近い。下津井からでもわずか八分くらいの距離である。もし水島から船が出るとするともっと近いのではないか。ここに完備したゴルフ場ができれば、倉敷や岡山、あるいはもっと遠く神戸大阪からでも、ゴルファーを誘引できるのであろう。近い将来には|博《はか》|多《た》新幹線も開通するという。  越智竜平のやることだから、そこに抜け目のあろうはずがない。採算のとれる見通しは十分ついているのだろう。しかし、竜平がこの島に|莫《ばく》|大《だい》な投資をするのはたんなる商売気だけだろうか。  金田一耕助はゆくりなくもさっき松蔵の口から聞いた竜平の、昔の秘めごとを思い出していた。戦争中竜平は若き日の巴御寮人と駆け落ちしたことがあるという。それをいとこの吉太郎の裏切り行為から、追手につかまり島へ連れ戻されたところまではよいとして、それからまもなく赤紙がきたという。いったい網元の|末《まつ》|裔《えい》にうまれた竜平は、島にとって|必《ひっ》|須《す》の人物として、徴兵も徴用も免除になっていたはずである。それがにわかに召集されたのは、刑部大膳の画策によるものであろうと、当時島ではもっぱら評判だったという。そのときの竜平の胸中は察するに余りあるものがあるように思われる。  しかも、終戦後復員してみると、巴にはれっきとした婿養子ができていた。おそらく竜平の|腸《はらわた》は煮えくりかえるようなものがあったろう。婿養子の守衛という男がどんな男か、金田一耕助はまだ知らないけれど、かれとても巴の駆け落ち一件は知っていたにちがいない。いわば|疵《きず》|物《もの》である。そういう娘と夫婦になることを|諾《うべな》ったとすれば、そこになにか交換条件があったにちがいない。  竜平と巴は五つちがいだったという。すると巴はいま三十九歳になるはずだが、守衛はもう五十だという。ずいぶん年齢のちがう夫婦だが、それもおそらく大膳に強要されて、巴も首を縦にふらずにいられなかったのであろう。  どちらにしても刑部大膳というじさまは、越智竜平にとって|不《ふ》|倶《ぐ》|戴《たい》|天《てん》の|仇敵《きゅうてき》ともいうべき人物である。しかも、いっぽう竜平の邸宅はもうできあがり、叔母の越智多年子という女性が家事取り締まりをやっているという。おそらく若いお手伝いさんもいることだろう。それにもかかわらず竜平は、なぜじぶんをそこへ世話しようとはせず、不倶戴天の仇敵ともいうべき刑部大膳に紹介状を書いたのか、いや、それよりもこの大土木工事の真意はどこにあるのか。  金田一耕助はまた溜め息を吐き出すと、ボストンバッグをぶらさげたまま、地蔵峠を登りはじめた。しばらくいくと左側がちょっとした平地になっており、そこにたくさんな墓石が並んでいた。この島の墓地なのだろう。磯川警部の話によると、かつてはこの島にも寺があったのだけれど、島が過疎化するにつれて住職の生活がなりたたず、久しく無住になっていた寺のあとへ、越智竜平の家が建っているのであるということであった。  この墓地の入口に小さなお堂があり、正面に斜に組んだこまかな格子が張ってある。金田一耕助がなにげなく覗いてみると、薄暗い堂の正面の板壁一面にえがいてあるのは、血の池地獄に針の山、地獄変相図である。地獄におちた亡者どもの責め|折《せっ》|檻《かん》を受けている図が、これ以上の残酷さはあるまいと思われるような筆使いで、ことこまかに描かれている。かつては毒々しい|泥《どろ》|絵《え》の|具《ぐ》でかかれていたらしいその地獄絵も、いまはもう|色《いろ》|褪《あ》せているけれど、それでもなおかつ見るものをして、ゾーッと寒気立たせるようなところがあると思ったのは、金田一耕助がいま不吉な予感に|怯《おび》えているせいであろうか。  かれは急いでそこを離れると、足をはやめて坂を登りはじめた。坂の両側には依然として、石の地蔵尊が点々として鎮座まします。その地蔵尊が姿を消したあたりまで登ってくると、右手にあたって杉木立ちのあいだから、神社の屋根らしきものが見えてきた。おそらく刑部神社なのだろう。  しばらくいくと|社《やしろ》へのぼる石段があった。しかし金田一耕助はそちらのほうへいかずに、石段の下のゆるい傾斜をゆっくりとのぼりはじめた。磯川警部のかいてくれた略図によると、|落人《おちうど》の|淵《ふち》は社の背後にあたっている。金田一耕助はなにをおいても、まずそこを見ておきたかったのである。  石段にそってごろた石をたたみあげた高い|崖《がけ》がある。崖にはいっぱい|苔《こけ》がむしていて、そのあいだから|羊歯《しだ》の類がいちめんに生えている。さっきの石段もそうだったが、この崖などもそうとう古いものである。社を建てかえたのは越智竜平かもしれないが、その結構は昔からあったものだろう。ゆるい傾斜をのぼって崖の背後へまわると、|豁《かつ》|然《ぜん》として眼界がひらけた。そこは百畳敷きくらいの舞台になっていて、いちめんに|楢《なら》だの|櫟《くぬぎ》だのが茂っている。そして、そのむこうには明るい瀬戸内海の海がひろがり、となりの島々が指呼の間にうかんでいる。土地の人がとが千畳敷きと呼んでいるところである。金田一耕助は一歩そこへ踏みこんだ。  さっきの崖とおなじように、千畳敷きのうえにはいちめんに苔がむしていて、そこを歩くとき質のよい|褥《しとね》のうえをいくような|足《あし》|触《ざわ》りを覚える。頭上にはいちめんに楢や櫟の葉が交錯して陽の光りをさえぎっているので、草も生えないのであろう。この千畳敷きの片隅に巨石がいくつか並んでいた。数えてみると七つある。ちょうど人間が|坐《すわ》っているくらいの大きさで、輪になってなにかを評議しているようにみえる。ここから入水した平家の侍七人を形取ったもので、土地の人はこれを七人塚とよんでいるという。楢の木陰になっていて、どの石にも苔が青々とむしている。その崖下が落人の淵だろう。  金田一耕助は|爪《つま》|先《さき》|立《だ》った歩きかたで、おそるおそるその崖ぶちまで近づいてみた。一歩一歩足下に海がせりあがってくるようなので、とても直立しては歩けない。崖ぶちまで近づくと金田一耕助はとうとう四つん|這《ば》いになった。こんなとき二重廻しというやつが、いたって邪魔っけになるのだが、不精者のかれはそれを脱ぐ才覚もないらしく、よれよれの袴といっしょに引きずっている。さいわいどこもかしこもいちめんの苔なので、泥によごれる心配はない。  やっと崖っぷちまで這いよった。金田一耕助はボストンバッグを胸に抱き、片手でお|釜《かま》|帽《ぼう》をおさえながら、腹這いになったまま崖っぷちから下を覗いてみたが、なるほどここから落ちたら命はないと思わざるをえなかった。いくらか傾斜がついているとはいうものの、ほとんど垂直といってもいいくらいの|急勾配《きゅうこうばい》で、|断《だん》|崖《がい》は七、八〇メートル下まで落ちていて、そこが淵になっているというのは、崖の|麓《ふもと》に巨大な岩が突出していて、それがアーチ形に|抉《えぐ》られているかららしい。  あなや!  金田一耕助はとつぜん危険を感じて身をすくめた。腹這いになったまま二メートルほどあとへ飛びさがると、ボストンバッグを|小《こ》|楯《だて》にとって、ドキンとしたように背後を見た。身近になにかものの動く気配を聴いたというより、本能的に感じたからである。振り返ってみると吉太郎であった。  輪になった七つの石の、いちばん金田一耕助に近いやつに手をついて、吉太郎はまじまじとこちらを|睨《にら》んでいる。狭い額、迫った|眉《まゆ》の下に|獣《けだもの》のような目が凶暴に光っている。  金田一耕助は全身に|鳥《とり》|膚《はだ》の立つような恐怖をおばえながら、いそいで苔のうえに立ち上がった。|彼《ひ》|我《が》の距離五メートル、あたりにはだれもいないし、だれの目もない。千畳敷きのそのあたり、楢と櫟の葉におおわれて、だれの目もとどかないのである。|森《しん》|羅《ら》|万《ばん》|象闃《しょうげき》として声なく、あいにく沖には通りかかる船もない。  一瞬、二瞬、睨み合いがつづいている。まさかこいつおれを崖下へ突き落とすつもりではなかったろうなと、そう考えると|腋《わき》の下から冷たい汗が吹き出した。だがそう考えるしたからかれはじぶんでじぶんをたしなめる。いけない、いけない、そういう先入観を持つことがいちばんいけないことなのだ。…… 「吉太郎くんだったね」  金田一耕助はできるだけほほえもうとしたが、残念ながらその微笑は|頬《ほお》のうえでこわばった。上目づかいにこちらを見ている相手の目が、いくらか|怯《ひる》んだように見えた。 「ここで会ったのは幸いだった。あんたにひとつ頼まれてもらいたいことがあるんだが……」  金田一耕助はまたほほえんだ。こんどはほんとうに微笑がでた。その証拠には頬の筋肉がゆるんで、例の人懐っこいニコニコ顔が浮かんでいる。  相手は警戒するような目でまじまじとこちらを|視《み》|詰《つ》めている。元来島で生まれて島で育った人間というものは外界を知らないから、外来人を見るとひどく警戒するのであろう。獣のような凶暴な目ということは、裏をかえせば獣のように|臆病《おくびょう》な目ということになるのだろう。 「きみ、吉太郎くん、すまないが錨屋の大旦那のところへ、ひとっ走り使いにいってくれないか」  金田一耕助は二重廻しのまえのボタンを外し、|懐《ふところ》から部厚なノートを取り出した。ノートのあいだには例の封書がはさんである。越智竜平から刑部大膳へ|宛《あ》てた紹介状である。かたくなに沈黙を守っている吉太郎は、さすがに封筒の宛て名と差し出し人の名前を見ると、ギョッとしたように金田一耕助の顔を視直した。 「そう、そこに金田一耕助持参とあるだろう。その金田一耕助というのがぼくなんだ。さっき錨屋のまえを通ったのだけれど、まだ陽が高かったもんだから、そのまえに島を見物しておこうと思ってね。日暮れごろまでにはお伺いすると、そう申し上げておいてくれないか」  吉太郎はその封書と金田一耕助の顔を見くらべながら、うさん臭そうな顔色だったが、そのとき背後の崖のうえからとつぜん聞こえてきたのは琴の音である。ふたりは反射的にそのほうへ目をやった。ごろた石でたたみあげた崖は高さ五メートルくらいもあろうか。その崖のうえにみえるのは刑部神社の背後であろう。琴の音はそこから聞こえるのである。  琴の音は一面、二面、三面である。はじめは調べをあわせるような音色だったが、やがて呼吸があったのか正式な弾奏がはじまった。|箏曲《そうきょく》に|造《ぞう》|詣《けい》のうすい金田一耕助のことだから、曲の名はわからなかったけれど、よくハーモニーされていると思ったつぎの瞬間、それに|嫋々《じょうじょう》たる尺八の音がまじってきた。  それを聴いたとたん吉太郎は文字どおり苔のうえでとびあがった。 「あいつが……?」  と、疑わしそうに口のうちで|呟《つぶや》いて、 「まさか……」  と、物問いたげな目で金田一耕助の顔を凝視していたが、急にくるりと|踵《きびす》をかえしたとみるや、封書をわしづかみにしたまま、いちもくさんに千畳敷きの林のなかを駆け抜けて、金田一耕助がさっきやってきた崖下の道へ姿を消した。そのとたん刑部神社の屋根にとまっていた|烏《からす》が二羽、|唖《あ》|々《あ》と鳴きながら飛び立った。  金田一耕助がこの島へ上陸してから、烏の声を聞くのはこれがはじめてではない。船着き場にはいっぱい烏が飛び交っていたし、地蔵坂から地蔵峠をのぼってくるあいだも、たえず烏が頭上を飛んでいった。ずいぶん烏の多い島だと思ったけれど、あとでわかったところによると、烏は刑部神社の使わしめなのだそうである。だからこの島では烏を殺したり、捕獲したりすることはいっさい禁じられているという。  金田一耕助は林のなかに立って、しばらく琴の音を聞いていた。弾いているのはだれだろうか。巴御寮人なのだろうか。いや、いや、琴の音は一面ではない。二面、三面……たしかに三面のようである。と、すると、巴御寮人とふたごのきょうだい|真《ま》|帆《ほ》|片《かた》|帆《ほ》なのだろうか。それにしても尺八のぬしはだれなのか。  吉太郎が、 「あいつが……?」  と、疑わしげに口のうちで呟き、 「まさか」  と、打ち消していたところをみると、よほどそれは意外な人物なのだろう。おそらくかれは金田一耕助よりひと足さきに刑部神社へ寄ってみて、そこに客のあることを知ったのだろう。しかも、それはおよそ尺八などに縁のなさそうな人物にみえたにちがいない。いったいその客とは何者だろう。  金田一耕助はしばらく琴と尺八の合奏に耳をすましていた。さっきもいったとおりこういう種類の邦楽には、いたって造詣のうすい金田一耕助だけれど、さっきはからずも吉太郎と相対して、緊迫した一瞬を経験したあとだけに、なんとなく心が和む思いであった。  かれは足下のボストンバッグを取りあげて、ゆっくりと林を抜けると千畳敷きを出ていった。  刑部神社へあがる石段はちょうど二十段あった。石段の左右についている御影石の|手《て》|摺《す》りの柱には、一本一本奉納者の名が彫ってある。ほとんどが刑部姓のものだったが、なかには下津井の住人と肩書きのついたものもある。と、いうことは、この石段は下津井がまだ盛んだった江戸時代からあるものだろう。  石段をあがると古い石の鳥居が立っており、左右に|狛《こま》|犬《いぬ》がすわっている。鳥居も狛犬もそうとう年代ものである。鳥居をくぐると境内はそうとう広く、まず取っつきの左側に|神《み》|輿《こし》|蔵《ぐら》があるが、ここからが越智竜平の寄進によるものだろう。蔵も新しかったが、なかに納まっているはずの神輿もこんど竜平が寄進したものだそうである。  神輿蔵のつぎに絵馬堂があり、なかを覗くと絵馬や|扁《へん》|額《がく》は古いものだが、堂そのものは新しかった。扁額には|北《きた》|前《まえ》|船《ぶね》らしい和船をかいたものが二、三あり、これは北国の船主が奉納したものだろう。絵馬のなかには|賽《さい》|子《ころ》や花札に大きな南京錠を掛けた図があるが、これはおそらく|博《ばく》|奕《ち》|好《ず》きの|亭《てい》|主《しゅ》を持った女房が、博奕から手が切れますようにと願をかけたものだろう。酒という字と女という字に南京錠を掛けた絵馬もある。みんなずいぶん古いものだが、これらの絵馬を見ていると、昔の漁師の生活がうかがえるようである。  絵馬堂の奥に拝殿があり、拝殿から右へ廊下がつづいていて、そこに社務所の看板のあがった建物がある。琴と尺八の合奏がその社務所の奥から聞こえるところをみると、そこが宮司一家の住居にもなっているのだろう。この社務所からさらに右へ廊下がつづいていて、そこに|神楽《かぐら》|殿《でん》が前面にせり出していた。  全体として小ぢんまりとした作りだが、それでも|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》まで木の香も新しく、ずいぶん大きな出費だったと思われた。拝殿の切妻屋根の|鬼瓦《おにがわら》には、はたして二つ|巴《どもえ》の紋が彫ってある。  金田一耕助はひととおり外回りを見て歩くと、境内の北の|端《はず》れへ出てみた。そこからだと島のほぼ全容が見渡せる。杉木立ちの|梢《こずえ》をこえて右下に広がっているのがゴルフ場である。|遥《はる》か下に人家がひとかたまりになっているのは|新《しん》|在《ざい》|家《け》だろう。波止場のなかには越智竜平の自家用|汽艇《ランチ》とヨットが小さくゆれている。地蔵坂の中腹を小走りに駆けおりていく吉太郎のうしろ姿がみえたので、金田一耕助はおもわずほほえんだ。あの男の目にはじぶんはなんと映じたことだろう。相変わらずおびただしい烏の群である。  琴と尺八の音はもうやんでいた。しばらくすると社務所のガラス戸がなかから開いてだれか出てくるようすである。うしろむきに出てきた男の背中を見て、金田一耕助はおもわず大きく目を|視《み》|張《は》って、あわててかたわらの|石《いし》|燈《どう》|籠《ろう》のかげに身をかくした。男のシャツの背中には、  I WILL DO EVERYTHING ONCE  と、染め出してある。  このあいだ|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》であった若者にちがいない。あのときは大きなリュックを背負っていたので、背中の文字は見えなかったけれど、胸には、  I WILL SEE EVERYTHING ONCE  と、染め出してあるにちがいない。  一度はなんでも見てやろう。一度はなんでもしてやろうか。それにしてもいつ、なんのためにこの島へやってきたのだろう。一度はなんでも見、なんでもしてやろうというスローガンのせいなのか。  その若者がうしろむきになって出てきたのは、手にカメラを構えているからである。若者のあとにつづいて三人の女性が出てきたが、そのなかのひとりを目にしたとき、金田一耕助は全身に電流を通じられたような、はげしいショックを感じずにはいられなかった。  金田一耕助の計算によると、巴御寮人はことし三十九歳になるはずだが、こう見たところ三十そこそこにしか見えなかった。左右にしたがえたふたごの姉妹、真帆片帆の母とはどうしても思えない。三人とも長い髪をうしろに垂らして、薄いピンクのブラウスに、濃い朱色のスラックスというお|揃《そろ》いの姿だったが、それが金田一耕助に|巫女《みこ》を連想させた。  それにしても巴御寮人の姿を見たとき、金田一耕助はなぜ激しい|戦《せん》|慄《りつ》を感じたのか、相手があまりにも美しかったからである。磯川警部もいっていたとおり、一卵性双生児であるところの真帆片帆は、|瓜《うり》ふたつほどよく似ていて美しい。しかし彼女たちの母なるひとの美しさは、それをはるかに超えていた。  妙な|比《ひ》|喩《ゆ》だが天の岩戸がぽっかり割れて、なかから太陽の女神が出現ましましたときもかくやとばかり、あたりが明るくなったと思われるほどの美しさだった。  巴御寮人は神々しいばかりに美しいのみならず、また小娘のごとく悩ましくもあどけない。  それにしても尺八を吹いていたのはだれなのか。  金田一耕助は目を皿のようにして、巴御寮人たちの背後を注視していたが、だれもあとから出てくるものはなかった。金田一耕助の|脳《のう》|裡《り》をそのときまたさっとかすめてとおったのは、 「あいつが……?」  と、いう吉太郎の疑わしげな呟きと、 「まさか……」  と、それを打ち消すような舌打ちである。  それではいままで尺八を吹いていたのは、このなんでも見てやろう、なんでもしてやろうという若者だったのか。  金田一耕助の目にふかい驚きと|猜《さい》|疑《ぎ》の色がかぎろうている。     第七章 若者ふたり      一 「金田一さんはきのう巴御寮人にお会いんさったそうですな」 「はあ、ちょうど|三《み》|津《つ》|木《き》|五《ご》|郎《ろう》くんが、巴御寮人とふたりのお嬢さんの、写真を撮ろうとしているところへいきあわせたもんですからね。これさいわいといわんばかりに三津木くんに頼まれて、四人の記念撮影のシャッターを切らされましたよ」  金田一耕助は人なつっこい微笑をうかべて、 「それにしても巴御寮人はおきれいですね。神々しいばかりに美しくていらっしゃる。あなたはあのかたの、大叔父さまに当たられるんだそうですね」 「はあ、御寮人の母の母、つまり御寮人の祖母の|瑠《る》|璃《り》というもののところへ、わたしのふたごの兄の|天《てん》|膳《ぜん》というものが、婿養子にいったもんですけんな」 「旦那はふたごにおうまれになったんですか」  金田一耕助はおどろいたように相手の顔を|視《み》|直《なお》したが、大膳はケロリとして、 「そう、兄が天膳でわたしが大膳、一卵性双生児というやつで、瓜ふたつにうまれついてな。よう人に取りちがえられたもんです」 「そのお兄さまは……」 「とっくの昔に亡くなりましたよ。人はよく一卵性双生児というもんは、顔かたちが似てるばかりではなく、運勢までおなじようにいうが、そうとばかりはいかんもんでな。もっとも兄は海難事故でしたけれど」 「海難事故とおっしゃると?」 「釣りが好きな人でしてね。神主の仕事の|閑《ひま》なときにはよく沖に舟をうかべて、釣り糸を垂れていたもんですけえど、それが突風に襲われて舟が転覆してしもうて……船頭もろとも|溺《おぼ》れ死んでしもうたんですな」 「それいつごろのことです」 「もうかれこれ五十五年になりますか。おたがいに二十五の年ですけんな」 「失礼ですが、旦那はお幾つでいらっしゃいます」 「わたしは明治二十年うまれじゃけんな、ことし幾つになるか勘定してみてつかあさい」  |刑部《おさかべ》大膳はニコニコ笑っている。金田一耕助はじぶんの年から勘定してみて、 「すると、八十におなりになるんですね。それにしてはずいぶんお元気でいらっしゃる」  それは決してお世辞ではない。  刑部大膳、上背もあり、肉付きもよく、骨組みなどもがっちりしている。立居振る舞いにもヨボついたところはみじんもない。頭は短く刈っているが、目鼻立ちもかっきりと大きく、それに|膚《はだ》の|色《いろ》|艶《つや》のよいところなど、とても八十の老人とは思えない。磯川警部もいっていたが、カクシャクという文字を地でいっているような老人である。 「こんなかっこうで堪忍してつかあされや」  と、冒頭からあやまっていたが、下半身には麻の|股《もも》|引《ひ》きのようなものを|穿《は》き、上半身には前をあわせて腰のところで|紐《ひも》で結ぶようになっている、これまたすずやかな|甚《じん》|平《べい》のようなものを着ている。初対面の客に会うにはずいぶん失礼ないでたちだが、このじさまだとふしぎに板についている。だいいち相手にくつろぎをあたえる。それがこのじさまの配慮かもしれない。  昭和四十二年七月二日の午前十時。きのうとはうってかわって空はカラッと晴れあがっていて、それだけに気温も高い。金田一耕助もひとえに着かえ、|夏袴《なつばかま》に威儀をただしているつもりだが、|雀《すずめ》の巣のようなもじゃもじゃ頭はあいかわらずである。  そこは|錨屋《いかりや》の階下にあるお帳場である。開けっぱなした障子の外はすぐ海で、海上数キロのところに水島コンビナートの煙がみえる。そのあいだを往き交うのはさまざまな種類の船である。四国との連絡船もあれば砂利船もある。帆をかかげて走るのは|下《しも》|津《つ》|井《い》あたりの漁船であろうか。天気がよいのでなにもかもがさわやかにみえるが、しかし、|長《なが》|火《ひ》|鉢《ばち》をあいだに|挟《はさ》んで相対しているふたりの胸中はどうであろうか。  きのう金田一耕助が巴御寮人たちの記念撮影の、シャッターを切らされたというのは|嘘《うそ》ではない。  あのなんでもしてやろうくんが、拝殿の|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》のまえへ、巴御寮人を中心に、左右に真帆片帆のふたごの姉妹を|侍《はべ》らせて、いろいろポーズに注文をつけたのち、シャッターを切ったところで、金田一耕助はつと|石《いし》|燈《どう》|籠《ろう》のかげから出た。こちらをむいて立っていた三人の女性が、いちように驚きの目を|視《み》|張《は》ったので、カメラを持った若者もうしろを振りかえって金田一耕助を見た。はたしてこのあいだ|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》で会った若者だった。シャツの胸に、  I WILL SEE EVERYTHING ONCE  と、染め出してある。  相手もすぐ金田一耕助を思い出したらしい。金田一耕助が驚いたとどうように相手も驚いたらしく、しばらくうさん臭さそうにもじゃもじゃ頭を見ていたが、すぐ持ちまえのさわやかな笑顔になった。笑うと八重歯が印象的で、それがこの若者のチャーム・ポイントになっているらしい。 「おじさん、おじさん、ちょっとこちらへきてください」  金田一耕助はこの若者の無邪気さというか、図々しさに|呆《あき》れながら、それでも石燈籠のそばを離れた。そばまでいくと、 「おじさん、お願い。ぼくこの人たちと記念撮影をしたいと思っていたところなんです。すみませんが、シャッターを切ってくれませんか」  もういちどファインダーを|覗《のぞ》くと、むりやりにカメラを押しつけた。 「きみ、そのまえにこの人たちに紹介してくれなきゃいけないじゃないか。そうそう、自己紹介をさせてもらおう。ぼく金田一耕助、まあ、東京からやってきた風来坊みたいなもんだと思ってくれたまえ。今夜から錨屋さんにお世話になるつもりだ。きみは?」 「ああ、失礼しました。ぼく三津木五郎、神戸からきた風来坊です。それからあちらのお三人さんのうち、まんなかにいらっしゃるのが巴御寮人、宮司さんの奥さんです。それからむかって右が真帆ちゃん、お姉さんのほうです。左が片帆ちゃん、妹さんですね。では、金田一さん、お願いします」  と、とうとうカメラを押しつけると、 「ぼく、お母さんと並ばせてください」  と、巴御寮人と真帆とのあいだに割ってはいって、すましかえってポーズをつける。  金田一耕助はこの若者の図々しさに呆れながらも、ファインダーを覗いてみて、 「ああ、みんな御寮人さんを中心に、もうすこし寄ってください。そうそう、五郎くんは真帆さんの肩に手をおいたほうがいいんじゃない? そうそう、御寮人さんは片帆さんの肩に手をおいてください。みんなカメラのほうを見てニッコリ笑ってください。じゃ撮りますよ」  ファインダーをとおしてみて、金田一耕助は巴御寮人の高貴なばかりの美しさに、いよいよ驚嘆せずにはいられなかった。金田一耕助の指示どおり彼女はかるく片帆の肩に手をおいて、ニッコリと微笑をうかべている。島にうまれ島よりほかに知らぬものは、外来者にたいして警戒心が強いのがふつうだというが、巴御寮人は持ってうまれた無邪気さとあどけなさから、警戒心より好奇心のほうが強いのかもしれない。  その巴御寮人と肩すりよせるように並んだ若者は、これまた邪気のない顔で笑っている。  しかし年若い真帆片帆はさすがにそうはいかなかった。ふたりは明らかにこのなれなれしい若者を警戒しているのである。いや、とつぜん出現した金田一耕助をより以上に警戒しているのかもしれぬ。笑えといっても笑えるものではなく、ふたりともムッツリと怒ったような顔をしている。なるほど、瓜ふたつとはこのことか、レンズをとおして眺めてみても、どちらがどちらともわからないほどよく似たふたごだ。  金田一耕助はもう一度、 「真帆さんも片帆さんもニッコリして……」  しかし、ふたりとも怒ったような表情はかえなかった。  金田一耕助はしかたなく、 「じゃ、撮りますよ」  と、いいながらシャッターを押した。 「ありがとう、金田一さん。ありがとう、お母さんも真帆ちゃんも片帆ちゃんも。焼き付けができたらすぐ持ってきます」  五郎は金田一耕助の手からカメラを受け取りながら、三人の女性にニコニコと|愛嬌《あいきょう》をふりまいている。この記念撮影から解放された三人の女性のうち、まずまっさきに片帆が社務所のなかへ逃げ込んだところをみると、彼女がいちばん腹にすえかねていたらしい。それに反して真帆のほうはいくらか気兼ねをしているのか、うすく愛想笑いをうかべながら、だれにともなく頭をさげると、片帆のあとを追って社務所のなかへはいっていった。最後まで残ったのが巴御寮人であるところをみると、彼女がいちばん無邪気で、およそこだわりというものを知らぬ性格らしい。あどけない顔でニコニコしながら、 「では、五郎さん、写真ができたらみせてくださいね」  それから金田一耕助にむかってにこやかな会釈を送ると、ふたりの娘のあとを追って、社務所のなかへはいっていった。五郎もすぐそのあとについていくと、社務所のなかから細長いビニール製のバッグを持って出てきた。  うしろ手にガラス戸を締めながら、内部にむかって|挨《あい》|拶《さつ》をしている五郎の肩越しに、なにげなく社務所の玄関を見ていた金田一耕助は、そこの壁に妙なものがぶらさがっているのが目にとまった。  |菅《すげ》|笠《がさ》と|蓑《みの》である。一種の室内装飾なのだろうが、いかにも|鄙《ひな》びて好もしいと金田一耕助が微笑している鼻先へ、五郎がニコニコしながら来て立った。 「さあ、いきましょう。金田一さんはこれから錨屋へいくんでしょう」 「ああ、そう、きみもあそこに泊まっているの」 「だって、島にはあそこしか泊まるところはありませんからね」 「きみはいつからこの島へきているの」 「いつか鷲羽山で会いましたね。あのつぎの日この島へ来てみたんですが、なんだかおもしろそうなので、そのまま|逗留《とうりゅう》しているんです」 「なんでまたこんな島へ……? なんでも見てやろう。なんでもしてやろうという、そのスローガンのせいなのかい」 「まあ、そういうことですね。この島のことは倉敷できいたんですが、来てみると|噂《うわさ》に聞いてきたよりもっとおもしろそうなんですね」 「ときに、きみ、そのバッグのなかになにがはいっているの」  金田一耕助は若者がぶらさげている細長いバッグに目をやった。 「ああ、これ? これ尺八。おじさんはさっき琴と尺八の合奏を聴きませんでしたか」 「じゃ、あの尺八はきみだったのかい。いまどきの若い人としては珍しく、風流なたしなみを持っているんだね」 「なあに、おやじのおしこみですよ」 「お父さんはなにをなさるかた……?」 「神戸で証券会社をやっていました。三年まえに胃|癌《がん》で亡くなるまではね」 「それはまた……きみのお父さんならまだ若かったろうに」 「それがそうでもないんですよ。ぼくはおやじの四十二の年の子どもだそうですから」 「そのお父さんに尺八のたしなみがおありだったんだね」 「はあ、おやじはもと職業軍人だったんだそうです。日本が戦争に負けるまではね。ぼくはまた日本が戦争に敗れた年にうまれてるんです。戦争に負ける少しまえにね」  そうすると昭和二十年の生まれということになり、昭和四十二年のことしでは数えどしで二十三歳、現代のかぞえかたでいえば二十二歳になるのだろう。  金田一耕助はなんとなく胸が騒いだ。  いまかれを|囲繞《いにょう》している人物は、みんな終戦前後に重大な経験を持っている。越智竜平と巴とは昭和十九年に駆け落ちをして、丹波の奥の温泉宿にひそんでいたという。そのとき竜平は金に困っていとこの吉太郎に手紙を書いたが、吉太郎は竜平の期待を裏切って、刑部大膳にふたりの駆け落ちさきを密告した。ふたりは大膳の放った追手につかまり連れ戻されたばかりか、その直後に竜平のところへ召集令状が舞い込んだという。  いっぽう下津井で殺害された浅井はるなる正体不明の|市《いち》|子《こ》は、その前後に刑部島にいたらしい形跡がある。しかも、その女は刑部島の住人の重大な秘密を握っており、それをタネに長年|恐喝《きょうかつ》をつづけてきたあげく、被恐喝者によって消されたのではないかというのが、磯川警部の胸にあたためている疑惑である。  浅井はるが下津井の自宅の|祈《き》|祷《とう》|所《しょ》で絞殺されたのは六月十九日の夜だが、その四日まえの六月十五日の午後二時頃、ヒッピーみたいな若者がはるの家へはいっていくのを、近所の主婦が目撃している。しかも、この主婦は三時間ののちにおなじヒッピーが、浅井はるの家から飛び出してきて、なにか気が狂ったようにわめきながら走り去るのをもう一度見ている。  ヒッピーのごとき現代の若者が、市子を訪ねるというのもおかしいし、どういう祈祷を受けたのかわからないが、三時間もかかったというのはよりおかしい。しかも、そのつぎの日に浅井はるは磯川警部に手紙を書いている。だからこのヒッピーが犯人でないにしろ、なにかしら事件の重大な|鍵《かぎ》を握っているのではないかという、磯川警部の推理考察も故なしとしない。  しかも、警部はいま金田一耕助と肩をならべて、地蔵峠から地蔵坂を下っていく三津木五郎なる若者を、そのヒッピーではないかと疑ったことがある。そのとき金田一耕助は、警部のあまりにも短見者流の観察に失笑したものだが、いまその青年がじぶんよりひと足さきに刑部島に出現しており、どういう手段をもちいたのかしらないが、巴御寮人やふたごの姉妹、真帆片帆と|款《かん》を通じているらしいところをみると、金田一耕助も警部の疑惑を短見者流と笑ってばかりはすまされないものを、強く感じずにはいられなかった。 「いまから二十二年まえ複雑な事情のもとに犯した罪の恐ろしさ。しかもその秘密を種にいままで生きてきた|業《ごう》の深さ」  と、浅井はるは磯川警部にあてた手紙のなかに書いている。いまから二十二年まえといえば昭和二十年、すなわち終戦の年である。そのことについて磯川警部はこういっていた。 「その年日本の主要都市がつぎからつぎへと、アメリカの|焼夷弾《しょういだん》攻撃にやられて大混乱におちいった。そのドサクサまぎれに、現代では想像もつかんような犯罪が演じられたんじゃありますまいか」  三津木五郎なるこの若者はちょうどそのころ生まれたという。金田一耕助はよっぽど、 「きみ、浅井はるという女性をしらないかね」  と、聞いてみようかと思ったが、かれはそれほど軽率ではなかった。そのことは磯川警部の職務の領分に属することである。その警部もまもなくこの島へやってくる。ここにこの若者がいることをしったら、警部はどういう感懐を持つことだろうか、それは警部にまかせておけばよいのである。  金田一耕助は全然別のことを聞いていた。 「きみはいつまでこの島へ滞在するつもりだね」 「まだハッキリ決めていないんですが、少なくとも六日、七日のお祭りがすむまではいたいと思ってるんです。なんでもことしのお祭りはとっても盛大のようですから」  五郎は金田一耕助の下心など全然気がつかないのか、それとも気がついていてわざとそう装うているのか、とても浮き浮きとした調子である。ちょうどそのころふたりは地蔵坂の中腹まで下ってきていて、|新《しん》|在《ざい》|家《け》の部落がすぐ眼下にみえている。相変わらずおびただしい烏の群れである。      二 「なるほど、元職業軍人だったお父さんが尺八を吹いていらしたんだね」 「父は陸軍士官学校時代から尺八をやっていたそうです。だから前線でも尺八を吹いていたそうですよ」 「きみはお父さんの四十二の年の子だといったね。すると兄さんや姉さんは……」 「いいえ、ぼくは一人っ子です。両親にとってとても遅い子ですから、それだけに可愛がられました、ことに父にはね」 「すると、お母さんがひとり神戸にいらっしゃるのかね」 「いいえ、その母も去年の暮れに死にました。三年まえに死んだ父のあとを追うように。父が亡くなったあと|怏《おう》|々《おう》として楽しまずで、よく四国の八十八か所巡りなんかやっていましたが、去年の暮れ流感から肺炎を起こし、それをこじらせて死んだんです。でも母は本望だったでしょう。とても仲のよい夫婦でしたから」  さすがに五郎の声も湿っていた。 「すると、神戸の証券会社は……?」 「それはこうです、うちの証券会社『三新証券』というんですが、それ三津木の三と|新《にっ》|田《た》の|新《しん》を組み合わせてあるんですね。つまり新田さんという人は戦争中、父の部隊に配属されてきた応召兵なんです。その人とても父の世話になった、いや、父に生命を救われたとかで、戦後失職して困っている父を、わざわざ|播州《ばんしゅう》まで迎えにきて、自分の共同経営者にしてくれたんですね。それが成功してメキメキ大きくなり会社組織にするとき、父を社長に仰ぎ、自分は、副社長に納まったんです。新田さんもやりてですが、父もなかなか出来る人だったようです。ぼくもいずれはその会社へはいることになると思いますが、そのまえに両親の|菩《ぼ》|提《だい》をとむらうために……というと古いかもしれませんが、母がよくしていたように、八十八か所巡りでもしようかと思って倉敷までやってきたところ、この島の噂を聞いたので、なんでも見てやろうというわけで、ここへ渡る気になったんです。これ、父の形見の尺八なんです」  五郎がたかだかと|捧《ささ》げた真っ白なビニール製のバッグには、SPORTING LIFEと染め出してある。金田一耕助はそれを横目に見ながら、 「きみ、なにかスポーツをやっているの」 「学生時代剣道をやってました。これも父のアドバイスです。父は五段だったんですが、ぼくはやっと二段です」 「学校はどちら……?」 「東京です。この春、卒業したんです」 「東京のどちら……?」  五郎は最高級の秀才でなければはいれない学校の名を挙げた。  二十二歳でその学校を卒業したとすると、一年も浪人しなかったということになる。よくよくの秀才なのだろうと感服していると、五郎が朗らかな声をあげて笑った。 「どうかしたの」  金田一耕助が振りかえると、 「おじさんは金田一耕助さんとおっしゃいましたね」 「ああ、そう」 「金田一さんは錨屋の大旦那とおなじようなことをお聞きになりますね。あの大旦那もぼくに根掘り葉掘り聞きましたよ。ぼくみたいな若いもんがこんな島へくるということは、そんなに珍しいことなんですかね」  この男はひょっとすると、じぶんのことを知っているのではないかと思ったが、金田一耕助はあえてそれに触れようとはしなかった。越智竜平から刑部大膳へあてた手紙には、じぶんの身分職業が書いてある。それに磯川警部がやってきたら、なにもかもわかってしまうだろう。自ら名乗りをあげるまでもないことだと思ったのである。  地蔵坂を下って新在家の手前までくると、さっきまで空家になっていた一軒の家に、人がはいって|釘《くぎ》を打つ音がきこえる。カマドの煙突から煙が立ちのぼっていた。何気なく振り返ってみると、雨戸のつくろいをしているのは、さっきこっぴどく吉太郎を|弾《だん》|劾《がい》していた松蔵である。カマドの下を|焚《た》いているのは細君だろう。庭先に女の子が立って、下の道をいく金田一耕助と三津木五郎をボンヤリ見ている。 「こんどの祭りには、だいぶ離島した人びとが帰ってくるようですね」 「そうらしいね」 「祭りの日にはお宮の境内から地蔵峠へかけて縁日の屋台が並ぶそうですよ。そうそう、|神楽《かぐら》|殿《でん》ではお神楽もあるそうです。|備中神楽《びっちゅうかぐら》というんだそうですね。ぼく楽しみだなあ。都会生まれの都会育ちのぼくには、なにもかも珍しいことずくめです」  五郎はどこまでも無邪気だが、それが本物なのか、それともそういうふうに装っているのか、金田一耕助にもそこまでは見抜けなかった。 「きみはいろんなことを知っているんだね。どっからそういう情報を入手したの。島へきてから知ったの」 「詳しいことはもちろん島へきてからですが、だいたいのことはこちらへくるまえから聞いてましたよ。倉敷のバーやクラブへいくとこの島の噂で持ち切りですよ。なんでも島出身の大富豪、アメリカがえりの成功者が、島を舞台に|大《おお》|博《ばく》|奕《ち》を打とうとしているんですってね。その人かつては石もて追われるがごとくこの島を出ていったんだそうですが、それだけにこの島に|莫《ばく》|大《だい》な投資をしているのは、なにか|復讐《ふくしゅう》をもくろんでいるにちがいないなんて、島の人びとも戦々|兢々《きょうきょう》ですよ。おもしろいな、まるでモンテ・クリストですね。名前はなんといったかな。ああ、そうそう、越智竜平氏……金田一さんはその人をご存じですか」  じつに巧妙な質問の切り出しかただと思った。金田一耕助はひと呼吸おいて、 「ああ、知ってる。ぼくはその人の紹介状を持ってこの島へきたんだから」  相手もしばらく無言でいたのちに、 「だれにあてた紹介状です」 「錨屋のご主人、刑部大膳さんだよ」  五郎はちょっと虚をつかれたらしく、ちらと流し目で金田一耕助を見ていたが、とつぜん大声をあげて笑い出した。  もう新在家へはいっていた。島の人らしいのが数名連れ立って、|小《こ》|磯《いそ》のほうからやってきたが、びっくりしたような目をして、ふたりの姿を見くらべながらいきすぎた。これから刑部神社へでもいくのであろう。 「失礼しました。金田一先生、白ばっくれるのは|止《よ》しましょうねえ。ぼくあなたがだれだか知ってますよ。あなたの功名談はそうとうたくさん本になって出版されてますからね。雀の巣のようなもじゃもじゃ頭に、よれよれの着物に|袴《はかま》……それに金田一というのも珍しい|苗字《みょうじ》ですからね。そうですか、越智氏があなたをこの島へよこしたとしたら……しかも、かつて石もて自分を島から追い出した、錨屋の主人に紹介してよこしたとしたら、ちかくこの島になにか……犯罪事件でも起こるという見通しなんですかね」 「わからないね。ぼくは予言者じゃないんだから。それよりきみはどう思う。きみはぼくよりよっぽどこの島の情報に詳しいようだが……」 「そんなことぼくにだってわかりませんよ。ぼくここで失礼します。ちょっとこの店へ寄っていきますから」  さっきテレビの画像がむなしく動いていた洋品店のとなりに、絵ハガキやフィルムを売っている店があり、飾り窓のそばに、 「現像、焼付け引き受けます」  と、いう看板がかかっていた。  三津木五郎と名乗る若者はさっさとその店へはいっていって、奥から出てきた店員となにか話しながら、カメラからフィルムを抜き取っている。金田一耕助はそのうしろ姿を見送りながら、悲しそうに首を左右に振った。かれはこの青年にすっかりあしらわれたような気がして、あまり愉快な心情ではなかった。  吉太郎はたしかに金田一耕助の依頼を果たしていたのである。錨屋の玄関に立つとさっき見かけた老女中が出てきて、 「金田一耕助先生でいらっしゃいますね。どうぞこちらへ」  と、案内されたのは海に面した十畳の座敷である。八畳のつぎの間がついていて、あいの|襖《ふすま》を取り払えば十八畳になる。おそらく昔はここで|北《きた》|国《ぐに》からきた|賓客《まろうど》たちが、女たちに取りかこまれ酒池肉林の騒ぎを演じたのち、それぞれ相手を選んで二階の小部屋へ|退《ひ》けたのであろう。  金田一耕助が立って縁側へ出てみると、海に面した裏門まで五つ六つの飛石がつづいていて、|塀《へい》の外はすぐ海である。昔はそこに|桟《さん》|橋《ばし》でもあったのではないかと思われる、|棒《ぼう》|杭《ぐい》のあとがのこっているところを見ると、おそらくオチョロ舟で運ばれてきた|北《きた》|前《まえ》|船《ぶね》の船頭たちは、そこからこの座敷へ招じ入れられたのであろう。  いったん姿を消した老女中が、お茶とおしぼりを持って現われると、 「大旦那さまからのお|伝《こと》|言《づけ》でございます。越智竜平さまのご紹介状たしかに拝見いたしました。さっそくご|挨《あい》|拶《さつ》に参上いたすべきところ、なにぶんにも年寄りのことでございますけん、明朝にしてほしいというておいでんさります」 「ええ、結構ですよとそう申し上げてください」  大膳もあまり唐突だから、気持ちの整理をする時間がほしいのだろうと、金田一耕助も快くうべなった。 「それではお食事になさいますか。それともお風呂に……? お風呂ならわいておりますけえど」  |陽《ひ》はまだ高かったけれど、腕時計を見るとそろそろ五時半である。 「では、お風呂を|頂戴《ちょうだい》しましょうかね」 「はあ、でも先客さまがはいっておいでんさりますけえど、よろしゅうございますか」 「先客さまってどういう人……?」 「|置《お》き|薬《ぐすり》の行商をなさるかたじゃそうでございます」 「置き薬というと……?」  置き薬というのはいろいろな薬を各戸ごとにおいていき、年に一回か二回まわってきて、消費された分だけ、金を受け取っていく商売であると老女中は説明した。ちなみにこの老女中の名はお島さんというのだそうだ。 「ああ、そうそう、|越中富山《えっちゅうとやま》は薬の本場で、そういう商売があるとは聞いていたが、このへんでもそういう商売がいまでもあるんですか」 「岡山県には|総《そう》|社《じゃ》いうて、富山ほどではございませんけえど、薬をつくる大きな会社がぎょうさんございますけんな。で、お風呂どうなさいます」 「その風呂、ふたりはむりなの」 「いいえ、十人さんぐらいまでなら大丈夫でございます」 「ああ、それじゃ頂戴しよう」  湯殿へいくとそこの洗い場で|石《せっ》|鹸《けん》を使っているのは、はたしてきょうちどり丸で一緒だった青年だった。 「お邪魔します」 「へえ、どうぞ」  金田一耕助は首まで湯舟につかると、目のまえの若者をそれとなく観察している。行商人などに似合わない|逞《たく》ましい体をしているが、首から上と下ではまるで|膚《はだ》の色がちがっているのは、絶えず行商をして歩くので陽に焼けているのだろうか。それにしても指が太くゴツゴツしているのは行商人とは思えない。まるで肉体労働者のようにみえる。  金田一耕助は湯舟の縁に両腕をおいて、つくづく相手の体を眺めながら、 「あんたなの、置き薬の行商をしているというのは」 「へえ」  若者は低い小さな声で答えた。 「だけどぼくの聞いてるところでは、この島は過疎の島だというぜ。ここ一週間ぐらいは|賑《にぎ》やかだが、祭りがすむとみんな本土へ引き揚げていくらしいじゃないか。こんな島じゃ商売にならんと思うな。余計なことをいうようだが……」  まったく余計なお世話である。 「はあ、ぼくまだ新米ですけん」 「ああ、まだやりはじめたばっかりなの」 「へえ、今度はじめてですん。ちょうどシロミテになって、|閑《ひま》になったもんですけん、やってみようと思うたんです」 「シロミテというのは……?」  金田一耕助の質問に対して、シロミテというのは|苗《なわ》|代《しろ》がミテること、すなわち空っぽになることだと若者は答えた。つまり麦刈りも終わり、田植えもすんだわずかの閑に、こういう商売をやってみようと思ったのであると若者は説明した。 「ああ、するとあんた本職はお百姓さんなんだね」 「へえ、|亡《の》うなったおやじも春、秋の農閑期にこれをやっとったもんですけん、会社の人に相談してみたら、それじゃものは試しに、やってみるかちゅうことになったんですけえど、いきなりこねえな過疎の島へくるなんて、ぼくよっぽどツイてないんですわ」  それから若者は金田一耕助の貧弱な|肋骨《あばらぼね》を見やりながら、 「そういうお客さんはまた、なにしにこねえな島へおいでんさったんです」 「ぼくは静養さ。少し仕事がたてこんで、ここんところ過労気味なんでね」 「どういう仕事をしておいでんさるんです」  若者の質問ももっともだった。いまでこそ素っ裸だが、かれは相手の異様な風体を知っているのである。金田一耕助はいたずらっぽく目玉をくりくりさせながら、 「ぼく……? ぼくは探偵、私立探偵というやつだ」 「た、探偵……?」  若者は度肝を抜かれたように、湯舟のなかの金田一耕助を|視《み》|詰《つ》めていたが、脱衣場のほうへ目をやると、 「じゃ、あの|服装《みなり》は変装ですか」 「あっはっは、いや、あれは変装じゃない。もじゃもじゃ頭によれよれの着物に袴というのが、ぼくのトレードマークでね。ときにきみ名前はなんというの」 「荒木定吉いいます」 「|故郷《くに》は?」 「柿の木いうて総社のすぐ近くですん」  上目づかいに答える荒木定吉くんの口調は、あきらかに重くなっている。かれはせかせかと体を洗ってしまうと、金田一耕助からなるべく離れるようにして湯舟のなかへ身を浸した。と思うと体が温まる閑もなく飛び出して、 「お先に」  と、挨拶もそこそこに脱衣場へ出ていった。気味が悪くなったらしい。  だれだって探偵だの私立探偵などと聞くと、気味が悪くなるのは当然だが、荒木定吉の場合はなにか特別に理由があるのだろうか。私立探偵を回避したいという気持ちのうらには、なにか身にうしろ暗いところでもあるのではないか。金田一耕助は湯舟のなかでふいと|眉《まゆ》をひそめて、|溜《た》め息をもらした。  その夜、金田一耕助は磯川警部にあてて手紙を書いた。手紙の内容は鷲羽山でテープレコーダーにいたずらをしていた、あのなんでも見てやろうくんが、刑部島へきているという報告である。たんなる報告にとどめて、それについての疑問や感想を付け加えるのはひかえた。かれにもまだなにもわかっていないのだ。ただ、それだからはやくこちらへきたらどうかということだけは、書くことを忘れなかった。  八畳のつぎの間つきの十畳は、金田一耕助のような野人には広すぎて落ちつかず、それに波の音が耳についてなかなか寝つかれなかった。これは青木修三もこの座敷で寝たのではないかとふと思いつき、そこらを調べてみようかと考えたが、すぐ思いなおして|枕下《まくらもと》の電気スタンドの|灯《ひ》を消した。青木修三がなにかの証拠をこの座敷のどこかに|遺《のこ》しておいたとしても、それを見逃がすほど、この家の主人は|迂《う》|闊《かつ》とは思われない。  しばらく|輾《てん》|転《てん》|反《はん》|側《そく》していたが、かれも疲れているのである。やっと睡魔におそわれたかと思うと、あとは|泥《どろ》のように眠って、そしていま錨屋の帳場で、刑部大膳と相対しているのである。     第八章 神の矢      一 「金田一さんは謡曲に『|藤《ふじ》|戸《と》』というのがあるのをご存じじゃありませんか」 「さあ、わたしはその方面のこといっこう不調法でして……」 「あんた『平家物語』をお読みんさったことは……?」 「若いころ読んだことがあります。巻頭の|祇園精舎《ぎおんしょうじゃ》の鐘の声、諸行無常の響きあり。|娑《さ》|羅《ら》|双《そう》|樹《じゅ》の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす、と、いう章ぐらいはいまでも暗記しておりますが、あとはもうさっぱりです」 「あっはっは、ま、そんなもんでしょうな。その『平家物語』の十三巻に『藤戸』という項がございます。藤戸ちゅうのは児島半島の地名でしてな、そこに源氏の軍勢が陣を張り、その大将が|蒲《がま》の|冠《かん》|者《じゃ》源|範《のり》|頼《より》、それに対して平家は児島に軍をかまえ、その南岸を五百余|艘《そう》の兵船で、かためておりまして、総大将は平|行《ゆき》|盛《もり》。当時児島は屋島を拠点としていた平家にとっては|前哨基地《ぜんしょうきち》ですけん、源氏としてはなんとしてもここを落とさんことにはまえへ進めんわけです。ところが当時はいまとちごうて、海がだいぶん陸にくいこんでいたとみえて、藤戸から児島まで五丁ほどの海峡になっていたとおみんさい。それを源氏が渡りかねて、|荏《じん》|苒《ぜん》と日を送っているうちに、佐々木三郎|盛《もり》|綱《つな》が土地の浦男から、馬でも渡れる浅瀬のあることを聞き知った。そこで三郎盛綱、その浦男を|斬《き》って捨て、首を|刎《は》ねてしもうたちゅうのは、下郎は口さがないもの、もしや他の武将にしゃべりはせんか、そうなれば抜けがけの功名も水の|泡《あわ》、またもし、敵に内通でもされたことには一大事ちゅうわけじゃろうが、いやもう、いつの時代でも|戦《いくさ》ちゅうもんはむごいもんじゃとお思いんさい」  そこで大膳じさまはひと息いれると、いつか講釈口調になり、キセルで長火鉢のふちを|叩《たた》きながら、 「さて佐々木三郎盛綱、寿永三年も押しつまった十二月七日、家の子郎党七騎をしたがえざんぶと海にとびこみましたな。それを見て驚いたのが総大将の三河守範頼、あれ制せよ、とどめよとのたまえば、|土《と》|肥《ひ》の次郎|実《さね》|平《ひら》、|鞭《むち》をあぶみに合わせ追いついて、いかに佐々木殿、物のついて狂いたもうか、大将軍の許されもなきに|狼《ろう》|藉《ぜき》なり、とどまりたまえといいけれども、耳にもききいれずわたしければ、土肥の次郎も制しかねて、やがてつれてぞ渡りける。馬の|草《くさ》|脇《わき》、胸懸いずくし、ふと腹につくところもあり、|鞍《くら》つぼこすところあり、深きところは泳がせ、浅きところに打ちあがる。大将軍三河守これをみて、佐々木にたばかられにけり。浅かりけるぞや。渡せや、渡せと下知せられければ、三万余騎の大勢みなうち入れて、渡しけり……」  大膳じさまは調子にのって、張り|扇《おうぎ》ならぬキセルで長火鉢のふちを叩いていたが、さすがに寄る年波で息が切れたか、いくらかテレ気味で額をなでながら、 「どうです、よう|憶《おぼ》えておりましょうがな」 「ああ、それが『平家物語』十三巻の『藤戸』の一節ですか」 「その一部分ですな。なにしろわたしどものご先祖に縁のふかい|戦《いくさ》ですけんな、幼いときからおやじに仕込まれて、ケンケン|服《ふく》|膺《よう》、暗記さされたもんですんじゃ」 「ああ、こちらのご先祖は平家の一門ときいておりましたが、そのときの戦で……?」 「そうそう、そのとき平家の軍勢はまさかそげえな浅瀬があろうとは気がつかず、船を出してここまでおいで、甘酒進じょとばかりに、気を許してお調子に乗っているところへ、思いがけのう三万余騎の軍勢が、海をわたって|怒《ど》|濤《とう》のように押しよせてきたもんですけんな、あわやとて舟ども押しうかべ、矢さきをそろえてさしつめひきつめさんざんに射る。源氏のつわものどもこれをことともせず、|甲《かぶと》のしころをかたむけ、平家の舟にのりうつりのりうつり、おめき叫んでせめたたかう。源平みだれあい、あるいは舟ふみしずめて死ぬるものあり、あるいは舟ひきかえされてあわてふためくものあり。いちにち戦いくらして夜に入りければ、平家の舟は沖にうかぶ……で、児島の前哨基地を捨て、屋島まで退散したんですけえど、ここにひとり逃げおくれた平|刑部《ぎょうぶ》|幸《ゆき》|盛《もり》ちゅうもんが、家の子郎党六人をつれてこの島へかくれひそんだとおみんさい。|刑部《ぎょうぶ》といいますけん、刑法のことでも司っていたんでしょうな」 「ああ、なるほど、それがこちらさんのご先祖でいらっしゃるわけですね」 「そういうことになっとおりますんじゃ。だいたい西国のもんは平家ビイキですけんな、この七人をかくもうているうちに、その翌年の|文《ぶん》|治《じ》元年三月二十四日壇の浦の戦いで、平家はことごとく敗滅してしもうた。しかも、そのあと鎌倉がたの|詮《せん》|議《ぎ》がきびしゅうて、ついにはこの島へも及びそうになったので、平刑部幸盛はじめ六人の郎党しめて七人、千畳敷きから身を躍らせて|入《じゅ》|水《すい》して果てたのが、きのうあんたが調べておいでんさった|落人《おちうど》の|淵《ふち》。それが、文治元年七月七日、文治元年は西暦一一八五年じゃそうですけん、いまからちょうど七百八十二年前の話ですんじゃ。いや、もうずいぶん古いお話をして恐縮でした」 「その七人の落人がこの島にかくまわれているうちに、島の娘とちぎって子孫をあとにのこしたというわけですね」 「そうそう、そのことをいい落としてはなんにもならん」  大膳じさま長火鉢のむこうで|膝《ひざ》をすすめて、 「その時分この島は妻恋島、神社の名も妻恋神社いうてな、ご祭神は|出雲《いずも》の国で、|八《や》|岐《また》の|大蛇《おろち》を退治したという|素戔嗚尊《すさのおのみこと》。尊の歌とつたえられる『八雲立つ出雲|八《や》|重《え》|垣《がき》妻ごみに八重垣つくるその八重垣を』というところから神社の名もきてるんじゃそうな。そのじぶんの宮司の娘は|日《ひ》|奈《な》|子《こ》いうて、それはそれはきれいなおなごじゃったと記録にのこってますけえど、その刑部幸盛が日奈子とちぎって、男の子をあとにのこしたんですな。そのほか六人の郎党たちも、なにせここに半年以上もひそんでいたもんですけん、そのあいだにそれぞれ相手をめっけて、夫婦気取りで暮らしていた。それがみんな子どもをあとにのこしたんですけえど、その子どもの親たちが話しおうて、この子たちは島のもんとはわけがちがう、平家の血を引いているんじゃ、とはいえ、まさか平姓を名乗らせるわけにもいかんもんじゃけん、|刑部《ぎょうぶ》を|刑部《おさかべ》と読ませて、それを|苗字《みょうじ》にさせることにしたんじゃそうな。それまではこの島のもんはみんな越智姓を名乗っていて、越智家こそは本家みたいなもんですけえど、なにせ日奈子がひとり娘じゃったもんじゃけんな、刑部幸盛のうませた男の子が|刑部《おさかべ》姓を名乗って神職をつぎ、そこで縁につながる落人の|末《まつ》|裔《えい》が、島にとって重要なお家柄になってきたというんじゃけん、ま、主客転倒もええとこじゃとおみんさい」  大膳じさま、なかなか物分かりのよいところをみせるが、昭和十九年越智竜平と巴御寮人が駆け落ちしたとき、身分ちがいもはなはだしいと、烈火のごとく|憤《いきどお》ったのもこの人だという。なにがこの人をかくも物分かりのよいじさまに|変《へん》|貌《ぼう》させたのか。  しかし、金田一耕助はあえてその問題にふれようとはせず、話題をかえて、 「それにしても、いつごろから神社の名が妻恋神社から刑部神社になり、島の名まで刑部島とかわったんですか」 「ああ、それ。記録によると江戸時代の中期、|享保《きょうほう》時代からですん。その時分|神《かん》|主《ぬし》のうちにすぐれて|眉《み》|目《め》よき娘がいたんですな。その|噂《うわさ》がつぎからつぎへと伝えられていくうちに、とうとうご領主さまのお耳にはいって、お城へ召されたのが十六の年じゃったそうな。それがそのまま城中にとめおかれて、ご領主さまのご|寵愛《ちょうあい》いたらざるはなく、ついに世子をもうけたもんですけに、ここでがぜん刑部の一族がのしあがってきたとおみんさい。島でも刑部姓を名乗っているものにかぎって|苗字帯刀《みょうじたいとう》を許されたばかりか、ご領主さまの命令で神社も島も名を刑部と改めたんじゃそうな。その当時の神主がおそらく策動したんでしょうけえど、それ以来、刑部の一族と越智の一族のあいだに、はっきり懸隔がついてしもうたのもやむをえんこってしょうな。古い記録によると享保八年ということになっとおります」  金田一耕助にはそれらの会話がいかにも|虚《むな》しいものに思われた。かれはこの島の来歴や由来を調べにきたのではない。もっと現実的な問題にふれたいのだけれど、じさまとしてはその反対に、話が現実にふれるのが怖くて、こうして物語的な伝説に逃避しているのであろう。まさか紹介状にある「静養のために|云《うん》|々《ぬん》」という言葉を、そのままうのみにしているわけでもあるまいに。  金田一耕助は心中靴をへだてて|痒《かゆ》きをかくのもどかしさを感じながら、それでもなにげなく尋ねてみた。 「こういう島ですから、そのような古い記録が、いまでものこっているんでしょうな」 「いいや、いまではなにもかも失われてしもうた。わたしの子どものころまではのこっていたんですけえど」 「どうしたんですか。出火でも……?」 「いいや、火ではない。水じゃ、風じゃ、|嵐《あらし》ですん。あれは明治二十六年のことですけん、わたしがかぞえ年で七つのときでしたな。これは|都《つ》|窪《くぼ》|郡《ぐん》|誌《し》などにものこっているくらいですけん、わたしもよう|憶《おぼ》えとおりますけえど、その年の十月十四日にものすさまじい台風が襲来しましてな、岡山県いったいに大惨害をもたらしたもんです。なにせ、そのまえの年の八月にもそうとう大きな台風があり、県下各地地盤がゆるんでるところへさして、それ以上の大台風でございましょう、倉敷なども|高《たか》|梁《はし》|川《がわ》の|大《だい》|氾《はん》|濫《らん》で、そのとき以来地形が変わったといわれるくらいですけえど、この刑部島も大打撃をうけましてな。なにせ金田一さんもごらんのとおり、刑部神社は島の南端の|崖《がけ》のうえに建っておりましょう。それが前年の嵐で地盤がそうとう緩んでるところへさして、二十六年十月十四日の大台風。大きな崖崩れがございましてな、刑部神社なども崖の下に埋没してしもうたんですわ。さっきお話しした昔の記録は神社の宝蔵におさめられていたもんですけん、それも地下に埋まってしもうた。それをわたしのおやじがうろおぼえの記憶の底から掘り起こして、新しい記録をあとにのこしたんですけん、必ずしもそれが|正《せい》|鵠《こく》をえとるかどうか、わたしにも保証できんわけじゃけえどな」  あきらかに大膳じさまは現実から、逃避しようとしているのである。それは|何故《なぜ》か、竜平に対する敗北感か。それとももっとほかに現実から、目を反らさねばならぬ重大な問題があるのではないか、たとえば青木修三の事件など。かれは過ぎにし昔のこととなると雄弁になり、立て板に水を流すがごとく説ききたり、説きさるのであるが、たとえにもいうではないか、問うに落ちず語るに落ちると。大膳はいまはからずも語るに落ちているのである。明治二十六年という年号が口に出たとき、金田一耕助の目がショボついたのを、語るに落ちた大膳は気がついていない。  下津井の市子浅井はるの台所から発見された古銭は全部、久しく土中に埋まっていたのか|錆《さ》びついていた。しかも、あのとき広瀬警部補はこういって、金田一耕助に挑戦してきたではないか。 「もっと面白いことにはこの銅貨や銀貨、鋳造された年を調べてみたら、みんな明治二十六年以前のものなんです。それからのちのものは一枚もありません。金田一先生はこの|謎《なぞ》をなんとお解きんさる」  金田一耕助はそのときよっぽど大膳に、 「明治二十六年の大台風のとき、崖崩れのために社殿は地下へ埋没してしまったとおっしゃいましたが、|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》などはどうでしたか」  と、尋ねてみようかと思ったが、それを口に出して質問するほど軽率ではなかった。かれはそれを胸のなかで|呟《つぶや》いただけで、相手の返事は期待していない。語るに落ちるものは落ちさせておいて、そうっとしておいたほうがよいのである。しかし、金田一耕助の|脳《のう》|裡《り》には、明治二十六年十月十四日という数字が、強く、鋭く刻みこまれていた。  二人の会話にちょっと|隙《すき》|間《ま》|風《かぜ》が吹きかけたとき、二階から、正面の広い階段をトントン鳴らして降りてきた二人づれがある。三津木五郎と荒木定吉である。二人の部屋は二階で隣り同士になっているので、昨夜のうちに|昵《じっ》|懇《こん》になったものらしい。おそらくあの抜け目のない五郎のほうから接近していって、|款《かん》を通じたのであろう。二人はおなじ|年《とし》|頃《ごろ》なのである。 「ちょっといってまいります」  帳場をのぞいてそこに大膳と金田一耕助がいるのを見ると、五郎のほうが如才なく|挨《あい》|拶《さつ》した。定吉はなんとなくオドオドしたようすで、金田一耕助から目を反らせている。年頃は似たり寄ったりだが、陰と陽との対照的な二人のようだ。 「ああ、どっかへお出掛けかな」 「はあ、きのうまえの絵ハガキ屋さんに写真を頼んでおいたんですが、もう出来あがってる時分ですから、出来てたら御寮人さんに届けてあげようと思ってるんです」 「ああ、あんたはきのう、御寮人の写真を撮ってつかあさったそうじゃな。荒木さんはどちらへ」  荒木定吉がもじもじしているので、三津木五郎がかわってこたえた。 「いやあ、この人もお宮を見たいというので、それじゃ一緒にいこうということになったんです。いいでしょう、御寮人さんや真帆ちゃん、片帆ちゃんに紹介してあげても」 「ああ、まあ、いいように頼みますらあ」  大膳はキセルでたばこをくゆらせながら苦笑している。 「じゃ、いってきまァす」  定吉をうながしながらいきかけたが、なにかまた思い出したように帳場のほうを振り返ると、 「おじいさん、いま船が着いたようですね。また離島した人が大勢帰ってくるんじゃないんですか。さあ、いこう」  五郎に注意されるまでもなく、金田一耕助も連絡船の着いたことに気がついていた。  それにしても五郎と定吉は、よいタイミングに姿を現わしたものである。かれらの出現がもう少し遅れていたら、大膳と金田一耕助の会話にちょっと隙間風が吹きこんでいたかもしれない。もしそれに気がついたらこの抜け目のなさそうな老人は、どこで会話が|跡《と》|切《ぎ》れたかを思いめぐらし、金田一耕助にひとつの疑惑を持ったかもしれないのである。 「いや、ご|馳《ち》|走《そう》になりました。それじゃぼくも……」  金田一耕助が腰を浮かしかけると、 「金田一さんはなにか急ぎのご用でも……?」 「いや、べつにそういうわけじゃありませんが、表のほうがだいぶん|賑《にぎ》やかなようですから」  その賑やかさはいまにはじまったわけではない。かれがこのお帳場へ招じ入れられた時分からはじまっていて、太鼓の響き、笛の音。帰島したひとびとによって、もうお祭りの予行演習がはじまっているのである。それに金田一耕助のふところには、磯川警部にあてた手紙がはいっている。 「では、もう少しここにおいでんさらんか。いまの船で太夫がかえってくることになっとおりますけん」 「太夫さんとおっしゃると刑部神社の宮司さんですか」 「そうそう、巴御寮人のご亭主じゃ。会うておいてつかあさい。また何かの役に立つことがあるやもしれんけんの」  金田一耕助は|内冑《うちかぶと》を見すかされたような後ろめたさを感じたが、さりとてそれを断わるべき口実もない。腰をあげかねてうじうじしているところへ、八の字に開いた表門から、二人の男がはいってきた。  ふたりとも背広姿だが、ひとりは|痩《や》せてひょろ高く、それにそうとうの馬面である。その馬面に天神ヒゲをはやしているが、それはその男に威厳をそえるものではなく、反対に見る相手に|滑《こっ》|稽《けい》|感《かん》さえいだかせかねない。それでも当人は|大《おお》|真《ま》|面《じ》|目《め》でもったいぶっているようだ。やがてお帳場へはいってきて、大膳じさまに紹介されたところによると、この馬面の天神ヒゲが巴御寮人の夫の刑部守衛だという。  あとでわかったところによると年齢は五十二歳だというから、巴御寮人とは十三ちがいになるわけである。なんだか巴御寮人が気の毒になるような年齢差であり、かつ|風《ふう》|貌《ぼう》である。しかもこの男にはほかにふたり、御寮人がいるというではないか。 「それからな、金田一さん、そちらにいるのが村長の刑部|辰《たつ》|馬《ま》、わたしにとっては|亡《の》うなった家内の|甥《おい》じゃけん、まあ、甥分というところじゃな」  村長の辰馬は守衛とは正反対に、ずんぐりむっくりして、怒り肩に|猪《い》|首《くび》の男で、縦より横のほうが広いのではないかと形容したいような人物である。年齢は五十五、六というところだろうか。  磯川警部もいっていたではないか、この島では大膳じさまが最高主権者であると。こうして村長のみならず神主までがむこうから伺候してくるところをみると、なるほどとうなずけるのである。大膳は守衛の妻の大叔父であるのみならず、刑部神社の氏子総代なのである。 「ところで、太夫、こちらはきのうこの島へおいでんさったかたじゃが、こういうお人じゃ、ちょっとこれを見てごらん」  長火鉢の|抽《ひき》|斗《だし》から取り出したのは、越智竜平から大膳じさまにあてた紹介状である。  守衛は差し出し人の名前をみると、ピクリと|眉《まゆ》をふるわせたが、無言のまま中身を引き出した。簡単な文面だからすぐ読みおわって、村長に渡そうとすると、 「いや、わしゃゆうべ読ませてもろうた」 「ああ、そう」  |便《びん》|箋《せん》を封筒におさめると、大膳じさまに返しながら、 「さっき船着き場であんたがいうておいでんさった、珍しいお客人というのはこのかたのことかな」 「そういうこってす。私立探偵とは竜平どんもまた、風変わりなお友達を持たれたもんじゃと思うたもんじゃけんな」  村長の言葉にはあきらかに皮肉のひびきがあったが、守衛はそれに耳もかさず、金田一耕助のほうへ目をやって、 「この手紙では少し体をこわしているので、この島でゆっくり静養なさりたいとか……」 「はあ、いささかバテ気味なもんですから……」 「それは好きなだけ|逗留《とうりゅう》なされじゃが、しかし、金田一さん、あんたいつ越智さんにお会いんさりました。いちばん最近では……?」 「わたしがこの島へきたのはきのう、すなわち七月一日ですが、その二日まえですから、六月二十九日でした。いちばん最近越智さんにお目にかかったのは……」 「どこで……?」 「東京の丸の内のホテルで」 「そのとき、越智さんはなにがわたしのことを、いうておいでんさらなんだかな」 「いいえ、なんにも」 「それはおかしい」  守衛はちょっと眉をひそめたが、すぐ思いなおしたように、 「ああ、いや、なに、あんたはただこの島へ静養に来られたんじゃけん、それでよいのかもしれんが」  しかし、大膳がそれを聞きとがめて、 「太夫、おかしいとはなにがおかしいんじゃな」 「いえね、おじさん」  と、守衛がいったのは、じっさいは大叔父さんになるわけだが、いちいち大叔父さんはわずらわしいので、ふつうおじさんといいならわしているのであろう。 「金田一さんがお会いんさったそのまえの日、わたしは越智さんに会うておりますけんな」 「どこで……?」 「丸の内のホテルで……」  村長は驚いたように、 「そうすると、太夫さんは東京へいておいでんさったんで?」 「ああ、神社庁にちょっと用事があったもんじゃけんな」  村長に対する守衛の態度なり、口の利きかたなりは、大膳に対するのとまったくちがっている。|横《おう》|柄《へい》というよりは社をあずかるものの権威に満ちている。長年の習慣からくるものだろうが、金田一耕助はこの痩せてひょろ高く、馬面で天神ヒゲの神主をおいおい|視《み》|直《なお》しかけている。 「それで、太夫は竜平どんに会うて来たのかな」 「ああ、まえからの約束でしたけんな。東京へきたら丸の内のホテルへきてほしいと」 「して、また、どういう用事で……?」 「おじさんは聞いておいでんさるはずです。いや、村長もしっているはずじゃ。越智さんはまえからいうておいでんさったろうが。神殿を新しく建てかえても、ご神体があのままじゃ、仏つくって魂入れずもおなじことじゃけん、新しくご神体も寄進しようと」 「ああ、それを太夫が受け取りにいったのか」 「はあ、出来上がっているから、取りにきてほしいとおいいんさるもんじゃけんな」  守衛はかたわらにおいた長方形の風呂敷き包みを解きながら、 「なあ、金田一さん」 「はあ」 「よう文化財調査委員などが神社や寺院の宝物を、見せろだの拝ませろなどというてくるもんです。寺院の場合は古い仏像や仏画などがあり、いちおう文化的価値があるもんじゃけえど、神社の場合はご神体として、古い鏡だのがある場合はまだしもとして、御幣だけの場合もあり、なんの変哲もない石の場合もある。わが刑部神社のご神体も、いままでは人前へも出せぬほどお粗末なのでしたけえど、これからは大自慢で披露できるというもんです。文化的価値はともかくとして、これほど高価なご神体をもっている神社は、日本広しといえどもおそらくほかにありますまい。おじさんも村長も、金田一さんもこれ見てつかあさい」  得意そうに|喋《しゃべ》りながら、守衛が|膝《ひざ》においた紫|縮《ちり》|緬《めん》の風呂敷き包みをとくと、なかから出て来たのは縦横八センチ、長さ五五センチばかりの長方形の白木の箱である。おそらく|総《そう》|桐《ぎり》であろう、よく|磨《みが》かれた|蓋《ふた》のうえには、 「刑部神社御神体 光陰」  と、墨くろぐろとした達筆が躍っている。 「矢じゃな」 「ええ、そう、おじさん、矢は矢じゃけえど、いままでうちにあったようなお粗末なものとはわけがちがう。おじさんも村長も目がつぶれんよう気ィつけてつかあさいよ」  守衛は長方形の箱を縦におき、うやうやしくぬかずいて|柏手《かしわで》を打つと、|臍《せい》|下《か》|丹《たん》|田《でん》に力をこめてひと呼吸、やがて蓋をとるとなかから出てきたのは、|緋《ひ》|繻《じゅ》|子《す》にくるんだものである。ずっしりと持ち重りのするそのものを、左手に持った刑部守衛が、右手でパッと緋繻子をとると、そのとたん大膳も村長の辰馬も、いや、いや、金田一耕助でさえおもわずあっと大きく目玉をひんむいて息をのんだ。  それは長さ四二センチもあろうか、ちょうど破魔矢くらいの長さだが、|矢《や》|筈《はず》から|鏃《やじり》にいたるまで、全部|燦《さん》|然《ぜん》とかがやく黄金の矢であった。      二  刑部島のお祭り騒ぎは日を追うてエスカレートするばかりである。  刑部神社の祭礼は七月六日と七日の二日間だが、その|宵《よ》|宮《みや》にあたる七月六日の午前の船便まで帰島するひとびとは後をたたず、あの|酸《さん》|鼻《び》をきわめた大事件が起こったあと、警察で調べたところによると、その数じつに三十二家族、総数にして百二人だったという。このひとたちはみんな越智姓を名乗っており、しかも総本家であるところの越智竜平の|斡《あっ》|旋《せん》で、帰島したひとびとばかりだから、船が着くたびに船着き場には歓声が起こり、一家族ふえるごとに、お祭り騒ぎがエスカレートしていったのもむりはない。 「いったいあなたの依頼人は、こんどの祭りでなにを|企《たくら》んでいるんでしょうな。まさか島に革命でも持ち込もうというんじゃないでしょうけえど」  金田一耕助の手紙によって磯川警部が島へやってきたのは、七月四日の午後の船便である。その連絡船にも刑部島へかえる人びとが大勢乗っており、それがまず警部を驚かせたのみならず、金田一耕助に迎えられて船着き場へあがってみると、どこもかしこもピーヒャラピーヒャラ、ドンドコドンと太鼓のひびきに笛の音、おまけに大人も子どももお祭りの|印袢天《しるしばんてん》を着て、|小《こ》|磯《いそ》から|新《しん》|在《ざい》|家《け》のあたりを駆けずりまわっているのだから、磯川警部が目をまるくしたのもむりはない。 「ところがわたしはこういうことを、越智氏からいっこうなにもきいていなかったんです。あの人の口からきいたのは青木修三氏のことだけ。それだけにこのお祭り騒ぎについては、わたしも越智氏の真意をはかりかねているところなんです」  そうなのだ。  金田一耕助は六月二十九日に丸の内のホテルで越智竜平に会っている。その前日竜平は刑部守衛に会って、あの高価な神の矢を寄進しているのである。それにもかかわらず竜平はそのことについてひとことも金田一耕助に語らなかった。守衛に会ったことすら隠していた。そしてそのことが一昨日その場に居合わせた三人に、かえって|安《あん》|堵《ど》の念をあたえたようだ。 「竜平どんはほんとうに、太夫のことをあんたにいわなんだんですか」  大膳じさまは不思議そうな顔色だったし、ほかのふたりの守衛と辰馬もさぐるような目つきであった。 「いや、いまおうかがいするのが初耳です。いう必要はないと思ったんじゃないんですか。わたしはどうせたんにこの島へ、静養にきただけの人間なんですから」 「なるほどなあ」  と、目と目を見交わしている三人の顔には、ありありと安堵の色がうかがわれた。 「それにしてもその矢、素晴らしいですね、全部純金ですか」 「いや、十八金じゃそうですけえど」 「どれどれ、わたしにも見せてつかあさい」  村長の辰馬は守衛の手から光陰と命名された矢を取ってみて、 「や、これは重い、重いはずじゃ黄金の矢じゃけんの。いったい、これ、どれくれえの値段がするもんじゃろうな」 「村長、さもしいことをきくもんじゃない。金田一さんにさげすまれるぞな」 「いえ、|旦《だん》|那《な》、わたしもいまそれを考えていたところです。ずいぶん高価なもんでしょうね」 「まさかわたしも越智さんに、値段のことまではようきかなんだとおみんさい。そうじゃけえど調べてみればすぐわかる。十八金でいま一グラムどのくらいしているか、歯科医にでもきけばわかりましょう。それにこの矢の目方をかければ数字が出ることですけんな」 「これ、どのくらい目方があるじゃろうな」  村長はよっぽどこの矢が気に入ったらしく、ずっしりと持ち重りのする黄金の矢を、しきりにぐるぐる振りまわしている。 「これ、辰馬、ええかげんにせんかい。ひとにぶつかると危いぞな」 「いや、ほんとうじゃ。この|鏃《やじり》の鋭いこと。こいつでぐさりと突かれたら、どねえな人間でもひとたまりもあるまいな」  村長がさっと矢を振りおろすのを見て、天神ヒゲの神職はおもわず顔色をかえて、 「そ、そ、そねえな不吉なことを……さ、さ、はやくこっちへ返してつかあさい」  と、急いでその矢を取り戻すと、緋繻子の布にくるんで、大事そうに総桐の箱のなかにしまいこんだ。  大膳は鋭くその顔を|視《み》|守《まも》りながら、 「ところで、太夫、竜平どんはその矢をそなたに渡すとき、なにが交換条件を持ち出したんじゃないけ。これじゃあんまり至れり尽せりが、過ぎるように思われるけえどな」  そうだ、問題はその交換条件なのだと、金田一耕助は、いま磯川警部と肩をならべて歩きながら、心の中で考えている。  大膳の質問はあのときたしかに相手の急所をついたのである。守衛の顔に|狼《ろう》|狽《ばい》の色が走るのを見て、金田一耕助はわざと座をはずして外出したのだが……  島には旅館は一軒しかない。磯川警部も今夜泊まるとすれば錨屋だが、それよりまえにかれは三津木五郎に会いたがった。その五郎は荒木定吉を誘って刑部神社へいっているはずである。磯川警部はそちらへむかうまえに、島の駐在所へ寄ってみた。駐在所は新在家のとっつきの裏側にあり、このあいだ警部もいっていたが、この島も児島署の管轄なのである。駐在所の構えは下津井と似たり寄ったりで、かたわらの柱に、 [#ここから2字下げ] 児島警察署 刑部島駐在所 [#ここで字下げ終わり]  と、筆太に書いた表札がぶら下がっている。  腰高障子のなかには島の駐在|山《やま》|崎《ざき》|宇《う》|一《いち》巡査が、殺風景な|事務机《デスク》にむかってなにか書き物をしていた。山崎巡査は警部の顔を見るとびっくりしたような表情で、 「警部さん、この島にまたなにか事件でも……?」  それはびっくりしたと同時に|怯《おび》えたような顔色でもある。いかにも苦労性らしい五十男だ。 「ああ、ちょっとな。だけどそのまえにきくが、その後島になにか変わったことはないか」 「変わりがあったもなかったも大ありでございますよ。警部さん、まあ、表の騒ぎを見てつかあさい」  と、いいながら警部のあとからはいってきた金田一耕助の姿に目をとめると、またギョッとしたような顔色になり、声を低めて、 「警部さん、こちらあなたのお連れさんで?」 「そうそう、金田一耕助さんというてな。わしとは古いおつきあいだ」 「私立探偵じゃそうですな。それに越智竜平さんのご紹介とか……?」  金田一耕助はまだいちどもこの駐在所へ顔を出していなかったが、こういう島ではちょっと変わったことがあるとすぐ|噂《うわさ》がひろがってしまうのである。 「そうそう、そうじゃけんこちらについては心配はいらんのじゃが、ほかにもうひとり若いよそもんが来てるじゃろうが。三津木五郎とかいうて……」 「はあ、あの若いもんがなにか……」 「あいつこちらへ顔を出さなんだかね」 「はあ、この島へきた当座はしょっちゅうここへ来よりました。なかなか人懐っこい子で、こういう離れ島が珍しいとみえて、いろいろ島のことききよりました。尺八が上手で、わたしに吹いてきかせてくれたこともございます。それでわたしがつい、巴御寮人とふたごの娘さんは琴が上手じゃけん、合奏してみたらと冗談をいいますと、それはええ、ぜひそうしてもらおうとかなんとかいうて、いろいろ巴御寮人のことをきいておりましたけえど」  金田一耕助はちらりと警部と顔見合わせたが、ついでに相手に目くばせすると身を乗り出して、 「山崎さんはこのまえ警部さんがここへ来られたとき、越智氏の金の|遣《つか》いかたがあまり|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》なので、いまになにかひと騒動起こるのではないかと、取り越し苦労をしていられたそうですが、そういうこともあの青年に話されたんじゃないんですか」 「それは、あの……話したかもしれません。話してはいけなんだんでしょうか」  山崎巡査が心配そうな顔色になるのを、金田一耕助はニコニコしながら励ますように、 「なあに、それはかまいませんよ。あなたが話さなくっても、どうせどこかから聞き出したでしょう。かれ、なかなか抜け目のなさそうな青年ですからね。山崎さんはこの島でそうとうの古顔だそうですが、越智氏と刑部大膳さんの関係などもご存じなんでしょうね」 「それは聞いております。いつだれからともなく……」 「越智氏と巴御寮人とが昭和十九年に駆け落ちした件や、それを大膳さんがむりやりに連れ戻し、その直後に大膳さんの策謀で、越智氏のところへ軍隊から召集令状がきたという件も……」  この件は磯川警部も初耳だったとみえ、ちょっと|頬《ほお》に血がのぼりかけたが、金田一耕助の目くばせでやっと自制したようである。 「へえ、それも……なにせわたしはこの島へきて、もう久しいもんですけんな」 「それであんたはそれらの事情を、あの三津木五郎という若いもんに話したんじゃないですか」 「それは、あの……あの若いもんがおじさん、おじさんと懐しがって、しょっちゅうここへ来よりましたもんですけん、つい……いけなんだんでございましょうか」 「なあに、かまいませんよ。どうせこの島のもんはみんな知ってることですからね。それじゃ、警部さん、ボツボツいこうじゃありませんか」  思うにこの哀れな駐在さんは、しょせんこの島のものにとってはよそものである。それに駐在という職業上、とかく島のものから白い目で見られがちで、孤独をかこっていたのだろう。そこへおなじよそもののあの若者がやってきて、おじさん、おじさんと親しげに接近してくれば、つい口もほぐれ、おのれの知っているかぎりのことをぶちまけてしまったのであろう。  金田一耕助はこの単純な山崎巡査を、できるだけ慰め励ましておいたのち、警部をうながしてそこを出ると、 「これであの若者がどこから情報を入手したのかわかりましたよ。やってきてまだまもないのに、複雑なこの島の事情に、ずいぶん精通していると感心したもんですがね」 「金田一さん、そこになにか意味があるとお思いですか」 「さあ、わたしにもまだなんとも断言できませんが、単なるなんでも見てやろう、してやろうとはちがうかもしれませんね」  ふたりは新在家を通りぬけ、地蔵坂へさしかかっていたが、金田一耕助はふと思い出したように、 「警部さんはあの若者に会ったら、浅井はるのことをきいてみるおつもりですか」 「金田一さん、それをきいちゃいけませんか」 「それならなぜ|見《み》|識《し》り人をつれて来なかったんです。二度までヒッピーを目撃したという女性を……」 「ああ、それ。その女は川島ミヨというんですけえど、もちろんきょう連れてくるつもりでした。ところがむこうのつごうで、きょうはどうしても駄目だというもんですけん、あした広瀬くん、下津井の浅井はるの家でお会いんさった、あの広瀬警部補ですな、あの男がつれてくることになっとおります。わたしもそのときいっしょにとも思うたんですけえど、いちにち遅れて逃げられでもしたら大変ですけん、ひと足さきにこうしてやってきたんですけえど」  金田一耕助はしばらく無言でいたのちに、 「それじゃ、警部さん、きょうのところは浅井はるの名前は出さないほうがいいんじゃないですか。余計なことをいうようですが」 「いや、いや、わたしもそう思うとります。きょうのところは青木修三の事件できたということにしときますけん」  ちょうどそのころ刑部神社の境内では、三津木五郎と荒木定吉が笛と太鼓の猛特訓を受けているところであった。ふたりともセーターのうえに祭りの印袢天を着て、むこう鉢巻き、五郎が笛、定吉が太鼓だったが、ふたりともなかなか見事であった。五郎はあいかわらず胸にカメラをぶら下げている。かれは尺八も吹けるところから音感が発達しているのであろうが、定吉の太鼓は堂に入っていた。そばに立っている師匠株の巴御寮人も感心して、 「ほんとに五郎さんも五郎さんですけえど、定吉さんもおじょうずですぞなあ」 「はあ、ぼく|故郷《くに》の祭りでやっとおりましたけん」  御寮人にほめられて定吉はいささかあがり気味である。 「定吉さんのお国はどちら……?」 「おなじ岡山県ですん。|総《そう》|社《じゃ》のすぐそばの柿の本ちゅうところですけえど、御寮人さんはご存じですか」 「総社いうたら薬の会社が、ぎょうさんあるところじゃそうですなあ」 「はあ、それでぼく農閑期を利用して、こねえな商売をはじめたんですん。|亡《の》うなったおやじもやっとおりましたけんな」 「あら、お父さんお亡くなりんさったんですの」 「はあ、昭和三十三年の六月のことでしたけん、いまから九年まえになります。ぼくが十三で小学校を出て中学へ入った年でした。名前は清吉いうて、この島へもちょくちょく来ていたようですけえど。御寮人さん、荒木清吉いう置き薬の行商人を|憶《おぼ》えておいでんさりませんか。としは三十六でしたけえど」  定吉はくいいるような目で、巴御寮人の横顔を|視《み》|詰《つ》めている。  御寮人は額に手をかざして|西《にし》|陽《び》を避けていたが、その立ち姿はあいかわらず美しい。御寮人はふとその目を地蔵峠のほうへむけて、 「あれ、五郎さん、あそこへ金田一さんがお見えんさりましたぞな。どなたかお連れさんがおありのようですけえど」  五郎も金田一耕助とその連れの姿を|木《こ》の|間《ま》がくれに認めた。その連れが鷲羽山で会った男だと気がつくと、ちょっとドキリとしたような目の色だったが、すぐニヤリと不敵な笑みをうかべた。かれにはそれよりいまの巴御寮人の態度のほうが気になるらしく、探るようにその横顔をうかがっている。  金田一耕助とその連れにかこつけて、この人はまんまと定吉の質問をはぐらかしてしまったが、それはいったいなぜだろう。この御寮人はひょっとすると、荒木定吉の父親、昭和三十三年に亡くなったという、荒木清吉なる人物を知っているのではないか。  それまでこの御寮人に心酔しきっていたかにみえる五郎の目に、ふとした不信のかぎろいが浮かびはじめたのは、あとから思えばこのとき以来のことだった。     第九章 蒸発      一  七月七日は全国的に|七《たな》|夕《ばた》|祭《まつ》りであるが、|刑部《おさかべ》|島《じま》では同時に刑部神社のご祭礼である。  これはもちろん、|文《ぶん》|治《じ》元年七月七日に|入《じゅ》|水《すい》して果てた平|刑部《ぎょうぶ》幸盛ほか、六人の家の子郎党の霊を鎮めるために行なわれる年に一度の行事だが、旧暦の七月七日ならばまさに盛夏の候である。天気も定まっていたのであろうが、これを新暦で行なうとすると梅雨のさなかに当たっている。だから|刑部《おさかべ》祭りは毎年雨で難渋するそうだが、その年、すなわち昭和四十二年の七月はじめも、一日おきくらいに降ったり照ったりで、祭礼当日の天気が気遣われた。  しかし、島ではそんなことおかまいなしで、連絡船が着くたびに帰島する人びとひきも切らず、そのたびに刑部島のお祭りさわぎはエスカレートするいっぽうだったが、それがピークに達したのは、なんといっても越智竜平が帰島した七月五日の午後のことだったろう。そして、それからひいてその翌日の夜、すなわち刑部祭りの|宵《よ》|宮《みや》の夜における、あの酸鼻をきわめた殺人事件として発展していくのだが、ここではそこへ話をすすめていくまえに、あとから思えば、その事件の前触れであったのではないかと思われるこぼれ話を、二、三紹介しておくのもむだではあるまい。 「荒木くん、きみのお父さん、三十六の若さで亡くなられたの?」  七月四日の午後のことである。笛と太鼓の猛特訓をうけていた三津木五郎と荒木定吉のふたりは、巴御寮人の注意で金田一耕助と連れの男が、地蔵峠を登ってくるのを木の間がくれに認めたが、五郎はまるでそれを無視するかのように、定吉にむかって話のあとを促した。 「ううん、ハッキリ死んだとはわかっとらんのですけえど、いちおう昭和三十三年六月二十六日を命日として、|後弔《あととむら》いをしとるんです」  定吉の声は悲しげだったが、その目はなにかの期待をこめて巴御寮人の横顔にそそがれている。五郎はいぶかしそうにふたりの顔を|視《み》くらべながら、 「それ、どういう意味なの、ハッキリ死んだとわからないのに、後弔いをしているというのは?」 「おやじは昭和三十三年六月二十六日の朝、シロミテになるのを待ちかねて、置き薬の行商にいくいうて家を出たきり、そのまんま帰ってこんのです。つまり蒸発してしもうたんです」 「蒸発……?」 「へえ」 「それで、そのお父さん、この島へも行商にきていらしたの」 「へえ、うちにのこっとる帳面には、ちゃんとこの島の人びとの名前がのっとおりますんじゃ。こちらの宮司さんのお名前のほか、|錨屋《いかりや》さんの名前なんかも……その時分、この島いまほど過疎の島やなかったとみえ、ほかにもぎょうさん、島の人たちの名前がのっとおります」 「それできみのお父さん、この島で蒸発したというの」 「いいや、そうはいうとりません。おやじはこのへんの島のほか、|吉《き》|備《び》|郡《ぐん》や|浅《あさ》|口《くち》|郡《ぐん》の町や村にも、ぎょうさんお得意さんを持っとったもんですけん、ぼく順繰りにたずねて歩こう思うとるんですけえど、とりあえずいまこの島が評判ですけん、こうして訪ねて来てみたんです。御寮人さん、うちにのこっとおります帳面には、ちゃんと刑部島の宮司、刑部守衛さんとこへなにをなんぼ、かにをいくら置いてきたちゅうような記録がのこっとるんですけえど、あなたもしやおやじを憶えておいでんさりませんか。百姓にしては、ちょっと小意気なところのある男じゃったちゅう話ですけえど」  定吉は詰めよるような調子である。五郎も|瞳《ひとみ》をこらして、巴御寮人の顔色をうかがっていたが、ちょうどそのとき社務所のなかから、真帆片帆の姉妹が飛び出してきて、 「お母さん、お母さん、そこでなにをしておいでんさる」  と、真帆がまず呼びかけると、 「お父さんがなにか大事なお話があるけん、すぐきてつかあさいいうておいでんさります」  と、片帆がそのあとをつぎ、 「五郎さんや定吉さんのお相手は、わたしらがつとめますけん、お母さんははよいてあげてつかあさい」  と、姉の真帆がしめくくった。  そのとき五郎の目にうつった巴御寮人の顔色には、たしかにホッとしたようなものがかぎろうたが、それでもすぐ|艶《えん》|然《ぜん》とほほえんで、 「定吉さん、いまあなたのお話をうかごうているうちに、思い出したことがございます。おたく屋号を柳屋さんいうておいでんさったとちがいますか」 「そうそう、その柳屋です。うちの表に大きな柳の木があるもんですけん」 「ほんなら、それをもっとはよいうてつかあさったら、わたしももっとはよ思い出したかもしれませんものを。荒木清吉などとしかつめらしいお名前をおいいんさるもんじゃけん。柳屋さんなら置き薬の代の借りがのこっているはず」  そのとき社務所のおくから、守衛のいらだたしげな怒号がきこえた。 「御寮人、御寮人、なにをしておいでんさる。はようこっちへきてつかあさい」 「はあい、いままいります」  と、小娘のような無邪気な声を張りあげておいて、巴御寮人はいたずらっぽく首をすくめると、 「真帆ちゃん、片帆ちゃん、お父さんは朝からいらいらしておいでんさるふうじゃったけえど、なにかご|機《き》|嫌《げん》でもお悪いようかえ」 「お祭りがちかいもんですけに、気が立っておいでんさるんでしょ」  真帆は心配そうに|眉《まゆ》をくもらせたが、 「お父さん、あんまり気が大きいほうではおありんさらんけんな」  と、片帆はいまいましそうに|唇《くちびる》をとがらせている。|瓜《うり》ふたつほどよく似たふたりだが、性格はだいぶちがうらしい。  守衛に呼ばれて巴御寮人が、社務所のなかへはいっていったのといれちがいに、金田一耕助と磯川警部が、石段をのぼって頭のほうから現われた。  金田一耕助はひと目その場のようすを見ると、|皓《しろ》い歯を出してニコニコしながら、 「やあ、さっきから笛と太鼓の音がきこえると思っていたが、きみたちだったのかい。ふたりともずいぶん熱心なんだね。そうそう、紹介しておこう。三津木くん、きみこないだ鷲羽山でこの人に会ってるね。こちら岡山県警の磯川警部さんだ。真帆さんや片帆さんはまえに会ったことがあるそうだね」  磯川警部の出現に真帆と片帆はあきらかに|怯《おび》えているらしかったが、それにもまして怯えの色を深くしたのは、三津木五郎よりも荒木定吉のほうである。五郎はそういうこともあろうかと、すでに覚悟をきめていたらしく、泰然自若たる|面《つら》|構《がま》えだったが、定吉のほうは一瞬逃げ場を捜すように境内のなかを見まわした。それはだれの目にもうさん臭くうつらずにはいなかった。  金田一耕助はいぶかしげに、その定吉の顔色をうかがいながら、 「どうしたの、荒木くん、きみなにをそんなにキョトキョトしてるんだね」 「いやあ、金田一先生」  と、五郎は先生という言葉に力をこめて、 「荒木くんはお父さんの|行《ゆく》|方《え》を捜しているらしいんですよ」 「お父さんの行方……? だって荒木くんはこのあいだ、お父さんは亡くなったようにいってたが……」 「それがそうじゃないらしいんですよ。この人のお父さんはいまから九年まえの、昭和三十三年の六月蒸発してしまって、いまだに生死が不明らしいんです」 「いいんですよ、三津木さん、そのこととこの人たちとはなんの関係もないんですけん。あの時分、母から警察へ捜索願いを出したんですけえど、警察はなんの力にもなってくれなんだですけん」 「きみのお父さんてどういう人」  磯川警部がはじめて口をひらいた。かれの関心は定吉よりも五郎にあったのだけれど、警察を|誹《ひ》|謗《ぼう》するようなことをいわれては、黙ってはいられないのだろう。 「百姓ですよ。百姓の片手間に、置き薬の行商をしとったようなシガない人間ですけん、警察でも相手にしてくれなんだと、母はいまだに|恨《うら》んどおります」 「ふうむ、それが三十三年の六月蒸発して、いまだに行方がわからんというんじゃな」  昭和三十三年というのが警部の心にひっかかっているのである。 「へえ」 「それでお父さんの名は……?」 「荒木清吉いうんです」 「セイキチ……? どういう字を書くんだね」 「清いという字に木下藤吉郎の吉です」 「|失《しっ》|踪《そう》したときの年齢は……?」 「三十六歳でした」  磯川警部は金田一耕助のほうへ視線をやりたい衝動を、抑制するのに苦労しなければならなかった。  昭和三十二年の秋から三十三年の春へかけて、下津井の市子、浅井はるのもとへ出入りしていた男は、|清《せい》さんと呼ばれていたという。しかも、出入りの魚屋や酒屋の証言によると、|年《とし》かっこうも三十五、六。日焼けして色はまっくろだったが、がっちりとした体格で、どこか如才ないところがある男だったという。農業の片手間に置き薬の行商をしていたとすれば、そういう|風《ふう》|貌《ぼう》であったのではないか。 「それで、きみ、お父さんはこの島へもきておったのかね」 「へえ、その時分、この島もいまほど過疎はしておらず、うちにのこっとる帳面にも、この島の人の名前がぎょうさん載っとりますけん、ひょっとすると憶えておいでんさるおかたもあるやもしれんと、こうして来てみたんですけえど」  定吉もようやく落ち着きを取り|戻《もど》してきたようである。 「それできみはきみのお父さん、この島で蒸発したとでも思うとるのかな」 「そうはいうとりません。父はずいぶん広い範囲にわたって行商しとりましたけん、どこで蒸発したんかわかりませんけえど、この島、ちかごろ評判ですけん、とりあえず来てみたんです。こちらの神主さんのお名前なんかも、うちにのこっとる帳面にちゃんと記載されとりますけんな」 「さっきここに御寮人さんの姿が見えとったようじゃけえど、きみ、尋ねてみなかったかね」 「御寮人さんも憶えていてつかあさったんです。うち屋号を柳屋いうんですけえど、その屋号で憶えていてくださいました。そいでぼくもっと詳しいこときこう思うたんですけえど、神主さんがお呼びじゃいうて、神社のなかへはいっておしまいんさりました」 「きみ、荒木くん、お父さん蒸発したとき三十六じゃったというたね」 「へえ」 「三十六といえば男盛りだ。ほかにおなごでもあったんとちがうか」  定吉の顔色は悲しみと怒りの交錯で、複雑な陰影をかもし出している。 「ごめん、ごめん、こげえなこというたら、きみが気を悪うするのもむりはないけえどな」 「いいえ、警部さん」  定吉はいくらか激した調子で、 「母なんかもそういうとおります。どこかに隠し女があったにちがいないっと。そういう意味で母は父を憎んどるようです。そうじゃけえどぼくは父が恋しいんです。毎年半年ちかくは家をあける人でしたけえど、家にいるときは、ぼく妹が一人あるんですけえど、われわれきょうだいをとても可愛がってくれたんです。部落の人びとにきいてみても評判は悪うはございません。まめやかな面倒見のええ人じゃったというてつかあさります。それですけん、ぼく父を知っとられる人にできるだけたくさん会うて、どげえな人だったか聞いてみたいんです。こちらの御寮人さんじゃかとて、父の蒸発に関係がおありんさるとはゆめにも思うとりませんけえど、父についてどういう印象を持っておいでんさるか、それを聞かせていただけたらと思うとるんですけえど」  それは不自然なかたちで父を失うた子の、切実な願いであるかもしれない。 「ときに、荒木くん、これをいうときみはまた気イ悪うするかもしれんが、お母さんはお父さんに、隠し女があったにちがいないというとられるんじゃな」 「へえ、きっとそうにちがいないっと……」 「それじゃ、そのおなごと駆け落ちでもして、いまでもどこかに隠れとるんじゃないけ」 「母はなんべんもそれを考えてみたそうです。ですけえど、それならなにか持ち出しそうなもの。金なり、なにが金目のものをですね。しかし、うちには金目のものなんかひとつもありませんし、蒸発するまえに銀行なり郵便局から、ドカッと金を引き出したちゅう形跡もないんですね。逆に父の荷物を調べてみたら、おかしげなものが出てきたんです」 「おかしげなものとは」  定吉はお祭りの|印袢天《しるしばんてん》の下に着込んだ、薄手のセーターをたくしあげると、その下に革でできた胴巻きを腹にまきつけている。その胴巻きからなにか探り出すと、 「そう、そう、これが父の写真ですけえど。本家の伯父さんが撮ってつかあさったもんです。父が蒸発するちょっとまえに」 「なんだ、きみはお父さんの写真を|肌《はだ》|身《み》離さず持っているのかい」  磯川警部はわざとからかい顔にいってのけたが、じっさいは渡りに舟みたいなものだった。警部のほうから写真のことを切り出そうと思いながら、それをいかに不自然なかたちでなく持ち出したものかと、さっきから腐心していたところである。よしまたいかに巧みに切り出せたとしても、この若者がげんにこの場に持ち合わせていようとは、思いもよらぬところであろう。 「ぼくにとっては恋しい父、いうてみればまぶたの父ですけんな」  それは縦十一センチ、横八センチのいわゆる手札型の写真が二枚、あきらかに素人の撮った写真だが、裏面に灰色の紙がこびりついているところをみると、アルバムにでも|貼《は》りつけてあったものを|剥《は》ぎとってきたのであろう。  一枚は首からうえの顔写真で、どうやらこのとき荒木清吉は裸であったらしい。たくましい肩にめりこむようなその顔は、いかにも三十五、六という年齢を思わせて精力的である。まめで面倒見のいい性格といったが、|容《よう》|貌《ぼう》にもそれが表われて誠実そうな顔をしている。髪をみじかく刈って|唇《くちびる》をきっと結んでいるが、目だけがなにか誇らしげに笑っている。 「もう一枚もおなじときに、本家の伯父さんが撮ってつかあさったもんですん」  定吉も誇らしげに胸を張ったが、それはあきらかに、|草《くさ》|相《ず》|撲《もう》のときかなんかに撮られたものにちがいない。裸のうえに回しをつけて、|蹲《そん》|踞《きょ》のかまえをしているところを、真正面から撮ったものである。なるほどこうして裸でいるところを見るとよい体をしている。広い肩幅、厚い胸板、太い胴回り。体全体にボリュウムが充実していて、はち切れんばかりの精力が、|静《せい》なる構えのなかにも躍動している。  警部からまわされたその写真を手にとってみて、金田一耕助はふと青木修三の写真を思いうかべた。海岸の砂浜にパンツひとつで両脚を大きく開いて投げ出している、青木修三の裸身を越智竜平が撮影したものである。それはひとめ見て肉感的というよりは|淫《いん》|蕩《とう》|的《てき》にさえみえたが、それに反して、いま金田一耕助の|掌中《しょうちゅう》にある写真は、あくまで男性的で健康的である。それにもかかわらず金田一耕助にとって、ふたつの写真のあいだに、どこか共通点があるような気がしてならなかったのはなぜだろう。 「この写真はいつごろ撮ったんかね」 「昭和三十二年の秋の祭りの奉納相撲で、父が優勝したとき、本家の伯父さんが撮ってつかあさったもんです。それですけん、父が蒸発するまえの年の秋の撮影いうことになっとおります」 「いやねえ、荒木くん、いまになってこういうことをいうのは軽薄みたいじゃけえど、この写真しばらくわしに預けてくれんかね」 「警部さんにはなにかお心当たりでも……?」 「いや、そういうわけじゃないけえど、|袖《そで》すりあうも|他生《たしょう》の縁ちゅうじゃないけ。いまきみの話をきいているうちに、つくづくときみの孝心に感じいったしだいでな」  なるほど警部の言葉は軽薄みたいだが、かれにはこの写真が必要なのである。おそらく下津井で殺された浅井はるの家に出入りしていた、酒屋や魚屋に鑑定を請うつもりであろう。 「ようござりますとも。なんとかお役に立てて父の安否をたしかめてつかあさい。このままじゃ|蛇《へび》の生ま殺しみてえで、母もわたしも一日も生きた空はございませんけん」  この若者の背負うている暗い影は、そこに端を発しているのであろうと、そばで聞いている金田一耕助も、そぞろ|惻《そく》|隠《いん》の情をもよおさずにはいられなかった。 「それでお父さんの荷物から出て来たちゅう、おかしげなもんちゅうのは……?」 「へえ、それはこれですん。ようく見てつかあさい」  定吉はさっきから革の胴巻きに突っ込んでいた右の|拳《こぶし》を抜き出すと、その手には白木綿で出来た|巾着《きんちゃく》が握られている。巾着の|紐《ひも》をゆるめて中身を左の|掌《てのひら》にあけ、ふたりのまえへ突き出したとき、磯川警部も金田一耕助もおもわず口をついて出ようとする、驚きの声を抑制するのに骨を折らずにはいられなかった。  それは明らかに浅井はるの家の|味《み》|噌《そ》|瓶《がめ》から出て来たとおなじ種類の、|錆《さ》びついた銅貨や銀貨がしめて五個、定吉の掌にのっかっていた。      二  越智竜平はその翌日、すなわち昭和四十二年の七月五日の午後三時ごろ、刑部島へ乗り込んできたのだが、その日の午前の便船で広瀬警部補が川島ミヨをつれてやってきている。  その便船にも帰島する人びとが大勢乗っていたのみならず、ちょっと毛色のかわった人物が七人乗り込んでいた。こんどの祭礼のために|神楽《かぐら》を舞う神楽太夫の一行である。かれらは|白《しろ》|無《む》|垢《く》の着物に|袴《はかま》をはき、黒紋付きの羽織を着ているうえに、神楽|衣裳《いしょう》やお面を入れた大きな|葛籠《つづら》をふたつまでそばにひかえているので、すぐにそれとわかるのである。 「ところがねえ、警部さん、金田一先生も聞いてつかあさい。わたしはこのとおり平服でしょう。いま表にいる川島ミヨくんもあのとおり平凡な若女房ふう。ですけん神楽太夫の一行は、わたしを警察のもんとは気がつかなんだとおみんさい。そのなかの長老株の男がわたしをつかまえて、おかしげなことを聞くんですよ」  そこは刑部島の駐在所のなかである。  |但《ただ》し駐在の山崎巡査はパトロール中とやらでその場にはいなかった。じっさい川島ミヨをそれとなく、三津木五郎に会わせるまえに、どういう手段方法で、ふたりを突きあわせたものかと打ち合わせする必要があったのである。しかし、それにはあの口の軽い山崎巡査を、敬遠しておくほうが無難であろうという、磯川警部の配慮から、ていよくパトロールにと追っ払っておいたのである。川島ミヨも駐在所の表で待機させてある。 「おかしげなことちゅうのんは……?」 「いまから二十年ほどまえにこの島で、神楽太夫がひとり蒸発したと思われるふしがあるんじゃけえど、兄さんはなにかそんな|噂《うわさ》をきいたことはないかっと」  蒸発……と、聞いて金田一耕助と磯川警部は、思わずハッと顔見合わせた。 「広瀬くん、それはまたどういう話じゃな」 「警部さん、あなたなにがお心当たりが……?」 「いやいや、それはまたあとで話す。それより、神楽太夫がこの島で蒸発したちゅうのはどういうことけ」 「いやいや、それがな、わたしにもよう|呑《の》み込めんのですわ。なにせ下津井とここではあっというまでしょうが。それにこの島がまぢこうなってから、そのじいさん、もうそろそろ七十ちかいじいさんでしたが、わたしを島のもんとまちがえたんですな。わたしはわたしで唐突のことですけん、答えに窮してマゴマゴしておりますと、ほかのもんがあわててじいさんを押しなだめ、わたしにむかってこのじいさんが、いまなにをいうたかしりませんけえど、なんにも聞かなんだことにしてつかあさい。このじいさん、年のせいでおツムが少しおかしゅうなっとりますけんと、その|周章狼狽《しゅうしょうろうばい》ぶりがかえっていぶかしゅう思われたもんですけん、こうしてお耳に入れとくしだいです。しかし、それについてなにか……?」  広瀬警部補は探るように、ふたりの顔を見くらべている。 「それで、その神楽太夫の一行はどこに泊まっとるんかね」 「ことしの大当番は|錨屋《いかりや》じゃそうですけん、七人|揃《そろ》うて錨屋へ繰り込みましたよ」 「ああ、そう。それじゃなんとかして、その件についても探りを入れてみよう。しかし、広瀬くん、こちらにもひとつ話があるんじゃけえど、そのまえにきみに見ておいてもらいたいもんがある。きみはこれをどう思うかね」  警部がポケットから取り出したのは|手《て》|垢《あか》で薄汚れた白木綿の巾着である。口をしぼった紐をゆるめて左の掌のうえではたくと、なかから飛び出したのは錆びついた五個の硬貨。広瀬警部補がおもわず大きく目を|視《み》|張《は》るのをみて、 「遠慮はいらん、手にとってよう調べてみたまえ。ひとつきみの意見も聞かせてもらおうじゃないけ」  広瀬警部補はひとつひとつ手に取ってみて、大きく息をはずませると、 「警部さん、いや、金田一先生、これまたみんな明治二十六年以前のもんばっかりですな」 「そう、明治二十六年という年にどういう重大な意味があるか、金田一先生が錨屋のじさまから聞き出しておいてくだすったのじゃけえど、それはまたあとで話そう。それよりこの銀貨や銅貨について君の意見は……?」  かれの意見も警部や金田一耕助とどうようであった。下津井の市子浅井はるの家の味噌瓶から発見された、あの古銭と同種類のものにちがいないと断言した。 「ところで、きみはきょう下津井へかえる予定だったな」 「はあ、いま表にいる川島ミヨを、夕方までに送り届けると|亭《てい》|主《しゅ》に約束してきたもんですけん。それがなにか……?」 「それはちょうど幸い。ここにこういう写真が二枚あるんだがね、これを持って帰って、浅井はるの家へ出入りしていた酒屋や魚屋のもんに、鑑定を請うてもらいたいんじゃけえど」 「それ、どういう……?」  そこで警部が荒木定吉の話をことこまかに取り次ぐと、広瀬警部補の興奮は極限に到達した。 「それじゃ定吉のおやじの清吉いうもんも、この島で蒸発したとおいいんさるんで」  警部補は興奮のため口角|泡《あわ》を飛ばさんばかりである。 「いや、そうはいわんと定吉はいうんじゃけえど。うちにのこっとる帳簿にはこの島のもんの名前がぎょうさん載っとるけん、とりあえずいま評判のこの島へきてみたと……いまきみの持っとる写真がその清吉で、清吉の荷物を調べてみると、明治時代のその古銭が二十六個出てきたそうな。そのなかの五個だけをなにかの証拠にと、写真といっしょに肌身離さず持って歩いとるんじゃそうな。清吉すなわち清さんじゃな」  警部補もやっと警部のいわんとするところを|諒解《りょうかい》した。 「わかりました。それじゃきょう下津井へかえったら、さっそく浅井はる宅出入りの酒屋や魚屋へ出向いていて当たってみましょう。しかし、警部さん、もうひとつの一件、三津木五郎のほうはどうなっとおります」 「それじゃて、こいつ年は若いがなかなかひと|筋《すじ》|縄《なわ》ではいかんやつでな。そのことについても、きみに頼まれてもらわねばならんことがあるんじゃけえど」  磯川警部は苦渋にみちた微笑をうかべた。  きのう荒木定吉との応対がおわると、警部は改めて三津木五郎のほうへ|鋒《ほこ》|先《さき》をむけた。 「よう、なんでも見てやろうくん、またおかしげなところで会うたじゃないか」  そのとき五郎は拝殿の|階《きざはし》に腰をおろして、真帆、片帆のお相手をつとめていたが、警部に声をかけられると、自分の出番が来たなとばかりに、ゆっくり立ってこちらへきた。 「あっはっは、まったくですね。警部さんはまさかぼくを追って来られたんじゃないでしょうね」 「きみはなにが警察のもんに、追われるようなことをやっとるのかね」 「いやだなあ、そういういいかたをするから、警察の人は世間から好かれないんですよ」  あいかわらずさわやかな笑顔である。笑うと八重歯が魅力的であることはまえにもいった。  しかし、考えようによっては、これで警部の質問をまんまとはぐらかしたことになる。警部は|眉《まゆ》をひそめたが、相手の笑顔を見ると、なんとなく憎めないらしい。 「ときにきみは神戸から来た風来坊だそうだが、神戸のどこだね、きみの家は……?」 「それは職務質問というやつですか」 「なんとでもいえ、身に|疚《やま》しいところがなかったらいったらいいじゃないか。まさか宿帳に偽名を使うとるんじゃないだろうな」 「じゃ、その宿帳を調べてごらんになったら……と、いいたいところだけれど、それも面倒ですからここでいっときましょう。神戸市|垂《たる》|水《み》区|瑞《みず》が|丘《おか》……」  何丁目の何番地であると付け加えた。 「しかし、きみは両親が亡うなったんだろう。いま家にはだれがいるんだい」 「浅野こうさんがいますよ。ぼくのばあやさんです。その家、両親の死後ぼくの名義になってるんですがね。すぐご近所に|新田穣一《にったじょういち》さんのお宅があるので、年寄りひとり留守番していても、そう不用心ってことはないんです」 「新田穣一さんというのは三新証券を作った人だね」 「あっはっは、警部さんはよっぽど詳しくぼくのことを、そこにいらっしゃる探偵さんからお聞きになったとみえますね」  五郎はちょっぴり皮肉ると、 「ついでに三新証券のところもいっときましょう。神戸市|生《いく》|田《た》区|海岸通《かいがんどおり》……」  何丁目の何番地を付け加えると、 「そこへいってお尋ねになると、ぼくのことならなんでもわかりますよ。ハッキリいっときますがね、ぼくは決して怪しいものじゃありません」  怪しいものではないといいながら、この若者は少ししゃべり過ぎるようだと金田一耕助は考えている。  磯川警部はそれに気づいているのかいないのか、目をシワシワさせながら、 「それできみ、こんな島へきて面白いかね」 「面白いですね、ぼく都会生まれの都会育ち。こういう地方の古風なお祭りなんか初体験ですからね。それに巴御寮人や真帆ちゃん片帆ちゃんともおちかづきになれたし」  そこで手にしていた笛を口に当てると、たくみに祭り|囃《ばや》|子《し》を吹いてみせ、 「どうです、ぼくなかなか器用でしょう」  と、のんきらしくニコニコ笑っていたが、ふとその目を定吉のほうにむけると、 「それに荒木くんという友人も出来たことだし……そうそう、警部さん、荒木くんのお父さんを捜してあげてくださいよ。警部さんもさっきいってたでしょ。袖すりあうも他生の縁だと。ぼくなど両親の死に目にあってますから、その点|諦《あきら》めもつきやすいですが、荒木くんの場合、お父さんが蒸発して、そのまま消息不明というんでしょう、それじゃさっきこの人もいってたとおり、蛇の生ま殺しもおんなじことです。当時捜索願いが出てたというのに、これじゃ警察の怠慢も甚だしいじゃありませんか。日本の警察はとても有能だと聞いていたのに」  五郎はたくみに話題をすりかえたようである。警部はせせら笑いながら、 「三津木くん、きみはなかなか秀才らしいが、それじゃまるで聖徳太子みたいじゃないか」 「と、いうと……?」 「聖徳太子は十人の訴えを同時にお聴きになったというが、きみはさっきから真帆ちゃんや片帆ちゃんと、よねんなく遊んでいるようにみえていたのに、こっちの話も抜けめなく聞いていたんだね」 「それは……」  と、いいかけたが、五郎は急に話題を転じて、 「それより、警部さんはなんのご用でこの島へ来られたんです。まさか祭り見物じゃないでしょう」 「そのことなら、真帆ちゃん片帆ちゃんのほうがよう知ってるよ」 「え?」 「なあに、この五月のおわりにこの島に、ちょっとした事件があってわしはここへやってきたんだ。そのとき巴御寮人や真帆ちゃんや片帆ちゃんに会うている。なんならそのふたりに聞いてごらん。それじゃ、三津木くん、また会おう」 「……と、いうわけで、金田一先生のアドバイスもあって、わしはきのうわざと浅井はるの名前を出さずに来たんじゃけえど、それについて、広瀬くん、さっききみに頼まれてもらいたいことがあるというたんは、兵庫県の県警へ連絡をとって、三津木五郎のいうたふたつの住所、かれ自身の住所と海岸通の三新証券へ当たってもらいたいんじゃ。ところはこうじゃけえど」  警部はあのとき五郎の挙げたふたつの所書きを、手帳に書きとめはしなかったけれど、記億にはとどめておいたのである。  薄暗い駐在所のなかで広瀬警部補は、ふたつの所書きを手帳に書きとめると、思わずホッと|溜《た》め息をついて、 「それにしても、警部さん、これいったいどげえな事件ですん。青木という男の変死事件があったかと思うと、下津井の市子殺し、それにふたつの蒸発事件、そのあいだになにか関連があるんでしょうかねえ」  蒸発……?  そうなのだ、そのころ蒸発という言葉がよく新聞紙上を|賑《にぎ》わしたものである。都会でもあったし、草深い田舎でもあった。妻子を捨てて消息を絶つ夫があるかと思うと、亭主や子どもをおいてけぼりにして、行方をくらます女房もあった。それを蒸発と称したものだが、なにしろ当時は無責任時代であった。  大阪で蒸発した男がのちに、四国の八十八か所巡りのお|遍《へん》|路《ろ》さんとして見つかったことがあるが、その男の場合株で大穴をあけ、借金に困って蒸発したのだとのちにわかった。農家の若女房で蒸発したのが、のちに都会でトルコ嬢をしているところを発見されたこともある。これなどは戦後のあやまった解放感が、若い女に道を踏みはずさせたのであろう。しかし、なかには推理小説もどきの蒸発もあり、のちに殺人事件と判明した蒸発もある。荒木定吉が心配しているのもその点であろう。  金田一耕助はそのとき、青木修三のテープの声の一節を思い出していた。 「あの島には悪霊がついている。悪霊が……悪霊が……」  駐在所のまえに立たされていた川島ミヨが、たまりかねたように腰高障子を外からひらいて、声をかけたのはそのときである。 「ちょっとお、刑事さん、うちいつまでここに待っとらないけませんのう。用事をすませてはよ帰りたいんですけえど……」  と、怒ったように鼻を鳴らした。     第十章 竜平の帰還      一  昭和四十二年七月五日の午後になると、刑部島の動きはにわかに活発になってきた。  越智竜平はべつに島全体に、帰郷の時期を予告してきたわけではないが、島の人たちにきょうあたりという期待があるうえに、|地蔵平《じぞうだいら》にある越智邸の動きをみていると、にわかにあわただしさを加えてきた人の出入りに、さあ、いよいよきょうだという緊張が、ピーンと張りつめた一本の針金のように島全体を|金《かな》|縛《しば》りにした。  金田一耕助にもそういう予感がしていたが、かれにはかれの務めがある。その日の午前、駐在所で磯川警部や広瀬警部補と綿密な打ち合わせをすませると、川島ミヨをともなって刑部神社へ登っていった。  三津木五郎と荒木定吉はきょうもまた、刑部神社の境内で祭り|囃《ばや》|子《し》の|稽《けい》|古《こ》によねんがない。定吉はきのういっさいの秘密を打ち明けたのでいくらか心が軽くなったのか、きょうは太鼓を|叩《たた》く拍子にも明るさをましているようだ。  ましてやかれはきのう警部や金田一耕助が下山したあとで、巴御寮人にあらためて会ってもらった。 「まあ、まあ、あんたが柳屋さんの|息《むす》|子《こ》さんでしたかいなあ。さっきはあんまりだしぬけじゃったもんじゃけに、わたしも|面《めん》|喰《くろ》うてしもうて失礼しましたけえど、いまぼんやり思い出しただけでも、義理がたいお人じゃったように思いますぞな。それに置き薬の行商をしておいでんさっただけに、世間が広うて、お話のおもしろいお人でしたなあ。もちろんご商売がご商売じゃったけん、こうして座敷へあがってもろたことは一度もございません。いつも社務所の玄関先での応対じゃったけえど、あんたに似てええ体をしておいでんさった。そうそう、ふだんは|故郷《くに》で百姓をしておいでんさるちゅう話でしたなあ。あの人がなあ、蒸発しておしまいんさったとはなあ」  この神々しいばかりに美しい御寮人さんの、しみじみとした述懐をきいただけでも、定吉にとっては本望だったであろうに、ましてやそこは社務所の奥の十畳の座敷であった。  父も通されたことのないという座敷へ、五郎とともに招じ入れられた定吉は天にも昇るような喜びと感激だった。床の間の隅には三面の琴が|油《ゆ》|単《たん》をかけて立でかけてあり、だれの筆かはしらないが、水墨の山水の軸もかかっていた。おまけに巴御寮人みずから茶を|点《た》ててのもてなしとあっては、定吉の感激ここに極まれりというていたらくであったのもむりはない。  真帆と片帆も神妙にその場にひかえていて、御寮人の点てる茶を真帆は五郎に、片帆は定吉にすすめてくれた。ふたりともはじめて金田一耕助が会ったときにくらべると、だいぶん打ちとけているようだ。五郎に懐柔されたのであろう。  守衛はさっき人を遠ざけて一時間ほど、この座敷で巴御寮人と差し向かいで話しこんでいたが、祭りの打ち合わせがあるとかで、むつかしい顔をして山を下っていった。たぶん錨屋へでも出向いていったのであろう。  南の障子が開いているのでその座敷に|坐《すわ》っていると、いながらにして千畳敷きの林を越えて、瀬戸内海が明るくみえる。四国へ通う連絡船であろうか、いま一隻の汽船が南に見える島影へはいっていった。  さっきから、南側の庭を掃く|箒《ほうき》の音がきこえていたかと思ったら、そのとき突然竹箒を両手に持った男が五人のまえに現われた。吉太郎である。きょうの吉太郎はゴワゴワとした白木綿のシャツのうえに、黒い|法《はっ》|被《ぴ》を着ている。法被の背中には二つの巴の紋所が白抜きに染め出してあり、|両襟《りょうえり》には刑部神社とこれも白抜きで。  吉太郎は無愛想な|表情《かお》をして、砂を敷きつめた南側の庭にていねいに箒の目をいれおわると、無言のまま会釈もせずに一同のまえを通り過ぎていった。この男の突然の出現に、五郎も定吉もあっけにとられて無言でいたが、吉太郎の姿が見えなくなると、 「御寮人さん、あの人は……?」  五郎は小声で、 「このあいだぼくがこの座敷で、琴と尺八の合奏をしていただいたときも、あそこから|覗《のぞ》いていましたね」 「ああ、あの人は吉太郎さんいうて、このお宮のじいやですん」 「と、するとここの奉公人ですか」 「いいえ、奉公人ではございませんの。あの人本職は漁師ですけん」 「でも、御寮人さん、お言葉を返すようですが、このへんの魚は水島の公害で、|漁《と》れても口にははいらんというじゃありませんか」 「ですけん、その魚を水島へ持っていって買い上げてもらいますんよ。錨屋のおじいさまがそういうふうに掛けおうてあげたんですん。あのおじいさまはなにかにつけて、抜けめのないお人ですけんな。そのお礼ごころとでもいうんでしょうか、このお宮の面倒をよう見てつかあさります」  御寮人はこともなげにいってのけたが、五郎はうわ目づかいに人を見るこの吉太郎の存在が、なんとなく気になるふうであった。  巴御寮人は笑いながら、 「なにせ若い娘がふたりまでいるこのうちでございましょう。わたしと三人、女ばかりの所帯のうえに、主人がとかく留守がちときとおりますけんな、あのじいやがなにかと気を遣いますんよ。わたしにはおかしゅうてなりませんけえど、島のもんはみんな心が狭うていけませんぞなあ。この真帆や片帆もはじめのうちはそうでしたけえど、五郎さんのおかげでこの二、三日、いくらか開けてきたようですけん、わたしは心の中でよろこんどおりますんよ。そうですけんな、五郎さん、あんたも島にいるあいだはちょくちょくここへ顔を出して、この子たちをあんじょう教育してやってつかあさい。定吉さん、あんさんもどうぞ。ことにあんさんはお父さんとのご縁もございますけんなあ」  御寮人に畳に手をついて|挨《あい》|拶《さつ》されると、さすが図々しい五郎も恐縮せずにはいられなかった。それに御寮人はそのつもりでいったのかどうかわからないが、女ばかりの所帯へ上がり込んで、長居をするのもどうかと気がついたのか、五郎は腰を浮かして、 「荒木くん、それじゃそろそろお|暇《いとま》しようじゃないか」 「あら、もうおかえりですん。それじゃお引き止めはしませんけえど、あしたもまたきてつかあさい。あしたは島の若い人もおおぜいおいでんさって、お稽古をおしんさるそうじゃけん、あんさんがたもご一緒にどうぞ」  それがきのうのことだったが、きょうはなるほど刑部神社の境内には、祭り|袢《ばん》|天《てん》を着た屈強の男たちがおおぜい集まって、笛や太鼓の稽古によねんがない。なかにはこの島へくるとき金田一耕助と一緒だった松蔵や信吉もまじっている。かれらはお囃子の稽古ではなくこれまた越智竜平の寄進によるという、ま新しい|神《み》|輿《こし》を点検しているところであった。 「ふうむ、これはまたきょうとい(恐ろしい)ほど立派な神輿じゃけえど、本家はいったいどういう了見じゃろう。この神輿だけでもひと身代ふっとんだろうに」  松蔵はとかく分別顔である。 「おじさん、もうそげえなこというのはやめとおきんさい。ぼくらこの神輿かついでワッショイ、ワッショイ、暴れまくるだけじゃけん。なあ、謙ちゃん、辰ちゃん」 「そうじゃ、そうじゃ、こげえな盛大なお祭り何年ぶりじゃろうかのう」 「わしらが物心ついた時分には、この島もうだいぶん|寂《さび》れていたけんなあ」 「松蔵おじさん、このお神輿、きょうじゅうに、|小《こ》|磯《いそ》のお|旅《たび》|所《しょ》へ担ぎおろしておかないかんのとちがうか」 「そうだ、そうだ、そのためにおまえらを連れてきたんじゃけんのう。本家もどうやらきょうの昼過ぎ、帰っておいでんさるふうじゃ。どうせ自動車じゃろうが、通りがかりに、よう見えるように飾っておけ」  五郎と定吉も祭り囃子の稽古をやめて、この豪勢な神輿を見物にやってきていた。|人《ひと》|垣《がき》の背後に立って|爪《つま》|先《さき》|立《だ》っているところだから、人知れず|面《めん》|通《とお》しをやるには打ってつけのチャンスであった。  広瀬警部補も平服のうえにおそらく山崎巡査にでも借りてきたのだろう、祭り袢天を着ているところを見るとふつうの四十男である。 「へえ、これがこんどご本家が寄進おしんさったちゅうお神輿け、これはまた豪勢なもんじゃないけ」  話しかけられて振り返った五郎は、相手をだれとも気がつかずニコニコしながら、 「ほんとに立派なもんですね。ぼくもあしたは担がせてもらおうかな」  そういう五郎の顔をびっくりしたように|視《み》|直《なお》すと、 「あれ、そういうあんたはどこからお見えんさった。そういえば島では見かけんお顔じゃけえど」 「いやあ、ぼくは旅のもんです。ここにいるこの人もね」  と、そばにいる荒木定吉の肩を叩いて、 「だけど、こちらの御寮人さんにお願いして、祭りのあいだじゅう氏子にして|貰《もら》ったんです」 「あんたの言葉をきいとると東京のおかたのようじゃけえど」 「いや、ぼくは神戸です。でも、この春東京の学校を出たばっかりですから」  これだけの会話があったのだから、川島ミヨが人知れず五郎を観察する余裕は十分あった。しかし、その結果は陰性であった。  もともと彼女はこの面通しというのをひどくいやがっていた。その若者を二度目撃しているとはいうものの、最初はうしろ姿だけだったし、二度目はあっというまのすれちがいだったから、ハッキリ顔を|憶《おぼ》えてるかどうかわからない。それもあのときの顔形のままなら、それと指摘することが出来るかもしれないが、髪を切り、ヒゲを|剃《そ》り落としているとすれば、そこからあの若者の顔を再現することはおぼつかないかもしれない。自分の印象にのこっているのは、あのヒゲだらけの顔とチリチリ縮れた長髪だけなのだからと、彼女は二の足を踏んでいたのだが、結果は果たしてそのとおりになった。  ハッキリあのときの若者とちがうと否定はしなかったが、さりとてそうであると肯定もしなかった。由来一般庶民というものは、警察に係かりあいを持つということをひどく|危《き》|惧《ぐ》するものだが、ましてやこれは殺人事件である。川島ミヨが最初から|尻《しり》ごみしていたのもむりはないが、さりとてこんどの場合、川島ミヨの言葉が|曖《あい》|昧《まい》だったのは、それを|惧《おそ》れただけではなく、じっさい、彼女はどちらとも断定しかねて、困惑しているふうであった。 「年かっこうや背丈はよう似とおるように思いますけえど、あのときの若い人はもっと粗野で、荒っぽかったように思います。いま会うた人は穏やかでニコニコしておいでんさる。ふたりから受ける印象はまるでちごうとりますけえど、そうじゃかとて、全然人違いとは……」  いいかねると、川島ミヨの言葉はどこまでいっても堂々めぐりであったが、磯川警部はそれで満足しなければならなかった。 「ああ、そう、ええですよ、ええですよ、それくらいで。ご苦労さん、それじゃ、広瀬くん、下津井まで送ってあげてくれたまえ。金田一さん、どうやら越智さんが帰ってこられるふうじゃ。あんた船着き場まで迎えにおいでんさらんでもええのかな」 「警部さん、あなたもごいっしょしましょう」  地蔵峠のあたりで待機していた磯川警部は、川島ミヨの混乱した報告をききおわると、広瀬警部補をつけてさきに下山させ、自分は金田一耕助といっしょにゆっくり地蔵坂をくだりはじめた。例の道がふたまたにわかれているあたりまで来ると、地蔵平のほうから自動車が二台走り出してきた。      二  まえに乗っているのは中年の女性だったが、彼女は洋装で自らハンドルを握っていた。おそらく越智竜平の秘書で、この島における竜平の事業の、総指揮官を仰せつかっているという松本|克《かつ》|子《こ》であろう。あとの車には運転手がついていたが、後部の座席に坐っているのは、六十前後の人品のいい白髪の老婦人で、地味な和服がしっとりとした落ち着きをみせている。おそらく新築された越智邸の、家事取り締まりをやっているという、竜平の叔母越智|多《た》|年《ね》|子《こ》であろう。  二台の自動車は道のかたわらに立っている、金田一耕助と磯川警部を|尻《しり》|目《め》にかけて、新在家のほうへくだっていった。 「あれがあんたのいうておいでんさった、秘書と家事取り締まりでしょうな。あの秘書なかなかしっかりもんらしいじゃありませんか」 「なにしろアメリカ仕込みですからね」 「あれ、お見んさい。越智さんの自家用|汽艇《ランチ》も出港の用意が出来とるふうじゃ」  きょうの午前中、駐在所で打ち合わせをやっているとき、汽艇の乗り組員三名が山をくだって小磯のほうへいったということを、山崎巡査の報告で磯川警部も知っていた。時刻を見るとちょうど二時。  それから一時間ののち、克子や多年子を乗せていったん刑部島を出ていった汽艇が、越智竜平を乗せて水島から引き上げてくると、船着き場から小磯へかけては黒山のような人だかりであった。小磯からあふれた人たちは、新在家の道の両側に立ちならんでいる。みんな島出身のこの成功者の姿を、一刻も早く見ようと|固《かた》|唾《ず》をのんで待っているのである。  船着き場には万国旗が張りめぐらしてあり、宮司の|守《もり》|衛《え》や村長の|辰《たつ》|馬《ま》、ほかに村の有力者たちが一列になってならんでいる。守衛は白の|小《こ》|袖《そで》に黒紋付きの羽織|袴《はかま》、馬面の天神ヒゲが|汐《しお》|垂《た》れているが、本人はしごくまじめでひどく緊張しているらしく、袴の下の|膝頭《ひざがしら》がガクガクと貧乏ゆすりをしているふうである。村長は古ぼけたモーニングに威儀をただし、ほかの有力者たちも似たり寄ったりの風体だが、だれもかれも緊張しているところは天神ヒゲの宮司と同様である。大膳の姿は見えなかった。  金田一耕助はその人たちから少し離れたところで、磯川警部と肩を並べて立っていた。その二人とまた少し離れたところで、人ごみに|揉《も》まれながら立っているのは、三津木五郎と荒木定吉の二人である。五郎はあいかわらず胸にカメラをぶらさげているが、その顔色からはあの人を食ったような微笑が消えていて、なんだかそわそわしているようすである。あきらかに|日《ひ》|頃《ごろ》の落ち着きを失っていた。 「金田一さん、あれごろうじろ。三津木五郎のやつ、なんだかひどく興奮しているようじゃありませんか」 「妙ですね。荒木定吉のほうはただあっけらかんとしているのにね」 「あなたも気がついておいでんさったか。あの若僧、なにが目的でこの島へやってきたのか……」  金田一耕助は悩ましげな目をして、首を左右にふっていたが、そのとき船着き場のほうで万雷のような拍手が起こったので、そっちのほうに目をむけると、いましも自家用汽艇から越智竜平が下り立ってきたところであった。と、思うと港の空に一発、二発、三発と花火が大きく|炸《さく》|裂《れつ》し、|綿《わた》|屑《くず》のような煙のなかから一つ、二つ、三つ、小旗がヒラヒラ舞い落ちてきた。  あとでわかったところによると、万国旗といい、この花火といい、松蔵の音頭取りで帰島した人びとが金を出しあい、倉敷で調達してきて、きょうこの瞬間のために用意してあったものだという。  これは越智竜平も予期せざるところだったとみえ、驚いたように空を見上げていたが、やがて鼻白んだような笑いをうかべて、まず守衛と、ついで辰馬や村の有力者たちと、ひとりひとり握手をしながら|挨《あい》|拶《さつ》をしている。その様子にはべつに思い上がったところもなければ、|驕《おご》ったようなところもなく、いつもの厳しい表情のなかにも、いくらかテレたような微笑をうかべている。それがまた待っていた人たちの好感をよんだのか、だれが叫ぶともなく、万歳の声が|波《は》|止《と》|場《ば》のなかを圧倒した。  竜平は手をあげて歓呼の声にこたえながら、あたりの群集を見まわしていたが、ふと金田一耕助の姿を見付けると、つかつかとそばへ寄ってきた。背後には松本克子と越智多年子がついている。黒っぽい、|清《せい》|楚《そ》な洋装に身をくるんだ松本克子はなかなかの美人である。 「金田一先生、いかがですか。島の居心地は……?」 「いやあ、もうすこぶる快適な毎日を送らせていただいております。そうそう、紹介させていただきましょう。こちらこのあいだお耳に入れておいた磯川警部さん」  竜平はちょっと虚をつかれたように警部のほうへ目をやったが、すぐ|莞《かん》|爾《じ》とばかり|頬《ほほ》|笑《え》んで、 「これはこれはようこそ。お|噂《うわさ》はかねがね先生からうけたまわっておりました。ところでどうです、金田一先生、このままわたしといっしょにいらっしゃいませんか。警部さんもごいっしょにどうぞ」  と、船着き場のそばに|駐《と》まっている二台の自動車のほうを|顎《あご》で示した。金田一耕助はちょっと|躊躇《ちゅうちょ》したのちに、 「いや、きょうのところはご遠慮しましょう。お宅もおとりこみで大変でしょうから」  竜平もちょっと考えて、 「ああ、そう、それではあしたの夕刻、お迎えを差し向けましょう。そのときは警部さんもごいっしょにどうぞ」 「はあ、ありがとうございます」  金田一耕助と磯川警部が異口同音にいって頭をさげると、竜平はふたりのそばを離れて自動車のほうへいった。二台駐まった自動車のすぐそばに、仮設のお旅所があり、そこに新造の神輿が飾ってあった。神輿の屋根にとりつけた|鳳《ほう》|凰《おう》が|燦《さん》|然《ぜん》と金色にかがやいていてみごとであった。  竜平はそのお旅所を取り巻いている若者たちのなかから、松蔵の姿を見つけると、右手をあげてあいさつをした。松蔵はふかぶかと|頭《こうべ》をたれたがいかにもうれしそうである。男はみんなお|揃《そろ》いのま新しい祭り袢天を着込んでいて、これまたお揃いの鉢巻きが|凛《り》|々《り》しかった。  ささにいる自動車のうしろの座席のドアを開いて、松本克子が直立不動の姿勢をとった。竜平はもう一度そこに群がっている人びとに手を振ると、やおら座席へ乗り込んだ。松本克子も運転台へ乗り込んでハンドルを握った。竜平は窓ガラスを開いて身を乗り出し、そこにいる老若男女に手を振り、自動車が動き出した。  あのちょっとした異変が起こったのは、ちょうどその瞬間であった。  少し離れたところでさっきから、それらの様子を感慨ぶかげに|視《み》|守《まも》っていた三津木五郎が、そのとき突然なにかの激動にかられたかのごとく、自動車のそばへ駆け寄って、なにかわめいた。それは御領主様に直訴する農民のようにみえた。  定吉があわててそばへ駆け寄って五郎の腕をとって引き戻した。竜平はふしぎそうな表情をして、窓のなかから五郎の顔を見ていたが、自動車はそのまま走り去った。そのあとから多年子を乗せた自動車がつづいた。  そのときのことをあとで竜平にきくと、五郎はたしかに、 「お父さん!」  と、叫んだようだったという。  ちょうどそのころこの島の西海岸の沖合いに、島にたった一|艘《そう》しかのこっていないといわれるオチョロ舟を浮かべて、|新《しん》|家《や》の吉太郎がしきりに|網《あみ》を打っていた。さっき花火があがったとき、ちらっとそのほうを振り仰いだが、それっきりわれ関せずえんと、黙々として食えない魚を|漁《と》っている。     第十一章 |神楽《かぐら》|太《だ》|夫《ゆう》      一  このへんの|神楽《かぐら》はいつか三津木五郎もいっていたとおり、|備中《びっちゅう》神楽とよばれている。岡山県にはそうとうたくさんの神楽の社があるらしいが、こんど島へ招かれてきたのは、|後《し》|月《つき》郡井原市近在の部落のもので、社長を四郎兵衛とよび|年齢《とし》は七十四歳であるという。以下としの順に名前を挙げると、|平《へい》|作《さく》、|徳《とく》|右衛《え》|門《もん》、|嘉《か》|六《ろく》、|弥《や》|之《の》|助《すけ》、|誠《まこと》、|勇《いさむ》となっており、誠は二十五歳、勇は二十三歳、ふたりは兄弟で、ともに四郎兵衛の孫である。姓は全部|妹尾《せのお》で、聞くところによると、かれらの住んでいる部落では全戸妹尾を名乗っているのだそうな。  神楽太夫といっても、かれらは神楽を舞うことをもって正業としているわけではなく、ふだんはふつうの農民とおなじように、郷里の村で農耕に従事しているのである。それが祭りの秋ともなれば|羽織袴《はおりはかま》とかたちを改め、あちらの村、こちらの部落とまわって歩くのである。  だから毎年秋の祭りの季節ともなれば、かれらは目のまわるような忙しさであった。毎日どこかの村で祭りがある。どうかするとおなじ日に二か村の祭りがかち合うことも少なくなく、あちこちからの引っ張りだこで、二里三里離れた村をかけもちすることも珍しくない。現代ではトラックというものがあるから、昔にくらべればよほど楽になったが、以前は神楽太夫の一行があちらの部落から、こちらの部落へと|葛籠《つづら》を乗せた荷車を人足にひかせて移動して歩く姿が、岡山県の秋の風物詩になっていたという。  神楽そのものがそうとう激しい労働であるうえに、このかけもちがひどいから、体の弱いものには務まらない。だからきょう|錨屋《いかりや》へおちついた神楽社の一行七人も、みんな頑健で、たくましい体をしている。いちばん年かさの四郎兵衛でさえ、|上《うわ》|背《ぜい》こそそれほどではないが、がっちりとしたその体は岩のかたまりのようで、とうてい七十を越えた老人とは思えない。まだ若い誠、勇のふたりはいうまでもないとして、ほかの四人の平作、徳右衛門、嘉六、弥之助などもみんな右へならえである。  平作が六十代、徳右衛門、嘉六が五十代、弥之肋が少しはなれて三十代というところだろう。それから誠の二十五歳、勇の二十三歳ということになっている。  一行がどやどやと錨屋に繰り込んできたのは、七月五日の朝の十時ごろだったが、かれらの通されたのは、金田一耕助と磯川警部が泊まっている階下の十畳の座敷であった。四郎兵衛は|床《とこ》|脇《わき》の下においてある古ぼけたボストンバッグや、つぎの間の八畳の|衣《い》|桁《こう》にかかっている合いの|二重廻《にじゅうまわ》しに目をとめると、案内に立った大膳をふりかえって、 「おや、ここだれか先客がおいでんさるのんとちがいますか」 「ええて、ええて。その先客さんはたぶん今夜あたりから、ほかへお移りんさることになるじゃろ。よしんばそうでのうても、いたって気さくなお人じゃけん、二階へいてもろてもええ」 「四郎兵衛さん、昭和二十三年にこの島へ神楽を舞いにきたときも、たしかこの座敷でお世話になったぞな」  平作がいった。 「そうじゃ、そうじゃ。障子の外に水島や|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》が見えておった。鷲羽山は昔のままじゃけえど、水島はすっかり変わってしもうたのう。あのきょうとい煙突をお見んさい」  徳右衛門がそれに応じると、嘉六もつづいて、 「あの煙突が一本ふえるごとに、この島では人口が減ると聞いていたが、見ると聞くとは大ちがい、きょう来てみたら、この島、えろう活気づいとるじゃないけ」  これらの会話を聞いていると、この四人はまえにもこの島へ神楽を舞いにきたことがあるらしい。弥之助、誠、勇の三人ははじめてらしく、物珍しそうにこのりっぱな座敷の内外を見まわしている。 「|旦《だん》|那《な》、それじゃこのお座敷でお世話になってもよろしゅうございますか」 「ああ、ええとも、ええとも。あんたがたにここへきてもろたんは、みんなわしのはからいじゃけん、歓待するのんはわしの務めじゃ。それにこの家で七人いっしょにいられるのんは、ここしかないけんな。先客さんにはわしからあんじょう断わっておく。四郎兵衛さん、落ち着いたらお帳場へ話しにおいでんさい。わしもあんたにちょっと尋ねたいことがあるけんな」  大膳は七人の神楽太夫と、ふたつの大きな葛篭をあとに残してお帳場へ引きとったが、かれもなんとも落ち着かぬふぜいである。|小《こ》|磯《いそ》に停泊している越智竜平の自家用|汽艇《ランチ》が、いよいよ出港の準備をしているとさっき村長から聞いて、さてはきょうかとちょっと胸をつかれる思いがしているのである。  越智竜平が帰ってきたら、まんざら知らぬ顔もできまい。船着き場までは出向いていかなくとも、家の前で出迎えるぐらいは礼儀ではあるまいかと考えている。さて、その服装だがと思案をしたのちに、手を鳴らして|老《ろう》|婢《ひ》を呼んだ。お島さんが帳場の外へきて手をつかえると、 「お島、夏物の紋付きと袴を用意しといておくれ。いつでも手を通せるようにな」 「船着き場まで迎えにおいでんさりますか」 「いや、そこまではせえでもええと村長もいうてくれるけえど、門までは迎えに出ずばなるまい。どうせ相手は自動車じゃろうが、いちおう敬意を表しておかずばなるまいよ」 「承知しました。それではあちらの居間に用意しときますけん」  お島さんがひきさがったあと、大膳はしばらく思案顔で、しきりにキセルをくゆらしていたが、そこへ四郎兵衛がさっきの姿のまま、帳場のまえへきて手をつかえた。 「旦那、お邪魔してもよろしゅうございますか」 「ああ、四郎兵衛さん、こっちへ入っておいでんさい。座敷のほう少しは片付きましたかな」 「なあに、いまおおまぜくりの最中じゃけえど、あとは若いもんにまかせておけばええんですんじゃ」  この四郎兵衛の目から見れば六十代の平作も、五十代の徳右衛門や嘉六もみんな若いもんなのだろう。 「それにしても、四郎兵衛さん、あんたに会うのんもずいぶん久しぶりじゃのう。あれからもう何年になる?」 「あれは昭和二十三年のことですけん、ちょうどことしで十九年になります」 「十九年か。十年ひと昔というけえど、そうするとかれこれふた昔ということになるんですかのう。お互いに年をとったんもむりはないて」 「旦那、それはいわんことにしましょう。わたじはこれでも若いつもりですけんな。旦那じゃかてお年には見えませんぞな」 「あっはっは、そげえにいわれてみるとやっぱしわしもうれしい。ちかごろはなにやかやととりこみごとが多うて、めっきり年をとったような気でいたおりじゃけんな」 「旦那がとりこみごととおいいんさるんは、越智竜平さんちゅうかたが、故郷に|錦《にしき》を飾ろうとしておいでんさるそうじゃが、その話のことですけ」 「そげえな話、もう後月郡のほうにも聞こえとおりますか」 「もっぱら評判ですぞな。この島に少しでも関係のあるもんなら、聞きもらしは出来ませんけんな。あのかた、旦那がこの島から、追い出しんさったお人じゃそうですな」 「四郎兵衛さん、その話はもうやめとこう」  大膳が心苦しそうに顔をしかめたとき、お帳場の外に誠と勇が現われた。ふたりともズボンに|開《かい》|襟《きん》シャツと、ラフな洋装に改めている。 「おじいさん。ぼくたちちょっと島を見物してきます。いいでしょ」 「おまえいま出かけるのけ。もうじきお昼じゃぞな」 「なるべくそれまでに帰ってくるつもりですけえど、遅れたらおむすびに|漬《つけ》|物《もの》でけっこうじゃと、こちらのおばさんにいうときましたけん」 「そうか、そんならそれでもええけど、島の人たちは祭りの用意で大いそがしのようじゃ。あんまり人さまに迷惑をかけるでないぞな」 「ようわきまえとおります。それじゃ、勇、いこう」  ふたりが出かけるうしろ姿を見送って、 「あのふたりあんたのお孫さんかな」 「へえ、誠、勇ちゅうて、いまから十九年まえ、旦那にさんざんご迷惑をおかけした、|松《まつ》|若《わか》のわすれがたみでござります」  四郎兵衛はちょっと鼻をつまらせたが、大膳は目を丸くして、 「わすれがたみとおいんさると、松若どんはお亡くなりなさったんで。いや、わしがさっきお尋ねしたいことがあるちゅうたんは、松若どんのことじゃけえど、あの松若どんが亡うなりんさったのけ。はれ、まあ、おいたわしや。あげえにええ体しておいでんさったのにのう」  四郎兵衛は探るようにその顔をまじまじと|視《み》|詰《つ》めながら、 「それがなあ、旦那、松若が死んだとハッキリわかっていれば、身内のもんも諦めもつきます。その当座は悲しゅうても、日がたつにつれてだんだんと忘れもしましょう。悲しみもうすらぎましょう。ところが松若の場合はいまだに生きているのか、それともどこかの果てで死んでしもうたのか、そこがハッキリせんとおみんさい」  大膳は役者のような大きな目を|視《み》|張《は》って、四郎兵衛の顔を熟視しながら、 「はれまあ、そらまたどげえなことですん」  四郎兵衛はあいかわらずなにかを探り出そうとするかのごとく、目鼻立ちのかっきりとした大膳の顔を|凝視《ぎょうし》しながら、しかし、その声は深い悲しみに打ちひしがれたように沈んでいた。 「あれは昭和二十三年の|刑部《おさかべ》神社のお祭りでございましたな。わたしどもがおまえさまのお招きで、この島へ神楽を舞いにきたのんは。あのときも七人でごわした。その七人のなかでこんどもいっしょにきたのは、いまむこうにいる平作、徳右衛門、嘉六とわたしの四人だけ。あとの二人はみまかりましたけえど、これはハッキリ死んだとわかっとおりますけん、悲しみもうすうござりまする。それにひきかえ松若だけが、いまだに生死不明なんが心残りでござりまする。いや、もう愚痴はこれくれえにして、神楽は首尾よう舞いおさめ、島の人びとにも喜んでもらい、おまえさんからも礼をいわれ、過分のお鳥目をちょうだいいたしました。いまから思えばあのころはこの島もお盛んでござりましたなあ」 「二十三年といえば兵隊にとられていった、島の若いもんもおいおい復員してくる。なかには戦死したふびんなものもおったけえど、そらごくわずかなかずで、大部分は復員してきおった。それにあのころはまだヤミが盛んで、本土からヤミで魚を買いにくるもんがぎょうさんいよった。いや、こちらからも倉敷や岡山へ、ヤミの魚を売りにいたもんです。いきおい島のもんもふところぐあいが温かだったんじゃろうな。それに水島があのザマになったのは、それからずうっとのちのことじゃけんな」  大膳の憎悪と愚痴は、なにかにつけて水島へむけられるのである。 「そらそうでござりましょう。わたしらみたよなよそもんの目から見ても、こらまた活気に|充《み》ちた島じゃなと思いましたけんな。お神楽舞うていても、見物の衆からぎょうさんおひねりが舞台に飛びこみました。それにお宮のほうでもおめでたつづきで、そのまえの年一人娘の巴さまに婿どのをお迎えんさったところが、夫婦仲もむつまじゅう、かわいいふたごのお嬢さまがお生まれんさったとかで、旦那も|上機嫌《じょうきげん》でおいでんさりましたなあ」 「そうじゃったかのう。そういえば真帆、片帆がうまれたんは昭和二十三年の五月の末じゃった。あのふたごの娘の名づけ親はわしじゃけん、よう|憶《おぼ》えとおりますわい」 「そうそう、それもわたしは聞いとおります。真帆、片帆、ふたごの娘としてはこのうえもないええ名前じゃろうがと、自慢しておいでんさりました」 「はっはっは、そげえなことがありましたかいな」 「巴御寮人さんは巴御寮人さんで産後の肥立ちもよろしゅうて、わたしどもを手厚くもてなしてつかあさりました。あの時分たしか数えで二十じゃいうておいでんさりましたが、そのお美しいことはまるで照り輝くようでござりました」 「御寮人はいまでも|綺《き》|麗《れい》じゃぞな」 「そうでござりましょう。そうでござりましょうとも。ああいうかたはいつまでたっても、お年をとらないものでござりましょう。それはともかくわたしども一行七人、ことごとく面目をほどこして故郷へかえりましたが、それ以来のことでございます。松若がちょくちょく姿を隠すようになりましたんは」 「そうそう、あの時分もおまえさんはそういうておいでんさったな」 「月に一度は姿を消します。そして二、三日たつとふらりっと帰ってまいるのでございますけえど、どこへいってたんかは絶対に口をわりません。松若はあの当時三十三歳、家には女房とのあいだに誠、勇という子供がふたりまでありました。誠が六歳、勇が四歳でござりました。それまでは夫婦仲もよろしく、波風も立たぬ家庭でござりましたが、ちょくちょく家を抜け出すようになってから、てっきりどこかにええおなごがでけたにちがいないと、お|照《てる》というのが嫁の名前でござりまするが、お照の|悋《りん》|気《き》の|凄《すさ》まじいのもむりはございません。あの頑健な松若が、帰ってきた当座はいつも|腑《ふ》|抜《ぬ》けみてえなありさまで、露骨なことを申すようでござりまするが、夫婦のかたらいもままならぬような状態が、一週間くらいはつづいたと、嫁のお照は申しておりました。ですけんお照の申しますには、あれはてっきりどこかのおなごに、さんざんおもちゃにされて、精も根も抜かれてしまうにちがいないちゅうておりました。それが一週間ほどして、やっと精気が戻ってまいり、夫婦のかたらいがもとの軌道に戻ってまいりましても、松若はとかくなにかに|憑《つ》かれているような目の色で、野良仕事はいうまでもなく、お神楽の|稽《けい》|古《こ》にも身がはいりません。なにか身内にもえているものがあるらしく、その衝動をどうにもに抑えかねるかして、またしても姿を隠すのでござります。そういうことが七月、八月、九月と三度つづきましたが、十月にはいって六日の日に家を出たきり、とうとういままで帰ってまいりません。戦後はやった言葉でいえば、蒸発してしもうたんでござりまする」  四郎兵衛の老いの繰りごとは、|縷《る》|々《る》として、いつまでもつづくのである。大膳はうんざりとしたような顔色でキセルを指で|弄《もてあそ》んでいたが、 「いやな、四郎兵衛さん、その話ならあの当時たしか二度もきいたぞな。松若どんが姿を消してしもうたにつき、もしやこの島へきとるんじゃないかと、おまえさんがここへ訪ねておいでんさったのは……?」 「二十三年の十一月のなかばでござりました。それから十二月にもう一度お訪ねにあがったのをよう憶えとおります」 「ほんならあのときわしのいうたことも憶えておいでんさるじゃろけえど、ここは本土から離れた島じゃ。ここへ来るにはどうしても連絡船に乗らねばならん。他国もんが島へ出入りしたら、どうしても人目につくはずじゃっと」 「旦那はそうおいんさりますけえど、あの時分ここはヤミ島といわれたくらいで、倉敷や岡山、遠くは神戸大阪からも、ヤミ屋がぎょうさんはいり込んできていたいうではござりませんか」 「なるほど、それはおまえさんのいうとおりかもしれん。そうじゃけえどなあ、四郎兵衛さん、あの時分から島の宿屋ちゅうたらこの錨屋一軒だけじゃった。ところがわしはそのような客を、お泊めしたような記憶は皆無じゃけんな。それともわしが|嘘《うそ》をついたとでもお思いんさるんかな」 「いえ、いえ、そういうわけではござりませんけえど、あの時分松若が|下《しも》|津《つ》|井《い》から|坂《さか》|出《いで》へいく連絡船へ乗るのんを、見たものがござりましてな。ところがわたしどもの家では坂出はおろか、四国のどこにも身寄りも|識《し》り合いもござりません。また連絡船が途中立ち寄る島々もおなじことでござります。この刑部島のほかにはなあ。それにこの家には泊まらなんだかもしれませんけえど、島にはほかにもぎょうさん家がござりますけんなあ」 「と、いうとおまえさんはいまでもこの島に、疑いを持っておいでんさるんけ」 「そういうわけではござりませんけえど、|溺《おぼ》れるもの|藁《わら》をもつかむちゅう|譬《たと》えのとおり、ほかに心当たりがないもんですけん、ついなあ、これも年寄りの愚痴じゃと思うてつかあさい」 「いや、おまえさんの気持ちもようわかるけえどな、もしわしになにか|疚《やま》しいところがあったとしたら、こんどの祭りのお神楽をおまえさんには頼みませんぞな」 「そうはようわかっとります。それだけにこんどのお招きについてはつくづくと有難うとも思い、またかたじけのうとも感じ入っておりますんじゃ、そうじゃけえどこの島の名を聞くにつけ、十九年前のことが思い出されましてなあ。なにしろこちらのお社で舞わせていただいたのが、松若の最後の舞台になりましたけんな。あのとき松若の舞うたんは、|大蛇《おろち》|退《たい》|治《じ》の|素《す》|戔《さの》|嗚《お》でござりましたけえど、その素戔嗚の面をもったまま、いったいどこへ消えたんか……そろそろ秋のお祭りの季節がちかづいて、準備おさおさ怠らぬ、そのやさきの十月六日の蒸発ですけんなあ。つい愚痴が出てしもうて……どうぞ堪忍してやってつかあさい」  一座をあずかる頭とはいえもう年寄り、四郎兵衛の愚痴はとめどもなくつづくのである。      二  ちょうどそのころ、誠と勇の兄弟が地蔵峠を登ってくると、道端の大きな石の地蔵尊のそばに、ふたりの男が人待ちがおにたたずんでいた。一人は洋服姿であったが、いまひとりはいまどき珍しい着物に袴をはいていた。いうまでもなく磯川警部と金田一耕助である。かれらはうえの神社の境内で、川島ミヨが三津木五郎に会うてくる、その結果の報告を待っていたのである。  誠は磯川警部のまえにふと足をとめて、 「ちょっとお尋ね申しますけえど、刑部神社へいくにはこの道をまっすぐいけばええんでしょうね」 「ああ、もう少しいけば右手の|杉《すぎ》|木《こ》|立《だ》ちのあいだから、神社の屋根が見えてくる。しかし……」  警部はふたりの若者を見くらべながら、 「きみたちこの島のもんじゃなさそうだね。どこから来たんだね」 「井原のほうから来ました」 「井原というと後月郡だね。こんな島へなにしにきたの。祭り見物かね」 「へえ、まあ、そんなもんです。どうもありがとうございます。勇、いこう」  ふたりのうしろ姿を見送って、磯川警部は苦笑した。 「こんどの祭りはよっぽど評判なんでしょうな。井原といえばここからそうとう遠いが、そげえなところから見物がくる」 「あのふたり露店商人じゃないんですか。あすあさっての祭りには、境内からこのへんへかけて、露店がずらりと並ぶそうですから」 「ああ、そうか。それで下見に来よったんじゃな」  不覚にも磯川警部も金田一耕助も、それが神楽太夫の連中とは気がつかなかった。もしそれと気がついていたら、さっき駐在所で広瀬警部補から聞いた二十年ほどまえの神楽太夫の蒸発一件について、なにか探りをいれるところがあったであろう。  誠と勇のふたりはまもなく刑部神社へ登る石段の下まできた。石段のうえからは|賑《にぎ》やかな祭り|囃《ばや》|子《し》の音がきこえてくる。しかし、誠はその石段を登ろうとはせず、うしろからついてきた勇をふりかえって、 「勇、さっき駐在のおまわりさんは、千畳敷きちゅうのんは、このお宮のうしろがわじゃいうたなあ」 「うむ、おまわりさんはそういうたけえど、お兄ちゃんはどうしてまたこの島に、そげえな名の場所があるちゅうことしっていたのけ」 「それはいま話すけえど、このお宮のうしろがわちゅうたら、どういけばええのけ。やっぱりこの石段を登らんといかんのけえの」  さっきもいったとおり、その石段のうえからは賑やかな祭り囃子の音がきこえ、大勢の若者たちのはやしたてるような声がまじってきこえる。誠はどうやらそういう晴れがましい場所へ出るのを好まないらしく、石段に一歩足をかけたまま、当惑したようにあたりを|見《み》|廻《まわ》している。その顔色はなぜか青ざめ、緊張のために|頬《ほお》の筋肉が硬直している。勇はそれをさっきから心配もし、不思議にも思っているのである。お兄ちゃんはどうしてこの島に、千畳敷きちゅう場所があることをしっていたのだろう。 「お兄ちゃん、その|崖《がけ》|下《した》に小ちゃな道がついとるようじゃけえど、そこをいけばお宮のうしろがわへ出られるのんとちがうやろか」 「なに、小道が……」  誠も崖下の道をのぞいてみて、 「うん、そうかもしれん。おまえよう気がついた。ほんならそっちへいてみよう」  誠はさきに立ってその小道をいった。勇は気遣わしそうに兄の顔色をうかがいながら、それでも素直にそのあとについていった。よほど仲のよい兄弟らしい。まもなくかれらは|豁《かつ》|然《ぜん》と|眺望《ちょうぼう》のひらけた千畳敷きへ出た。 「勇、見い。崖のうえにお宮の屋根が見えとる。おまわりさんのいうた、お宮のうしろがわとはここのことにちがいない」 「そうじゃけえど、お兄ちゃん、ここは千畳も敷けやせんぞな。広いことは広いけえど千畳敷きは|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》じや」 「おまえそげえな|屁《へ》|理《り》|屈《くつ》いうたらいかん。これ|花《か》|崗《こう》|岩《がん》の一枚岩にちがいない。これだけ広ければ千畳敷きいうてもおかしゅうはない」  誠はズックの|靴《くつ》で足下を踏んでいたが、そこには厚い|苔《こけ》がびっしりむしていて、快い|褥《しとね》のような感触である。ふたりは頭上を覆う|楢《なら》や|櫟《くぬぎ》の葉の下を、足音を盗むような歩きかたで、千畳敷きのなかへ踏みこんだ。兄の誠がそうするので、弟の勇もしぜんそうするのだ。誠の顔色がいよいよ青ざめ、頬がピクピク|痙《けい》|攣《れん》するので、勇の心臓はドキドキと早鐘を打つような乱拍子になっている。  千畳敷きの海を見晴らす一角に人間が坐っているくらいの大きさの七つの岩が、車座のように輪になって並んでいる。誠は注意ぶかくひとつひとつ七つの岩のかげを|覗《のぞ》きこんだ。 「お兄ちゃん、その岩のかげになにかあるのけ」 「ううん、だれか人がいると困るけんの」  だれもいなかった。崖のうえからは賑やかな祭り囃子や、若者たちのさんざめく声がきこえてくるが、千畳敷きのなかは静かである。ただおりおり南の海から吹きあげてくる風に、楢や櫟の青葉若葉がザワザワと音を立ててゆれるばかりである。 「だれもおらんな」 「うん、だれもおらん」 「だれも聞いとるものはおらんな」 「うん、だれも聞いとるものはおらん」  勇はゴクリとノド仏を鳴らして|唾《つば》をのみこんだ。誠は光ったような目で鋭く勇の目を凝視しながら、 「勇、これからお兄ちゃんのいうことは、絶対にだれにもしゃべったらいかんぞ。おじいちゃんにもいま宿屋にいる小父ちゃんたちにも、絶対にいうたらあかん。ことにおじいちゃんは気が立っておいでんさるけん、なおのことしゃべったらあかんぞな」 「そらお兄ちゃんがそうおいんさるなら、うちだれにもしゃべりやせん」 「誓うか、神さんに誓うか」 「誓う。神さんに誓う」 「よし、ほんなら話してやる。おまえいまこのおれが、どうして千畳敷きちゅう名前をしっとったのけと尋ねとったが、問題はそのこっちゃ。勇、おれがだれから千畳敷きちゅう名前をきいたと思う」 「だれから……?」  勇は|怯《おび》えたような目をして語尾がふるえた。 「父ちゃんから聞いたんじゃ。おまえが四つ、おれが六つの年の十月六日に家出して、そのまま行方不明になっておしまいんさった、父ちゃんから聞いたんじゃ」  誠の語気は鋭かったが、その目には涙がにじんでいる。弟の勇は頑丈で|逞《たくま》しい体をしているが、兄の誠は体つきも|華《きゃ》|奢《しゃ》で神経質そうである。 「父ちゃんがここのことをしっておいでんさったんけ」 「千畳敷きちゅう名前はあちこちにあるかもしれん。そうじゃけえど、おじいちゃんは父ちゃんが蒸発したんは、この島にちがいないちゅう疑いを持っておいでんさる。その島へきてみたら千畳敷きちゅう場所がちゃんとある。そうすると、おじいちゃんの疑いはやっぱり正しかったと思わざるをえん」 「ほんなら、なんでおじいちゃんにいわんのじゃ」 「いかん、いかん、そげえなことおじいちゃんにいうてみい。あの人どげえに興奮するかもしれん。おじいちゃんももう年じゃけん、あんまり興奮させたらいかんのじゃ。あの憎たらしい母ちゃんがわれわれ兄弟を振りすてて、さっさとほかへお嫁にいてしもうたあと、男手ひとつでおれとおまえを育ててくれたおじいちゃんじゃけにな、大事にしてあげないかんのじゃ。それよりおれはもっとしっかりしたことを突きとめて、われわれ兄弟ふたりの手で、父ちゃんのかたきを討つのじゃ」 「かたきというのはおなごか」 「それはおまえも聞いとるな。父ちゃんに隠し女があったらしいちゅうことを」 「うん、それはおじいちゃんから聞いとります。そのおなごにさんざんおもちゃにされて、揚句の果てには殺されてしもうたにちがいないと、おじいちゃんは小っちゃいときから、口を酸っぽうして、うちにいうておいでんさった」 「そうじゃろう、そうじゃろうとも。おれはこのとおり母ちゃん似で、ひ弱う生まれておじいちゃんを失望させたけえど、おまえは父ちゃんに似て逞ましゅうええ体に生まれて育った。年々歳々おまえは父ちゃんに似てくると、株内のひともみんないうておいでんさる。その父ちゃんはおじいちゃんにとって、目の中に入れても痛うないほどの秘蔵っ子じゃった。それだけに父ちゃん似のおまえに、おじいちゃんは希望をつないでおいでんさる。そうじゃけんおまえが父ちゃんのかたきをとってあげたら、おじいちゃんどげえに喜びもし、満足もおしんさるかわかりゃせん。それがおじいちゃんにとってなによりのご恩返しじゃ」 「お兄ちゃん、うちなんとかして父ちゃんのかたきを討ちたい。そうじゃけえどこの千畳敷きとそのおなごとどういう関係があるのけ」 「そうじゃ、それをいうとこう。おれがいつ父ちゃんから、千畳敷きの名前を聞いたかということをな。これは大きゅうなってからいろいろ小ちゃいときのことを思い出してみたんじゃけえど、あれはたしか二度目に父ちゃんが家出をおしんさったときじゃったと思う。母ちゃんはすっかり怒っておまえをつれて、里へかえってしもうた。そうしたら三日目かに父ちゃんふらりと帰っておいでんさった。父ちゃん、おじいちゃんやその時分まだ生きておいでんさったおばあちゃんに、さんざん|脂《あぶら》をしぼられておいでんさったけえど、さて夜になるとおれを抱いて寝てつかあさった。父ちゃんおれを強く抱きしめて泣いておいでんさった。それでおれがどこにいてたんかと聞いてみたら、千畳敷きへいてたんじゃとおいいんさった。父ちゃん、母ちゃんにもすまん、おじいちゃんやおばあちゃんにも、おれやおまえにもすまんすまんと思いながらも、千畳敷きの誘惑に勝てなんだんじゃないけ。そのとき父ちゃん、なんじゃらひょんなげな(おかしげな)ことおいいんさった」 「ひょんなげなことちゅうてなにけ」 「鳥が鳴いたらどうじゃとか、こうじゃとか……」 「鳥ちゅうて|烏《からす》け、|雀《すずめ》け」 「うんにゃ、烏でものう雀でもなかった。おれの聞いたこともない鳥じゃったと思う」 「そいで鳥が鳴いたらどうしたというんけ」 「それをよう憶えとらんのじゃ。なにせまだ六つじゃったけんな。そのうち寝てしもたんじゃと思う。まさかそれからひと月のちにその父ちゃん、蒸発しておしまいんさるとは思わなんだもんじゃけんな」  誠はいかにも残念そうである。 「そうじゃけん、おれ大人になって神楽の社に入れてもろて、あちこち旅をするようになってからというもの、必ずいくさきざきで千畳敷きのことを聞くんじゃけえど、いままでどこでも反応がなかった。それがきょうお巡りさんに聞いてみたら……」  と、いいかけて、誠は急に口をつぐむとかたわらの岩のかげに身を隠した。勇も兄に目配せされて別の岩のかげに身を潜めた。べつにそうしなければならぬ理由はどこにもなかったのだけれど、そのときの雰囲気がふたりにそういう行動をとらさせずにはおかなかったのだろう。つぎの瞬間、千畳敷きへはいってきたのは、真帆、片帆のふたごの姉妹であった。ふたりとも胸のところに|横《よこ》|縞《じま》のある揃いのセーターを着て、水色のスラックスをはいている。      三 「片帆ちゃん、うちに話があるちゅうてなんのこと?」  真帆はいつものとおり無邪気だが、片帆はなぜか頬がこわばっている。 「真帆ちゃん、あんたきのう荒木定吉さんの話きいて、なにか思いあたることない?」 「思いあたるってどげえなこと?」 「まあ、憎らしい。あんたはうちよりよっぽどアタマもええし、|物《もの》|憶《おぼ》えもうわ手やのんに、そげえにしらばっくれんさって……」 「しらばくれるもなにも、うちあんたのおいんさることちっともわからへん」 「ほんならほんまに忘れんさったん。それでは思い出させてあげますけえど、あれ、うちらが小学校の五年か六年のときじゃったけん、いまから七年か八年まえのことじゃった。|淡《あわ》|路《じ》から人形遣いが一人島へきて、巡礼お|鶴《つる》というのんを、人形を遣うて語ってつかあさった。うちはいまでもあの|浄瑠璃《じょうるり》の一節を憶えとるけえど、ととさんは|阿《あ》|波《わ》の|十郎兵衛《じゅうろべえ》、かかさんはお弓と申しますと、人形遣いの小父さんがお弓とお鶴の人形を使いながら語ると、うちのお母さんせんどお泣きんさった。真帆ちゃんじゃかとて泣いておいでんさった。うちは泣かなんだけえど」 「そうそう、そういえば思い出したわ。あの人、人形遣いの小父さん、背中にお弓とお鶴、それから阿波の十郎兵衛の人形を背負うておいでんさったけえど、うちあの十郎兵衛の人形が怖うて、怖うて、あの時分よう夢を見たもんじゃ。そうじゃけえど、片帆ちゃん、それが荒木定吉さんとどげえな関係があるん?」 「あら、真帆ちゃんはそのあとのこと憶えておいでんさらんの」 「どげえなこと」 「あの人形遣いの小父さん、ひと晩うちへ泊まっておいでんさったでしょ」 「それはうちも憶えとおりますけえど」 「それから半年ほどして警察の人が調べにきたじゃない? あの人行方不明になってしもうた。つまりいまはやりの言葉でいえば蒸発してしもうたけえど、あれからのちこの島へ来やあせなんだかちゅうて、岡山かどこかの刑事さんが聞き合わせにきたじゃあない」  真帆の顔色はさすがに|蒼《あお》くなっていた。 「そげえなことあったん? うちはちっとも知らんけえど」 「あっ、そうか、そういえば真帆ちゃんはあの時分倉敷のほうへいておいでんさった。ちょうど夏休みじゃったけんな。うちも一緒にいくつもりじゃったけえど、病気をして寝ついていた。その|枕《まくら》もとで刑事さんがお母さんに、根掘り葉掘りあの人形遣いのこと、尋ねておいでんさったんをうちよう憶えとるわ」 「それで、その人形遣いの小父さん、この島で蒸発したと刑事さんおいいんさったの」 「まさか。そうじゃかとてあの人形遣いの小父さん、ひと晩ここへお泊まりんさったんはほんまじゃけえど、そのつぎの朝真帆ちゃんと二人で、|小《こ》|磯《いそ》の船着き場まで送っていてあげたわなあ、ちょうど学校へいきがけじゃったけん」 「そうそう、それならうちも思い出したわ。またつぎの島へ渡らんならんおいいんさって、連絡船で出ていくのんを、バイバイいうて手を振って見送ったわね」 「そうそう、それを刑事さんにいうたんよ、うちが……たしかにこの島を出ておいきんさったちゅうて。ところが刑事さんのおいいんさるのんは、その後また来やあせなんだかちゅうことじゃった。そうじゃけえど、あげえな人形三つも背負うてたら、いやかて人の目につくわなあ。刑事さんのおいいんさるには、あの小父さん人形背負うて旅に出たまま、行方不明におなりんさったんじゃて。つまり蒸発おしんさったんやわなあ」 「ほんならこの島に関係ないんじゃない?」 「うん、うちもそのときはそう思うてたんよ。そのときの刑事さんのお話によると、あの小父さんうちで人形遣うて見せてつかあさったあと、あちこちの島や村を巡ったあと、いったん、淡路島の自分の家へお帰りんさったのじゃそうじゃけえど、それから二、三日してまた巡業にお出んさったんじゃそうな。それがいつもなら一週間か、長うても十日で帰ってくるし、道中あちこちから手紙やハガキがくるのんに、今度は一か月の余も帰って来んばっかりか、手紙もハガキもやって来ん。なんぞ途中で間違いでもあったんじゃないかちゅうて、おうちの人が心配して淡路の警察へとどけて出たんやわなあ。そいで淡路の警察から岡山の警察へ照会があって、岡山の警察から刑事さんが問い合わせにおいでんさった。そういう順序になるらしいのん。うちゆうべこのことを寝ずに考えたんよ」 「片帆ちゃん」  と、真帆は憂わしげな目で探るように、じぶんとおなじ顔をした片帆の顔を|視《み》|詰《つ》めながら、 「あんたなにをそげえに心配しておいでんさるん。あげえな人形三つも背負うてまたこの島へやって来たとしたら、いやかて人目につくといまおいいんさったばかりじゃない?」 「うん、そうじゃけえどなあ、真帆ちゃん、人形を荷物のなかに隠し、服装なども普通の旅人みたいに装うてきたとしたら、連絡船じゃかて島の人じゃかて気がつかんこともあるんじゃないかっと、ゆうべ気がついたんよ。この島いちいち出入りする人をチェックするわけじゃないけんなあ」 「片帆ちゃん、あんた、いったいなにを……?」 「ううん、きのう荒木定吉さんの話を聞いているうちに、うち怖うなってしもうたん。この島に縁のある人が一人ならず二人まで蒸発しておしまいんさった。そうするとなんぞこの島に原因があるんじゃないかっと……」 「片帆ちゃん、原因ちゅうてどげえなこと……?」  片帆はしばらく黙っていたが、やがてうっすら目に涙を浮かべ、真帆の手をしっかり握りしめると、 「真帆ちゃん、あんたはほんとにええ性格やわなあ。あることをあるがままに受け取って、現状に満足しておいでんさる。少しも疑うなどという神経は持ち合わせておいでんさらん。その反対にうちときたら現状の裏の裏をと見ようとする。いつか錨屋のおじいさんもいうておいでんさったけえど、あのきょうだい顔かたちは|瓜《うり》ふたつじゃが、心の中は雪と墨じゃ。真帆は素直でええ娘じゃけえど、片帆は人の顔色ばかりうかごうて、他人のあら探しばっかりしてる子や。あの子は油断がならんとおいいんさったけえど、ほんまにそのとおりやのん。うち近ごろこの島が怖うて、怖うて……」  片帆は真帆の手をいっそう強く握りしめて、|堰《せき》をきったように激しく泣きむせんだ。  金田一耕助が刑部大膳に聞いたところによると、世間ではよく養子三代というが、刑部神社では養子四代ということになりそうだということであった。大膳のふたごの兄の天膳というものが、刑部神社の娘|瑠《る》|璃《り》というもののもとへ婿養子にはいって神職をついだ。もちろん神主になる勉強をしてのちのことである。  ところがその夫婦のあいだに|珊《さん》|瑚《ご》という娘が一人しか生まれなかったので、そこでまた宮司になる資格のあるものを養子に迎えたが、夫婦のあいだにまたしても巴しか生まれなかった。そこで、守衛という倉敷で神主をしているものを養子にとった。  こうして世間でよくいう養子三代がつづいたのだが、守衛と巴のあいだにまたしても真帆片帆という、ふたごの娘しか生まれなかった。だから刑部神社の場合、養子四代ということにならざるをえないだろうと大膳は|歎《なげ》くのである。なお真帆と片帆は中学まではこの島で教育を受けたが、高校は島にないので真帆は倉敷の御寮人、片帆は玉島の御寮人に預けられ、ともにこの春倉敷の高校を卒業して、島へ送り返されてまだ三月たつやたたずであるという。 「片帆ちゃん、あんたこの島がなぜ怖いのん。ここはあんたが生まれた島やないのん」 「真帆ちゃん」  と、片帆は激したようになにかいいかけたが、すぐ思いなおしたように涙を|拭《ぬぐ》い、しみじみとした調子になって、 「あんたの預けられておいでんさった倉敷の御寮人さんいう人は、穏やかなよいおかたでおいでんさる。それに反してうちの預けられていた玉島の御寮人さんいう人は、うちとおなじで他人のあら探しばかりするお人じゃ。その人にうちがどげえな毒気を吹きこまれたか、真帆ちゃんには想像もお出来んさるまい。うちらが島を離れていた三年のあいだに、島にどげえなことがあったか……」  そこでまた片帆は激しく身をふるわせると、急に気がついたように千畳敷きのなかを見まわして、 「こげえなこといつまでいうていてもきりがない。それより真帆ちゃん、うちこの島を出るつもりやのん。この怖い、恐ろしい島から逃げ出すつもりやのん」 「逃げ出すいうていつ? どこへ……?」 「どこへいくかまだ決めてえしません。ともかくこの島を出たいのん。きょうのうちに……」 「きょう……? そげえな……そげえな……」 「いいえ、とめんといてつかあさい。うちの決心はもう変わりはせんけんな。このこと真帆ちゃんだけに打ち明けとくけえど、だれにもいわんといてつかあされや。もし、だれかに告げ口でもおしんさったら、七生までお|恨《うら》みするけんな」  片帆は急に身をひるがえして、千畳敷きの入口の道へと駆け出した。 「片帆ちゃん、待って……そげえな無分別なことやめて……」  二人の姿が崖下の道を曲がって見えなくなったとき、岩の陰から現われたのは誠と勇の兄弟である。二人の顔は|藍《あい》をなすったように真っ青である。 「勇、いまの話聞いたか」 「お兄ちゃん、うちの父ちゃんのほかにもこの島で、蒸発した人があるのんとちがいますか」 「うん、それも一人やない、二人らしい」  兄弟は顔見合わせて激しく身ぶるいをした。     第十二章 |水《すい》|蓮《れん》|洞《どう》      一  金田一耕助はいまオチョロ舟に乗って刑部島を一周している。案内者に立って同舟しているのは刑部大膳、舟を|漕《こ》いでいるのは越智竜平のいとこの吉太郎である。  かれは大膳の|斡《あっ》|旋《せん》で、ひとの口にはいらぬ魚をとって、水島コンビナートへ売りつけるという、|生活《たつき》のみちをあたえられ、おかげで生まれ故郷の島をすてずにすんだということを、深く肝に銘じて恩にきている。吉太郎はみずから進んで越智家の反対党の旗頭、刑部大膳のもとに身を投じて、その|股《こ》|肱《こう》をもって任じているばかりか、じいやの名前で呼ばれることにも甘んじて、刑部神社に献身的な奉公をしているのである。 「そうじゃかとてわしにどげえな生きかたができるというんじゃ。なるほど体はこのとおり頑健じゃけえど、血のめぐりはあんまりようないと、小さいときから身内のもんにいわれて育った。なにかにつけて本家の竜平どんに|較《くら》べられ、いとこ同士のおない年とはいいながら、あのふたりは月とすっぽんじゃ。本家の竜平どんが月なら新家の吉太郎のやつはすっぽんじゃと、株内のもんから耳がいとうなるほどはやしたてられて育ったもんじゃ。そうじゃ、わしはすっぽんじゃ、すっぽんでええ、わしは……本家の竜平どんが男振りもよう、知恵分別、才覚もひと一倍よう働くのんに、わしは色もどんぐろう、みっともない器量にうまれたばっかりか、血のめぐりもようないところは、あの醜いすっぽんかもしれん。そうじゃけえど、すっぽんにはすっぽんの意地がある。すっぽんちゅう生きもんはいったん食いついたら、首がちぎれても相手を放さんちゅう執念深さがあるという。わしも……わしも……」  ちかごろ竜平の|噂《うわさ》がこの島のみならず、近隣近在まで高くなるにつけ、いかに血のめぐりがあんまりよくないといわれる吉太郎でも、心たいらかならざるものがあるにちがいない。いわんやその竜平の|賓《まろ》|客《うど》として、この島へ招待されてきているという、金田一耕助を乗せた舟を漕ぐとき、かれの頭のなかは悔しさで、|火《ひ》|箭《や》が旋回するような思いであったろう。しかし、それが顔色に出ないのがこの男の特徴で、すっぽんのすっぽんたるゆえんであろうか。  昭和四十二年七月六日、つまり刑部神社の|宵《よ》|宮《みや》の日の昼過ぎのことである。ゆうべからあるじの大膳の要請で、階下の座敷を神楽太夫の一行七人に明けわたし、二階の八畳へうつった金田一耕助と磯川警部が、臨時雇いのお関ちゃんという若いお手伝いさんの給仕で、昼食のお|膳《ぜん》をたいらげたところへ、ひょっこり顔を出したのが大膳である。大膳はあいかわらず|帷《かた》|子《びら》の|甚《じん》|平《べい》すがただ。 「どげえでしたかな、金田一さんも磯川はんも、この部屋の寝心地は……?」 「いや、けっこうでしたよ、旦那、二人で寝るにはこのぐらいがころあいですよ。階下の十畳と八畳では広過ぎて、かえって気が落ち着きませんでした。ねえ、警部さん」 「いや、これは金田一さんのおいいんさるとおりです。ですけん旦那も気になさらんでおいてつかあさいよ。この部屋すこぶる快適ですけんな」  これは必ずしも金田一耕助や磯川警部が、気休めをいったわけではない。  この部屋は昔この家が|北《きた》|前《まえ》|船《ぶね》の船頭相手に、|青《せい》|楼《ろう》をいとなんでいたころ、おそらく、お職といわれるような立場の遊女に、あてがわれていたものにちがいない。ずらりと四角くこの家を取りまいている二階の部屋でも、海に面したこの部屋だけが八畳で、あとは全部六畳か四畳半の小部屋である。北側の雨戸を開けると水島から児島半島、|鷲羽《わしゅう》|山《ざん》へかけての|眺望《ちょうぼう》は、むしろ階下の十畳よりまさっている。 「いや、あんたがたのことですけん、そういうてつかあさるとは思うとおりましたけえど、あの連中が来るちゅうことを、つい度忘れしていたもんですけん、まことに、はや、失礼してしまいました」 「いいや、いいですよ。それよりあの人たちはどうしてます。神楽太夫の一行は……?」 「いや、もうてんやわんやですわい。昔から神楽場のような騒ぎいいましてな、なにせ今夜のことですけん。……ときに、金田一さん」 「はあ」 「あなたいつか舟で島を一周してみたいいうておいでんさったけえど、どうです、これから……?」  金田一耕助はぎょっとしたように相手の顔を|視《み》|直《なお》して、 「旦那、いいんですか、こんな日に……? お忙しいんじゃないんですか」 「なあに、祭りのことなら村長や太夫にまかせてあります。この老骨になにが出来ますもんか。なまじマゴマゴしてるとはたが迷惑するばかりですけんな。そうそう、きょうの夕刻、竜平どんのお迎えがあるそうですけえど、それまでには帰ってこられるでしょう。一周ちゅうたところで、どうせこげえな小っちゃな島ですけんな」  金田一耕助はちょっと相手の心を|測《はか》りかねた。よりによってこの大事な日の昼過ぎに、ノンキな島めぐりの案内をしようというのである。なにかよからぬ下心があるのではないかとあやぶまれたが、さりとて断わるべき口実も見つからなかった。それにかれはかねてからこの島を、外から見ておきたいという希望を、大膳に伝えておいたのである。 「そうですか。それじゃお願いしましょうか。夕方までには帰れるんですね」  金田一耕助が念を押すと、大膳はこともなげに笑って、 「大丈夫、大丈夫、五時か六時までにはな。六時ちゅうてもまだおてんとさまは高うごわすけんな。いまは日の長い|辻《つじ》じゃし、それにこのへんは東京にくらべると、よっぽど日の入りが遅うなっとおりますけんな」  金田一耕助はいままでにもたびたび岡山県で事件を扱っている。いま大膳のいった言葉はしばしば経験してきたことである。 「金田一さん、大丈夫ですか、こんな大事な日に島をあけて……?」  磯川警部が気遣うのを、大膳はこともなげに打ち消して、 「大丈夫、大丈夫。金田一さんを|煩《わずら》わさねばならんようなことはなにも起こりゃせんけに。起こる道理がない。それより磯川はん、あんたも一緒にどうです」 「いや、わたしは遠慮しましょう。わたしはそれより、お|神《み》|輿《こし》ワッショイを見物してるほうが面白いですけん」  なるほどそのとき|錨屋《いかりや》のまえを、ワッショイ、ワッショイと練って歩く騒ぎがきこえた。五郎や定吉もそのなかにまじっているではないか。  警部はおそらくあとに残って、神楽太夫の連中に当たってみるつもりなのだろう。二十年ほどまえの蒸発一件なるものについて。 「それでは、おまえさんの好きなようになされじゃ。では金田一さん、わしのあとについておいでんさい」  金田一耕助はじぶんがひじょうに惨めな三枚目のような気がした。かれはかねてからこの島を、外側から眺めてみたいという希望をもっていた。そのことを大膳に話したこともある。しかし、なにもよりによってきょうでなくてもよかったのである。いや、きょうでないほうがよいのである。それにもかかわらず相手の強引な勧誘を、断わりきれない自分の気の弱さが歯がゆかった。  かれはいわゆる機嫌買いなのである。相手の顔色をうかがい、相手の機嫌をそこなわないためには、自分の感情を犠牲にしてもいとわないという、お人の好さと気の弱さをあわせ持っている。それでいままでずいぶん損をしてきたという自覚は持っているのだが……  金田一耕助はいままた、その悪癖の出たおのれに対しての自己嫌悪に、背中を丸め、体を小さくして、大膳のあとについて広い階段をおりていった。そのうしろ姿を見送る磯川警部の表情には|惻《そく》|隠《いん》の情が深かった。  広い階段のすぐかたわきに、お帳場があることはまえにもいった。お帳場の北側は庭になっていて、そこから飛び石づたいに海に面した裏木戸に通じるようになっている。そこにお島さんが待っていて、庭へおりるつくばいのうえに金田一耕助の|下《げ》|駄《た》がそろえてある。 「えっ、こっちからいくんですか」  金田一耕助は虚をつかれたように立ちすくんだ。 「あっはっは、あんたを風流心のあるお人じゃと、お見受けしたもんじゃけんな。なまじいまどきの|機《き》|帆《はん》|船《せん》より、このほうが風流じゃと思うたんです。さあ、こうござれ」  大膳はみずから先に立って庭へおりると、飛び石づたいに裏木戸へいった。金田一耕助もそのあとにつづき、うしろからお島さんがついてきた。  金田一耕助がふりかえると、階下の十畳と八畳の座敷が開けはなたれて、七人の神楽太夫がてんでに|衣裳《いしょう》をつけたり、面をつけたり、くちぐちになにかわめいていた。なかにひとりおどけた面をつけて、鈴をふりふり舞いの振りをつけているのは四郎兵衛らしい。ほかのものは手をやすめて、いま裏木戸から外へ出ていこうとする大膳や金田一耕助のほうを見送っていた。金田一耕助はなぜかホツとした。大膳がじぶんを海へつれ出そうとしているのを、この人たちが目撃している……  だが、つぎの瞬間、大膳が裏木戸を開いたとき、金田一耕助はまた虚をつかれて、おもわず大きく目を|視《み》|張《は》った。  裏木戸の外の|石《いし》|垣《がき》には、いまヒタヒタと潮が満ちていて、そこに待っているのはこの島に、たった一|艘《そう》しか残っていないといわれるオチョロ舟である。|櫓《ろ》を手にしているのはいうまでもなく吉太郎。 「旦那、この舟で島を一周するというんですか」 「そうじゃけん、さっきもいうたろうがの。機帆船より風流でええと……」 「でも、この島は周囲一四キロというじゃありませんか」 「大丈夫、大丈夫、吉太郎は小さいときから舟を漕いで育った男じゃ。その気になれば矢のようにだって漕げるぞな。なあ、吉太郎」  しかし、吉太郎は無言である。かれはこちらへくるとき、金田一耕助が見かけたとおり黒い|鞣革《なめしがわ》の上下つなぎのオーバーオールを着て、足には|膝《ひざ》まで没する長靴をはいている。なるほど、これならいくら潮をかぶっても大丈夫だろうが、大膳やじぶんは……と、金田一耕助が心細そうに、相手の甚平姿と、じぶんの薄よごれた白がすりとよれよれの|袴《はかま》を見くらべていると、 「大丈夫、大丈夫、さあ、はようこっちへお乗りんさい」  ひと足さきに舟べりを越えた大膳は、舟のなかから手を差しのべて、金田一耕助の体を支えた。金田一耕助がしかたなしに舟のなかへ乗り込むと、 「さあ、これをお召しんさい。これなら少々潮をかぶっても大丈夫じゃぞな」  大膳がオチョロ舟の胴の間から、拾い上げたのはふた組の|蓑《みの》と|菅《すげ》|笠《がさ》である。 「ほほう、これは珍しい。そういえば刑部神社の社務所の玄関にも、これとおなじような蓑と笠がかかってましたね」 「昔の人の生活の知恵じゃけえど、現代でもけっこうまにあうぞな。それとも金田一さんは外見を気にするほうかな」 「いやあ、ぼくはべつに……」  大膳の見様|見《み》|真《ま》|似《ね》で金田一耕助も蓑を身につけた。 「菅笠はあとで役に立つことがあるけんな、とっておきんさい」  大膳の手から菅笠を受け取っているとき、二階のほうから声が降ってきた。 「金田一さん、えろう風流なこってすな」  蓑を着て菅笠を持ったまま上を仰ぐと、磯川警部が二階の|欄《らん》|干《かん》から身を乗り出して笑っている。 「いや、どうも。いろいろ珍しい経験をさせてもらっています」 「磯川はん、あんたの大事な金田一さんは、たしかにわしがお預かりしましたぞな」 「お願いします。じゃ、金田一さんいっておいでんさい」  警部は二階から手を振っていたが、これだけの会話と警部の仕草が、金田一耕助の心に落ち着きとくつろぎを取り戻した。  大膳や吉太郎がじぶんに好意を持っていないことは頭からわかっている。しかし、このふたりがじぶんに害意をもって連れ出そうとするならば、こうもおおっぴらにことを運ぶようなことはないだろう。いま大膳がじぶんを連れ出そうとしていることは、磯川警部もしっている。階下の神楽太夫の連中も目撃している。  金田一耕助はじぶんがいささか被害|妄想狂《もうそうきょう》におちいっているのを、心中ひそかに|嘲《あざけ》り笑った。しかし、いっぽうではそういう警戒心を催させるなにものかを、このふたりが身につけていることを、肝に銘じておくことも忘れなかった。 「ほんならいておいでなされませ」  お島さんがご|愛嬌《あいきょう》に舟の|艫《とも》をつくと、吉太郎が櫓を漕ぎ出し、オチョロ舟は錨屋の裏木戸をはなれた。  オチョロ舟には低い屋根がついている。屋根の下は二畳敷きくらいになっていて、しかもその入口は船頭のいる艫とは反対の、|舳《へ》|先《さき》のほうにむかって開いているので、そこで男と女がなにをしようと、ひとに見られる気遣いはないわけである。屋根の下は男と女が|坐《すわ》って、酒を|酌《く》みかわすくらいの余裕をもっている。 「なるほどこのなかで北国からきた|賓《まろ》|客《うど》が遊女を抱いて、体内にたまった|垢《あか》を安直に洗い落としていたってわけですな」 「あっはっは、そういうこってすな。金田一さんはそのほうはどうです。おなごのほうは?」 「いや、ぼ、ぼく、そのほうはサッパリです」  金田一耕助は大いにてれて、大いに|吃《ども》って、ジャンジャン、バリバリもじゃもじゃ頭を五本の指でひっかきまわした。いくつになってもこのくせだけは抜けぬらしい。  ふたりはいま|閨《けい》|房《ぼう》の入口の間に|花莚《はなむしろ》をしいて、かっかと火のおこった七輪をあいだに挟んで相対している。七輪のうえには|薬《や》|鑵《かん》の湯がたぎっており、薬鑵のなかにはお|銚子《ちょうし》がコトコトと音を立てて踊っている。ふたりの膝のまえには|猫《ねこ》|脚《あし》のお|膳《ぜん》がひとつずつおいてあり、酒の|肴《さかな》が五品ほど。すべてはお島さんの心づくしであろう。  金田一耕助は酒はあんまり好きなほうではないが、さりとてまんざらの|下《げ》|戸《こ》でもない。必要に応じて飲める口である。大膳もそれを聞いているから、きょうのこの|饗応《きょうおう》になったものらしいが、さりとてなぜきょうでなければならないのか。今夜から金田一耕助が、越智竜平のもとへ引き取られていくからだろうか。それとも、ひょっとするときょうからあすへかけての祭りにさいして、なにか重大なことが起こるであろうことを予期していて、大膳自身いたたまれないような焦燥感を抱いているのではあるまいか。  大膳と金田一耕助のこの奇妙な酒盛りのうちに、吉太郎の漕ぐオチョロ舟は、小磯から大磯のほうへまわっていった。なるほど大磯は遠浅で、いかにも海水浴場に打ってつけの場所と思われる。  雲は低くたれこめていまにも小雨がパラつきそうな空模様であった。ときおり|舷《げん》|側《そく》を越えて、波のしぶきが舟のなかに降ってきた。なるほど蓑と笠を用意したのは適当な配盧だったかと思われる。      二  広い大磯の浜を過ぎると、しだいに|花《か》|崗《こう》|岩《がん》の|断《だん》|崖《がい》が、眼前にせりあがってくる。断崖はしだいに高くなっていって、それが刑部島を取りまいているのだそうである。その高さは水面から一〇〇メートルにも達しようか。だからその方角からだけ眺めると、|突《とっ》|兀《こつ》としてこの島が海中からおどり出したように見える。崖のうえや途中には鷲羽山で見たような、|矮《わい》|性《せい》の|這《は》い松がいちめんに生い茂っている。 「どこまでいてもこういう崖がつづいとおります。ですけん、この島には北側しか入口がないわけです。せめて大磯小磯という浜辺があったもんじゃけん、この島に人が住みついたんでしょうな」  オチョロ舟はいま崖をめぐって、島の西側を南下している。崖の高さに多少の高下はあっても、どこまでいっても眺望はおなじである。とつぜんオチョロ舟の進行方向にむかって左側の崖のうえから、おびただしい|烏《からす》の群れが|啼《な》き騒ぐのが聞こえ、かつ望見された。 「この島はどこへいっても烏が多いですね」 「烏は刑部神社の使わしめちゅうことになっとりますけんな、|獲《と》ったり殺したりすることは禁じられとおりますんじゃ」 「いや、それはわたしも聞いております。われわれ凡愚の人間には、烏の|啼《な》き声というものはなにか不吉なように思えるんですが、島の人たちにはそれほどではないのでしょうね」 「いや、不吉とまで思わんが、うるさいことはうるそうがすな。それに山に|餌《えさ》がのうなると、里へ出てきていろいろいたずらするんで困ります。それでも昔からの|掟《おきて》で、獲ったり殺したりすることはご禁制になっとおりますんじゃ」  大膳は悠々と|盃《さかずき》をあげながらこともなげにいったが、それでもふいと|眉《まゆ》をひそめたのは、そのときの烏の群れの騒ぎがあまりにも異常だったからであろう。ガーガーというあの不吉な烏の声が入りまじって、頭上から雨のように降ってくるのは、あまり気持ちのよいものではない。オチョロ舟のなかから振り仰ぐと、崖のうえにおびただしい烏がむらがっていて、下にあるなにものかを|狙《ねら》っているようだ。それはまるで島じゅうの烏がその一点に集結しているようにも思われた。 「吉太郎」 「へえ」  艫のほうで櫓をあやつっていた吉太郎が、無愛想な声で返事をした。大膳と金田一耕助がこの舟へ乗ってから、この男が口をきいたのはこのときがはじめてであった。 「|隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》でなにかあったのじゃないけ」  吉太郎がこたえなかったので、金田一耕助がかわって尋ねた。 「隠亡谷というのがあるんですか」  あんまり気味のよい名前ではない。 「ああ、いまうえに見えとる崖を|鋸山《のこぎりやま》ちゅうてな。ほら、崖のうえが鋸の目のようにギザギザしとおりましょうが。その下の谷を隠亡谷ちいますんじゃ」 「この島に焼き場があるんですか」 「いや、この島のもんはみんな土葬です。ほら、地蔵平のわきに墓地がありましたろう。島のもんが|亡《の》うなると、みんなあそこへ土葬にします。そうじゃけえど、他国もんがこの島で死ぬようなことがござりましょう。そげえな場合、遺族のもんが|亡《なき》|骸《がら》を引き取りにくるのを待っとりますと、死体の腐るおそれがある。そげえなとき警察の許可をえて焼くんですな。べつに焼き場があるわけじゃない。隠亡谷の岩の裂け目へ裸にした仏を寝かせ……衣類持ちもんは遺族に渡さにゃなりませんけんな……そのうえに莚をかぶせ、うえから油をぶっかけて焼くんですな。昔からそういう習慣になっとおります」  あんまり気味のよい話ではない。いわんや、 「その役目を務めるのがそこにいる吉太郎ですんじゃ」  と、聞くにいたって金田一耕助は、そそけ立つようなものを覚えずにはいられなかった。 「ちかごろそういうことがありましたか」 「うんにゃ、近年はたえてそういうことはないけえど……そうそう、磯川はんが調べておいでんさる青木春雄ちゅう人物ですな。あの男なんかも海へ落ちて死んだからよいようなもんの、もしこの島で死んどったら、さしずめこの吉太郎に火葬に付されとったところでしょうな。あの男、うちの宿帳にゃ偽名をつこうとったようですけん」  その青木春雄という人物が、越智竜平に派遣された密使であったということを、しっているのかいないのか、大膳はあいかわらず役者のように大きな目を、いたずらっぽくくりくりさせながら、金田一耕助の目のなかを|覗《のぞ》き込んでいる。  そういう会話のうちにもオチョロ舟は、黙々として漕ぎ進んでいって、あのおびただしい烏の群れ騒ぐ、鋸山ははるか後方へおいていかれた。 「吉太郎」  大膳は思い出したように声をかけると、 「おまえあとで隠亡谷へいてみい。またあの|野《の》|良《ら》|犬《いぬ》がなにかくわえ出したのかもしれん」 「へえ、日のあるうちに帰れたらいてみます」  吉太郎は言葉少なにこたえた。 「野良犬がいるんですか、この島に……?」 「うん、まえに犬を飼うとった男が、犬をおいてけぼりにしたまんま、一家離島してしもうたんですな。置きざりにされた犬はだれにも相手にされんもんですけん、山へはいって野犬になってしもうた。それが|土《と》|佐《さ》|犬《いぬ》の|獰《どう》|猛《もう》なやつですけん、村のもんも恐れとおりますんじゃ。吉太郎に撃ち殺してしまえちゅうとるんですけえど、相手もなかなかすばしっこいやつでな」 「吉太郎さんは銃を持っているんですか」 「ああ、鑑札も持っとおります。猟期になるとあちこちへ銃をもっていきますんじゃ」  これらの話を総合すると、吉太郎という男はこの島の便利屋みたいな存在らしい。 「そういえばあの野良犬、ここしばらく里へ姿を見せんようじゃが、あいつが死んどるのかもしれんな。そうなればしめたもんじゃけえど、いずれにしても吉太郎、あしたにでも隠亡谷を覗いてみい」 「旦那、あしたでもようござりますか」 「うん、今夜は祭りで忙しいじゃろうけんな」  そのころ、崖下を漕いでいく舟はゆるいカーブをえがいて、島の南側へ出たらしい。千畳敷きからみえている島が、二キロほどむこうに浮かんでいる。 「金田一さん、あれが千畳敷きじゃ、その下が落人の|淵《ふち》じゃな」  崖のうえからは見えなかったけれど、千畳敷きのうえから数メートル下のところに、太い|注《し》|連《め》|縄《なわ》が張りめぐらしてあり、崖の|麓《ふもと》は、これまたうえから見たときはわからなかったが、崖が一部前方へせり出していて、その下がトンネルのように透けている。気のせいかそのへん、海面がゆるく輪をえがいているようだ。 「あれを眼鏡岩いうとりますけえど、金田一さん、菅笠をおかぶりんさい」  大膳はそういいながらみずからも、そばにおいた菅笠を頭にかぶった。 「どうしてですか、旦那」 「あの眼鏡岩のなかへはいってみるんじゃ。うえからポタポタ滴が垂れてくるけんな。そのために蓑と笠を用意してきたんじゃぞな。吉太郎、あんじょう頼むぞ」 「へえ、旦那」  オチョロ舟が眼鏡岩へちかづいていくにつれて、海面の|渦《うず》は遠くから望見したところよりはるかに大きく、漕ぎ手の腕がよほどしっかりしていなければ、舟はくるくる旋回したかもしれないと思われた。その点、吉太郎の腕はたしかである。  眼鏡岩の構成しているトンネルは、これまた遠くから望見したところよりはるかに広く、オチョロ舟をすっぽり|呑《の》み込んで、なおあまりある余裕をもっている。  元来、オチョロ舟という舟は、胴の間にしつらえられた|閨《けい》|房《ぼう》で、男が遊女を抱いて安直にしろなににしろ、用を達せられるように建造されているのだから、舟の幅員はそうとう広い。約二メートルはあるだろうか。そのオチョロ舟をすっぽり呑み込んで、なおあまりある余裕をもっているそのトンネルは、ちょっとした渦巻く水の広場という感じであった。うえを仰ぐと数メートルのところに|峨《が》|々《が》たる岩の天井があり、木の根のようなものが、ボロをぶらさげたように下がっている。しかも、このトンネルは島の内部にむかっても、大きく|刳《えぐ》られて|洞《どう》|窟《くつ》となってつづいているのである。  金田一耕助はまっ暗なその水の洞窟の奥を覗いて、思わずギョッと呼吸をとめた。  その水の洞窟は外光のさす限り水をたたえて奥へつづき、その先は|漆《しっ》|黒《こく》の|闇《やみ》につつまれているが、どこまでつづいているのか見当もつかない。 「|水《すい》|蓮《れん》|洞《どう》という風流な名がついとるが、土地のもんは鬼の岩屋と呼んどおります。あんまり人の近づかんところじゃけえど、入ってみますか」 「時間はありますか」 「時間はまだ十分ある。吉太郎、それじゃなかへ漕ぎ入れてみい。金田一さんはこういういっぷう変わった風景がお好きなようじゃけん」 「旦那、これを……」  吉太郎が胴の間の屋根越しに、大膳に渡したのは古風なカンテラである。 「ああ、そうか。わしもこういうもんを用意してきたけえど、これは金田一さんにお渡ししとこ」  大膳が甚平の下の腹巻きから、取り出したのは棒状の懐中電灯である。ボタンを押して点灯すると、それを金田一耕助に手渡して、 「吉太郎、気いつけてくれよ。海中の岩に舟底をひっかけるとわやじゃけんな。まあ、おまえのことじゃけん、そこに抜かりはあるまいけえど」 「いいえ、旦那、わしらも去年来たきり、ここへはいったことはございませんけん」  吉太郎は心細いことをいう。 「なあに、大丈夫じゃよ、おまえのことじゃけん。金田一さん、あんた泳ぎのほうはどうじゃな」 「まんざら|金《かな》|槌《づち》じゃありませんが、といって、あんまり自信のあるほうじゃありません」  東北のしかも内陸部にうまれた金田一耕助は、あんまりどころか、泳ぎについてはからきし自信がなかった。 「まあ、まあ、吉太郎を信用しておいでんさい。あんたを|溺《おぼ》れさすようなことはせん。年をとってもわしは大丈夫じゃけんな。それじゃ、吉太郎」  オチョロ舟の舳先に立って、|灯《ひ》のついたカンテラを高くかかげた大膳が合図をすると、 「へえ」  と、答えて吉太郎が舟を鬼の岩屋へ漕ぎ入れた。金田一耕助も懐中電灯を照射しながら、あちこちと洞窟のなかを観察している。  その水路の幅員は六メートルくらいもあったろうか。両側はもちろん|突《とっ》|兀《こつ》たる|岩《いわ》|肌《はだ》である。岩肌は縦にいくつかの|亀《き》|裂《れつ》がはいっていて、あるところでは数匹の大蛇がもつれあい、からみあいながら昇天しているようにみえる。ところどころに大きな岩肌の裂け目があり、|龕《がん》のように見えるその裂け目に満々と海水をたたえ、それが絶えず渦のように流動しているのが無気味である。  懐中電灯の光りを上にむけると、水面から五、六メートルのところに、黒いギザギザとした岩肌を見せた天井があり、それがはるか奥までつづいているらしい。その天井からしきりにポタポタ滴が落ちてくるのだから、大膳が菅笠と蓑の用意をしたのは、まことにもっともな配慮というべきだろう。 「旦那、これは明治何年かの……」  と、金田一耕助はわざと二十六年という年号を避けて、 「猛台風のときできた異変ですか」 「うんにゃ、それはそうじゃごわせん。これは昔からあったものらしく、いいつたえによると、文治元年七月七日、わたしどものご先祖の平|刑部《ぎょうぶ》幸盛と六人の郎党しめて七人の侍が、千畳敷きから表の淵へ身を投げたとき、大将刑部幸盛の|死《し》|骸《がい》は、この洞窟のなかに漂うていたといいますけんな」  オチョロ舟が漕ぎすすんでいくにしたがって、外光はもうとどかなくなり、あたりはただ重っ苦しい漆黒の闇である。その闇を引き裂くのは大膳のかかげたカンテラの灯と、金田一耕助のふりかざす懐中電灯の光りだけ。いまや外界とまったく|遮《しゃ》|断《だん》された洞窟のなかは、|闃《げき》として声なく、聞こえるものといっては吉太郎の漕ぐ|櫓《ろ》|臍《べそ》のきしりと、蓑や笠のうえに落ちてくる水滴の音だけ。金田一耕助はそのあまりの静かさに、身内がすくむような、皮膚の痛みを覚えずにはいられなかった。 「旦那、この洞窟はどこまでつづいているんですか」 「いや、もうすぐですんじゃ。まもなく目的地が現われてまいりましょう。そうすればわしがなぜよりによってきょうという日に、こげえなところへやってきたかおわかりになりましょうて」  大膳の言葉もおわらぬうちに行く手に当たって、水面から約三〇センチほどあがった岩の台地が現われた。金田一耕助が懐中電灯の光りで|撫《な》でまわしてみると、台地の面積は畳十枚敷けるくらいもあるだろうか。洞窟はそこで行きどまりになっているらしく、天井も人間ひとりやっと立って、台地のうえを歩けるくらいになっている。 「|刑部岩《ぎょうぶいわ》というのがあの台地の名前ですけえどな、吉太郎、気いつけて舟をつけとくれ」  吉太郎が注意ぶかくオチョロ舟を、岩の台地に横着けにすると、まず大膳が舟べりを越えて刑部岩に下り立った。 「金田一さん、気いつけてつかあさいよ。この岩滑りますけんな」  足下を懐中電灯の光りで照射しながら、金田一耕助がよれよれの袴の|裾《すそ》をたくしあげ、舟から岩の台地に下り立つと、なるほど|海《の》|苔《り》がいちめんに付着したそこは、下駄の下でヌラヌラして、いまにもすべりそうであった。それに下駄の下でなにやらグシャッとつぶれる気配。 「ヒェッ!」  と、叫んで飛びのく金田一耕助を、大膳がそばから手をのばして支えると、 「|蟹《かに》じゃよ、金田一さん、なにもびっくりするようなことはありゃせん」  しかし、金田一耕助は驚いた。  こういう漆黒の闇の世界でも、生き物が存在するとみえて、台地のうえをいちめんに小動物がうごめいている。それは小さな蟹であった。蟹はビッシリ台地を埋めて、みなおなじ方向に進行しているので、刑部岩全体がうごめき動いているようにもみえる。  金田一耕助はそのとたん、青木修三の断末魔の言葉を思い出していた。  ……あいつは歩くとき蟹のように横に|這《は》う  ……あいつは平家蟹だ……平家蟹の子孫だ 「金田一さん、どうかしたかな、お顔の色が悪いが……」 「だって、あんまり気味が悪いんですもの……あっ、蟹が足へ這い上がってきた!」 「吉太郎、おまえここへきてその長靴で、蟹を踏みつぶしておくれ。ことしはとりわけ蟹が多いようじゃ」  吉太郎が言下に岩の台地へあがってきて、大膳にいわれたとおりしているのを、金田一耕助は横目で|視《み》ながら、 「旦那、ここにはいつもこんなに蟹がいるんですか」  と、いいながら袴の下から這いあがってくる蟹をほうり落としている。蟹に刺されたふくらはぎがチクチク痛い。 「ふむ、わしは年に一度ここへお参りにくるんじゃけえど、こげえに蟹のぎょうさんいるのはじめてじゃ。あっ、痛!」  甚平の下にモンペのようなものを|穿《は》いただけの大膳も、しきりに|地《じ》|団《だん》|太《だ》を踏んでいる。 「旦那、はようお参りしておしまいんさい。こらマゴマゴしてると蟹に食い殺されて、骨までしゃぶられてしまいますぞな」  吉太郎の声は恐怖にうわずっている。金田一耕助は|慄《りつ》|然《ぜん》として、いつか見た|蟻《あり》の襲撃の映画を思い出していた。蟻の大軍が通りすぎたあと、人も獣も骨だけになっていたというパニック映画を。  しかし、大膳は案外落ち着いていた。 「なにをやくたいもないことを。じゃけえど急ごう、金田一さんのためにもな」  刑部岩はこの洞窟の袋の底のような位置にあり、そのいちばん奥まったところの|龕《がん》のなかになにか安置してある。この龕は天然にできた岩の裂け目ではなく、あきらかに人工的に|刳《く》りぬいたもので、なかに安置してあるのは五輪の塔のようなものである。龕も五輪の塔もずいぶん古いものらしく、いちめんに海苔が付着して黒ずんでいる。そのへんにも蟹がゾロゾロ這っている。  大膳はカンテラをそこへおくと、菅笠を取り蓑をぬぎ、用意してきた米と水を供えると、たからかに柏手を打った。 「金田一さん、おわかりかな、これがほんとの刑部神社じゃ。鎌倉方の|詮《せん》|議《ぎ》がきびしいもんじゃけん、はじめのうちはおおっぴらに刑部様を、お|祀《まつ》りすることができなんだんじゃな。そこでこうして地下の洞窟にお祀りしたんじゃそうな。はじめは刑部様の|鎧《よろい》が祀ってあったそうじゃけえど、長い歳月のうちに鎧がくさってしもうたもんじゃけん、この五輪の塔にかえたんじゃと、古い記録にのこっとります。その刑部様のご命日はあしたじゃけえど、あしたは地上でお祭りがあるもんじゃけん、わしゃ毎年こうしてきょうという日に、ここへお参りにくるのがならわしになっとりますんじゃ。このことはそこにいる吉太郎なんかもよう知っとおります。さ、金田一さん、急いで帰ろう。竜平どんのお迎えに遅れてはすまんけんな」  大膳のいうことはおそらくほんとうだろうと金田一耕助は考える。  しかし、それならばなぜわざわざ、じぶんをここへ連れてきたのか。この島には秘密らしいところはどこにもないということを、それとなくじぶんに示しておきたかったのではないか、この鬼の岩屋以外には……。  と、いうことはここ以外にもどこか秘密めいた場所、たとえば洞窟のようなものがあるのではないか。明治二十六年の猛台風のとき、崖崩れのために埋没したらしい、刑部神社の|賽《さい》|銭《せん》|箱《ばこ》なども、その洞窟のどこかにあるのではないか。そして、青木修三のいう腰のところで骨と骨とがくっついたふたご、すなわちシャム双生児などもそこにいるのではないか。……  金田一耕助はこのあいだから|漠《ばく》|然《ぜん》として抱いていた疑惑に、いまや確信が持てるような気がしてきた。もしそうだとすると大膳のきょうの行動は、毛を吹いて傷を求めるようなものであったかもしれぬ。  いや、ひょっとすると青木修三も、この鬼の岩屋へはいったことがあるのではないか。そして、このおびただしい蟹の大群が強い印象となって残っており、それがシャム双生児を見た瞬間、蟹の連想となって発展していったのではないか。……  それからまもなく三人は、蟹の大群からまぬがれて、ほうほうの態で鬼の岩屋をあとにした。     第十三章 |宵《よ》|宮《みや》の惨劇      一  金田一耕助が吉太郎の漕ぐオチョロ舟に送られて、大膳とともに錨屋の裏木戸からかえってきたとき、表には松本克子の運転する自動車が待っていた。 「だいぶん待ったの?」  金田一耕助が迎えに出たお島さんに尋ねると、 「はあ、半時間ばかり……」 「それはすまんことをしたな。金田一さん、あんた急いでおいでんさい。あんたも今夜、神社のほうへおいでんさるじゃろ」 「さあ、それは越智氏しだいですが……」 「竜平どんは神社のほうへくることになっとる。あんたもきっと一緒じゃろ。またそのときにな」 「はあ、長いことお世話になりました。いずれまたご|挨《あい》|拶《さつ》に参上します」 「なんの、なんの、いっこう行きとどかいで」  大膳をあとに残して二階へあがるとき、ちらっと階下の十畳と八畳のほうへ目をやったが、そこはシーンと静まりかえって、人の気配はさらになかった。|神楽《かぐら》|太《だ》|夫《ゆう》の一行はおそらく山を登っていったのだろう。  潮に|濡《ぬ》れた白がすりを脱ぎ、少し小ましな|帷子《かたびら》に|着《き》|更《が》え、|一帳羅《いっちょうら》の|袴《はかま》をはいていると、お島さんがあとを追ってきた。 「磯川警部さんからのおことづけですけえど」 「はあ、それをこちらから|訊《き》きたいと思うていたところですが、あの人どうしました」 「早目に夕飯をすませてお出掛けになりましたけえど、おことづけ申しますのは、折角の越智さんのご招待じゃけえど、それじゃあんまり恐縮じゃけん、じぶんはやっぱりこの家へ泊まりたい……そういうておいでんさりました」 「ああ、そう、それもいいでしょう。昼間あの人どうしてました」 「したのお座敷でお神楽の人たちと話し込んでおいでんさりました。そうそう、あの人たちと一緒にここをお出んさったんです」  なにか有効な聞き込みがあったかなと考えながら、 「ああ、そう、三津木五郎くんや荒木定吉くんはどうしました」 「あの人たちは朝から出たっきりで。……二食分のお弁当を作って差し上げましたけんな。お|神輿《みこし》かついでお暴れでしたわ」 「あっはっは、熱心なもんですな」  笑いながら金田一耕助が|汐《しお》|垂《た》れた白がすりや袴を、ボストンバッグに突っ込もうとすると、お島さんがあわてて|制《と》めて、 「あれ、まあ、それずいぶん潮をかぶっているのではございません?」 「はあ、だいぶんやられました」 「それではここへおいておいきんさい。そのままじゃカビが生えますぞな。あとで洗濯しておとどけしますけん」  金田一耕助という男はいつも多少テレてはにかんでいる。それに万事につけて取り|繕《つくろ》わぬその人柄が、女性の母性愛本能をそそるのである。かれに接触する女性は、だれでも身のまわりの世話をやきたがる。 「そうですか、それではそうお願いしましょうか。いつもお世話になってばかりいて恐縮です」  合いの二重廻しを羽織った金田一耕助が、ボストンバッグをぶらさげて表へ出ると、自動車の運転台では松本克子がハンドルを握って待っていた。金田一耕助の姿を見ると、すぐ下りてきて、ドアを開いた。 「お待たせして申し訳ありません。ちょっと出掛けていたもんですから」 「いいえ、さっき社長にも電話で申し上げておきましたから、わかっていると思います」 「それはどうも」  自動車が走り出したとき、日はもうすでに暮れていて、家々の軒に|吊《つ》るした|提灯《ちょうちん》の灯がしだいに輝きをましてくるころだった。これでは|烏《からす》も|塒《ねぐら》にかえって、吉太郎の|隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》探検は不可能だろう。 「松本さんはあちら生まれですか」 「いいえ、そうではございません。戦後学校を出てむこうへ渡ったのでございます。いとこがむこうにいるもんですから」 「お生まれはどちらです」 「横浜のほうでございます」  道理できれいな標準語の発音をする。知性もあり、教養にもとんでいそうな婦人である。それに第一美人であった。  |新《しん》|在《ざい》|家《け》から地蔵平までといっても、自動車でいけばすぐである。あちこちで祭り|囃《ばや》|子《し》の笛や太鼓の音がきこえ、ゾロゾロと地蔵坂を登っていく人の群れが引きも切らない。みんなお神楽を見物にいくのだろう。そのころはまだ、フィーバーという言葉ははやっていなかったが、いままさにお祭りフィーバーというところだろう。そのフィーバーは自動車が越智家の門前に着いたとき、最高潮に達していた。  そこにはお神輿をかついだ若者たちが、ものに狂ったように暴れまわっていて、それを取りまく氏子たちの、手に手にかざす|松明《たいまつ》のかがやきが、空をもこがす勢いといえばいい過ぎだろうか。  その群集にさえぎられて、自動車が一時停車をしていると、だれかが金田一耕助の姿を見つけたらしく、 「そうら、金田一先生のお出ましだ。みんな道をあけろ、あけろ」  |怒《ど》|鳴《な》っているのは松蔵らしい。  金田一耕助が自動車の窓を開いて手を振ると、だれが音頭をとったのか、突然金田一先生バンザイの声が起こったので、金田一耕助は思わず|面《おも》|映《はゆ》さと|尻《しり》こそばゆさを覚えずにはいられなかった。 「松本さん、はやくやってください。ぼくはバンザイなんてがらじゃない」  自動車は逃げるように門のなかへはいっていったが、邸内の広い日本座敷では越智竜平が、ちゃぶ台をまえにして待っていた。金田一耕助が越智|多《た》|年《ね》|子《こ》の案内ではいっていくと、 「やあ、いらっしゃい。それにしても金田一先生はたいへんな人気でいらっしゃる」 「からかわんでくださいよ。これすべてあなたの人気の|余《よ》|慶《けい》じゃありませんか。それはそうと遅くなって申し訳ございません」 「いやあ、万事は松本君の電話で承知しております。さ、さ、どうぞこちらへ」  金田一耕助は床の間を背負った上座へすえられて、落ち着かない。 「金田一先生は錨屋の小父さんと、|水《すい》|蓮《れん》|洞《どう》へいかれたそうですね」 「いや、むこうへいくまでは、あそこにああいう洞窟があることすらしらなかったんです。錨屋の旦那が島をご案内しようとおっしゃるもんですから」 「なにかご収穫がおありでしたか」 「いやあ、べつに。あなたからお引き受けした事件に関する限りはね。面目ない話ですが、あの事件の捜査、その後いっこう進展していないんですが……」 「ああ、そう」  竜平はかるく受けたが、つぎの瞬間、キラリと鋭く光る目を相手にむけて、 「金田一先生はいまこの島に滞在している、三津木五郎という青年をご存じですか。胸にカメラをぶら下げている男ですが……」 「はあ、存じております。そうそう、そういえばあの男、きのうあなたになにか話しかけていましたね。なにをいったんですか」 「お父さん……と」 「お父さん……?」  金田一耕助はギクッとした。 「越智さんのまちがいじゃないかと、あとで思いなおしてみたんですが、やはりお父さんとしか聞こえませんでしたね」 「お父さんと呼んだんですか、あの男が、あなたのことを……?」  金田一耕助はおもわず相手の顔を|視《み》|直《なお》したが、越智竜平の|瞳《ひとみ》にはなにかギラギラする、熱気のようなものが凝縮していた。 「はあ……」 「それについてあなたなにか思い当たる節でも……?」  竜平がなにかいいかけたとき、多年子がふたりの若いお手伝いさんを引率してはいってきた。ご|馳《ち》|走《そう》を運んできたのである。ちゃぶ台にまくばられたのはすべて手の込んだ日本料理である。お|銚子《ちょうし》が二本ついていた。 「金田一先生、あなたご酒は……?」 「|下《げ》|戸《こ》ではありませんが、あまり沢山は……」  金田一耕助はきょう昼間、大膳にいったとおなじようなことを答えた。 「ああ、そう。それに今夜のうちに一度は刑部神社へ顔を出しておかんといかんけん」  と、竜平はついお国言葉を出して、 「叔母さん、ここはいいからこのまま|退《さ》がってください。金田一先生に密々お話ししたいことがございますけんな。ご飯のときは手を鳴らします」  多年子と若いお手伝いさんが退がっていくと、竜平は金田一耕助に|酌《しゃく》をしながら、 「こちらの思い当たる節というのを申し上げるまえに、あれはどういう男なんです。三津木五郎というあの青年は……」 「いや、あの若者に目をつけているのは、わたしより磯川警部さんなんです。そうそう、あなた|下《しも》|津《つ》|井《い》に住んでいた浅井はるという|市《いち》|子《こ》……|巫《み》|女《こ》ですね、そういう女性についてなにかお聞きになったことはございませんか」 「さあて、いっこう記憶にない名前ですが、その女がどうかしたんですか」  そこで金田一耕助が浅井はる殺害の|顛《てん》|末《まつ》を、詳しく語ってきかせると、竜平のおもてにはありありと憂色が濃くなった。 「すると、磯川さんはあの男が犯人じゃと……?」 「いいえ、そうはいうておりません。その反対にあの男はおそらく犯人ではあるまいが、その間の事情をしっているんじゃないかというお疑いなんです。それにそのときのヒッピーが、果たしてあの青年だったかどうかも、まだ断定されておりません。ときにあなたのお心当たりの節というのは……?」 「さあ、それが……」  竜平はあきらかに心が騒ぐふぜいで|箸《はし》が重くなっていた。いま金田一耕助の語ってきかせた事実が、竜平の気持ちのうえにズシーンと重くのしかかってきたらしく、急に食欲が落ちたように思われた。竜平はなにか思い煩うふぜいで箸を動かし、盃を口にはこんでいたが、急に箸をおき、盃を伏せると、ちゃぶ台のむこうで居ずまいを直して、 「いや、すみませんでした。金田一先生、わたしはあなたに隠し立てするつもりはありません。むしろ積極的になにもかも打ちあけて、あなたのご協力を仰ぐつもりでした。しかし、今夜はその時期ではないように思われる。万事はあすがすんでから……あしたの晩、刑部神社で重大発表があります。それがすんでから、なにもかもあなたに打ち明けて、ご協力を仰ぐつもりです。そのときはなにとぞよろしく」  竜平の言葉の終わりのほうはシドロモドロで、そこまでいってしまうと腕時計を見て、 「や、もうこんな時間か。わたしはこれから刑部神社へいってみますが、金田一先生はどうなさいます」 「出来たらぼくはご免こうむりたいですね。昼間の冒険でいささかバテ気味ですから」  竜平はちょっと考えて、 「じゃ、先生はここにいらっしゃい。離れのほうに寝室が用意してございますから、なんならひと足さきにお休みになってもけっこうです。万事はあしたがすんでから。そのときはなにぶんよろしくお願いします」  竜平はそこで激しく手を鳴らすと、顔を出した多年子にご飯を頼み、紋付袴の用意を命じた。 「それならちゃんと用意ができてますよ。金田一先生は……?」 「いや、先生はここに残っていただく。食事が終わったら寝室の方へ案内してあげてください」  食後黒紋付きの羽織袴に威儀を正した竜平を、玄関まで送り出したのはちょうど八時半であった。自動車が門から走り出すのを見送って、 「どうぞこちらへ」  と、多年子に案内されたのは、木の香も新しい離れの八畳。六畳のつぎの間がついた豪勢な座敷である。八畳にはもう寝床がのべてあり、|枕下《まくらもと》には|水《みず》|瓶《がめ》、|灰《はい》|皿《ざら》、ライターなどが並んだ銀盆と、電気スタンドがおいてあり、ほかに最近の週刊誌が二、三冊。 「では、ごゆっくりと。ご用があったらそこの呼鈴を押してつかあさいよ」 「はあ、ありがとうございます」  多年子が引きさがると金田一耕助は、携えてきたボストンバッグを開いて日記を取り出した。机にむかって簡単にその日の日記をつけおわると、無言のまま|頬《ほお》|杖《づえ》をついた。  なんとも解せないのは、三津木五郎という若者の言動である。あの男がきのう竜平にむかってなにか叫びかけたところは、金田一耕助も目撃している。それは百姓|一《いっ》|揆《き》の農民がご領主様に対して直訴するような行動だった。竜平がひどく驚いたような顔色だったので、金田一耕助にも強く印象に残ったのだが、そのとき五郎の叫んだ言葉が、 「お父さん」  で、あったとは。  しかも、この言葉について竜平になにか思い当たる節があったろうことは、かれが地蔵平のこの家に帰還後、ただちに人をやって三津木五郎のことを、調査させたらしいことでもうかがわれる。  しかも、その若者が殺人事件の重要参考人になっているとしったときの、竜平のあの|狼《ろう》|狽《ばい》ぶりはたしかに異常であった。金田一耕助はいまだかつてああいう竜平を見たことがない。かれはつねに沈着冷静で自信に|充《み》ち満ちていた。それは過酷なまでの冷静さと自信であった。じぶんの打つ手のさきざきが読めているという自信からきているのだろう。  その|満《まん》|腔《こう》の自信を突き崩したのが五郎の出現であり、かれが叫びかけたたったひとこと、 「お父さん」  と、いう言葉であったのだろう。それはおそらく慎重極まるかれの読みからは、完全に外れた運命の奇手だったからだろう。  それにしても、竜平にあの|年《とし》|頃《ごろ》の子どもがあるという可能性があるだろうか。  それは大いにありうるのである。こちらへ来る連絡船ちどり丸のなかで松蔵がいっていたではないか。昭和十九年の夏竜平と巴は駆け落ちして、|丹《たん》|波《ば》の奥の温泉宿にひそんでいたことがあると。そのときは大膳の追手のものに連れ戻され、悲恋に終わってしまったそうだが、巴がその際妊娠したとしたら……?  いっぽう三津木五郎はこの間、問わず語りにこのようなことを語っていたではないか。 「ぼくは日本が戦争に敗れた年にうまれてるんです。戦争に負ける少しまえにね」  日本が戦争に負けたのは昭和二十年八月十五日のことだから、その少しまえといえば七月か六月のことだろう。  金田一耕助は竜平と巴が駆け落ちして、丹波の奥の温泉宿にひそんでいたのを昭和十九年の八月のことと仮定して、そこで巴が妊娠したとすると……と、指折りかぞえてみると、出産はちょうど昭和二十年の六月中のことになる。  しかし、金田一耕助はこの島へきてから、巴出産のことはだれからも聞いていない。むろんそれは大膳の目から見れば不義の子である。公然と産ませるはずがない。ことは絶対極秘裏に運ばれたにちがいなかろう。出産はきっと島の外で行なわれたのにちがいない。当時あいつぐアメリカ軍の|焼夷弾《しょういだん》攻撃で、日本全国物情騒然たる時代だったから、島を出る口実はいくらでもあったろう。  さて、巴が無事に|分《ぶん》|娩《べん》したとして、その子はどう始末されただろう。もちろん殺すわけにはいかない。おそらく巴の出産には大膳がつきそっていったにちがいないが、大膳がいかに竜平を憎んでいたにしろ、それほど非道なことはやるまい。ではそれ以外にどういう手段があるだろうか。どこかへ里子にやるとか、子どもをほしがっている他人に、親しらずで引きとって貰うとか。  金田一耕助は卒然としてまた、三津木五郎の言葉を思い出していた。 「きみはお父さんの四十二の年の子だといったね。すると兄さんや、姉さんは……?」  と、いう金田一耕助の質問に対して、五郎はこう答えたではないか。 「いいえ、ぼくは一人っ子です。両親にとってとても遅い子ですから、それだけに可愛がられました」  四十二ではじめての子とは遅すぎる。結婚後十年、あるいはそれ以上たっているのではないか。広い世間には結婚後十年以上もたって、子宝にめぐまれるという例もないことはないが、それは非常に珍しいケースであろう。  ここに結婚後十年以上もたって子宝にめぐまれず、切実に子どもを欲しがっている夫婦があるとする。いっぽう近くうまれてくる子どもを、もてあましている一家があるとすれば、そこに有無相通ずるものがあったのではないか。  金田一耕助はまた思い出していた。かれが五郎に根掘り葉掘りその生い立ちを尋ねているとき、五郎はいったではないか。 「金田一さんは錨屋の大旦那とおなじようなことをお聞きになりますね。あの大旦那もぼくに根掘り葉掘り聞きましたよ。ぼくみたいな若いもんがこんな島へくるということは、そんなに珍しいことなんですかね」  そうだ。錨屋の大旦那は巴の腹から産まれた|嬰《えい》|児《じ》が、どういう|苗字《みょうじ》のものに譲渡されたかしっていたのだ。三津木という苗字はそうザラにある苗字ではない。むしろ珍しい苗字である。そういう珍しい苗字を名乗る若者が、突然目のまえに出現した。しかも年かっこうも合っている。大膳は大いに狼狽したにちがいない。折りあたかも越智竜平が帰還しようというやさきである。かれはつい根掘り葉掘り、五郎の出生や生い立ちを尋ねたのだろう。しかも|訊《き》かれる五郎のほうでは、ちゃんと相手の|肚《はら》を読んでいたのではないか。  それにしても巴はどうなのか。五郎をわが子と気がついているのか、いないのか、金田一耕助の観察したところでは、巴のほうではそのことに、気がついていないのではないかと思われた。  金田一耕助はつぎのような場合を想定してみる。  妊婦には産まれた子どもをムツキのうちから他へ渡す、そのことはあらかじめ大膳から巴にいいふくめ、納得させてあったことだろう。さて、産まれた嬰児はその場で三津木某に渡される。しかし、|産褥《さんじょく》にある母には、だれに譲渡されたかは内緒にしてあったのではないか。それでないと母がわが子のあとを追うては困るからだ。  いっぽう子どもを貰いうけた三津木家のほうでは、子どもの|氏素性《うじすじょう》、血統のたしかなことはしらされていても、生母の|身《み》|許《もと》などは明かされていなかったのではないか。それがふつうのように思われる。しかし、そういうことが可能であろうか。生母から養母に嬰児を引き渡すとき、お互いに相手にしられずにすませるというようなことが、果たして出来るだろうか。そこで当然考えられるのは、第三者がそこに介在したのではなかったかということである。では、第三者とはどういう種類の人物なのか。……  そこまで考えてきた金田一耕助は、突然ジャンジャン、バリバリ、雀の巣のようなもじゃもじゃ頭を、五本の指でひっかきまわした。これが興奮したときのこの男のくせなのだが、それにしても、このときのかれの興奮がいかに大きかったかということは、五本の指の回転速度と、ものに|憑《つ》かれたようなその目の色からでもうかがわれる。  第三者……仲介者……産婆……と、思い当たったとき、金田一耕助の|脳《のう》|裡《り》に、|闇《やみ》を引き裂く稲妻のように|閃《ひらめ》いたのは、浅井はるのことである。  磯川警部の話によると、昭和三十年の十月下津井のあの家を買いとるまで、浅井はるなる女がどこでなにをしていたのか、その前身はサッパリわかっていないという。第一、浅井はるなる名前さえ、本名かどうか疑わしいともいっていた。浅井はるはかつて助産婦すなわち産婆だったのではないか。  かねてから子供をほしがっていた五郎の養母は、産婆としての彼女をしっていた。そして、どこかにいらない子があったら世話してほしいと頼んでおいた。  いっぽう、巴の妊娠に気がついた大膳は、浅井はるを捜し出し、ひそかに島へつれてきて診察を仰いだ。そして果たして妊娠という診断が下ったとき、さすがの大膳も途方に暮れたことだろう。そこで浅井はるが子どもを欲しがっている女のあることを打ち明けた。相談はすぐにまとまった。大膳は巴をつれて島を出ると、どこかの山奥の温泉宿へでも身をかくしたのだろう。  やがて出産の日がやってきた。浅井はるから連絡をうけてやってきた五郎の養母は、あらかじめ赤ん坊の衣類やムツキなど用意してきていたことだろう。巴の腹からうまれた赤ん坊は浅井はるに取りあげられ、別室に待っている五郎の養母に渡された。待望の赤ん坊をえて、五郎の養母はすぐさまそこを立ち去った。……  これは推理というほどのものではない。推理としては根拠が希薄である。これは単なる金田一耕助の空想なのだが、しかし、かれはこの空想に執着した。執着するだけの価値はあると思った。  ただ、それだと浅井はるから磯川警部に|宛《あ》てた手紙のなかにある、 「いまから二十二年まえ複雑な事情のもとに犯した罪の恐ろしさ」  だの、 「その秘密を種にしていままで生きてきた|業《ごう》の深さ」  だのという文章はいささか|大《おお》|袈《げ》|裟《さ》に過ぎないか。巴のがわも五郎の養母のほうも、それで無事円満に解決したとすれば、浅井はるはこれほど深刻に|煩《はん》|悶《もん》しなくてもよさそうに思われる。  そこにこの空想のウィーク・ポイントがあり、さらにこれだけの秘密で浅井はるが殺害されたとしたら、この秘密のうらに、さらに重大な|謎《なぞ》がかくされているとしか思えない。  その謎とはなんだろう。  しかし、金田一耕助は自分の思考が、まちがった方向をたどっているとは思えなかった。そこにもうひとつ重大なデータが欠けていることを歯がゆく思いながら、かれはさらにこの思考を発展させていくつもりであった。  しかし、そこに邪魔が入った。  金田一耕助の|瞑《めい》|想《そう》を破ったのは、そのとき突如母屋の玄関に当たって、騒々しい声が|炸《さく》|裂《れつ》したからである。複数の男の声がわめいている。なかに松蔵の声もまじっていた。 「金田一先生! 金田一先生!」  と、松蔵の声がわめいているのを聞いて、金田一耕助は|眉《まゆ》をひそめ、きき耳を立てた。複数の男の声がしばらくガヤガヤワイワイわめいていたが、やがて離れの廊下にあたってあわただしい足音がきこえ、その足音がつぎの間の六畳の外にとまると、 「金田一先生、まだお目覚めでございますか」  多年子の声はふるえている。 「おばさん、なにかありましたか」  金田一耕助が障子を開くと、多年子はべったり縁側にへたっていた。少し涙ぐんでいるように見える。 「はあ、あの、竜平がすぐ先生に、刑部神社のほうへきてほしいと……」 「刑部神社になにかありましたか」 「さあ、それが……みんな興奮しててんでにわめき立てるもんですけん、ようわかりませんけえど、神社のほうで火事があったとか……」 「火事が……?」 「いえ、火事はボヤですんだそうですけえど、その騒ぎのあいだにだれか人が殺されましたそうで」 「人が……? 殺されたんですって……?」  金田一耕助はじぶんでもびっくりするほど大きな声を立てていた。 「はあ、そうですけん、はよういてやってつかあさい。また竜平が|罠《わな》にはめられたのやもしれませんけん、先生、なんとかしてあの子を助けてやってつかあさい」  かつて石もて追われるごとくこの島を出ていった、みじめな|甥《おい》の姿が、記憶の底にこびりついているらしいこの老女は、なにか変事があると竜平の身を案じて、このとおりおろおろと泣くのである。 「承知しました。すぐ行きます」  金田一耕助は袴の|紐《ひも》をきりりと締めてたのもしかった。      二  そのまえの五日の夜はいっとき激しい雷雨があって、きょうの天候を気遣わせたが、さいわい今夜はその心配はなさそうで、|宵《よ》|宮《みや》の神事は万事とどこおりなく執行されそうであった。  まず六時ごろ宮司の守衛が拝殿のなかで、長い|祝詞《のりと》を神に|捧《ささ》げた。この拝殿は境内から二メートルほどあがっているので、一般参拝者はその声を聞いても、姿を見ることはできなかった。守衛の背後には|巫《み》|女《こ》姿をした巴御寮人とふたごの姉の真帆、村長の辰馬、その他村の有力者が数名ひかえていた。当然そこにいなければならぬ片帆の姿が見えなかったけれど、その段階ではまだだれも、そこにどういう重大な意味があるか気がつかなかった。  拝殿の奥には|粗《あら》い格子にへだてられた内陣があり、内陣の正面の壇上には越智竜平寄進による黄金の矢が、|燦《さん》|然《ぜん》とかがやいて異彩を放っている。  いつもの祭りならごく簡単にすむ祝詞だのに、その夜に限ってやたらに長かったのは、ことしの祭りがふだんの年とちがうということを、守衛も肝に銘じているのであろうか。この祝詞がおわると今夜のところ、この拝殿は用がなくなり灯が消される。灯が消えたのは七時ごろのことであった。  そこで小憩があったのち、もう一度|神楽《かぐら》|殿《でん》で祝詞がある。しかし、この祝詞はいたって簡単なもので、神楽殿のまえに集まった群集の頭上で、うやうやしく御幣を振ってお|祓《はら》いをするくらいのことである。  神楽殿の高さは二メートルくらい、拝殿よりやや高くなっているが、三方雨戸が開けはなたれ、内部には|煌《こう》|々《こう》と灯がついていて明るかった。拝殿の奥には「無形文化財」と大きく|刺繍《ししゅう》した垂れ幕が、舞台一杯にかけられている。妹尾四郎兵衛さん江、井原市有志一同よりとあり、これは四郎兵衛がヒイキの客から贈られたもので、この地方の神楽はすべて無形文化財に指定されているのである。  いったい|備中神楽《びっちゅうかぐら》というのは出雲神楽の系統を引いているのだそうで、「天の岩戸開き」「|大《おお》|国《くに》|主命《ぬしのみこと》の国譲り」「|素戔嗚尊《すさのおのみこと》の|大蛇《おろち》退治」の三篇の神話から成立している。はじめは神職が舞うていたものだが、おいおい劇的要素が強くなってきたので神職の手に負えなくなり、そのうち農民のなかから芸達者なものが現われて、神職にとってかわった。ここに備中神楽独特の神楽太夫なるものが出現したのだそうである。かれらは親につき、祖父につき、あるいは師匠につき、農耕のかたわら芸を|磨《みが》き、それを代々子孫に伝えていったものである。  ことし七十四歳になるという妹尾四郎兵衛は、備中神楽きっての巨匠で、もう五十年以上も神楽を舞うている。かれの家は祖父の代から神楽太夫で、四郎兵衛も子々孫々までこの芸を伝えたいと思っている。さいわい一人|息《むす》|子《こ》の松若は芸の筋もよくかつ熱心で、それに第一頑健であった。四郎兵衛はこのせがれに希望を託していたのだが、いまから十九年まえの昭和二十三年十月六日、|後《し》|月《つき》郡の家を出たきり蒸発してしまって、いまだに生死不明である。  蒸発したとき松若は三十三歳、いよいよこれからという年頃だっただけに、四郎兵衛にとってこれ以上の痛恨事はなく、いまだに松若のことを忘れかねている。さいわい松若は誠、勇という二人の孫を|遺《のこ》してくれたので、いまや四郎兵衛の希望はこの二人につながれているのである。  思えばこの二人も|不《ふ》|愍《びん》なもので、幼くして父に蒸発されたばかりか、その翌年母に逃げられてしまった。ふたりの兄弟の母なるお照は、一年待っても夫が帰ってこないので、子どもを置きざりにして実家へかえり、まもなくさっさと他へかたづいてしまった。あとに残された兄弟は祖父母の手によって育てられたのだが、まもなく祖母がみまかるに及んで、四郎兵衛の男手ひとつによって養育された。  それだけに兄弟の祖父を慕う情はあつく、四郎兵衛もまたこの二人に希望をつないでいる。ただ兄の誠は素直で優しい気性だが、神楽太夫としていちばん必要な|覇《は》|気《き》に乏しく、それに体も虚弱というほどではないが、もうひとつ頑健とはいいかねる。それにひきかえ弟の勇は年々歳々父に似てきて、神楽を舞うときその動きにも、切れ味鋭いものがあり、活気に|溢《あふ》れ、肉体的頑健さも申し分がない。だから今夜の神楽でも素戔嗚尊の役が振ってあり、大蛇は四郎兵衛自身が演ずるつもりである。それは松若の最後の舞台となった昭和二十三年の、おなじ刑部神社の奉納神楽とそっくりおなじ役割であった。  神楽殿の奥に張ってある、無形文化財の垂れ幕の背後は、二十畳敷きくらいの会議室になっているのだが、いまそこは神楽太夫の楽屋になっている。さっきも大膳が金田一耕助にいっていたように、そこはいま神楽場のような騒ぎである。きらびやかな神楽の|衣裳《いしょう》や、恐ろしいのやおどけたのや、古怪なお面のかずかずが楽屋に散乱しており、なかでもいちばん目につくのは、つくりものの大蛇である。とぐろをまいているけれど、その長さ七、八メートルもあろうか。そういうなかで四郎兵衛はじめ一同が興奮して、わめきちらしている隅のほうで、誠と勇がひそひそ話をしている。 「お兄ちゃん、父ちゃんのかたきいうのんはここの御寮人さんのことけ」 「父ちゃんがうつつを抜かすようなおなごはこの島では、あの人しかおらんけんな。十九年まえにはあの人もっときれいじゃったと思う」 「そうじゃけえど、あの人神々しいばかり清らかじゃないけ」 「人は見かけによらんもんいうぞな。ましてや女は化けもんじゃけんな。それに、父ちゃんをたぶらかしたんはあのおなごとしても、父ちゃんを手にかけたんはほかの人間やもしれん」 「だれじゃ、それは……?」 「あのおなごの亭主じゃ、旦那じゃ。そいつがヤキモチやいてうちの父ちゃんを……」 「ほんなら、ここの神主が……?」  勇が息をのんだとき、遠くのほうから四郎兵衛が見て、 「これこれ、誠も勇もなにをゴタゴタいうとるんじゃ。まもなくお神楽がはじまるぞな。誠、おまえの出番はいちばんはじめじゃけん、さっさと支度をせんかい」 「はい、おじいちゃん」  ところがちょうどそのころ、ここにちょっとした取り込みがあった。  この神楽のまえに|巫《み》|女《こ》の舞いがある予定になっていた。巫女とは巴御寮人と真帆、片帆のふたごの姉妹の三人である。ところがその場になって片帆の姿が見えないことに気がついて、当然、両親から責められたのは真帆である。巫女姿の真帆はいまにも泣き出しそうな顔をしながら、 「その片帆ちゃんなら……」 「その片帆がどうしたというんじゃ」  と、天神ヒゲの守衛は、天神ヒゲをふるわせながら|噛《か》みついた。あとから思えば守衛は|宵《よい》のうちから気が立っていたようだ。かれはいま神楽殿でお|祓《はら》いをしてきたばかりだから、神主の正装をしている。そこは社務所の奥、宮司の住居の座敷である。 「片帆ちゃんは……、その片帆ちゃんならゆうべ島を出ておいでんさりました」 「片帆が島を出たあ……? なぜまたよりによってこげえな大事なときに……? それをまた、なんでおまえはいままで隠しておったんじゃ」 「まあ、まあ、あなた、そげえな大きな声をお出しんさらいでも。わたしから聞いてみましょう。真帆、片帆はなんで島を出たんぞな」  |瞼際《まぶたぎわ》を朱に染めて開きなおると、巴御寮人も|凜《りん》|然《ぜん》としている。優しいばかりがこのひとの本質ではなく、そうとう激しいものをうちに秘めているようだ。  しかし、真帆もほんとうのことはいえなかった。 「あのひとがまえから巫女という仕事を、いやがっていたいうことは、お父さんもお母さんもしっておいでんさりましょう」  それは両親もしっていた。万事に順応性にとみ、素直な気性の真帆とちがって、個性の強い片帆のほうは、なにかにつけて反抗的だった。ことに、神主の娘という特殊な立場に生まれたことをとても|嫌《いや》がり、その傾向がちかごろますます強くなってきていたということは、守衛も巴も気がついていた。 「それでどこへいくいうてましたか」 「それはなんともいうておいでんさりませんでしたけえど、たぶん玉島じゃろうと思います。あそこよりほかにいくとこのない人ですけん」 「いつごろここを出ていったの」 「日が暮れてから……あのひとが出ていってからまもなく、大雷があったもんですけん、わたしも気を|揉《も》んでおりました」 「真帆はどうしてそれをいままで隠していたの」 「人にいうと、七生まで恨むとおいいんさるもんですけん」  いかにも片帆のいいそうなことである。 「御寮人はいままで片帆のいないことに、気がついておいでんさらなんだのかな」  守衛の口調には|嘲《あざ》けるようなひびきがある。 「すみません、つい忙しさにとりまぎれて……それはあの|娘《こ》の姿が見えんいうことには気がついとりましたけえど、まさか家出をしたとは……あの娘のことですけん、またふてくされて、どこかへ隠れとるんじゃろうとばっかり思うとりました」 「取り締まり不行き届きというやつじゃな。うっふっふ。それじゃけえど、少しおかしいな」 「おかしいとは……?」 「ゆうべのうちに玉島へいたんなら、むこうから電話でもありそうなもの」 「そうおっしゃれば……」  三人が不安そうに顔見合わせているところへ、神楽殿の楽屋から誠と勇がやってきて顔を出した。 「あの……巫女さんの舞いはまだですかと、おじいちゃん、いや、四郎兵衛がいうとりますけえど」 「はあ、あの、すみません。いますぐいくというておいてつかあさい」  みんなあわてているので、巴御寮人や守衛を|視《み》る誠と勇の目のなかに、ひとかたならぬかぎろいがあるということを、そこにいるだれも気がつかなかった。  こういう取り込みがあったので、巴御寮人と真帆だけの巫女の舞いが終わったころは、日はもうすでに暮れていた。  日が暮れても今夜に限って刑部神社の境内は、真昼のように明るかった。夜店がたくさん|列《なら》んでいたし、それにさっきオチョロ舟からかえってきた吉太郎が、要所要所にまくばられた|篝火《かがりび》に点火していったからである。おまけに八時ごろお神輿がワッショイ、ワッショイとかえってきて、ひとしきり境内を練って歩いた。そのお神輿を取りかこむ氏子たちが、てんでにかざす松明の火が天をもこがさんばかりであった。  このお神輿騒ぎがおさまって、無事に神輿が蔵のなかに安置されると同時に、神楽殿ではお神楽がはじまったのである。  さいしょは「岩戸開き」そのあとに「|大《おお》|国《くに》|主命《ぬしのみこと》の国譲り」「素戔嗚尊の大蛇退治」とつづくのだから、夜を徹するといっても過言ではない。現代ではテレビという便利なものが発展して、いかなる|僻《へき》|村《そん》僻地といえども、娯楽にことかくということはないが、それでも生まの芸能に触れるということは珍しい。神楽がもてはやされるゆえんである。  あの火事騒ぎが起こったのは、まだ舞台で「岩戸開き」が演じられている最中だった。神楽殿の舞台の下には三方に、幅八〇センチほどの垂れ幕がずらりと張りめぐらされている。その垂れ幕が奥のほうから燃えはじめて、メラメラと|焔《ほのお》と煙をあげはじめたのだから、一瞬境内は騒然となった。火事は人間を興奮させる。ましてや近来まれな群集が、境内にひしめき合っていたのだから、 「火事だ! 火事だ!」  と、大騒ぎ。  それでいて|咄《とっ》|嗟《さ》の間、どう手を尽してよいのかわからないのが人の常である。ただワーワーと騒いでいるうちに、火は垂れ幕をなめつくして神楽殿の柱に燃え移った。舞台では古怪な面をかぶった|手力男命《たぢからおのみこと》も|天鈿女命《あめのうずめのみこと》も、毒気を抜かれてただ右往左往するばかり。  そのとき、背後の無形文化財の垂れ幕から走り出たのは、勇である。勇の出番はまだあとなので、かれはまだ紋付きの羽織袴であったが、その羽織をとって|燻《くすぶ》る柱を|叩《たた》きはじめた。それに勢いをえて手力男命も天鈿女命も|衣裳《いしょう》をぬいで、いっしょに柱を叩きはじめた。面をとると手力男命は弥之助、天鈿女命は誠であった。  神楽殿の下で働いたのは松蔵であった。いっとき|茫《ぼう》|然《ぜん》としていた松蔵だが、すぐわれにかえると社務所の入口にある、大きな|用《よう》|水《すい》|桶《おけ》に駆けつけた。用水桶の|蓋《ふた》のうえには手ごろの桶が五つ伏せてある。そのひとつに水を一杯|汲《く》みこむと、 「そうら、みんなバケツのリレーじゃ」  戦争を経験したものなら、みんなバケツ・リレーをしっている。ほかに四人のものが加わって、それぞれ桶に水を汲み、そこに五列の|人《ひと》|垣《がき》が用水桶から神楽殿の|麓《ふもと》までつづいた。そのなかには五郎も定吉もおり、びっくりして社務所のなかからとび出してきた、巴御寮人や真帆がおろおろしている。社務所の玄関にかかっていた、|菅《すげ》|笠《がさ》と|蓑《みの》に身をかため、頭から水をかぶって走りまわっているのは吉太郎である。  さいわい発見がはやかったのと、人手にこと欠かなかったので、まもなく完全に鎮火したが、それでもその間十五分はかかったろう。火が消えても人びとの興奮は去らない。てんでに火元へ集まって評議まちまちであったが、越智竜平がやってきたのはちょうどそのときである。  自動車は刑部神社の石段を上がることは出来ない。徒歩で境内へ踏み込んだので、かれの崇拝者たちのうちだれひとり竜平の入来には気がつかなかった。竜平は|眉《まゆ》をひそめて水びたしになった境内を見まわしていたが、すぐに様子がわかったのだろう。そそくさと開けっ放した社務所のなかへはいっていった。  かれは社務所のなかにものの三分もいたであろうか。こんど出て来たときの顔は土気色をして、この男としては珍しく目が血走って|錐《きり》のように|尖《とが》っている。 「越智さん、どうかしましたか」  出会い|頭《がしら》に顔を合わせたのは磯川警部である。 「あっ、磯川さん、巴御寮人は……?」  その声はノドに詰めものでもされたように|嗄《しゃが》れていた。 「御寮人なら神楽殿のほうにいますよ。いまちょっとした火事騒ぎがあったもんですけん」 「ああ、そう、それじゃ磯川さん、あなたいっしょに来てください」  竜平の言葉なり物腰なりが、ただごととは思えなかったので、磯川警部もギクッとして心が騒いだ。無言のまま竜平のあとにつづいて社務所のなかへはいっていくと、玄関の奥に廊下が横に走っている。それを右へいくと神楽殿の奥の会議室になり、左へいくと拝殿である。  竜平は左へ走った。  拝殿のなかは火が消えていたけれど、格子越しに外光が差し込むので、物の見分けがつきかねるというほどではない。いや、そこになにがあるか十分識別はつくのである。 「磯川さん、あれを……」  竜平の声はあいかわらず嗄れてふるえている。磯川警部は竜平に示されたほうへ目をやったが、咄嗟にはそれがなにを意味するのかよくわからなかった。呼吸をつめ、|瞳《ひとみ》をこらしてそのものを凝視しているうちに、やっとその正体を見定めて、磯川警部は思わず床のうえからとびあがった。  拝殿の奥に内陣があり、そのあいだを粗い格子がへだてているということはまえにもいっておいた。その格子にだれかがもたれかかっている。いや、だれかなどと|曖《あい》|昧《まい》な言葉をつかうのは|止《よ》そう。神主の正装をしているから守衛にきまっている。守衛はむこうむきに格子にもたれて、いまにも床へへたりそうでありながら、へたっていないのは、その背中に突っ立った黄金の矢の矢羽根のほうが、格子の|桟《さん》のひとつにひっかかっているからである。  黄金の矢は守衛の薄い胸板を差しつらぬいて、|矢《や》|尻《じり》が前部から突出している。  なんてことはない、刑部神社の神職刑部守衛は、御神体の神の矢で背部から胸部へと、文字どおり|串《くし》|刺《ざ》しにされて死んでいるのである。     第十四章 |串《くし》|刺《ざ》し太夫      一  迎えの自動車に乗った金田一耕助は、地蔵平から地蔵坂へ出る曲がり角のところで、下から登ってきた刑部大膳に出会った。大膳は夏物の黒紋付きの|羽織袴《はおりはかま》のうえに、万一の雨の場合にそなえてだろう、合いのインバネスをはおっており、片手に|金《こん》|剛《ごう》|杖《づえ》のような長い杖をつき、片手に|提灯《ちょうちん》をぶら下げていた。  この島にはタクシーもなければ人力車もない。|新《しん》|在《ざい》|家《け》から二キロあまりもある山へ登るにも、長い坂を歩かなければならないのである。しかし、そういう環境になれているせいか、大膳はべつに苦にもならないらしいが、さすがに八十歳の老人の|足《あし》|許《もと》は危なっかしかった。  自動車のヘッド・ライトのなかに老人の姿が浮かんだとき、金田一耕助はストップをかけていた。いや、かれがストップをかけるまえに、運転手がブレーキをかけていた。運転手は松本克子である。  金田一耕助は自動車の窓から顔を出して、 「|錨屋《いかりや》の|旦《だん》|那《な》、ここへお乗りになりませんか。これから坂はたいへんです」 「あっ、金田一さん、あんたこれからお出掛けかな。竜平どんは……?」  と、いいかけて、自動車のあとからゾロゾロついてくる数名の男たちの姿を見ると、大膳は驚いたように金田一耕助の顔を|視《み》|直《なお》した。  それらは松蔵を筆頭としてみな越智家の一門で、こんどの祭りのために帰島したものばかりであった。かつては大膳の威光のまえに|慴伏《しょうふく》していた連中だが、こんど帰島してからは、妙によそよそしく、錨屋に|挨《あい》|拶《さつ》にくるものはひとりもいなかった。大膳はなんとなく世の移り変わりのようなものが感じられ、孤独の|想《おも》いをかみしめながら、いまもひとりトボトボ地蔵坂を登ってきたところだが、松蔵たちの目に|炎《も》えている激しい怒りと憎しみの|焔《ほのお》を見ると、思わずたじろぎのようなものを感じずにはいられなかった。 「金田一さん、なにか……?」 「まあ、いいからお乗りなさい。旦那はいま坂を登っていらしたばかりなんですね」  金田一耕助が念を押すようにいって、ドアを開いてやると、大膳は提灯の灯を吹き消して、あたふたと自動車のなかに乗り込んだ。なんとなく松蔵たちの顔色に不穏なものを感じたらしい。大膳を吸い込むと松本克子はすぐアクセルを踏んだ。 「金田一さん、なにがあったんですか。火事でもあったんじゃありませんか。さっき地蔵坂を登ってくると、神社のあたりの空が炎えていたようですけえど」 「いや、わたしにもさっぱりわけがわからないんです。あの人たち口々にわめくばかりでいっこう要領をえませんでした。松本さん、あなたさっき越智さんを送って神社までいかれたんでしょう。火事があったんですか」 「はあ、火事はボヤですんだようです。社長がお宮へいかれたときは、もう鎮火していたんじゃないんですか」 「それで……?」 「はあ、わたし社長をお宮の石段の下までお送りすると、すぐ引っ返してくるつもりだったんです。後ほど電話をするから、そのとき迎えにくるようにとおっしゃったもんですから。ところがあそこUターンをするのがむつかしくって、いろいろクルマを動かしているうちに、五分くらいもかかったでしょうか。やっと方向がきまってスタートしようとしているところへ、磯川さんというかた……あのかた警部さんなんですね……そのかたが石段を駆け降りてこられて、人殺しがあった、すぐ金田一先生をお連れするようにって。わたしがびっくりしているところへ、警部さんの背後からいまあとから追っかけてくる人びとが、ひしめくように降りてこられて、口々にわめいていらっしゃいました。|罠《わな》だ、罠だ、錨屋の旦那や村長の一味が、本家を|陥《おとしい》れるためにやったことなのだ……と。金田一先生、もしそんなことがあったら、どうぞ社長の力になってあげてください。社長を助けてあげてください」  秘書というものはつねに冷静でなければいけない。そして要領よく物事を処理する才能に恵まれていなければならぬ。おそらくふだんの松本克子はその適格者で、それであればこそ越智竜平のおめがねにかなって、秘書という要職を与えられたのだろうけれど、殺人事件という不測の事態に直面しては、日頃のたしなみも忘れて、秘書といえども本質的には、女性なのだということを露骨に示していた。 「わしと辰馬が竜平どんを陥れる……? なんのことかようわからんけえど、それで殺されたんはいったいだれじゃ。だれがだれに殺されたというんじゃ」 「神主さまが……」 「なに? 神主の|守《もり》|衛《え》がだれかを殺したというのけ」 「いいえ、殺されたのが神主さまで……」 「なんですって、神主さんが殺害されたんですって。で、殺害したのは……?」  金田一耕助が尋ねた。 「それを社長だとおっしゃるんだそうです」 「だれがそんなことをいうんです」 「村長さんが……」  松本克子ももちろんこの島の複雑な人間関係を知っている。消え入りそうな声音のなかにも、それを|撥《は》ねかえそうとするような強い願望のひびきがあった。  ありようはこうである。  越智竜平と磯川警部が、黄金の矢で刺し貫かれた守衛の奇妙な死体を凝視しているところへ、ひと足おくれてその場へやってきたのが、村長の刑部辰馬であった。村長は外部から差し込むほの明かりのなかに、ふたりの姿を見つけると、なにか声をかけようとした。しかし、みだりに声を立てさせぬきびしいなにかが、ふたりの体をくるんでいた。村長はふしぎそうにそばへやってきた。そしてふたりがなにをそのように押し黙って、|視《み》|詰《つ》めているのかとそのほうへ目をやった。磯川警部にもそれをとめる権利はない。  はじめ村長もふたりの凝視している対象物が、なんであるか理解できなかったらしい。白衣の|衣裳《いしょう》から内陣のなかにいるものが守衛だとわかっても、守衛がそんなところでなにをしているのか、はたまた竜平や警部がなぜそのように押し黙って、守衛の姿を凝視しているのか、その意味がよくわからなかったのではないか。外光が差し込んでいるとはいえ、そこはそれほど明るくはなかったのである。  目がなれてくるにつけ、村長にもやっとそこにいる守衛が、どういう状態であるかが|呑《の》み込めてきたのだろう。かれはその場で|跳《と》び上がるほど驚いたにちがいない。しかし、かれは跳びあがらなかった。ひと呼吸……ふた呼吸……気息をととのえると、かれはくるりと竜平のほうへ向きなおった。そしてほの明かりのなかで竜平の顔を、鼻と鼻とがくっつかんばかりに|覗《のぞ》き込んで、 「竜平どん、これはあんたがやったことかね。いやさ、あんたがこのように|惨《むご》たらしう、太夫を刺し殺しんさったんかな。これはあんたが寄進なさった矢じゃったな」  その声は憎しみと|嘲《あざけ》りにみちみちているが、聞きようによってはその底に、|快《かい》|哉《さい》の叫びがあるようにも思われた。少なくともこの男は、守衛の死を|悼《いた》みもしなければ悔んでもいない。  竜平は世にも意外な言葉を聞くものかなといわんばかりに、鼻先に突きつけられた相手の目のなかを激しく視返しながら、 「いいや、これはわたしの知ったことじゃない。わたしがここへやってきたら、もうこのとおり……」  と、いいかけたが、それがいかにも言い訳めいて聞こえるだろうことに気がついたのか、ふいと顔をそむけると、 「警部さん、金田一先生を……」 「金田一さんはあなたとご一緒じゃなかったんですか」 「いいや、あの人はうちにいます。少し疲れているとおっしゃるので、あとに残してきたんです」 「そう、じゃすぐここへ来てもらいましょう。さっき表に山崎君……山崎巡査がいましたから、あの男をここへ呼んで見張りをさせましょう。|検《けん》|屍《し》がすむまで、だれもここへ近寄らんようにしといたほうがいいでしょう」  だが、そのまえに村長の辰馬がくるりと|踵《きびす》を返して、すたすたと|大《おお》|股《また》に拝殿を出ていったかと思うと、まもなく表のほうで大声でわめく声がきこえた。 「おおい、みんな聞け、巴御寮人も真帆も片帆もよく聞け」  村長のどくどくしい塩辛声に、表のざわめきがピタリとやんだ。シーンと水を打ったような静けさがそこにある。辰馬はおそらく得意満面なのだろう、わざとひと呼吸おいて、 「おい、みんな驚くな。太夫がたったいま殺された。巴御寮人のご亭主が殺されたのじゃ。拝殿の奥の内陣のなかで殺されている」  村長は群集の反応をたしかめようとするかのように、ちょっとそこで言葉を切ったが、その場の空気に満足したのか、塩辛声をいっそう強めて、 「殺したのはだれだと思う?」 「だれだ、殺したんは……?」  押し殺したような|嗄《しゃが》れ声は松蔵らしい。少し声がふるえている。  村長はますます得意になってそっくり返っているらしく、 「だれだと思う、だれだと思う。じゃ、いうてやろうか。おまえらがえろう信服している越智の本家の竜平じゃ」 「あっ、いけない、警部さん、あれをとめてください。さもないと大変なことになりかねない」  竜平は警部の腕をつかんだが、果たして表のほうから反発するような声が|撥《は》ねかえってきた。 「|嘘《うそ》だ! 嘘だ! そんなバカな!」  松蔵らしかった。松蔵はさらに言葉をつづけて、 「嘘だ! 嘘だ! 太夫が殺されたとしたら殺したんは、村長、おまえじゃないけ」 「そうだ、そうだ。それとも錨屋のじさまかもしれん」  と、いう声々がいっせいに村長の塩辛声を取りまいた。  磯川警部はそのときはじめて、竜平が大変なことになりかねないと口走った理由がのみこめてきた。村長が袋叩きになることを|危《き》|懼《く》しているのだろう。と、いうことは竜平がこんど帰島した人びとのあいだに、いかに絶大な信望をかちえているかということに対する、自信のほどを示すものだろう。 「いきましょう。とにかく表へ出ましょう」  磯川警部と竜平が肩をならべて、社務所の玄関口から外へ出ると、果たして村長と村長を取り巻く群集のあいだで、口汚い|罵《ののし》り合いがつづいていた。村長は袋叩き一歩手前という状態で、さすがに顔面|蒼《そう》|白《はく》になっていた。  警部と竜平の姿を見ると、一同は一瞬シーンと静まり返ったが、そのなかから松蔵が一歩進み出て、 「警部さん、村長がいまひょんなげなこと(変なこと)いうとるんですけえど、それほんまのことですか」 「ひょんなげなことちゅうと……?」 「太夫さんが殺されたとか……」 「ああ、それはほんまのことじゃ」  一瞬、群集のあいだから不安そうなざわめきが起こったが、松蔵はまた一歩前へ出て、 「それで、犯人はここにおいでんさる木家じゃとおいいんさるんで」 「それはまだわからん。それにしても、村長、あんたも少しはしたないじゃないけ。めったなこというのはやめときんさい。少しは身分柄をわきまえたらどうじゃ」  と、一本|釘《くぎ》をさしておいて、山崎巡査をさしまねいた。そして、拝殿の入口の階段のところで張り番をしているよう、だれもそこからなかへ入れぬようにと命じているところへ、さっきから神楽殿の下でひとかたまりに立っていた巴御寮人と真帆、三津木五郎と荒木定吉が近づいてきた。三津木五郎はあいかわらず、胸にカメラをぶら下げている。  吉太郎もその仲間にいたのだけれど、かれだけはあとに残って、例によってうわ目使いにこちらのようすをうかがっている。  神楽太夫の七人は神楽殿のうえから、いぶかしげに、警部と越智竜平の周辺を|覗《のぞ》いていた。そのなかに誠と勇がいることはいうまでもなく、ふたりはひそかに顔見合わせながら、|固《かた》|唾《ず》をのんでいるようである。 「五郎さん、聞いて……なにがあったのか聞いて……」  そばまでくると巴御寮人が|喘《あえ》ぐような声で五郎を促した。巴御寮人の目はうわずり、声はかすれてしゃがれている。彼女はなるべく越智竜平のほうを見ないように努力しており、竜平もまた彼女のおもてから目をそむけていた。 「承知しました。お母さん」  そこにいる多数の群衆のなかで、五郎だけが態度も言葉つきも明快だった。 「警部さん、いったい何事が起こったのですか。村長さんはいまこちらの神主さんが殺害されたようにいってらしたが……」 「三津木くん、巴御寮人にいってくれたまえ。その点に関する限り、村長のいうたことはほんまじゃっと」  そのとたん巴御寮人が額に手をおき、たたらを踏むようによろけるのを、真帆と定吉があわてて左右から抱きとめた。真帆の顔色も母親同様真っ白だったが、母親ほどには取り乱したふうはなく、ただ|怯《おび》えの色だけが深かった。 「それで……」  と、五郎が|唇《くちびる》の乾きを舌で湿しながら、 「村長はいま犯人はそこにいらっしゃる、越智さんのようにおっしゃいましたが、それもほんとうのことなんですか」  警部はそういう五郎の目をしっかり|視《み》|詰《つ》めて、 「それはまだわからんというとる」 「わからんとおっしゃると、その可能性もあるということですか」 「それがまだわからんというとるんじゃ」  この警部としては珍しく大声でわめいたが、すぐ後悔したように巴御寮人のほうにむきなおり、 「奥さん、大変お気の毒なことになりました。あなたは一刻もはやくご主人のおなきがらに会いたいでしょうが、もう少々お待ちください。じつはまだわたしもちらと見ただけで、よく調査もしておらんような始末なんで……」 「しかし、これだけはいってあげてもいいんじゃないんですか。こちらのお母さんのご主人は、どういう殺されかたをなすったんです。刃物で刺し殺されたのか、それとも|紐《ひも》かなんかで絞殺されたのか、それとも鈍器ようのもんで|撲《ぼく》|殺《さつ》されたのか……」 「それはね、三津木くん」  と、警部はなぜか|執《しつ》|拗《よう》に、五郎の目のなかを覗き込みながら、事態を説明しようとしかけたが、そのときそばから大声にわめきだしたのは村長の辰馬である。 「おい、若僧、それならわしの口から聞かせてやろう。太夫はな、すなわちこちらの神主はな、越智の本家が寄進した黄金の矢で、刺し貫かれて死んだんじゃ。矢がな、背中から……」  と、背中へ手をまわし、 「こう突っ立ってな」  と、それから胸のまえ一七、八センチくらいのところを、もういっぽうの手で示しながら、 「矢尻がこのへんまで覗いとおる。つまり太夫は黄金の矢で、|串《くし》|刺《ざ》しにされてしもうたんじゃ。よっぽど腕っぷしの強い人間じゃないとやれぬ|仕《し》|業《わざ》じゃ、つまり越智の本家みたいにな」  そのとたん|呻《うめ》き声が聞こえたので振り返ると、こんどは巴御寮人がほんとうに失神して、ぐったりと五郎と定吉の腕に抱かれていた。  金田一耕助が駆け着けてきたのは、それから間もなくのことである。      二 「それにしてもこれは妙な殺害方法ですね。ここまでやらなくとも、犯人の目的は達しられたでしょうがね」  これは金田一耕助のみならず、だれの頭にも浮かぶ疑問である。  凶器として使用された黄金の矢は、金田一耕助もこのあいだ、錨屋のお帳場で見たものである。いまそこに殺害されている神職の守衛が、上京したさい越智竜平に会って、こういうものを|貰《もら》ってきたと、大膳や村長に|披《ひ》|露《ろう》したとき、金田一耕助もその場に居合わせたことは、読者諸賢もすでにご存じのとおりである。  そのとき村長は光陰と名づけられた黄金の矢を手にとって、ぶんぶん右手で振りまわしながら、 「この|矢《や》|尻《じり》の鋭いこと。こいつでぐさりとこう突かれたら、どねえな人間でもひとたまりもあるまいな」  と、さっと振りおろすのを見て、天神ヒゲの神職は、 「そ、そ、そねえな不吉なこと……」  おもわず顔色を変えていたが、その不吉なことがいまや現実となって、金田一耕助の目のまえにぶらさがっているのである。しかも、その犠牲になったのが黄金の矢を受け取ってきて、あんなにも喜んでいた守衛自身であろうとは、あのときいったいだれが想像できたろう。  そこは刑部神社の拝殿のなかである。さっきとちがって拝殿にも内陣にも、あかあかと電気がついているので、この奇妙な死体のありかたが、いっそう忌わしい|凄《すご》|味《み》となって|膚《はだ》に伝わってくる。  守衛の死体はさっき磯川警部が、越智竜平とともに目撃したときの姿態のままで温存してある。正式な|検《けん》|屍《し》がすむまでは、死体を動かすわけにはいかないからである。  守衛はすなわち神の矢で背後から刺し殺されているのだが、犯人はなに思ったのか、刺し殺しただけではあきたらず、強い力で守衛の体を刺し貫いているのである。と、いうことは、ことほどさように、犯人の守衛にたいする憎しみが大きかったということだろうか。  矢の長さは六〇センチぐらいもあるだろうか。少しうえから守衛の背部に侵入し、胸というより、胸部と腹部の中間ぐらいのところで、矢尻のほうが下をむいて突出している。  矢羽根の先端から背部までが一七、八センチ。胸部と腹部の中間から突出している矢尻のほうが、これまた一七、八センチ。そうすると守衛の体の厚さは二五、六センチということになるのだろう。胸部から突出している矢尻のほうは、ドップリと血にまみれているけれど、背部の白衣はほんのちょっぴり血がにじんでいるだけで、あたりには血の|飛沫《しぶき》はとんでいなかった。これでは犯人が、返り血を浴びたであろうという可能性は希薄であった。  しかも、守衛の背部から突出している一七、八センチの矢羽根のほうが、拝殿と内陣をへだてる格子の桟にひっかかっているので、守衛の死体は倒れるわけにもいかず、格子にぶらさがるような|恰《かっ》|好《こう》で、そこに|吊《つ》りさげられているのである。ちょうど魚の干物のように。  いや、人間の死というものは、いかなる場合でも厳粛なものである。その死のありかたがどのように奇妙きてれつでも、それを|揶《や》|揄《ゆ》するようなことは慎しまねばならぬということぐらい、筆者もわきまえているつもりだが、それにしても守衛の死体のありかたは、はなはだ暗示的でもあり、|寓《ぐう》|意《い》的でもあった。  格子には人間ひとり腰をかがめてはいれるくらいの、おなじ格子づくりのくぐり戸がついていて、ふだんは|鍵《かぎ》がかかるようになっているのだけれど、いまは内側に半開きになっている。  金田一耕助は|袴《はかま》の|裾《すそ》をたくしあげて、そっとくぐり戸を抜け、内陣のなかへはいると、真正面から守衛の顔を見た。  |驚愕《きょうがく》なのか恐怖なのか、守衛の馬面は両眼と口をくわっと開き、開いた口から黒ずんだ舌がだらりと垂れている。|汐《しお》|垂《た》れた天神ヒゲが哀れであった。守衛は犯人を知っていたのであろうか。むろん知っていたにちがいない。それでないとこの神聖な場所へ迎え入れるはずがないからである。  いずれにしても三人の御寮人を持つという、この好色な神職の最期としては、まことに笑止千万であると思われた。  さっき金田一耕助も指摘したように、犯人はそこまでやる必要はなかったはずである。矢尻が数センチ背部から突入しただけでも、犯人の目的は達せられたはずなのだ。なにもこのように|惨《むご》たらしう串刺しにする必要はない。  金田一耕助はふと『獄門島』の俳句殺人事件や、『悪魔の|手《て》|毬《まり》|唄《うた》』の手毬唄殺人事件を思い出していた。前者の場合は江戸時代から伝わる俳句のとおり、後者の場合はその村に伝わる古い手毬唄にのっとって、かずかずの殺人が演じられたのである。この島にも串刺しという事実に関して、なにか特殊な伝説のようなものでもあるのではないか。そばにいる磯川警部もそれらの事件をともにしているので、金田一耕助が質問すると、 「いや、金田一先生、わたしもさっきそれを思い出したんです。この死体、なんとも暗示的ですけんな。それで越智氏に聞いてみたんですけえど、あの人の返事は否定的でしたね。この島に生まれて育ったじぶんじゃけえど、そげえな話聞いたこともないいうんですね」  そこで磯川警部は声をひそめて、 「それよりさっき村長はこういうてましたよ。これは、よっぽど腕っぷしの強い人間でないとやれぬ仕業じゃ、越智の本家のようにな、そういうてわめいていましたよ。と、いうことは、犯人は越智氏に罪を転嫁しようという了見じゃありますまいか」 「しかし、腕っぷしの強いのは、なにも越智氏ひとりとは限らないでしょう。この島にはほかにもそうとうたくさん、腕っぷしの強いのがいそうじゃありませんか。あの村長自身腕っぷしが強そうですぜ」  金田一耕助は笑いながら、 「ときに、そこのくぐり戸の鍵はかかっていなかったんですか」 「いや、鍵はかかっていませんでした。ちょうどそのくらい開いていましたね。だからこれ密室の殺人というわけにはいきませんかな」 「たとえ鍵がかかっていたとしても、こう粗い目の格子じゃ密室とはいいかねますね」 「そうじゃけえど、金田一先生、矢は内陣のいちばん奥にあったんですぜ。それですけん、くぐり戸の鍵がかかっていたら、密室の殺人ちゅうことになるんじゃありませんか。犯人は内陣のなかへはいったんでしょうけんな」 「なるほど、するとくぐり戸に鍵がかかっていなかったというのは、われわれにとって仕合わせだったというわけですか。余計な神経を使わなくてもすむわけですから」  金田一耕助は白い歯を見せて冗談めかしたが、磯川警部は真顔をくずさず、 「そういうこってす。くぐり戸の鍵がかかっていなかったのですけん、だれでも内陣のなかへはいろうと思えばはいることはできたでしょう。ですけえど、そこにはこの被害者がいたのですけん、めったな人間ははいれなかったでしょうな。被害者の顔|見《み》|識《し》りのもんで、それもよっぽど近しい間柄の人間でない限りはね。守衛はすっかり気を許していたんでしょうけん」 「なるほど、そうすると犯人が大いに限定されてくるわけですね」  金田一耕助はまた目のまえの守衛の死体に目をやった。背部と胸部から突出している、矢羽根と矢尻がかれにはどうにも気にくわないのである。なぜこうまで残酷な殺しかたをしなければならなかったのか。 「ときに、医者は……?」 「金田一先生、この島には医者はおらんのです。以前はいたそうですけえど、過疎化がすすむにつれて、商売がなりたたんようになったもんですけん、逃げ出してしもうたんじゃそうです。医者も坊主もおらん島じゃな、ここは。そこでさっきここの電話をかりて、下津井署と県警の本部へ連絡しときました。さいわい下津井署には広瀬くんがいたもんですけん、委細のようすは話しときました。やっこさんえろうびっくりしとりましたけえどな。まものう医者や鑑識のもんを連れてやってくるでしょう。こういうとき離島は不便ですけえど、さいわい越智さんが自家用|汽艇《ランチ》……あれ朝日号というんですね、あれを自由に使うてもええいうてつかあさったもんですけん、いま迎えにいてもろうとるところです」  金田一耕助がくぐり戸を抜けて、拝殿のほうへ出てきたところへ、ゴソゴソと足音がしたので、ふたりが振り返ってみると、社務所の背後へ通ずる廊下の階段の途中に立っているのは、三津木五郎と荒木定吉だった。ふたりともまだお祭りの|印袢天《しるしばんてん》を着たままである。 「おい、おい、きみたち、こっちのほうへきたらいかんというといたじゃないか」 「はあ、でも、錨屋の大旦那に頼まれたもんですから」  答えたのは五郎のほうである。さすがにこの若者も顔面蒼白で、人をくったような態度はもうどこにもない。荒木定吉は恐ろしそうに、階段の途中に立って内陣のほうを見ている。警部はあわてて死体のまえへ立ちはだかると、 「錨屋の大旦那になにを頼まれたんだ」 「御寮人さんがやっと気がつかれて……」 「ああ、そうか、御寮人さん気がつかれたか……それでどうしたんだ」 「荒木くん、あとはきみからいってくれたまえ」 「えっ、あの、ぼくから……?」  五郎にうながされて定吉はちょっとヘドモドしていたが、それでも責任を感じたのか、わりにハッキリした調子でいった。 「その御寮人さん、しきりに御主人……いえ、あの、御主人の死体……いや、おなきがらに会いたがっておいでんさります。それで錨屋の大旦那のおいいんさるには……」 「うむ、うむ、それで錨屋の大旦那のおいいんさるには……」 「検屍がすむまで死……いや、おなきがらを動かすわけにはいかんじゃろうけん、こっちのほうから御寮人をつれていったらいかんじゃろうか、いずれ解剖に付されるんじゃろうけえど、そのまえにひとめ会わせておいてやりたい。そこのところを相談してきてほしい……、こげえにおいいんさるんですけえど。なあ、三津木さん、そうじゃったなあ」 「そうです、そうです。この人のいうとおりです。警部さん、御寮人さんもだいぶ気が落ちつかれたようですから」  警部はまだしらないことなのだけれど、越智竜平にむかって、お父さんと呼びかけたという五郎の顔を、金田一耕助は深い興味をもって|視《み》|守《まも》っている。しかし、その面ざしや体つきからだけでは、竜平とこの若者の血のつながりを探り出すことはむつかしかった。  警部は警部でべつに思惑があったのか、 「きみたちいやに仲がいいが、今夜もずっといっしょだったのかい」 「ええ、いっしょでしたよ。われわれいまやお|神《み》|酒《き》|徳《どく》|利《り》みたいなもんです。なあ、荒木くん」  五郎はまたいつか人をくったような調子にかえっていた。定吉はちょっと|泡《あわ》をくったように、 「えっ、ま、そうです、そうです、そうですん。ふたりはいつもいっしょですんじゃ」 「ああ、そう」  警部はかるく|頷《うなず》いて、 「ところで、金田一先生、どうしたもんでしょうな。御寮人さんをここへ呼び入れるということは……? むやみにそこらを触られたら困るんじゃけえど」 「いいんじゃないですか、ご希望に添うてあげたら。あらかじめ注意しとけばいいでしょう。そうそう、おなきがらに会いたいといってらっしゃるのは、御寮人さんだけ?」 「いえ、真帆ちゃんも」 「それから錨屋の大旦那も」  お神酒徳利のふたりがひとことずつわけて答えたあとへ、 「村長は遠慮したいといっています。あの人はもう会っているんでしょう」  と、三津木五郎がつけくわえた。  警部は拝殿の広さを目測して、 「そう、それじゃ三人いっしょにくるようにいうてくれたまえ。ひとりひとりじゃ、なんぼなんでも気味が悪いじゃろうけんな。ことにおなごどもには気の毒じゃ」 「承知しました」  五郎と定吉が階段をおりていくうしろ姿を見送って、金田一耕助は磯川警部の横顔に目をやった。 「警部さんはいまあのふたりに、妙なことをお尋ねになりましたね」 「妙なこととおいいんさると……?」 「今夜ずっといっしょだったかと、聞いていらしたじゃありませんか」 「ああ、あれ」  磯川警部はきびしい顔を金田一耕助のほうへむけて、 「金田一さん、わたしゃ今夜この神社の境内にいたもんは、いちおうみんな容疑者の圏内においておりますんじゃ。あのふたりとて例外ではない。いや、荒木定吉はおやじの蒸発とこの島に、なにか関係があるんじゃないかと疑うとるらしい。また三津木五郎のほうは、わたしはいまでも下津井の市子、浅井はるの家からとび出したヒッピーは、やっぱりあの男じゃないかと疑うとります。あいつ殺されるまえの浅井はるからなにかを聞いた。それがどういうことであるかわからんけえど、なにかこの島に関係があることじゃあなかったか、それでこの島へやってきたんじゃないかっと、わたしはいまでも疑うとります。すると、ふたりともまんざらこの被害者と関係がないとはいいきれん。そうじゃけえど……」 「そうじゃけえど……?」  金田一耕助がオウム返しに聞きかえした。 「もしふたりにそれぞれ神主殺しの動機があるとしても、単独犯ならともかく、近づきになってまだ日も浅いふたりが、共謀してこげえな大それたことをやらかしたとはどうにも思えん。そうじゃけん、ふたりが今夜ずっと行動をともにしていたとすると、互いにアリバイが成立すると思うたんです」 「なるほど、よくわかりました」  金田一耕助が明快に答えたところへ、社務所の奥の住居から、大膳と真帆が巴御寮人の体を左右から、抱きかかえるようにして現われた。  巴御寮人も真帆ももう|巫《み》|女《こ》の衣裳は脱いでいる。真帆は薄手のセーターにスカートという、小ザッパリした洋装だが、巴御寮人のほうは白い無地の着物に薄桃色のしごきを幅広く胸にまいて、その結び目を腰に長く垂らしている。夫が非業の最期をとげたというこの際にしては、いささかあでやか過ぎる姿だが、おそらくいままでこういう姿で、|臥《ふし》|所《ど》のなかにいたのであろう。  階段へさしかかったとき、うえから磯川警部が手をかした。階段をあがり切って拝殿へ足を踏み入れると、いやでも内陣のなかにいるあのものが目にはいる。  大膳は、 「ウーム!」  と、|唸《うな》って例の役者のような目を大きく視張り、真帆は、 「キャッ」  と、小さく叫んで母のかげに顔をかくした。 「御寮人さん、勘弁してつかあさいよ。係りのもんがきてよう調査するまでは、遺体を取り片付けるわけにはいかんのです。まるでおなきがらを|晒《さら》しもんにするようなことをして、申し訳ないことと思うとります」  しかし、巴御寮人の耳には警部のその|詫《わび》ごとが、はいったかどうか疑問であった。彼女も内陣と拝殿を隔てる格子の内側にいて、背中に突っ立った矢羽根によって、格子に引っかかって支えられている夫の死体をひとめ見たとき、ギクッと大きく全身を|痙《けい》|攣《れん》させたが、なおもこの奇妙な|懸《けん》|垂《すい》|物《ぶつ》をたしかめようとするかのように、うつろに視張った目で一歩まえへ踏み出した。 「あっ、どこへもおさわりにならんように」  警部に注意されるまでもなく、彼女の左手はしっかり大膳の手を握りしめており、ぶるぶるふるえる右の手は、|襟《えり》の合わせ目を必死となってつかんでいる。  巴御寮人と大膳はこうして粗い格子に額を近づけると、むこうむきに矢で引っかかっている夫の胸元から、一七、八センチほど突出している、血に染まった鋭い矢尻に目をとめて、 「だれが……だれがこねえな惨いことを!」  |腸《はらわた》をしぼるような声であった。 「だれが、だれが、だれがこげえな惨いことをしたんですよう。村長のおじさんは竜平さんがおやりんさったいうておいでんさったけえど、そねえなこと嘘でしょう。嘘でしょう、嘘でしょう、嘘にきまってるわ」  巴御寮人の絶叫は拝殿の内部にこだまして、外部の境内へもとどろき渡ったろう。  越智竜平もまだこの神社のどこかにいるはずである。巴御寮人のその叫びを聞いたとしたら、かれはいったいいかなる感懐を持ったであろう。かつては駆け落ちまでしたふたりの仲である。竜平にとっては守衛はいわば恋敵であった。その守衛が殺されたのだから、一見竜平の立場は不利とも考えられるのだが、それを否定しようとしているかつての恋人巴の声を、竜平はいったいどのような気持ちで聞いたであろうか。  そこのところを大膳が、おごそかに締めくくった。 「そうじゃ、そうじゃ、これは竜平どんのやったことじゃない。いまの竜平どんは勝利者じゃ、勝者じゃ。それにひきかえ守衛は敗北者じゃ、敗者じゃ。勝者が敗者に施しをすることはあっても、殺そうなどとはもってのほか、あの村長はばかじゃ、たわけじゃ、大たわけじゃ。さあ、御寮人、そう取り乱したらどもならんぞな。もうええじゃろう。いこう」 「あっ、ちょっと」  と、金田一耕助が呼びとめて、 「そこにいるのは真帆ちゃんですね。片帆ちゃんはどうしてるんです。体ぐあいでも悪いんですか」  真帆はそれを聞くと|蒼《あお》ざめて、急にシクシク泣き出した。 「金田一さん、その話ならわたしからしまひょ。真帆、おまえはお母さんをつれてあっちへおいき。お母さんをよう|労《いた》わってあげるんじゃぞな。お母さん、取り乱しておいでんさるけんな」  真帆が泣く泣く御寮人の手を引いて、廊下の階段をおりていくのを見送ると、大膳は金田一耕助と磯川警部のほうへむきなおった。 「金田一さん、磯川はんも聞いてつかあさい。これは今夜こちらへきてから聞いて、わしもびっくりしたんじゃけえど、片帆はきのうこの島を出ていてしもうたんじゃそうな」 「この島を出ていったとはどこへ……?」 「さあ、それはわしにもわからん。きのう真帆にだけ打ち明け、真帆がとめるのも振り切って出ていったそうな。それを真帆が口止めされたもんじゃけん、きょうの夕方まで両親に内緒にしておいたとおみんさい。太夫も御寮人もけさからの忙しさに取りまぎれ、つい気がつかなんだんじゃな、片帆の姿が見えんということに。それに気がついたもんじゃけん真帆を責め問うたら、はじめてあの子が打ち明けたんじゃそうな。さて、片帆が島を出たとしたら頼っていくさきは一軒しかない。そう、そう、金田一さんや磯川はんは聞いておいでんさるかな」 「はあ、どういうことです」 「あの太夫が……」  と、大膳は宙にひっかかったような姿勢でいる、守衛の死体へ|顎《あご》をしゃくって、 「倉敷と玉島にひとつずつ兼務神社を持っていて、そこにひとりずつおなごをかこうて、倉敷の御寮人だの玉島の御寮人だのと呼ばせていたちゅうことですけえど」 「はあ、そのことなら聞いております。警部さんもご存じです」 「それゃ好都合じゃ。そいで真帆と片帆は高校時代三年間、真帆は倉敷へ、片帆のほうは玉島へ預けられていたんじゃけん、片帆が頼っていくとするとさしずめ玉島しかないわけじゃ。それにしてもあの子がいったんならいったで、玉島のほうから電話でもありそうなもんと、わしもふしぎに思うたもんじゃけん、さっき電話をかけて問い合わせてみたところ……」 「問い合わせてみたところ……」 「片帆はいっとらんちゅうんですな。ひょっとすると片帆に口止めされて、隠しとるんかもしれんと思うたもんじゃけん、こんどのこの事件……」  と、大膳はまた串刺しの神職のほうへ|顎《あご》をしゃくった。村長もそうだったがこの人なども、守衛の死を|悼《いた》むふうはみじんもない。 「この事件のことを話して聞かせた。どうせあしたになれば新聞に出ることじゃと思うたもんじゃけんな。玉江……ちゅうのが玉島のおなごの名前じゃけえど、たいそう驚いとったふうじゃが、その片帆ちゃんなら学校を卒業して島へかえって以来、全然|音《おと》|沙《さ》|汰《た》なしじゃ、あねえにようしてあげたのにと不平たらたらじゃったけに、片帆はほんまに玉島にはいっとらんらしい。念のために倉敷へも電話してみたけえど、こっちのほうもしらんというとる。倉敷のおなごは澄子いうのじゃけえど、こんどの事件の話をすると、びっくり仰天、しきりに巴御寮人や真帆のことを気遣うていた。これはせんからようでけたおなごじゃけえど。それにしてもあしたになったら、ふたりとも駆け着けてくるというとる。また、なにかとやっかいなことじゃけえど、それにしても片帆はいったいどこへいてしもうたもんか……」  大膳は目前にぶら下がっている死体のことより、あとの|悶着《もんちゃく》について思い|煩《わずろ》うているふうである。磯川警部は磯川警部で、大膳が電話をしたとき、電話のむこうに澄子や玉江がいたとしたら、このふたりはシロだなと胸のなかで計算している。     第十五章 |隠《おん》|亡《ぼう》|谷《だに》の|烏《からす》      一  越智竜平の自家用|汽艇《ランチ》、朝日号によって下津井から広瀬警部補の引率する、捜査員の大部隊が駆け着けてきたのは、昭和四十二年七月七日の午前零時ごろのことであった。この船には報道関係の連中も、そうとう多数便乗していたので、刑部島の神職|串《くし》|刺《ざ》し事件は、ただちに新聞、テレビ、ラジオの媒介によって全国に報道されて世間を驚倒させた。  事件の起こった当時、刑部神社の内部ならびに境内にいあわせた人びとは、全然事件に無関係と思われる露店商人のほかは、全部磯川警部によって足止めされていた。もちろんおなごどもは帰宅することを許されたが、それでもなにか今度のことで、思い当たるふしがあったら、駐在所なり、当神社なりへ申し出るようにと要請された。  足止めされた連中はいくつかのグループにわかれて、それぞれおもいおもいの思いを秘めて、重っ苦しく押しだまったまま、係り官の到着するのを待っていた。  その第一グループは被害者|守《もり》|衛《え》の一族である。神職の住居の八畳には巴御寮人が臥所のなかにいて、仰向きに寝た彼女の額のうえには|氷嚢《ひょうのう》がぶら下がっている。御寮人はいま高熱を発して、夢うつつの境にいるのだが、ときおりはげしく身ぶるいすると、きびしい調子のうわごとがその|唇《くちびる》をついて出た。 「だれが……だれが……だれがごげえに|惨《むご》いことを……」  巴御寮人はおそらく串刺しにされた夫の死体のありかたを、夢うつつとして見つづけているのであろう。その|枕下《まくらもと》に|真《ま》|帆《ほ》がつきそっていて、ときどきシクシク泣いているのが哀れであった。  そのつぎの間には大膳が羽織をぬいで、|袴《はかま》のまま|肘枕《ひじまくら》をして横になっていた。その枕下には村長の|辰《たつ》|馬《ま》が、これまた羽織はぬいでいるが袴のまま、どっかとあぐらをかいて腕組みをしている。なるほどさっき金田一耕助も指摘したとおり太く|逞《たくま》しく、強そうな腕っぷしである。辰馬はふてくされたように目玉をギョロギョロさせているが、ときどき思い出したように、 「わっはっは」  と、バカみたいに高笑いをするのは、さっき危うく、袋|叩《だた》きにされかけたことを思い出しているのであろう。  このふたりからわざと離れて、六人の男が羽織袴に威儀をただしたまま、ひと塊になって押し黙っている。みんなきのう越智竜平が島へ着いたとき、波止場まで出迎えにいった連中である。この人たちは刑部家の一門に属するのだが、いまやどちらの|麾《き》|下《か》に|馳《は》せ参じたらよいかと、|右《う》|顧《こ》|左《さ》|眄《べん》、|日和《ひより》|見《み》をしている連中である。それだけにさっき露骨に越智の本家を、|弾《だん》|劾《がい》していた辰馬の存在はかれらにとって迷惑千万なのだろう。  さて、第二グループはふたりだけだが、このふたりは社務所の受け付けのベンチに腰を下ろして、これまた押し黙ったままである。三津木五郎と荒木定吉である。定吉はときどき盗むように五郎を見、なにかいおうとするのだが、五郎が|傲《ごう》|然《ぜん》とうそぶいたままなので、そのたびに口をつぐんで唇をなめている。定吉のおもてにはおいおい|怯《おび》えの色が深くなる。  さて、第三のグループは竜平の|斡《あっ》|旋《せん》で帰島した人びとである。なんといってもこのグループがいちばん人数も多く、その数三十人を越えるだろうか。家のなかにははいりきれないので|神楽《かぐら》|殿《でん》の下にたむろしている。このグループの大将はなんといっても松蔵で、若いところでは信吉もいる。謙ちゃんもいる。|由《よっ》ちゃんもいる。みんなお祭りの|印袢天《しるしばんてん》のままである。  昭和四十二年の七月七日は旧暦の五月三十日、いわゆる|三《み》|十《そ》|日《か》の|闇《やみ》である。おまけにどんより曇っているらしく、空には月もなければ星もなかった。ましてや夜店が引き揚げてしまったので、刑部神社の境内は、まっくらになるはずだったが、さいわい三個所ある|篝火《かがりび》の火が残っているところへ、おりおり吉太郎が|薪《まき》をくべにまわってくるので、明るさにはこと欠かなかった。それに夏とはいえ島の夜は更けるにつれて冷えこんでくるから、この篝火は暖をとるにも好都合である。おまけにこの人たちみんな腹に酒がはいっている。 「おい、みんな、いまに警察がやってきて、ここにいるわれわれみんな取り調べをうけるやもしれんけえど、めったなことをいうもんじゃないぞ」  グループの大将の松蔵が、酔いのうかんだ目で一同を|睨《ね》めまわしている。 「そうじゃ、そうじゃ、うっかり口をすべらせて、本家に迷惑がかかっちゃおおごとじゃけんな」 「それにしてもさっき村長のやつが、えげつないことをぬかしおったじゃないけ」 「あれはみんなヤキモチよ」  松蔵が断固といった。 「いまや刑部一党はすっかり落ち目よ。それに引きかえ越智の本家は威勢隆々。それをきょうの祭りでいやというほど見せつけられたもんじゃけん、村長のやつ、頭に血がのぼりくさったんじゃ」  そこへまた吉太郎がやってきて、篝火に薪をくべてまわった。かれが境内にいるあいだだれも口をきくものはなく、吉太郎もまた口をきかなかった。かれは越智の一党から、すっかり裏切りもの扱いをうけているのである。その吉太郎が篝火に薪をくべおわって、またコトコトと拝殿の背後へまわっていくのを見て、 「おじさん、神戸のおじさん、あの新家のおじさんはここに住んどるのけ」  信吉があたりを|憚《はばか》るような声で尋ねた。 「いやあ、あいつの家は|小《こ》|磯《いそ》じゃけえど、お宮の仕事が立てこんでくると、ここの納屋に寝起きするんじゃそうな。ひとりもんじゃけんな。まあ、いうてみれば犬ころみたようなもんじゃ」  松蔵の口ぶりには、汚いものでも吐き捨てるようなどくどくしさがある。 「へへえ、その犬ころを、ここの御寮人さんが抱いてお寝んさるんけ。そいじゃまるで八犬伝の|伏《ふせ》|姫《ひめ》みたいじゃないけ」 「だれだ、そげえなえげつないことをいうやつは」  松蔵はギロリとそのほうに目をむけて、 「ああ、|一《かず》さんか。おまえだれにそげえなえげつないことを聞いた?」 「だれにいうて、あんたがいうておいでんさったじゃないけ。こっちへくる船のなかで。吉やんに面とむこうて、おまえあんじょう御寮人さんに可愛がられとんのとちゃうかっと」 「わしそげえなこというたかな」 「いうた、いうた、おじさんたしかにおいいんさったよ」  信吉が声をひそめながらもそばから|囃《はや》し立てた。いや、本人は声をひそめているつもりでも、酒がはいっているからいきおい大声になる。 「そうかな。そんじゃいうたことにしとこう。じゃけえど、わしのつもりじゃ、そげえなえげつない意味じゃなかった。ただこのお宮のじいやとして可愛がられとんのんとちがうかと、そういう意味じゃ。いかにここの御寮人さんが物好きじゃとて、あげえな薄汚い男を抱いて寝るなんて、バカバカしいにもほどがある」  松蔵は吐き出すようにいってのけたが、しかし、その言葉はなんとなくそらぞらしく、言い訳めいてきこえずにはいなかった。だが、だれもそれ以上この問題を追求しようとしなかったのは、神職が殺害されたというこの時点で、神職の妻と他の男の関係をうんぬんするというのは、あまりにも深刻であると思ったからであろう。当然一座はシーンとしらけたが、そのときだれかが|呻《うめ》くようにつぶやいた。 「なるほど、あの男、薄汚いことは薄汚いけえど、腕っ節は強そうじゃぞな。背中から胸までグサッと串刺し。恋の|恨《うら》みというやつか、ああ、きょうとや、きょうとや」  さて、第四のグループは越智竜平と松本克子である。このグループに竜平の叔母の|多《た》|年《ね》|子《こ》もくわわっていた。彼女は家にいては、心配のためにいてもたってもいたたまれないといって、さっき駆けつけてきたのである。このグループは神楽殿のなかにいた。神楽殿にはもちろん三方雨戸がしまっていて、ガランとした床に三人座っているところは、いかにも|侘《わび》しげにみえた。  竜平は羽織袴の姿のまま、母屋から運んでくれた|座《ざ》|蒲《ぶ》|団《とん》のうえに正座して、|膝《ひざ》のうえでしきりに白扇を鳴らしていた。|唇《くちびる》をかたく結び、|瞳《ひとみ》をきっと|虚《こ》|空《くう》にすえたまま、さっきからひとことも口をきかない。遠く離れてすわっている多年子や克子が、気遣わしげな視線を送り、なにか話しかけようとするのだけれど、かれはそのほうに見向きもしなかった。口を開きかけては閉ざす多年子と克子は、ただ顔を見合わせるばかりである。取りつく島もないというのが、そのとき竜平をくるんでいる雰囲気であった。竜平の胸中にいったいなにが去来しているのか、それが|忖《そん》|度《たく》できない以上、このグループについて語ることはない。  さて、最後の第五グループとは、いうまでもなく|神楽《かぐら》|太《だ》|夫《ゆう》の一行である。かれらは神楽殿の背後の会議室にいた。大きなふたつの|葛籠《つづら》の|蓋《ふた》が開いていて、そこから取り出されたきらびやかな|衣裳《いしょう》や古怪な面が、広い会議室の畳のうえに散乱し、長い|大蛇《おろち》の縫いぐるみが部屋いっぱいに、のたくっていることはさっきもいったが、あれからそうとう時間がたったのに、あたりは少しも片付いていない。だれも片付ける気力がないのである。  火事騒ぎだけでも大|狼《ろう》|狽《ばい》だったのに、そのあとに起こったのが殺人事件とあっては|沙《さ》|汰《た》の限りであった。ことに殺されたのが神主であってみれば、今年の祭りはもうこれ限りと観念せざるをえないであろう。祭りがお流れになったとしたら、お神楽などの沙汰ではあるまい。 「四郎兵衛さん」  葛籠のそばで頭をかかえこんでいる社長の四郎兵衛に、そっと声をかけたのは平作である。なんといっても平作がいちばん四郎兵衛に年もちかく、神楽太夫としてもいちばん古いつきあいである。  四郎兵衛は両手でかかえこんでいた頭をむっくりあげると、 「なんじゃな、平作どん」  平作は四郎兵衛の顔を見ると驚いたように、 「なんじゃ、四郎兵衛さん、あんた泣いておいでんさったんか」 「ふ、ふ、ふ、年をとると気が弱うなっていかんな。わしゃ悔しうてなあ」 「なにが……? なにをそんなに悔しがっておいでんさる」 「なにがちゅうて、今夜わしは勇に|素戔嗚尊《すさのおのみこと》を舞わして、わしは|八《や》|岐《また》の|大蛇《おろち》を付きあうつもりじゃった。おまえさんもしってのとおり、いまから十九年まえのここのお神楽で、松若が舞うたのが、あの子にとって最後の舞台になったけえど、そのときの役回りが松若の素戔嗚、わしの大蛇じゃった。そうじゃけん、孫の勇に素戔嗚尊を舞わせ、それを松若に対するせめてもの|回《え》|向《こう》にするつもりじゃったのに、こげえな騒ぎになってしもうて、その心づもりもお流れになるかっと思えば、腸が煮えくりかえるようじゃ。これを悔しがらずにどうしようぞいの」 「そうすると、四郎兵衛さんは松若どんが蒸発したんは、やっぱりこの島じゃっと思うておいでんさるんけ」  平作の背後からにじりよってきたのは、徳右衛門と嘉六である。ふたりとも異様に顔をひきつらせている。四郎兵衛は三人の顔を見くらべながら断固といった。 「わしの信念は変わりはせん。目差すかたきは|神《かん》|主《ぬし》夫婦じゃ。さっきあの御寮人に会うてみて、ハッキリわしにはわかったぞな。あのおなご、うわべは神々しうて、|浄《きよ》らかじゃけえど、あの体に流れている血は|穢《けが》れとる、腐っとる。あいつがさんざん松若をおもちゃにして、|腑《ふ》|抜《ぬ》けにしてしもうたんじゃ。それを亭主の神主がヤキモチ焼いて松若を殺しよったんじゃ。わしはこの目の玉が黒いうちに、|倅《せがれ》のかたきを打ってやろうと思うていたのに、だれかに先を越されてこげえに悔しいことはないぞな」  四郎兵衛は歯ぎしりせんばかりの悔しがりようだが、なるほど、これでは誠が心配するのもむりはない。 「おじいちゃんは気が立っておいでんさるけん、むやみなこというたらあかん」  と、誠は勇を|諭《さと》していたが、いまの四郎兵衛の狂態を見たら、祖父思いの孫たちが気を|揉《も》むのもむりはなかった。 「四郎兵衛さん、四郎兵衛さん、そげえに気を立てたらどうもならんがな。そげえなことがうっかり警察の耳にはいったら、おまえさんが疑われんもんでもない」 「わしゃ疑われてもかまやせんけえど、残念ながら年寄りのこの|痩《や》せ腕では、背中から胸までグサッと|串《くし》|刺《ざ》し、そらちょっとむりじゃろうな」 「それを聞いてわしも安心したけえど、おまえさん警察の調べがあったとき、松若どんのこと話す気か」 「さっきも警部と名乗る男が、さかんにカマかけてきたもんじゃけん、わしゃそばでハラハラしとったけえど、ええあんばいにあんたがシラを切ってとおしんさったんで、わしも安心したんじゃけえど、こんどはどうおしんさるおつもりじゃ」 「そのときはそのときのこっちゃ、臨機応変といこう。そらそうと、勇、お兄ちゃんはどげえしたんじゃ、誠の姿が見えんようじゃけえど」  四郎兵衛はむこうの隅にいる孫の勇に声をかけた。 「お兄ちゃんなら御不浄へいてくるいうて、お立ちんさったけえど」 「御不浄にしては長いな。マコちゃんがここを出ていったのは十一時半よりまえじゃった。もうそろそろ十二時じゃぞな」  勇のそばに寝そべって、週刊誌なんか読んでいた弥之助が、むっくり起きなおると、腕時計を見ながら告げ口をした。  この弥之助だけが三十代だが、極道が過ぎて身が持てず、いまだに独りもんである。せめて神楽でもみっちり仕込んでもらえば、少しは身性もよくなろうかと、両親から頼み込まれて四郎兵衛が預かっているのだけれど、その神楽にももうひとつ身がはいらないふうである。 「勇、お兄ちゃんはどげえしたんじゃ。おまえらさっきからこそこそと、内緒話ばかりしとったようじゃけえど、お兄ちゃんはどこへいったんじゃ」  四郎兵衛は不安の色を、露骨におもてに表わして、言葉の調子も気遣わしそうだった。勇はベソをかくような顔をして、 「お兄ちゃん、ひょっとすると千畳敷きやないかと思うとりますけえど」 「千畳敷きとはなにけ」 「このお社の裏のとっても景色のええとこです」 「おまえどうしてそげえなことしっとるんじゃ。千畳敷きちゅう名前、だれに聞いた」 「きのう駐在のお巡りさんに教えてもろたんです。とても景色のええとこですけん、お兄ちゃんすっかり気に入ってしもうて……」 「景色がええちゅうてもこの|闇《やみ》じゃ、景色もヘチマもあるもんけ。弥之助、おまえすまんけど、勇といっしょに探しにいてやってくれんか。場合が場合じゃ、マゴマゴしとると警察にひょんなげな目で見られるけんな」 「うん、わかったよ、おじいさん。イサちゃん、いこう」  ふたりは連れ立って会議室を出ていったが、すぐ誠をつれてかえってきた。その誠の袴の膝にはいっぱい|泥《どろ》がついている。  四郎兵衛は気遣わしそうに目を視張って、 「誠、どげえしたんじゃ、その泥は……?」 「おじいちゃん、そげえにいちいち気をもまんといてつかあさい。ただ滑って転んだだけのこってす。うちもうなにやら息苦しうてかなわんもんですけん、そこらを散歩してきただけです」  だが、そういう誠はふところに、懐中電灯を忍ばせている。こっちへ来てから|新《しん》|在《ざい》|家《け》の電気商で、買い求めてきたものである。 「それよりおじいちゃん、いや、みなさん、警察の人が大勢やってきたようですよ」  この会議室と神楽殿のあいだには、仕切り戸が取りつけられているのだけれど、いまはそれが取り払われたままになっていて、あいだを隔てているものといえば、ヒイキから四郎兵衛に贈られた無形文化財の幕だけである。しかも、内緒話をしているつもりでも、ここいらの人たちの声は甲高く、それに興奮したときには、よけいに声が荒くなっている。  幕ひとつしか隔てていない、神楽殿にいる竜平の耳には、これらの会話が筒抜けになっていたのではないか。いや、それのみならず、神楽殿の下にいる松蔵たちのグループの酒の酔いにはずんだ会話も、おなじように雨戸越しに聞こえていたのではあるまいか。  しかし、竜平は袴の膝に両手をおき、唇をかたく結び、きっと虚空に目をすえたまま身じろぎひとつしなかった。|孤愁《こしゅう》の色がその全身を包んでいる。      二 「や! や! こ、これは……」  現場へ案内された広瀬警部補の放った第一声がこれだった。いや、これは広瀬警部補のみならず、かれが引率してきた捜査員のすべてが胸中で放った言葉であったろう。  しかし、千軍万馬のこの人たちは、変死体には慣れている。変死体というものは、そのありかたがどのような形態であっても、薄気味悪いものときまっている。しかし、それをいちいち気味悪がっていては、この人たちの職務ははたせない。かれらはすぐに事務的に行動を開始した。  写真班は格子の外から内からと、あらゆる角度にカメラをかまえてシャッターを切った。そのたびに拝殿に内陣にとフラッシュの光りがつっ走った。鑑識班はあたりいちめんに銀粉をまいて、指紋採集に努力している。  そのなかでいささか困惑のおももちは、下津井署の|嘱託医《しょくたくい》木下先生である。木下先生はそうとうのお年である。白い|口《くち》|髭《ひげ》をまさぐりながら、困ったように死体の位置を|視《み》|守《まも》っている。死体を診るにも宙にぶらさがったようなこの状態では、はなはだ不便でもあり、不都合でもあった。 「広瀬くん、もうこの死体動かしてもええじゃろう。このままじゃ手もつけられやせんがな」 「ええ、もういいでしょう。おい、藤田くん、手をかしてあげたまえ」 「おっとしょ」  藤田というのはこのあいだ、下津井の浅井はるの台所で、金田一耕助も会ったことのある若い刑事であった。  藤田刑事はくぐり戸を抜けて内陣のなかへはいっていくと、まず格子の|桟《さん》にひっかかっている矢羽根のほうを取り外し、死体をかかえるようにして、内陣の床にそうっと寝かせた。寝かせたといっても矢に刺し貫かれているのだから、仰向きにするわけにもいかないし、|俯《うつ》|伏《ぶ》せにするわけにもいかなかった。  けっきょく、横向けに寝かせるよりほかに方法はない。守衛は白衣のうえに水色の袴をはいていて、|裾《すそ》の乱れる心配はなかった。いずれは素っ裸にして、ほかにも外傷はないかと調べなければならないのだが、着物をぬがせるのが|厄《やっ》|介《かい》であった。どちらにしても矢を引き抜かなければならないだろうが、それには矢尻を切断するよりほかはないだろう。  木下先生は|上《うわ》|衣《ぎ》をぬいで藤田刑事に渡すと、ワイシャツの腕をたくしあげ、死体のうえにかがみこんだ。 「木下先生、これはいうまでもないことですけえど、犯行の時刻をできるだけ正確に知りたいんですが……」 「いや、広瀬くん、それならわしにはわかっとるんじゃ。もちろん先生の医学的な鑑定書は必要じゃけえどな」 「警部さんに……? どうして……?」 「わしはその死体を見つけるとすぐ手をとってみたんじゃ。脈を見るためにな。そしたら手にまだぬくもりが残っていたもんじゃけに、おやと思うて胸にさわってみた。胸にもおなじ温かみが残っとった」 「それは何時ごろのことですゥ」 「わしゃそのとき本能的に腕時計に目をやったんじゃが、八時四十分であった」 「すると、あなたがこの死体を発見されたんですか」 「いいや、わしじゃない。わしは二番目じゃ」 「じゃ、最初の発見者は……?」 「越智氏……越智竜平さんじゃ」  磯川警部はそういいながら、ちらっと金田一耕助のほうへ目をやった。その金田一耕助は拝殿のほうにいて、捜査員諸君の邪魔にならないように、あちこち身をよけているが、その目はともすると格子越しに内陣のほうへむけられる。いま床によこたえられている被害者の、前部と後部から突出している、黄金の矢が、かれにはなんとも|腑《ふ》に落ちないらしい。 「越智竜平……氏?」  広瀬警部補はいくらか声をはずませて、 「その人でしょう。ちかごろこの島に|莫《ばく》|大《だい》な投資をしているというのは」 「そうそう、この神社なども新しく建てかえて寄進した人物じゃな。いや、それのみならず、凶器として用いられたその矢なども、越智氏の寄進によるもんじゃそうな」  広瀬警部補は怪しく目を光らせて、 「その越智氏がこの事件の発見者じゃとすると、そこになにか意味があるとおいいんさるんで」 「そうはいうとらんけえどな。金田一先生、あの人が地蔵平の家を出たんは何時ごろでした」 「キッチリ八時半でした。わたしは玄関まで送って出て、自動車で出ていかれるのを見送ってから、腕時計に目をやったんです。八時半ジャストでしたね」 「そんなもんじゃろうな。わたしは四時ごろ神楽太夫の一行といっしょにここへきたんじゃけえど、八時二十分ごろ火事騒ぎがあってな」 「ああ、そうそう、ボヤがあったんじゃそうですね。そのボヤとこんどのこの事件と、なにか関係があるとおいいんさるんで?」 「それはわしにもまだわからん。そうじゃけえど全然別個の偶発事故とも思えん。その場にいあわせたもんはみんな足止めしてあるけん、部下によう聞き込みをさせるんじゃな」 「ありがとうございます。警部さんが今夜ここにおいでんさったんで、われわれ大いに助かります。それで……?」 「火事騒ぎがあったもんじゃけん、わしは表に飛び出した。それまでは神楽殿の背後にある、太夫たちの楽屋にあの連中といっしょにいたんじゃ、その意味はわかるじゃろ」 「わかります。なにか収穫がおありでしたか」 「皆目。じゃけえどあの連中がなにか隠しとることはたしかなようじゃな。さて、火事はすぐ消えて大事にいたらなんじゃけえど、わしはまだ境内にいた。するとそこへ越智さんがお宮の石段をあがっておいでんさった。時計を見ると八時三十六分じゃった」 「八時半ジャストに地蔵平の家を出たとすると、そんなもんでしょうな」 「越智さんは水びたしになった境内を見ると、びっくりしたようにあたりを見まわしておいでんさったけえど、すぐ社務所のなかへはいっておいでんさった。わしもそれを見て社務所のほうへ近づいてきたんじゃが、するといまなかへはいっていった越智さんが、びっくりしたような顔をしておいでんさった。わしとは出会いがしらじゃったな」 「その間どのくらいの時間だったんですゥ。越智氏がなかへはいって、また出てくるまで」 「そうじゃな、二分……長うて三分くらいのもんじゃろな」 「二分、いや、三分あればそうとうの仕事ができますぜ、越智氏はその間この社のなかでなにをしとったですゥ」 「それは越智氏に聞いてみんとわからんな。早急に関係者一同の聞き取りをはじめなければならんけえど、まずいちばんにあの人の話を聞くんじゃな。なんちゅうてもあの御仁がこの事件の最初の発見者じゃけん」 「警部さんにちとお尋ねいたしますが……」  と、そのとき拝殿のほうから格子越しに、金田一耕助が声をかけた。 「はあ、どういうこと?」 「あなたは火事騒ぎがあったので八時二十分ごろ、お宮のなかから境内へとび出してきたとおっしゃいましたね」 「ああ、そういうたが、それがなにか……?」 「あなたのあとから、だれかこのお宮からとび出したものはありませんでしたか」 「いや、わしはとび出すまえに社務所の奥の住居のほうを|覗《のぞ》いてみたんじゃ。すると、みんな火事じゃ、火事じゃという声を聞いてとび出したとみえ、そこにはだれもおらなんだ。そうじゃけんわしがいちばん最後にとび出したもんらしい。神楽太夫の連中は別としてな」 「いや、ありがとうございます」 「金田一先生」  磯川警部はなぜか開きなおって|居《い》|丈《たけ》|高《だか》に、 「さっきわしは岡山の県警と電話で打ち合わせをして、この事件はいっさいわしが一任されたんです。つまり、この事件の責任者はこのわしじゃ。わしよりあとから飛び出したもんがあったとしたら、この広瀬くんに注意しますぞな」 「いや、失礼しました。つい念のためにお聞きしただけのことで、そう気を悪くなさらんでくださいよ」  そのとき念入りに死体を鑑定していた本下医師が、死亡時刻について断定をくだした。  あらゆる点から観察してみて、この死体は死後五時間から四時間というところであろう。いまがちょうど七月七日の午前一時であるから、犯行が演じられたのは七月六日の午後八時から九時までのあいだであろうという断定であった。そして、このことは磯川警部の話と一致していた。  かくて、そのあとで関係者一同をひとりひとり呼び出して、聞き取りということが行なわれたのだが、この種の記録のなかでいちばん|辛《しん》|気《き》|臭《くさ》いのが、この聞き取りというやつである。書くほうでも辛気臭いが、読むほうではより以上に辛気臭いであろう。さりとてそれを省略するわけにはいかない。省略すると記録の納得性が失われるからである。  越智竜平を筆頭として、この聞き取りが開始されたのは、七月七日の午前一時をとっくに過ぎて、午前二時になんなんとしていた。竜平につづいてかれをここへ運んできた、自動車の運転手松本克子、叔母の越智多年子から金田一耕助まで、この聞き取りの対象となった。  このグループがおわると巴御寮人を筆頭として、刑部家の一族である。さいわい、巴御寮人は木下医師の鎮静剤の注射がきいたかして、さっきからみるとだいぶん落ち着いていた。いや、巴御寮人のまえに村長の刑部辰馬が呼び出されていた。巴御寮人につづいて真帆、刑部大膳という順序であったが、これらの人びとは社会的にそうとうの地歩を占めている人物ばかりである。頭ごなしに|怒《ど》|鳴《な》りつけたり、絞めあげたりするわけにはいかない。おまけにみんな疲れているから、その手間暇のかかることといったらお話にならない。  ここに殺人という厳粛で|苛《か》|酷《こく》な事実が演出されているのである。しかし、だれも自分が犯人であると申し立てるもののないのが、こういう聞き取りの場合ふつうである。だれかが|嘘《うそ》をついているのである。その嘘を|看《み》|破《やぶ》らなければならないのだが、それは容易なことではない。  この聞き取りは社務所のなかで行なわれたのであるが、越智一族と刑部一族をおわって、三津木五郎と荒木定吉に取りかかろうとしたときには、夏の夜の明けやすく、東の空はしらじらと明るんでいた。  警察の要請で足止めくった吉太郎も、納屋のなかで自分の出番を待っていた。しかし、いつまでたっても呼び出しがこないので、かれはいつか納屋のなかで眠ってしまった。こんど帰島した人びとの話をきくと、吉太郎という男がいかにも不潔な動物のように思えるが、必ずしもそうではないことは、刑部神社へ寝泊まりするとき、かれが|塒《ねぐら》にしている納屋のなかをのぞいてみればよくわかる。  三畳敷きほどあるこの納屋は、上下二段にわかれていて、下のほうには薪だの炭だの、|箒《ほうき》だの|塵《ちり》|取《と》りなどがいっぱい詰まっており、上の段には使い古した道具類が押し込んであるが、それらはよく整理|整《せい》|頓《とん》されていて、不潔な感じはどこにもない。  この上の段の道具類のあいだに、畳半畳ほどの空間があり、そこに|茣《ご》|蓙《ざ》が敷いてある。刑部神社へ泊まるとき、かれはいつもその空間に毛布にくるまり、道具類にもたれて眠るのである。この一事をもってしても、かれがいかに図太い神経に恵まれているかということがわかるであろう。  七月七日の朝吉太郎はこの納屋のなかで目を覚ました。すでにしらじらとした外光が、納屋のなかに流れこんでいるのに気がつくと、かれは驚いたように腹のどんぶりから古風な懐中時計を取り出してみた。吉太郎はきのうの昼間、金田一耕助と大膳をオチョロ舟に乗せて、島めぐりをしたときのままの|衣裳《いしょう》、すなわち黒い|鞣革《なめしがわ》の上下つなぎのオーバーオールのうえに、刑部神社の|印袢天《しるしばんてん》を着込んだまま寝ていた。時計を見ると五時四十五分、頭のうえを|烏《からす》が二、三羽鳴いてとおった。  それを聞くとかれは急いで身を起こし、上段から滑りおりると、土間においてあった|長《なが》|靴《ぐつ》に両脚を突っ込んで納屋を出た。この納屋は神楽殿のすぐ背後にあるのだけれど、吉太郎はそっちのほうへはいかずに裏側へまわった。裏側には|苔《こけ》の蒸した狭い石段がある。いかにも滑りやすそうな石段だが、吉太郎は慣れているのか、そこを一気に駆けおりた。  吉太郎はいそいでいるので気がつかなかったけれど、石段のいちばん下の段に、最近だれかが滑って、転んだような跡がついていた。この石段は刑部神社を支える|石《いし》|垣《がき》に沿ってついているのだが、石垣の下に人間ひとり身をかがめて、潜れるくらいのささやかな|龕《がん》があり、そのなかにきのう金田一耕助が、下の|水《すい》|蓮《れん》|洞《どう》で見たとおなじような五輪の塔が安置してある。  しかし、吉太郎はそのほうへは見向きもせず、石垣の角をまがるとそこは千畳敷きである。|楢《なら》や|櫟《くぬぎ》の林におおわれた千畳敷きの右手には、七人塚がひっそりと|朝《あさ》|靄《もや》のなかにたたずんでいる。  吉太郎は足音をぬすむような歩きかたで、千畳敷きをとおりぬけると、刑部神社を支える石垣の反対側の小道へ出た。金田一耕助や誠や勇がとおった道である。刑部神社の石段の下には、竜平の自動車が|駐《と》まっていたが、さいわいだれもいなかった。地蔵峠から地蔵坂へさしかかる時分から、吉太郎の足は速くなり、やがては背中を丸くして風のように駆け出した。  それから三十分ののち吉太郎は、|小《こ》|磯《いそ》の部落からポツンと一軒離れた、山際にある自分の家へかえってきた。それは家というより、小屋といったほうが当たっているかもしれないような貧しい家だが、内部はあんがい整頓されていて、この男のきれい好きを示しているようだ。  吉太郎は押し入れを開いて散弾銃を取り出した。銃身はよく|磨《みが》かれている。絶えず手入れをしているのだろう。弾帯を取り出して銃に|弾丸《たま》を詰め込んだ。弾帯には革の|剣《けん》|袋《たい》がついている。吉太郎は弾帯を腰に巻くと、剣袋から剣を抜き出して目のまえにかざして見た。これまたよく|磨《と》ぎすまされていて、|柄《つか》から切っ先まで二五センチ、ドキドキするような鋭い光沢をたたえている。  吉太郎は弾帯をまいた腰をひとゆすりすると、銃をさげたまま家の裏側から外へ出た。裏側はすぐ山である。その|麓《ふもと》を少し|迂《う》|回《かい》すると細い坂がある。かなり急な坂だが、吉太郎はいそぎ足で登りはじめた。十五分ほど登るとさすがに吉太郎も息が切れ、汗が流れたがその代わり丘の頂上へ出ていた。  吉太郎は汗を|拭《ぬぐ》い、呼吸をととのえながら眼下にひろがる荒涼たる景色を見まわしていた。もう夜はすっかり明けていて、空にはいちめんに烏が舞っている。そのかずおそらく百羽をこえているだろう。  いま、吉太郎の眼下にひらけているのが、すなわち隠亡谷である。  この男にとっては警察の要請より、大膳の命令のほうが優先するのであった。  本書中には、今日の人権擁護の見地に照らして、不当・不適切と思われる語句や表現がありますが、作品発表時の時代的背景と文学性を考え合わせ、著作権継承者の了解を得た上で、一部を編集部の責任において改めるにとどめました。(平成八年九月) 金田一耕助ファイル19  |悪霊島《あくりょうとう》(上)  |横《よこ》|溝《みぞ》|正《せい》|史《し》 平成14年2月8日 発行 発行者 角川歴彦 発行所 株式会社角川書店 〒102-8177 東京都千代田区富士見2-13-3 shoseki@kadokawa.co.jp (C) Seishi YOKOMIZO 2002 本電子書籍は下記にもとづいて制作しました 角川文庫『悪霊島(上)』昭和56年5月18日初版刊行              平成8年9月25日改版初版発行